26話 猫『女』ともう十二時間の辛抱
八月十六日――
夏祭りは明日――
「浴衣は準備しなくちゃね」
天使が居て。
「奏芽も明日の夏祭りバッチシね」
お母さんが居て。
「ああ――そうだな、はぁ……」
唯川奏芽が居まして。
「余も夏祭りとやらに行ってみたいぞ。主人」
猫子が居る。
昨日限りの出来事だった筈なのに猫子は猫に戻っていなかった、朝起きてまだお腹の上が重たいなと思ったら猫子が人型のまま丸まって寝ていた。それで無理にニカエルを起こし問うと――
「よくわかんない、もしかしたら猫子の潜在意識が魔法を解かないとしてるかも」
と、目を擦りながら喋った。猫子のまだ人間でいたいという意識の重みから魔法を解かんとしてるとは、なんて図太い猫なんだお前は。――結局俺の荷が重くなっただけだった。
「主人、何を考えている」
「猫子。猫に戻る気は無いのか?」
「昨日聞かされた通りに戻ると聞いて覚悟していたのだがな」
「なんてことだ……」
人間二人、天使一人、猫一匹が割れまして人間一人に。
「しかし……主人、耳は出せるし尻尾も隠れてはおるが出てるぞ」
「という事は徐々に戻ってる?」
「分からぬが、この調子だと夕餉まで如かず」
「夕餉? ……夕食までか」
「そうだ主人。だから余を何処かに連れて行け」
どうしてそうなるんだか。でも普段から家から出してない猫だから外が恋しいのだろう。……夏祭りは明日だし、今日は色々な場所に連れて行ってあげよう。
「……それで奏芽、この猫子という『女』の子は結局ウチの猫なの?」
「お母さんまだ疑ってるの? そもそも連日で家に猫居ない時点で疑えよ」
「ふーん」
お母さん実は嫉妬してるとか? ……そんな訳ないか。
「じゃあ……こことか感じる訳?」
お母さんが猫子に近づき触ったのは出て来た耳の裏側を擦る。
「ニッ……ゃ……余が感じる……訳無かろう……」
「随分と嬉しそうだけど、ふーん。私は気持ちいい所知ってるんだからね」
次に猫子の尻尾を探し、その付け根を触るらしい。
確かそこの部分は――
「にゃあああ⁉ 触るでない! 無礼者!」
「よし、ニャコだな!」
一体何の確認何だよ! と突っ込みたい所だが、それがお母さんの確認の仕方だったらしょうがない。文句は言えなかった。しかし、こんなにも嫌がってる素振りを見せてるのに顔は真っ赤であるのだな、猫子よ。
……さて、何故尻尾の付け根で猫子がこんな反応を見せたというと、付け根というのは猫の全神経が集まっていて尻尾を触られるのは嫌がるのに対しこの付け根は反応様々。猫というのは自分が触れない部分を触られるのを喜ぶ動物で、首元や耳の裏と親しくないと嫌がられるがお腹周りも弱点らしい。……つまり人間で言うと性感帯なのだろう。
「しゅ、主人行くぞよ……主人の母は意地悪ぞ」
「はいはい……」
足がしびれたような動きをする猫子の肩を抱いて玄関まで連れて行く。
※ ※ ※ ※
帯は白、着物はグレー。靴は編み上げブーツに和傘と煙管を持っている。完全にここ夏風町では場違いだけど、これが猫子の正装だ。因みにで言うと、明治と江戸を割ったような服装立ちをしている。
「ん……どうした主人よ。少しベレット帽が似合わなかったか?」
「耳隠しには仕方ないけど傘を差しながら帽子は、と思ってる」
「であるか? しかし家にあった麦帽子はボロボロ」
「あれをかぶる訳にはいかないな」
紅色のベレー帽を被せてあげたが、グレーの着物に合っているか? と言われるとやはり合っていない。しかし、猫に戻っている状態だからその耳を隠すにはベレー帽しか無い。……尻尾は隠れてるんだけどなぁ。
「主人、今日は何処に連れて行くのだ?」
「今日は隣町に行こうと思ってるんだけど」
「隣町? 町に隣というのがあるのか。どれも町ではないのか?」
「それぞれ名前があってな、ここは夏風町だ」
「夏風町……覚えた。では余も夏風町の出身だ」
「へぇ……」
よく分からないけど相槌を打った。徐々に猫子の事が分かってきたが、まだまだ不思議に思う所は多い。――特に、この話し方。第一人称が「余」だったり、カタカナに訛が入ったりと妙に古い言葉が多い。――日本猫というのはこういうのばかりなのか?
「主人よ、前にニカエル氏の食べていた物をまた食べてみたいぞ」
「ソフトクリームか。駅前に行くからその時に食べれるよ」
「本当か! あの甘い冷やし菓子を口の中に放り込みたいのだ」
「……何か表現がなぁ」
古い。
それで駅前に着いてからはソフトクリーム屋のあの機械を嬉しそうに見ている。店員がコーンを手首で回してとぐろを巻く。その特殊な技術を見て猫子のベレー帽が浮く。多分耳が立ってしまったのだろう、分かりやすい。
「店主よ、お見事じゃ。奇っ怪な術じゃが余には真似出来ぬ」
「あ、ありがとうございます……」
店員も思わず苦笑い。店員の手からソフトクリームを受け取って早速舐める。相変わらず小さい舌でペロペロと舐めて味わっているようだ。
「猫子、がぶり付くともっと美味しいよ」
「がぶり付く……」
ソフトクリームの先からガブッと食べると冷たさを感じて目をつぶったが、その後に幸せになったようだ。今後の猫子の大好物はソフトクリームになったようだ。――そんなのでいいのか? 猫子よ。
「主人、これよりもっと美味しいのはあるんだろうな?」
「さぁね、それが美味しいんだったら一番だよ」
「そうか。なら主人は美味しいものを食べさせてくれるのだな?」
「どうかね」
「意地悪じゃの、主人」
駅に入り、切符を二枚買ってホームに入っていく。切符の入れ方を教えその機械にまた驚いていた。――一人だけタイムスリップしてきたような感じを出しているが、それなりに対応しているから問題はない。他に文句は言わずに質問ばかりだが、喧嘩を売るよりはマシだろう。
「主人、何を待っている? この鉄線は何の為にある?」
「今から電車に乗って隣町に行くのに待ってる。……電車も知らないか」
「まだ知らぬ事が多いと言ったろう。精々知ってるなら鉄車だけだ。アレだけは気をつけろと父に言われとる」
「鉄車? ……車か、確かにな。アレに轢かれたら一発だからな、気をつけろよ」
「しかるべく気をつける」
何でも言う事を聞いてしまうのは地味に罪だけど、しっかりと教えなきゃな。
「まもなく電車が到着します――黄色い線の後ろでお待ちください」
ホームにアナウンスが鳴り響き、そのあとに電車が入ってくる。その様子をただ睨んで見つめる猫子は今にも襲いかかりそうだった。
「主人、鉄車よりも恐ろしい物のようだが、余にも勝てるかの?」
「無理だから! 落ち着こう、ね?」
興奮する猫子を抑え、電車が停止するのを待つ。こんなにも猫の興奮が最高潮になるとも思えないが、ただ猫子の股辺りがくねくねと動いていた。――猫子にとって人間界は楽しい物のようだ。
完全に電車が停止して扉が開き中に入る。席に座り、猫子もとの隣に座る。不思議そうに周りを見渡している。
「ほほう、限定された場所なのに広い造りをしておる。この輪っかはなんじゃ」
「これは吊革、立っててよろけないようにする道具だよ」
……猫子は我慢しているようだが、本能には勝てないようで手が勝手に出ている。勿論席に座っていると吊革には手が届かない。けど、じっと見つめては本能で手が出ていた。
「猫子」
「にっ……違うぞ主人! 余は決して吊革とやらで遊びたい訳では無い」
「じゃあその手は何?」
「……はっ⁉」
無意識に出ていた手を引っ込める。顔を赤裸々にしてベレー帽を耳でピクピクと動かす。指摘されたのが恥ずかしかったようだ。
「吊革などもう見ぬ、主人何か話せ」
「気を背こうって訳か……猫子ってどうしてそんな姿してるの?」
「さてな。だが動きやすいぞ」
少し質問を間違えたか。服装の話それだけじゃ確かに俺の意図も伝わらない。……時代の話をして猫子に伝わるかと言うと、脳内は所詮猫だから伝わらない。――この場合は
「猫子の先祖の話とかってある?」
「余の先祖か……父と母には聞いた事が無い。そもそも余もそこまで父や母と過ごしておらぬ」
「十ヶ月だと……そうだよな。うーん」
猫子に対しての質問が尽き、会話が無くなる。この猫子の性格といい、服装といい。謎だらけで猫子自体もまだ十ヶ月で知らない事ばかり。解明は難しくなった。
隣町に辿り着き電車を降りる。一方で猫子は電車内で座って待っていたが出た途端に落ち着きがなかった。
「主人……体が震えるぞ。少し気が悪い」
「大丈夫? 水でもいる?」
「水か――椀に乗せて持ってきてくれ」
「椀……そうか、普段はそうだよな」
猫子は首を傾げているが、飲むには便利な物が人間にはあるのだ。自動販売機にお金を入れて水入りペットボトルを買う。それを猫子に渡すがやはり分かっていなかった。
「十分に冷えて、中に水が入っておるがどうやって取り出すのじゃ? ……分かったぞ」
何をするのかと見ていたら手の第一関節を曲げて、包丁の逆手の握り方……俗に言う「猫の手」をして爪を捻り出す。
「……猫子!」
「な、何じゃ主人。これを引っ掻いて開けるんじゃないのか?」
「違う違う、ちゃんと開け方があるから」
一度猫子にペットボトルを渡したが、こっちに返してもらい開け方を伝授する。
「まず片手をペットボトルのお腹を持って、この先……キャップで言うんだけど」
「ふむ」
「これを捻る」
カチカチカチカチ――
「おお、不思議な破裂音と共に蓋が取れたぞ」
「これでペットボトルを傾けて飲むと」
「ほほ。傾けると口の中に流れるのだな。承知した」
理解したようだ、ペットボトルを教えるのにも大変だ。
「夏風町という町よりも活気があるの。人だらけじゃ」
「町、というよりもう街だからな」
ここに猫子を連れてきたものの、残念ながら熟考したプランは何も考えていない。ただ猫のようにブラブラと街をさまよい、猫子が何かを見つけたら俺もそれに乗るといった感じの完全フリープラン。……だけど猫子が何を見つけるかが問題になってくるが、なるべく変なのは見つけないでほしい。
――主人主人とあれほど質問をする度に言っていたのに、歩いてて質問が飛んでこない。ただ人混みの中を掻き分けながら街を真っ直ぐと行く。猫子が興味を示すものが沢山あるはずなのに……。例えば、コーヒーショップとかスーパーとか。デパートに携帯ショップと、人間が必要な物を売っている店と興味津々な筈。だが目の前を通り過ぎて、まだまだ歩く。
「……猫子、お腹は空いてない?」
「そうだな、主人がお腹を空かしているのなら、余も賛成の内に入るとしよう」
「ああ――そう、俺は別に」
この街に来てからはこの様子だ。何を聞いても俺の事を気にして聞いてくるのだ。その反応に俺は逆に困っている。猫子が興味を示しそうなものを無理にでも気を向かして見たくなってきた。
「……あ、そうだ! 猫子、家電量販店行ってみない?」
「家電量販店……とな? 聞いたことも無い店じゃ」
「行ってみる?」
「そうじゃな」
少しあっけないが、興味を持ってくれたのなら連れて行く他ない。早速この街で一番大きい家電量販店に向かう事にしよう。
※ ※ ※ ※
さて、大量のテレビに冷蔵庫や洗濯機。人が生活するのに必要な物を買うには必ずここに来る。俺は幾度も来る事は無いが、ウチのお母さんは事ある度に来るらしい。……買い物はしないけど、店員から何が凄いのかを聞いて帰ってくるという店員にははた迷惑な客だ。
「主人、ここは一風変わった店じゃの。何が面白いんじゃ?」
「ふふ、人間だからこそ見れる物もあるんだよ。こっち来てみて」
俺が紹介したいのは、例のVRという物だ。最近は店舗で体験出来る所も多くなってここも例外無く体験出来る。人になってまだ間もない古風な猫子にこのVR装置を目に付けたらどういう反応を見せるのかが気になった始末だ。
「……あった、猫子これ付けてみて」
「奇怪な形をしておる。主人の家には無い物じゃ……」
四角い箱にヘッドバンドが付いた例の装置、俺は体験してヤバイ! と思ったけど、果たして猫子の反応は? 早速猫子はVR装置を頭に付けて椅子に座る。
因みにこのVRには外部出力端子が無いためここからは猫子の音声のみでお送りします。
「なんじゃ⁉ 急に風景が広がったぞ! 主人は何処じゃ⁉」
「さっきの鉄線じゃ。後ろも座れるようになってるみたいじゃぞ。しかし形が違うのぅ……」
「にゃっ⁉ 動き出したぞ! 主人、動き出したぞ!」
「お、おお……余は随分と高い所に来てしまったようじゃ、この鉄線は何処まで続いておるのじゃ……」
「しゅ、主人! 鉄線が山なりになっておるぞ! この箱鉄も鉄線に沿って登っておる……」
「しゅしゅしゅ主人! お、おおおお、落ちるぞよ! この先は坂じゃ! よ、よさんか!」
「ヴヴヴヴヴヴ、ニッ……」
ニャアアアアアアアアア――――
猫子の声が店内中に響き渡った。どうやらジェットコースターのVR体験だったらしい。猫子は左右を見渡しては最後の山場で大声を叫んでその後は消沈したみたいだ。俺もジェットコースターは好きじゃないから猫の気持ちがよく分かる。――しかしよりによってジェットコースターのVR体験とは猫子には少し悪い事をしたかな。
「……おーい? 猫子? もう外すぞ?」
「…………」
外したら目に光を失い、首が座っていた。ジェットコースターで気絶をした人はこんな感じなのだろうな。猫とはいえ高いところには登るものの、降りれないもんな……それで強制的にレールの上を乗り物で沿い、上がったり下ったりをするのだから余計に恐怖になる。今後猫子はキャットタワーにも登れなくなるだろう。
「主人……人間はこういうのが好きなのか? 余は怖かったぞ」
「涙目になるな。ニカエルは好きらしい。俺は嫌いだ」
「そうか……主人が嫌いであれば同士じゃ」
「なんか、ごめん――」
暫く椅子から立ち上がれなかった猫子はVR装置に一切触れなかった。相当のトラウマを背負ったようだ。他に楽しそうな家電やゲームは無さそうだし、このまま家に帰るのが吉なようだ。遠出は勧めるものじゃない、多分猫子は色々なものに興味津々な反面、恐怖も感じているから手が出ないのだと察した。
猫がキュウリにビビるのもよく分かる。
「主人……その、なんじゃ? あいすくりぃむ? を買ってくれ」
「うん、何個でも買ってあげるから許して」
「何を許すのじゃ? 主人の仕業に対しては何も怒らぬぞ」
忠実なペットで良かったかもしれないとつくづく思う俺であった。
※ ※ ※ ※
夏風町に帰り、アイスクリームとは言わず、コンビニで売っている高いバニラアイスを買って帰宅。これは俺の詫び品だ。ニカエルも欲しいと言ってきたからとりあえず四個買った、猫子は一個でいいと言ってくれたので残りは全部ニカエルの分だ。――俺はなんてつくづく優しい人間なんだ。
「奏芽お帰り。……高級アイス!」
「ママにもあげるー奏芽が買ってくれたんだ」
「ありがとーニカエルちゃん」
「いつもお世話になってるから」
……普通、買った人がその言葉を言うと思うんだけど、お前は銭を一銭たりとも出していないからな。
「さて、余は夕餉までお昼寝じゃ。主人、最後に一緒に寝てほしいぞ。疲れた」
「はいはい」
「あ、ズルい。奏芽一緒に寝よう」
「あーお前もか。はいはい」
「羨ましいね、奏芽は。お母さんも一緒に――」
「駄目、そのアイスでも食べてて」
流石にこの歳になってお母さんと寝るのは俺も気が引ける。まだ小学生ならともかく、高校生になってお母さんと寝るというのは難しいどころか恥ずかしいのレベルだ。――それと、俺のベッドもそこまで広くないし、精々ニカエルと一緒に寝るのが限度だ。猫子は俺のお腹に頭を乗せて丸まって寝るからある意味例外に入る。――流石に天使の仕業で寝た朱音とニカエルのコラボはアウトの領域に入る。
俺と猫一匹と天使でリビングを出て、俺の部屋に仲良く向かう。三人と言えず、この表現しかない。――なんとも不思議な"野郎達"だ。
部屋に入るとまずニカエルがベッドに飛び込み、猫子は俺が寝るのを待つ。動物というのは物質を「動く物」と「止まる物」と認識しているから、猫子がこういう状態になっているのだろう。だから俺がベッドに寝て止まったのを確認した後、上に乗るといった賢い動物。猫さんは天才だ。
「主人、今日も一緒にいるだけ楽しかったぞ。元の四本足になっても撫でてくれ」
「……楽しかったなら良かった。――夏が過ぎたらドア開放してやるから俺の部屋に自由に入ってくれ」
「気遣い助かる。では寝るぞ」
「おやすみ、な」
こうして猫子と過ごした不思議な二十四時間は終わる。俺が目を覚ましたら猫子は人ではなく猫に戻っているであろう。――もう人というのを教える事もないし、質問される事もない。それが日常であって普通なんだ。天使が転びさえしなければこんな事にはならなかったのに、たまたま転んで猫子が人になってしまった。……もう次は無いだろう。
「とりあえず、俺も疲れた――」
このままぐっすりと夕飯まで寝ることにしよう。




