2話 『女』でも天使には雑に扱われる
前髪を強く上に引っ張られる。
その痛みは寝てる時こそ鈍痛だが、徐々に痛みが増し、現実世界に引っ張られていく――チクショウ、誰だ。
「かなめー、起きてー」
なんだ、ニカエルだったか。
――朝になったのか。
昨日の昼から疲れてぐっすりと寝てしまった。
「ありがとう、ニカエル。朝の目覚めもやってくれるんだな」
「お腹すいたー」
「…………」
壁掛け時計を見てみると、眠ってから三時間位しか経っていなかった。というか天使なのにお腹空くのかお前は……俺は電脳世界のバグとかを食べていると思ってたぞ。
「寝足りないからもう少し寝かせて――」
再び横になる。
毛布が暖かい……。
「おーきーてー! かーなーめー!」
掛け毛布の上で跳ねるニカエル、別にお前の小さな体じゃ跳ねても痛くも痒くもない。俺は眠いんだ。
……その小さい体では出来ない事の違和感を覚えた、徐々に跳ね返りの反動が強くなっていく。そして一人の大人くらいの重さがのしかかってくる――だと⁉
「ぐッ……がッ……おま、ゲホッ……! 何処からその重さが……はーっ⁉」
「かぁぁぁなぁぁぁめぇぇぇ!」
ドスッ――!
ドスッ――――!
成人の人間同サイズの体の大きさで体重が俺の腹に掛かる。
会った頃から既に小さいから別に気にもしなかったがまさか大きくなれるなんて想定外!
「わかっぃ、分かった。メシ行くから! 今日は外だから! ぐはぁっ⁉」
ニカエルは足で踏みつけていたのが空中で膝を曲げ、膝でお腹を突き鳩尾にドストレートに入る。流石にこれはK.Oですニカエルさん……。掛け毛布をどかされて胸ぐらを掴まれて次は振り回される。そして俺は立たされて何をされるかと思ったら首に肘を引っ掛けて首に体重を掛けられそのままベッドに打ち付けられる……これがネックブリーカーぁ…………。
「行く?」
「いや、ちょっと……ま、ってぇぇ⁉」
ヘッドロックが掛かる。こいつはこんな技を何処で覚えてくるんだよ。しかもそんな細い腕なのに力が半端じゃない。完全に入ってて気絶しちゃうからダメだって……ニカエルの手を叩いてギブの合図を送るがますます締める力は強くなっていく。
「『行く』って言うまで締め続けるからね。どうなってもしらないよ」
「グッゾ……日本男児を……ゆとりを……舐めるなぁ!」
「きゃあ⁉」
俺は無理に立ち上がってニカエルを持ち上げてそのまま後ろに押し倒す。ヘッドロックが緩んだ隙に俺は間からすり抜けて部屋の扉まで一直線に行く。
「た、たすッ――助けてっ、がッ!」
行動が早い⁉ 足を掛けられて床に倒れる。なんでこんな茶番を俺はやらなきゃならないんだ。
「どこいくの? 奏芽の口から『行く』って言うまで――!」
「あだっ⁉ あだだだだ⁉ 行きます! 行きますよ!」
うつ伏せた状態からのニカエルの逆エビ固めからの四の字固め。フィニッシュホールド――。完敗だった、俺の関節も肉体もボロボロだった、まさかニカエルが巨大化出来るとは思わなかったのが敗因だったかもしれない。
唯川奏芽VSニカエル 二〇分一本勝負
決めては四の字固めだった。
天使にプロレス技で負けた後、今思えばπタッチのチャンスは何度もあったんじゃないのか? 思春期真っ最中の俺はそれを考えていた。でもあのヘッドロックで確かに頭には触れた気もするが、その柔らかい感じよりも痛いの方が先に来てたから……惜しいことをした。
「白のワンピースは目立つから俺の服から適当に着てくれ」と言って俺は部屋の外に出ていた。
ここでニカエルのアプリに触れたらどうなるのか試してみたくなった、押してみよ。
「ピッと……」
「きゃ――⁉」
俺の目の前に出現してきた。着替え中の女の子を目の前に呼び出せるとは思わなかった。
ニカエルは持っていた服で大事な部分だけは隠す、普段からチラチラと見えているパンツが今回はパンモロだ。
「なんでアプリのボタン押したの⁉」
「だいじょうーぶ、今の状態は『女』だから、別に見たって問題ないだろ」
なんか精神論で語って何も言い返せないニカエル、赤くなりながらも部屋に戻るニカエルに俺は一矢報いた気がして逆に嬉しかった。ザマー、ニカエルザマー。
……じゃあもう一回。
「ニカ――ゴフッ……」
読んでいたかのような真っ直ぐの鉄拳が飛んできた。既に着替え終わっていた、確かにゴソゴソ中ではしてたのに読みが甘かったか。
「次、悪用したらどうしてくれようか」
「ご、ごめんなさい――」
鼻血を押さえながらニカエルのコーディネートを見ると俺が普段使わないオーバーオールと大きさが合わずぶかぶかした白い長シャツを着て頭には「I LOVE WEST」と書かれた俺のお母さんから貰ったネタ帽子を被っていた。普段はワンピース姿しか見てないからこの姿は斬新だった。ほー、ニカエルのセンスは悪くないのか、その帽子を除いて。
「どうしたの? 行くよ」
怒り気味で俺の手を持って無理に立ち上がらせる。お前は金を出すわけじゃないと思うんだが――これを言ったらまたプロレス技を掛けられそうだから口にだすのは止めておこう。今の機嫌は上々みたいだから。――俺はお前のご機嫌取りじゃないんだぞ。
まだ入学式終わって数時間しか立ってないんだぞ、俺は今日の出来事でクタクタだ。せっかく一人で外食行ってゆっくり食べられると思ったのに、余計なのが今横にいる。ニカエルだ。偽天使ニカエル。『女』の状態で歩かなかったらカップルに見えるからと考慮されて玄関から出てずっと『女』の状態、考慮と言うべきなのか――見た目が嫌と言うべきなのか――。
「あら……奇遇ですね」
今日の偶然は重なる重なる……墨俣さんだ。
「学校振りですね、その隣に居るのは……?」
サッと墨俣さんの後ろに消えてしまった。
「ごめんなさい、人見知りで。有紫亜、大丈夫よ」
そう言われて有紫亜という『女』の子は前に出てきた。
俺よりも更に小さい子で胸は……俺よりもあるんだな、これが。AAカップには勝てないだろ誰も。俺のAAカップには――自分で言ってて虚しくなってしまった。
「疋壇有紫亜です……宜しく……」
俺はちょっと膝を屈ませて、顔を合わせる。
「わたしの名前は唯川奏芽。よろしくねー」
握手を求めたけどやっぱり墨俣さんの後ろに隠れてしまった。俺は別に何もやってないし、嫌われる要因も作ってないぞ。人見知りっていうのはここまで精神的にキツイものなのか。
「唯川さん、同じく今日入学した有紫亜さん、隣のクラスの子だから仲良くしてあげて」
「あっ、ハイ――同級生」
疋壇さんとは仲良く出来るのだろうか……。
「墨俣さんと疋壇さんの関係って――」
「それを聞いて何の得になるの?」
冷たい――。でも疋壇さんは裾を引っ張って墨俣さんと顔を合わせて顔を上下に振る。墨俣さんと違って疋壇さんは温厚だな。
「ふぅ、有紫亜とは中学校の友達よ」
「詠月とは……お友達」
このギャップの違いでどうして友達になるのか。もしかして脅して仲が良くなったとかじゃないよな? ――この関係性は凄い不安になるな。
「それじゃ、また」
墨俣さんは疋壇さんと手を繋いで俺達が着た方向に帰っていった。
「因みに、有紫亜に『男』ってバラしても条件達成じゃないからね~」
横から耳元に話すニカエル。
「分かってる、でもバラす事自体には問題無いんだな」
「まーねー」
「もう少し条件変えてもいいんじゃ……」
「難しくないとそんな無理な願いも叶えられないでしょ。だからダーメっ」
ピッとおでこを指で押される俺、食べるのは何処にしようかなとニカエルは考えるけど払うのは自分。願い事する時に複合して言えばよかったかなぁ。「『女』の子で金持ちにしてください!」って。
ニカエルが決めたのはステーキハウス。ここの街で俺も子供の頃からある老舗だ。価格も安くて家族皆で来やすい俺オススメの店。でもオススメって言ってもそんなにこの店に来る事は無いけども。
流石に夕方で平日だからか混み具合は普通。お二人様でテーブルを対向に座る。ニカエルは隣のテーブルのステーキを見てよだれを垂らす。本当汚い天使だな……、汚天使ニカエル。
「どれにしようかな♪」
メニュー表を開いて喜ぶニカエルに対して自分はもう定番のサーロインの二五〇グラムと決まっている。サラダバーとドリンクバー付き。二一〇〇円と格安。
「うーん、決めたっ。すみませーん」
店員を呼んで自分はさっきの二五〇グラムを頼む。ニカエルはというと……
「レジェンドステーキ挑戦しますッ!」
「はーっ⁉」
総量二キロのレジェンドに挑戦するのか……俺が中学生の頃に追加されたこのレジェンドはかつて食べきった人は少ない。俺自身はそんなに食べれないし、友達が挑戦したことがあるが吐き気を催してギブアップしてしまった。挑戦権があり食べ切れたら得はするが、失敗した際の値段は――八〇〇〇円だ。俺はそんなに金を持っていないし、もし失敗したら皿洗いとかをしなきゃいけないのかなこれ……。
制限時間は閉店まで。達成したらプレートと一緒に写真を撮れる権利と本日の料理代無料とステーキのタダ券(サラダバードリンクバー別)十枚が貰える。尚、店に写真を飾られてるのは全盛期の朱音と他一人だけだ。あの時の朱音は運動部帰りで滅茶苦茶お腹が空いていたらしくハイペースで食べてしまった。その時に隣に居たのが俺だからよく覚えている。
「さぁ――召し上がれ!」
「いただきまーすっ」
俺は普通に食べるとしよう、食べることに関してはゆっくりと食べたいからニカエルを見ながら食べる。本当に大丈夫なのかニカエルよ。そんなお金は持ってないぞ……。
「ありがとうございましたー」
本当に食べきっちゃった……、ニカエル恐るべし。レジェンド達成者三人目として写真とステーキのタダ券が十枚貰えた。そして貰った五千円札は浮いた。
「いやーお腹いっぱい、美味しかった~」
ニカエルのお腹はぽっこりと膨らむが余裕そうだった。あのニキロの量がこのお腹に入ってると思うと自分は引ける。あのレジェンドステーキは男性でさえ食べ切れる人が居ないのに二人目の女子がお前だとは。もしかして余裕なのではと思ってしまう。でも八〇〇〇円を払うのは勘弁だから挑戦はしない、一生しないだろう。
「奏芽、ふふ~」
急にニカエルは笑ってくる。
「なんだよ、気持ち悪い」
「別に、今日はありがとうねって」
俺は特に大したことはしていないけど何故か感謝された。本当に気持ち悪かった、別にお前は居候してるような身だし。逆にお前を消し去りたい程に俺は憎んでるのにコイツは……でもそんなおてんばな所がまた良い所なのかもしれないな。
――やれやれ、次はケーキ屋を見てよだれを垂らしている、まだ食べるか。
千円分のケーキを買って家に帰る。同時に玄関で『男』に転換をする。別にそこまで暗鬼な訳じゃないけど外には出来るだけ『女』の姿で居ることにしようと決めている。こちらのほうが地味に都合が良い、商店街のおばちゃん達は値段を安くしてくれるし得がいっぱいだ。この転換も使い方次第でよくはなる。
先にニカエルは手にケーキを持って二階に上がる。アイツは地面に足を付けると食べる事しか考えていないのかね。今後の食費が増えそうだ。財布からお札がドンドン消えていきそうだ……。
扉を開けるとニカエルはベッドに横になってゴロゴロとしている。そのベッドの上で寝転がってケーキを食べるけどちゃんと座って食べて欲しいな、しかもケーキを手で掴んで食べるから手もケーキのクリームだらけだ。
「ん……奏芽も、食べる?」
「いや、要らない」
俺は椅子に座ってその姿を見る。なんか――俺に妹とかいなくて良かったな。仮に妹がいて「ブラコン」だったらこんな感じに過ごされるのだろうな、非常に厄介だ。ベッドも空かないし渋々、携帯を触りテレビを見る。ここ数日間は束の間の休息も無くこの机の椅子に長く座る事も殆ど無かったな。この入学式を迎えてちょっと気が落ち着く。
今一度、条件を確認してみる。ニカエルが書いたであろうアプリ、メモ帳の「条件」を見る。
――一学期毎にクラスの誰か一人に『男』というのをバラす。この条件をあの状況を見る限りに墨俣さんや名胡桃さんには全ッ然バラせない感じである。言えたとして本当に朱音ぐらいだ。みちる先生には――うーん、バラせそうにない。そもそもニカエルが言ってる通りバラしたとしてもメリットが無い。行く途中にあった疋壇さんも論の外だ。うーん、なんとかして条件の範囲を広げたい。でもニカエル自体は口が硬くて中々条件を変えられそうにない。でも俺はクソガキだから粘り強い。いつしか口が緩むときを待とう。
「ニカエル、そろそろ――」
静かだなと思っていたが可愛い顔をして寝ていた。暴走天使ニカエルはケーキという爆弾によって鎮静していた。落ち着けば本当の天使なんだな、俺は色々〇〇天使と馬鹿にしているけど。
――さて、俺の寝所はニカエルの横に決まったな。もう数日の仲だし、別に一緒に寝てもいいだろ。少しニカエルを持ち上げ、少しだけ壁際に退ける。案外ニカエルは軽いんだな。そして毛布を掛け俺も明日に向けて寝ることに、おやすみなさい――
※ ※ ※ ※
「起きてー奏芽。かーなーめー」
まぶたを無理矢理こじ開けられ日の光が眼球の中に入る。
「ぐぉぉ……マブシー」
「体上げないとこのままだよ」
四十秒ぐらいまぶたを閉じることも出来ずにジンジンする。
「分かった……痛い……」
ぎこちなく体を上げて高速でまぶたをパチパチする。この方法で起こされるのは結構効くな。ドライアイ持ちだから更に効果抜群。痛みを感じると目覚めるまで早いな。だけどこの起こし方は二度と止めてほしい。
「奏芽ーおっはよぅ! 今日もいちにちー元気にっ!」
目の前で体操を始めるニカエルだけど、その姿も地味に鬱陶しい。昨日の可愛さは何処にいったのやら、夜まですやすやと横で寝ていたでは無いか。その元気は何処から……。そして着替えろって感じに服を投げつけてくる。分かったから――。
〈ヤサニク〉で女に転換して通学。ニカエルはすっかり元の手のひらサイズに戻っていた。今日もフワフワと羽も無しに浮かぶ偽天使になっていた。というか羽が無いということはやっぱり天使ではない? でも自分から天使と言ってるんだから……いや、これからも偽天使という呼び名に変わりはない。
商店街を歩くとなんか地面を張って何かを手探りしてる人を見つけた。同じ学校の制服来てるし時間は迫ってるし仕方が無い、手助けするか。
「大丈夫ですか? 探しものですか?」
存在に気付いたか、顔を見てくる。
「ごめんなさい。メガネ落としちゃって」
「メガネ……一緒に探します」
俺も地面をよく探す。俺は目が良い方だけど、本当にここらへんに落としたのか? 自販機の下とか絶対に探さないような場所も探してみたが見当たらなかった。この人自体もよく見えていないだろうし……。
「家にそのままとかって可能性とか無いですか? 見つからないみたいです」
「本当に? でもちゃんと掛けて出たのでそれはないかと……」
うーん、これ以上に探す場所も無いと思うんだけど。カバンの中も探すように言ったけど入ってなかったみたいだ。一体何処に……何処に――
「あの、君の首元……」
「首元……ああっ、ありました」
どうしてこうなったら首にメガネが……。
「ありがとうございます……って、奏芽さんじゃないですか」
「えっーと、同じクラスだっけ? ごめんなさい、まだ覚えきれてなくて」
その人はメガネを掛け直して見えた顔を再確認したら同じクラスの子だったようだ。俺はまだ皆と面識がそんなに無いし、唯川さんと言われても残念ながら名前が分からない。
「私、神指葵です。改めてよろしくお願いします」
「ああ、どうも……わたし、唯川奏芽です」
メガネが無い方が良いのでは? という野暮な事は聞かなかった。メガネが有る無いなんて個人の問題なのだから。神指は立ち上がって一礼してみせた。
……ここまで見た女性は皆おっぱいが付いていて羨ましい。皆そんな山なりに付いてやがって――。
別に神指さんに向かって怒っているわけではないが、ニカエルはやろうと思えばやってくれるんだろうけど、あの性格だから多分一生やってくれないだろう。一生女性になるつもりもないが。
「それじゃ、急ぎましょうか奏芽さん。遅刻しちゃいますよ」
神指さんは商店街の時計を指差して時間を言う。
「あ、ああ! もうこんな時間⁉」
俺は神指さんと急いで学校へと向かった、メガネを探すのにこんなに手間取るとは思っていなかった。それは首元に引っかかってたと言うんだから指摘しない限り分からないわな、はー急いだ急いだ。
※ ※ ※ ※
「じ、時間ギリギリです。神指さん、唯川さん」
「ごめんなさい! 野暮で時間掛かって」
教室に入ってみちる先生に叱られるが、そんな事も瞬時に答えて席に座る。これには深い理由があってメガネ探す以前に神指さんの体力が異常に無かった。俺は元々運動とかをしていて持ち前の体力はあるし、遅刻ギリギリでもなんとか走って間に合わせる事が多い、今回は間に合ったけど。神指さんの息切れは早かった、走って数秒立った時点で地面に座ってへこたれて手を付いていた。
「私、後から行くから……」
と言われるが同じクラスメイトとして置いていけない俺は神指さんをおぶって学校に走っていった。いやぁ、おぶって走るのは流石にキツかった。神指さん意外と重かった……俺は『男』の状態に比べて引き継げられるのは体力面と頭脳面だけであって身長とか体重はマイナスされている。身長差で俺に体に掛かる重さが凄かったのだろう。
朝は適当にニカエルに起こされ、商店街で神指さんをおぶって。学校でみちる先生に優しく叱られ。机に座ってもう降参。ほぼ白旗が上がっている。ここで俺が何の白旗が上がっているかって? 乳酸と睡眠が同時にアガリきっている。
二時限目、体育。一時限目は国語で初授業、挨拶だけで終わったので俺は寝てるだけで終わった。初授業は楽だなー。そしてこの二時限目も初授業。クラスメイト交流ということでドッジボールが始まった。結構この競技は賛否両論あるんだけど、未だに健在する競技だから人気の方ではあるんだな。
そして俺は動きまくってボールを取りまくっていた。
どうしてこんなに動き回らなきゃならないのだろう……。
「うおっりゃ!!」
そう、全力投球してくる朱音のボールからこっちのチームに居る神指さんと名胡桃さんを守らなきゃならないからだ。既に朱音の餌食になった人は多く、こっちのチームの人数は少ない。一方で朱音のチームは俺達より多い。この場面で張り合えるのは俺と朱音のみだ。白で長髪のお嬢さんと青で短髪のお嬢さんは文学系で役に立たない。
「クッソ、朱音ぇ! 少しはッ! 球速緩めろ――ってッ!」
ビュッとボールを飛ばすが、朱音は余裕の顔で受け止める。
「へえっ! カナちゃんやるね! こんなに受け止める人はッ! ふたり――めッ!」
その一人目も俺だろ、同一人物だってば!
バシッとボールを俺は受け止める。球速が早すぎて俺は受け止めた反動で少し後ろに下がる。さっきよりも早くなっているのか? 徐々に俺の手も真っ赤になっていく。
「唯川さん頑張って――」
名胡桃さん他に応援されているけどこれはチームプレイをする競技であって朱音と張り合う競技ではない! でも、外野にボールを渡した所でか弱いボールばかり投げて朱音に取られるばかりなので結局一人で戦うしか無かった。
「オゥラッ! シャーやってやるからな!」
もはや『男』の声が出てしまっているがもう気にしてはいなかった。でも、こんなに全力投球をしても朱音は一歩も揺るがずボールを受け止めてくる。なんとか打開策は無いのだろうか。
「行く――よッと!」
朱音はボールを投げてくる……が、俺はその下の二つのボールが大きく揺れるのを見て動きを止めてしまった。朱音、お前もあの時と違って大きくなったんだな……、ラインが見やすい体育服姿からだと形がはっきりと見える。ブルンッと一つ一つの挙動でよく動く。スローで見ても多分楽しめるであろう。左上斜めから右下斜めに大きく移動するのも。
「きゃあっ、名胡桃さん危ない!」
「――――ハッ⁉」
我に返ってこの状況を瞬時に読み取る。既にボールが投げられて名胡桃さんまで数メートル。ここからじゃ俺の手はもう届かない。そして名胡桃さんは取る手の形をしておらず避けようとしているがそのボールの行方と逃げる方向が一緒で絶対に当たる。勿論、神指さんは近くに寄っておらず浮いたボールをキャッチする姿もこの先無いだろう。
……考える事は無い、俺は無我夢中にボールの射線上に飛び込んだ。
「名胡桃さん! ごはッ――」
俺の顔面に球速数百キロの朱音の玉が当たる。どうしてお前がこのプロ野球選手みたいなボールを投げられるのかが不思議だったか、それ以前にメチャクチャいてぇ――。でも、名胡桃さんを守れたから俺の役目はここまでだ。
もう一歩たりとも動けません、地面でそのまま倒れ横になる。
「やだっ、うそっ。 唯川さん! 大丈夫!」
「だ、大丈夫……」
名胡桃さんにはそう言うけど俺駄目だやっぱり。
チーン――。頭のなかに響く残念な音。
「痛っ……」
エタノール消毒液が傷に染みて顔を引く。
「だ、大丈夫ですか?」
倒れた後は名胡桃さんにおぶってもらい保健室に運んできてもらった俺。『女』の子におんぶをされる俺は恥ずかしい……。でも名胡桃さんの方が身長が大きいから軽かったらしい。やっぱり身長=体重であり、体重=おっぱいという順で――そうなっちゃう訳なんだね。俺は絶壁なだけあっておんぶでも運びやすいし、軽いから腕に負担も掛からない。要するに子供みたいな感じで扱える俺の女子力の無さ……悔しい。
「唯川さんって、凄い体力持ちなんですね」
俺の治療をしながらもテキパキと事を進めていく名胡桃さん。
「うん。子供の時からよく外で遊ぶ子だったかな」
俺が小学校の時は近くの公園で夜になるまで友達と遊んでいて、もう友達を泣かしたり喧嘩したり……そんなクソガキだった。運動会でもリレーで抜擢されたりとかスポーツマンじゃないのに体力自慢なのが俺。そんな俺と張り合えるのが朱音だけ。アイツとは永遠のライバルだ、アイツの一人目と二人目のライバル視所持者は俺になった。別にドヤ顔で言える事じゃないけど如何に仲が良いのかが分かるだろう。
「私、別に外で遊ぶことが少なくて、そんなに運動が好きじゃないから――本を読んでる方が好きなんです」
それはそれで俺は悪くないと思う。運動をすれば体力が付くし、読書をすれば知識が付く。どちらも何をするにも大事な事だし勿体無い事じゃない。それに、朱音が運動馬鹿なだけで多分名胡桃さんは平均的な体力だと思うよ。
「はい、治療完了です」
「ありがとう、名胡桃さん」
顔に絆創膏が貼られておしまい。
キーンコーンカーンコーン――
学校のチャイムが鳴り響く、体育は終わったか。といってもまだ授業時間も早いしそれもそうか。
――ドタドタと走ってきたのはこれ間違いないな。
「カナちゃーん! だいじょーぶ⁉ 思いっきり顔に当たっちゃったけど」
ドアを勢い良く開けてペタペタと顔を触ってくる朱音。触った部分が全部傷に触れてジンジンする。
「あたた! 朱音痛いから――」
「ごめん、素人相手に思いっきり投げて。でもナイスショットだったよ!」
「――朱音もナイスショット」
グッドマーク。俺も体が痛いながらもグッドマークを返す。でもボロボロになったって今回これは一対一の対決じゃないから引き分けだ。なんか、この体育凄い目の保養になったし、ボール以外にボールというボールがキャッキャッと……んん、ちゃんと『女』に成り切らなくてはならなくてはならないからそういう下心は地の底へと投げ捨てなくてはならないと。
「それじゃ教室まで歩けますか?」
名胡桃さんがそういうけど俺はコケるフリを見せて
「い、いやー足やっぱり痛いかも、階段のところまではおんぶしてもらえるかな」
そう言って名胡桃さんの背中に乗ろうとするが――
「シロちんいいよ、あたしの背中貸してあげるからカナちゃん」
「シロちんって――」
コイツは相変わらずあだ名でしか呼ばない。自分は半ば強制に朱音の背中に乗る。
「よーしっ、いっくぞ!」
「ちょ――わぁ!」
突然走り出して俺は思わず胸に手を出してしまった、掴む所としてはここが一番安定してしまったのだろう。でも女子同士だからこそなのかただ単に朱音が馬鹿なのか、特に気にもせずに階段を上り、教室に着く。
「バカッ、別に俺足大丈夫だし! 逆に背中痛めそうになっちゃったじゃん!」
「……ほえー、足大丈夫だし、俺ってカナちゃんは自分の事そう呼ぶんだ」
「あっ……いやー別にわたしちょっと取り乱しただけだから」
ついうっかりをごまかす。いかんいかん、まだタイミング的にはここで『男』というのを朱音にバラす訳にはいかない。
次に走って来たのは名胡桃さんだ。
「堂ノ庭さん、走っていくこと――無いじゃないですか」
はぁはぁと行ってきた名胡桃さん。
俺はここの場面で言いたい事はあった。
全国の学校共通、廊下は走っては行けません。特に女子は――。
※ ※ ※ ※
一人『男』(バレてない)、一人体育会系、一人文学系。おまけでスマホに隠れてるけど天使。
この帰り道、超異様。見た目上は仲良さそうな三人組(+天使)で楽しそうだけど、自分は朱音の話を知ってても名胡桃さんは知らないし、俺は名胡桃さんと話したいのに朱音が邪魔してきて、名胡桃さんは読書に集中したいのに朱音が邪魔してくる。ってこれはただ単に朱音が邪魔――だよな。要するに、バランスが悪い。商店街を横三人に歩くのは今回初ではあるが……。
「それでその奏芽は……ってもう分かれ道かー、シロちんじゃあね」
「うん……また今度」
商店街を抜けた先は必ず名胡桃さんと別れる形に。そして朱音と俺がこっちの方向。
「そういえば、カナちゃんの家って何処?」
「――はっ」
俺は何回も塗り重ねられる最大の危機に迫られる。