1話 俺は入学式から『女』として不安を感じた
日が過ぎて入学式当日。俺の横には母親も父親もいない。母親は忙しくて入学式に来れず、父親は俺が物心付く前に離婚していて顔さえ覚えていない。母親が来ないのはラッキーな訳なんだが、追い抜いてくる同じ制服を着た学生達に俺が『男』だとバレやしないかと怖気づく。体付きは女子にはなってるから大丈夫なんだけど、やっぱり心は男子だから恐怖心が付いてしまう。
さて、偶然にも合格してしまった“櫻見女子高等学校”に誰とも男子と気付かれずたどり着いた、アッサリと。
うーん、プレートにもしっかりと“女子高等学校”と書いてるのに俺は何を間違えたら……そして合格だもんな。
「こんな所で立ち止まってると危ないですよ」
耳に刺さるような声で不意に話しかけられてビックリする。俺よりも少し身長が高い『女』の子――というより既に成人してるんじゃないのか? って思うほど大人びた女性だった。でも制服は来てるからここの学生なのだろう。
「ご、ごめんなさい。ちょっと見惚れてて――」
自分は平謝り。
「……私と同じ新入生? これから仲良くなるかもね」
それだけを言ってその子は行ってしまった。冷たい人だなぁ、同じ新入生だったら名乗ってもいいじゃないか。「ピロン♪」とニカエルから通知が来る。
俺はスマホを開き、確認してみる。
〔マイナスイメージおめでとう〕
……うるせぇ! 別にイメージも何も変わってねぇわ! こいつはスマホの中で住んでるからってやりたい放題しやがって、入学の前日も俺のゲームアプリとか好き放題に遊んだり、俺の友達のSNSやコメントに勝手に返信したり――『女』の子になる代償が多すぎる。
コイツの世話もオプションで付いてくるとか思わなかった。
因みにアプリ『ニカエル』を削除しようとすると『機器規定のアプリ』として登録されてるからアンインストールが出来ない。とんだ厄介天使ニカエル。
教室に入ると、既に全員集まっており、俺が座るであろう席だけポッカリと空いていた。「どうも」と鞄を胸に当てて縮こまりながら、机の間を失礼して席に辿り着く。「唯川奏芽」の席だ、今の状態から見ると本当に女子の名前だな、自分って。今だけは感謝しよう、この名前に。
早速座って周りを見渡す前に隣の人に肩を叩かれる。なんだ、女子校と言えども積極的な奴は居るんだな……。
「カナちゃんでいいのかな? あたし堂ノ庭朱音!」
「……まじか」
余計なヤツに出会った、まさか同じ高校を受けているとは思っていなかった。コイツは俺の幼馴染だ。カナちゃんって呼ぶ奴はコイツ一人だし間違いない。後この赤ポニーテールも目立つしな。
「どうもドーノニワさん……わたし唯川奏芽、『女』の子です」
自己挨拶としてはおかしいけど、朱音はニコッと笑ってくれた。
「君さ、あたしの友達と一緒の名前してるんだ。親近感が湧くよ」
……同一人物なんだけどね朱音。うーん、もどかしい会話で俺もイライラが積もってくる。
朱音とはもう小学生以来の友達で中学校では『女』友達としてはよく遊んでいたほうだ。でもこの事実があっても今は初見で赤の他人状態だ。
一番に自分の正体を露わにしてもいい人物であるが――幼馴染というだけあって恥ずかしい、そしてもどかしい。
「それにしてもスマホから持ってる物まであたしの知ってる奏芽だよ……奏芽……だったね」
「お、おう……」
すっかり俺は朱音のペースに乗せられてしまった。これは学校終わった後にますます正体がバラせない状態になってしまった。バラしたらバラしたで相当なショックを受けるだろうな朱音。
俺がその奏芽とは知らずにどんどん俺の事を話してくる朱音、幼馴染みとはいえ俺の話を自ら聞く事になると恥ずかしくなってくる。
「それでさー奏芽は……って何顔を赤くしてるの? 熱?」
「ち、違うよ! なんか……名前も一緒だしわたしの事話してるみたいだなーって思って――」
「みたいだな」は要らなくて「話してる」のみが正しいんだけど今の姿は『男』じゃないからこれが正しい。このややこしさにも早く慣れたいものだ。
朱音も話したい事を話しきったか、静かになる。全部俺の話ばかりで朱音が思っている事全部ぶちまけてくれた。悪い事を一つも言わないなんてちょっと関心、それとも嫌な事が一つも無いのか。ここの点は幼馴染としては嬉しい点ではある。
「カナちゃんは今何してるかなー……浪人してたり」
「ブブッ――」
吹き出してしまった。浪人だなんて俺がする訳が無い。この高校第一志望に滑り止めも色々考えていたのだから――何を言い出すかと思えばふざけた話か。『男』に戻ったらどうしてやろうか。
朱音との会話も終わりようやく周りを見渡す事が出来る。意外と朱音の話は長かった――。見渡す限り女性だらけってそれはそうだな、女子高で『男』が居るわけがない、俺を除いて。もしここに『男』が居たら大問題だからな、俺を除いて。
俺の席は教室を上から見たら大体左下、教室でも人気の倍率が高い場所の位置だな、先生の指が刺さりにくく読み書きとかでも最後で中々来にくい場所だ。かな順で「ゆ」だからこそ、ここに来やすいのもある。さて、俺は時間が来るまでゆっくりと寝てようかな――。
「皆おはようございます。担任の松前みちるです」
寝ようと思ってたのに担任と思わしき先生が入ってきた。ちょっとぐらい遅れて入ってきたっていいんじゃないの先生。俺は聞く体制に整えて先生を見る。メガネを掛けてほんの少し俺より背が小さい、小動物といった感じの……。というのは『男』として見た場合だ、『女』としてみたらどう言ったらいいのだろう――気が小さそうでカツアゲの出来そうなアマだ? ってこれスケバンの言い出しじゃないか。
「それじゃ、体育館で新入生歓迎をするので来てください。……え、えっと……た、立ち上がって~」
手の平を空に向けて腕を挙げて「立って」のジェスチャーをする。それに従う生徒たち、最初だからか案外ダルそうだな皆。俺のイメージとしては優等生が集まるようなイメージがあったけど朱音みたいな頭の悪そうな子も何人か入ってきてるからな、俺はどっちに入るのか……。
※ ※ ※ ※
激闘の一日目もそろそろ終幕! ギクシャクした皆に向けた事故挨拶は――
「ゆ、ゆゆ唯川、かかか奏芽です! し、趣味は……趣味は――ありませんっ! よ、よろしく!」
完全にやらかした感がハンパない、何度も噛み過ぎてなんて言ったのか俺も忘れてしまった。座った後に朱音と他数名は微笑。俺は顔を伏せてもう恥ずかしい。趣味なんて考えても無いし、全員に見つめられるし良い事故挨拶になった。第二印象“恥ずかしがり屋”が付いたかも。
そして恥ずかしい俺の紹介の前に自己紹介をしたのは今日校門前で出会った金髪の女性だった。同じクラスとは正に偶然。
「墨俣詠月です」
アッサリとした自己紹介。まぁ言うことが無かったらこれぐらいで終わるよな。
次は入学式の数日前か、俺が空を見上げていて不意にぶつかってしまったあの『女』の子の姿だった。後ろ姿だったけどあの白髪の長さといい間違いない。読んでいた本を机に置いて立ち上がる。
「名胡桃茉白です。――趣味は読書、好きな作者は樋口一葉です、宜しくお願いします」
名胡桃さんはそう言って席に座った。ふわっと浮かぶ白髪は今度は朝の日で輝く。
自己紹介に出ていた樋口一葉って五千円札になってる人? あんまり本を深く読んだ事が無いからそう言われても分からなかった。というか本を出していたことでさえ知らなかった。申し訳ないけど文学にあまり興味が無いからどうも……。
一通り皆の自己紹介が終わった所で次は先生の自己紹介、まだ続くか。
「え、えっと私の名前は松前みちるです。三年間皆さんと歩んでいきますので宜しくお願いします。――何か、先生に質問ありますかっ?」
きょろきょろと先生は周りを見て……一人はバンッと立ち上がって手を挙げる……ああ、でしゃばった人が一人いたな。朱音だ。
「センセーッ! 彼氏はいますかッ!」
朱音のいきなりの行動で先生はビックリする。
「か、かかかカレシはいません!」
「じゃあトシはー⁉」
朱音は二連続で質問をする。そんな突っ込んだ質問をしてみちる先生は――
「に、二十三歳ですっ! 皆より七年早いのかな? こ、これは早いって言うのかな」
遅いとは言えないだろう。二十三か――俺のお母さんよりも若い、そりゃそうか。
ということは大学を卒業して先生になって一年が経ったぐらい? 先生としてまだ若いのか。かなりイジれる歳ではあるが今無愛想なこのクラスじゃイジるのなんてまだ先だろうな。
「し、質問終わり? ほ、他にもいますか?」
一番に気になる事があって軽めにイジろうと思って今度は俺が手を挙げる。
「えーっと、唯川さん? どうぞ?」
「先生のスリーサイズ」
先生はギョッとする、何故か皆もギッとこちらを見る。……しまった! スリーサイズネタは『男』の鉄板な質問でここ女子高だと暗黙の質問だったか? 明らかなミスチョイスだ。因みに目視だと、デカいし締まってるし、デカいといった感じだ。
「あ、あの――スリーサイズはちょっと、恥ずかしいです……」
「じゃあ先生の担当科目は?」
みちる先生は息を整えて――
「私の担当科目は英語です。に、ニコッ……」
笑ってくれたけど英語か。別に笑ってくれなくても、と言いそうになったがその笑顔はサービスとして受け取っておこう。
……英語かぁ、俺は中学の頃は英語が苦手でここの受験の時も苦戦した科目の一つだ。みちる先生は温厚そうで好みではあるんだけど……うーん、なんだかね。こういう先生と生徒の相性ってのもあるよね。
「それじゃ質問は以上としまして、これから仲良くしてくださいっ! それでは今日は解散ですっ!」
やっと今日が終わるかと思いきや――。
「あっ、そうだ……えーっと、唯川奏芽さん? 後でちょっと来て下さい」
突然の名指し。俺はさっきの質問でなんかマズい事でもしたかな? 初日から呼び出しを喰らうとか、なんで胃の痛くなるようなことを……。
朱音、助け――
「奏芽ちゃんじゃあね! これからひとっ走り運動したいから! また明日!」
カバンを持ってさっさと行ってしまった。朱音の陸上魂は未だ健在か。今度も陸上部に入るのだろう。――別にアイツにヘルプした所で何の助けにもならないと思うけどね。全く、こういうときだけ役に立たん。俺が悪いのだろうけれど。
皆が帰った後、先生と俺だけになった教室。
先生は緊張してホワホワしているけど、見た目は同性で中身は異性の俺は凄い緊張が走る、走り過ぎて頭痛が止まらない。心臓の鼓動がこの静かな教室に響きそうだった。
「んん、えっと……唯川さん。私――」
「はは、はいっ」
側に寄ってきて前の席の椅子に座る。そんな側に近づかれたら俺の鼓動が聞こえてしまうじゃないか。ほんの少しだけ俺は椅子を引いて離れる。
「私の、バストサイズだけ教えてあげますっ――」
「――はっ?」
この状態から正体がバレたかと思った。なんだ、バストサイズを教えるためだけに俺を名指しして教室に居残させたのか。張っていた緊張の糸が上から「エロ」という岩が乗ってきて切れてしまった。
先生は何を思ったかシャツの第三ボタンまで外して見せてくる。
ちょ、ちょちょちょ――待った。
「私のバストサイズは……“きゅうじゅうご”です……」
「オッ――⁉」
先生は視線を外して恥ずかしながら胸を見せてくる。
きゅ、きゅきゅきゅきゅうじゅうご⁉ シャツの合間からチラッとブラまで見えてこれは悩殺物! ここまで間近におっぱいというのを見たことが無いから急に脳幹が麻痺する感じがする。これが『きゅうじゅうご』――自分のと比べ物にならない爆弾だ……! 俺が枯れた畑であっちは豊満な植物とかが生える皆が喜ぶ畑!
「も、揉んでも――」
「……んっ」
う、受け入れた?
中学アガリの男子高校生(?)唯川奏芽十六歳! 大人の胸を鷲掴みます!
「――やっぱり、生徒でもそれは駄目です! ご、ごめんなさい!」
鷲掴みする前にみちる先生は胸をスーツで退けた。同時に自分の「エロ」という岩が退けてまた緊張の糸が伸び始める。
「あ――あああっ。ごめんなさい! なんか不用意な質問して!」
「い、いいんです! そ、その――期待させてすみません!」
みちる先生は第三ボタンから上を閉めてまた前を向く。
「も、もう質問の件は終わりで本題です……」
もはや質問の件でお腹ならぬお胸いっぱいで本題なんてもう聞く事も出来ない。
「あの、凄く言い難いことなんですけど……その、学校に届いた資料に間違い……というか、別に気にする事じゃないと思うんですけど……」
言い難い事、確かに凄い引っ張ってくるけど一体なんだろうか。
「『男』っていう表記、そして『男』登録されているんですけど……」
「かッ……」
かッってなんだよ。お、『男』という事で表記されていた。最大の関門、先生がもしや『男』? という事に気付いた。ここ入学式で退学の恐れが出てきた。
「えっと、その……あの……」
「おお、『男』なんですか⁉」
「かッ……」
二度目の「かッ」。正体がバレてる訳じゃないけどこれ確認の話だよな? もしここで例の番号に電話して性転換をしたら自分はどうなってしまうのだろうか。
なかなか大きいターニングポイント。
「あ、あの、私は間違いだったら『女』で登録しますけど。変な確認しますけど、お、『女』ですよね?」
「はいっ、私は『女』で間違いありません! 学校側のミスかと!」
「は、はい! ごめんなさい! 帰ってどうぞ!」
何度も礼をして謝罪をしまくる松前みちる先生。それを背に素早くドアに向かい、開いて閉じる。
人生最大の嘘を付いた。というより絶対にバレない嘘だった。自分は一体何に怖じ気付いたのか。全く、素直に「はい、『女』です」って答えれば終わったのに二度も「かッ」って――ビビリにも程がある。
ここまで誰も『男』とは気付いてない……事になった。大丈夫だ。これを三年間気付かれなければ無事グラジュエーション、卒業だ。……いや、気付かれなければという話より、必ず俺から『男』という事を教えなければならないから無事では入れられない気が……この誓約さえなければもっと自由にいられると思うんだがな。
学校を一周してみよう、意外と楽しい学校探検だ。
……足元を見て思ったこと、がに股ぐらい直さないといけないなこれは。煌めきながら歩くあの感じ、イメージとしては名胡桃さんみたいな歩き方を目指そう。膝を付けて……一本橋を歩く感じ? ……アルキヅライィィ! これじゃ競歩みたいじゃないか、指摘されないまでは自然に歩くとしよう。
……アアアアァァ! 気になる。やっぱり競歩スタイルで行こう。胸を張って、歩け――! 貼る胸が無いけど。
廊下を歩いていくと図書室の扉が少し開いているのを確認。ちょっと開いている所を確認したがるのは雑誌とかの『袋とじページ』とかの感覚と同じだろう。特にHな本とかで使われるあの付録の部分だ。個人的にはあのページはいけ好かない。一番に見せたい所だったら素直に見せろ。
そっと、覗いてみると……なんだ警戒する事もない。扉の間からは誰の姿も確認出来なかった。――入ってみるか、別に入って怒られる事は無いだろう、生徒なんだから。それからまだ学校が終わって間もない時だし、仮に先生達に見つかっても「帰れ」と言われるだけだろうし、何も問題は無い。
しかし中々広い図書室だな。この本の多さとなると図書室というより図書館に近いな。足音でさえ響いて俺に返ってくる。逆にこの静音が探索心を煽ってくる。
――俺の足音の他にまた違う足音が小さく耳に入ってきた。誰かいる? 探索心どころか逆に不安になってくる。図書室が広くて何処かに迷った感じがするんだから。
でも他の人が居るっていう事はまた失礼なことも出来ないということだ、声も出せない。ここは図書室なのだから。
「――――」
静寂の中にポツリポツリと何かが聞こえる。
「芥川龍之介の短編集……もっと古いのは」
どこかで聞いた声がした。
この声は――
聞こえる声を頼りに徐々に近づいていくと、そこには見慣れない白髪の『女』の子が見えた。
これはもしや。
「名胡桃さん……?」
「あ――」
俺の声を聞き、ようやく気付いて振り向く名胡桃さん、その振り向く姿も可憐に……というか、俺にとっては全てが可憐に見える、申し訳ない。
「帰ってなかった……のですか?」
「図書室だけは確認したくて」
手に持っていたのは夏目漱石作の「吾輩は猫である」だった。自分は先に言った通り文学は分からないし、その夏目漱石さんもそんな分からなかった。でも嬉しそうな名胡桃さんは可愛かった。
名胡桃さんはその「吾輩は猫である」を本棚にしまってこっちを向く。
「えっと……唯川さんでしたっけ? 唯川さんはどうしてここへ?」
「お――わたしは学校探検を」
朱音以外の久々に『女』の子との会話。“俺”と噛みそうになったが、なんとか持ちこたえた、良かった。
「学校探検、『男』の子みたいですね」
「ははっ、そうだね」
静かな子だと思っていたけど話してみると饒舌で意外と会話が進んだ。文学女子なだけに難しい言葉も使ってくるけどなんとか脳内変換をして理解していた。
「そういえば、数日前にも会ったね」
この話を俺は持ち出してみる。もしかして名胡桃さんは忘れているだろうけど、俺はその姿と形を忘れていない。ここまで目立つ人は忘れたくても忘れられない。
「えっと……」
思い出してくれ、名胡桃さん。話が繋がらない。
「あっ――商店街で、あの時のあなた?」
「そう! 思い出してくれた? あの時は謝っただけでごめんなさい」
別に気にしていない振りにも見えた。それだったらそれで問題は無かった……印象が悪いと思うけど、これで良かった。
「あの時、わたし走っちゃって、その後何を言おうかと気になってこの話を持ち出したんだけど」
「はい、あの時……名前を知りたくて」
数日前の俺と同じ疑問で一致して一歩親近感が湧く。俺も君の名前が知りたくて眠れなかったほどだ。
「えっと、あの、もう一度。自己紹介します?」
俺は一対一での自己紹介をススメてみた。
名胡桃さんは横を向いてもじもじしていたけどちゃんと前を向いて――
「はい――私の名前は名胡桃茉白。趣味は読書です」
教室での自己紹介と変わらず、そして笑ってくれた。明日を生きる活力がここにあった。
俺はピンと立って。
「わたしの名前は唯川奏芽! 趣味は楽しい事を見つける事! ――今の名胡桃さんは楽しい事してます?」
名胡桃さんは一呼吸置いて――
「はい」
答えてくれた。俺は鼻の穴が広がった感じがした、凄い嬉しかったんだろうなこの言葉が。『女』として見る憧れの人になりつつあった。
知りもしない純文学というジャンルの小説を俺は教えてもらった。文字で美しさや臭さを感じるのが純文学とのこと……俺には到底感じられない部分であろうな。でも名胡桃さんは文字を感じ取れるという。文字を感じ取るとは俺にとって哲学だな。
昼を過ぎた辺りで一緒に学校を出た。そこまで小説に興味は出ていなかったが、これから仲良くなると言ったらこの文学を通してもっと先へと進まねば。国語というのもまた俺は苦手な科目の一つだった。だから文字を目で追うということ、文字を読んで言葉に出すというのは一番に苦手。それで仲良くなるというのは難しいかもしれない。でも国語が苦手だなんて名胡桃さんに言ったらこれは軽蔑の言葉に近い気もするので言わなかった。
「ここだったね――」
あの商店街に着いた。今は名胡桃さんと出会った場所でもある。
「ここの書店が好きでよく通ってるんです」
そう指を刺したのは俺の馴染みの店だった。ここの店は最新の本を一日でも早く入荷する優良店で、他の店よりも引けを取らない個人経営店だ。
名胡桃さんは吸い込まれるように入っていく、自分も後を追う。
「今日はお嬢さん二人か。仲が良さそうで」
「ど、どうも……」
お嬢さん二人、と言われると語弊があるようで無いこの気難しさがまた……。
「文学で新しいの入ってきました?」
「今日は無いかな」
「そうですか――」
下を向いてガックリする名胡桃さん。結構情の深い人なのか、喜怒哀楽が出来てる人だ。あの教室とかで見る名胡桃さんではなかった。まだ一日しか知り合ってないのに既に知ったかのような口で悪いけど。
一緒に書店を出る。自分はこの書店で普段は漫画とか週刊誌を買って出るけど、普段は見ない文学コーナーを確認してみると結構豊富だった。これは名胡桃さんもお気に入りになるな。
少し隙を見せると名胡桃さんは本を開いて読んでいた。あの時に見たブックカバーで閉じられた本だった。
「名胡桃さん。その本のタイトルは何?」
名胡桃さんはしおりを挟んで厚いブックカバーを外してくれた。――『人間失格』というタイトルらしい。これも純文学なのだろうか?
「どういう内容なの?」
「太宰治作の長編小説。一九四八年の作品で――――」
……凄い内容過ぎて理解が追いつかない。これが純文学――。
「理解をしようと思わないで、感じるんです」
そう名胡桃さんに言われるけど申し訳ない。ワケガワカラナイヨ。今後から内容に付いてはもう聞かない事にしよう。本当に申し訳ない。
「私が初めて触れた本でお気に入りなんです、これは――」
「う、うん」
また語り始めてしまった。「ピロン♪」ニカエルからの通知だ。こんなタイミングで通知をしてくるとは空気の読めない――。「この世界も」って……何を言ってるんだ。ニカエルお前もおかしくなってしまったのか。
楽しそうに名胡桃さんは喋るけど、趣味の違いからかもうウンザリしてきた。小説家の名前がいっぱい出てくるけどもう相槌を打つことしか出来なくなった。
店の外に出ても尚話を続ける名胡桃さん。本が好きなんだな、好きな事で語れるのは一番良い事だ。
「カナちゃーん!」
後ろから声が掛かる。名胡桃さんと一緒に振り返ってみると朱音の姿だった。櫻見女子のジャージを下だけ来て上は白のTシャツでこっちにやって来た。本当に運動してたのかお前は。
「よっと、はっと――カナちゃん。えーっとそっちは……」
「こっちは名胡桃さん……ほらわたしの二個手前の席に座ってる」
名胡桃さんは恥ずかしいのか顔を本で隠していた。そんな事今まで俺と話してて無かったじゃないか。急に隠してどうしたのやら。
そんな事も気にも掛けずに朱音は顔を見ようと横からや下からと顔を見ようとするがその角度に合わせて名胡桃さんは本で隠す、器用過ぎる。
「あーんもう! いいじゃん! 顔見たって!」
手を強引に退けて朱音は顔を間近で見る、これが『女』っていう物なのか? それともただ単に朱音が馬鹿なだけか? そんな間近で顔を見られた名胡桃さんの顔は赤かった。
「あ――」
「あーたーし、堂ノ庭朱音! ……仲良くしてくれる?」
顔を振るだけの名胡桃さん、汗が凄い。ここまで強引な友達作りをする朱音もどうかと思うんだが……。この性格は相変わらずで変える気も無しか。自分は朱音の頭をチョップで叩く。
「いったーい! 今日初めて会ったのにもう頭叩くのはひどくない?」
「あ、ごめん。ついうっかり」
幼馴染チョップ。この顔では今日初めてというのを忘れて頭を叩いてしまった。そうだった。朱音にとっては俺は俺じゃないんだ。うーん、朱音とのやり取りが難しい。
「じゃあ、あたし行くから! じゃねー!」
朱音はするだけして走っていった。――なんだったんだ。名胡桃さんも突然の事で驚いてるじゃないか、もう目が点だ。
「名胡桃さん大丈夫?」
「はい――」
「あいつ、あんな感じだから気にしないで」
全く、人を困らせるような事をするんじゃないよ。
「――知ってるんですか? 朱音……さんでしたっけ?」
「え? あっと……今日会ったばかり、気にしないで。ベー」
舌を出してとぼける感じをとった。一番になんとかしなきゃいけないのは朱音の方かもしれない。アイツぐらいにはこの『男』という事を教えておいてもいいかもって考えるようになってきた。やりづらいんだよ、この状態が。
「また明日――」
「うん、じゃあね」
商店街で名胡桃さんと別れた。曲がり角に名胡桃さんが消えたのを見てから商店街のトイレに駆け込みリボンとスカートを脱いでカバンに折り畳んでしまっていたズボンに履き替える。そして〈831-2929〉に発信。転換完了、トイレから出て家に帰ろう。
まだ昼なのになんでこんなに疲れてるんだ。『女』の子ってこんなに疲れるもんなんだな、でも男性社会の方がもっと疲れる気がするんだけど……うーん、どっちもどっちかな。俺は男性社会の方が気に入らないかも。
「おおーーッ! カナちゃぁぁぁん!」
「ゲッ⁉」
運動中の朱音に次は『男』として見つかった。ここの街一周するの早すぎる、まだ時間掛かるだろうお前。
「どうしたの! 今帰り⁉」
「お、お前テンション高いな」
「今日だってビッグニュースがあるんだもん!」
大体察しが付く。というかもう既に知っているようなものだった。
「今日あたしの高校の入学式だったんだけど、近くの席の名前がカナちゃんと一緒だったんだよ!」
「お、そうか……そうなんだな」
「あれ? 驚かないの?」
「ま、まぁな」
俺はその事実を知ってるしどうでも良かった。
「どんな姿だったんだ」
「えーっと、髪色はカナちゃんと一緒で顔も本当にカナちゃんと一緒でスマホもカナちゃんの持ってるやつと一緒で全部一緒だね!」
少しぐらいは違いを言わんかね。そんなの他の人に言っても分からないぞ。自分が適当に「そうか」で終わらせたけどまだまだ朱音のテンションは下がらなかった。別にまだ初日だしそんな喋る事も無いと思うんだけどなぁ。
「じゃあまた街一周してくるから! じゃねー!」
朱音はさっきと同じくまた走り出した。まだ寒い時期だけど無理すんなよあかねー! ……朱音も案外胸が大きい方だけどアレは邪魔にはならないのかね。俺も『女』になった時にアレぐらい胸があればなぁ、張り合えるのに。
そんなことを思いながら家路につく。
そういえば、まだ名胡桃さんの携帯の番号を聞き出してなかったな。今度にでも聞いてみるか。
「がッ……はぁ……」
家に帰った俺はそのままベッドに倒れる。二度も朱音に会うし色々あるし本当に疲れた、ド疲れた。
そしてニカエルがスマホから出てきた。
「一時どうなるかと思ったけど、なんとかなったね」
「ああ……」
俺の周りをニカエルはグルグルと回る。ハエみたいでうっとうしい。叩き殺したい所だったけど……コイツを殺した所で転換出来なくなるであろうから悔しい。すぐにでも殺したいのに。
「じゃあまた明日だね? それまでゆっくりとしてね」
「お前に言われなくても休む。それじゃ」
本格的に布団を被って寝る。まだ昼だけどまた夕方くらいに起きるだろう。
また明日が待ってると思うと少し憂鬱になった……。