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この中に『男』が一人います!  作者: TASH/空野輝
第二章 堂ノ庭朱音
19/91

15話 『男』と『女』の本音と一泊

 朱音の家に着く。インターホンのボタンを押して出てくるのを待つが……本当の静寂に包まれていた。土曜日だし、家族で何処かに出掛けているのか、もしくはランニングに出てるのか。スマホの電源を付けて時間を確認してみると丁度正午を示している。――ケーキを片手に持ってるけど、出直すか。


「ケーキどうするの?」

「また一時間後に来る事にする。……お前には上げないからな?」

「ちぇー」


 ニカエルはそれだけ言ってスマホに戻っていった。――流石に一日経って無駄になるのだったらニカエルに渡すが、保冷剤も入ってるしこの夏場でも持つ。家の冷蔵庫に入れてこの箱に「食べるな!」とでも書いておいたらお母さんも食べないハズ……俺のお母さんもイマイチ信用出来ない所があるからなぁ。かと言って部屋に置いて置くのも申し訳無いし……あ、そういえば土曜日もお母さん出て行ってるし食べられる心配は無いか。


「はぁ――なんかな、ここ最近は憂鬱気味だな」


 一週間も朱音がいないと自分も寂しい。いわゆる「朱音ロス」っていうのに罹っている。人は普段見ているもの、持っているもの、入っているものを取られると寂しさを感じる。例えば、三十一年も正午から放送していた某バラエティ番組とかでも「ロス」を感じた人も居るし、三十九年も営業していた大手レストラングループの名前が付いていたレストランが閉店した時も「ロス」を感じた。某週刊雑誌のお巡りさんも「ロス」の一つだろう。――どれもいざ無くなると寂しくなるものばかりだ。そんなのを抱き合わせで「ロス」を感じていた俺はトボトボと家の傍まで来ていた。

 ――誰かが俺の家の前のインターホンを押しているけど陽炎でボヤケててよく見えない。何かを持ってる。


「「あ――」」


 赤い髪の毛に特徴的なポニーテール。間違いない、朱音。堂ノ庭朱音だった。まさかここで顔を合わせるとは思っていなかったので俺ら二人ともその場で固まっていた。俺は決心して言葉を放つ。


「「あたしさ、朱音カナちゃんに謝りたい事がある!!」」


 息ピッタリで今回の二人の件が一致していた。これでまたその場で固まる。どうもこうもこの日に用件が一致するのやらか。俺は朱音の持っている物を見ると、駅前の小さい小道で専門のお店を構えてるその食べ物、トルティーヤドッグを何本か買って持っている。俺は商店街にお店がある、あのケーキを持っていた。


「――取り敢えず、中入る?」

「うん……」


 朱音は小さく頷いた。





 部屋に入れてから数分、お皿を二つ用意して朱音の前には俺が買ってきたケーキが。その逆に俺の前にはトルティーヤドッグが。


「…………」


 何から話していいか分からず沈黙が続いている。

 謝罪。幼馴染だと中々これが出来ない、何故なら喧嘩するような出来事が少ないからだ……つまり謝罪という言葉を知らないという事になる。俺も朱音もいざ面として話す事が出来ない事になってる現状。打破するのは誰だ? という状況になっている。壁時計の針がただカチカチと時を刻む。


「もー! 二人とも話したい事があるんでしょ? とっとと心のしこりを取ったらどうなの⁉」

「――ニカエル⁉」


 打破したのは意外にもニカエルだった。

 口を閉ざしていた朱音が驚いた一声を発した。そうかニカエルが普段スマホの中に居ることを知らなかったか。


「朱音も奏芽も! ――全部喋ってよ。その為に来たんでしょ朱音も……」

「…………」


 ニカエルが悲しい顔をする。長い時間この状態だから口を挟まずには居られなかったのだろう。俺は気持ちを察した。――仕方がない、俺から喋ろう。


「朱音――」

「ううん、カナちゃん何も悪くないの。全部あたしが悪いの」


 ニカエルの一声が効いたか、先に朱音が喋るようだ。


「あたしがカナちゃんのスマホで「ハチサンイチニーキューニーキュー」なんて電話番号を見つけて受話器のマークを押したからこんな事になってるんでしょ? ――あれは一時的なアレで、今はならないんでしょ?」

「…………」


 朱音は一時的な物だと思っているが、残念ながらあの番号に発信すればいつでもなれる。自分はポケットからスマホを取り出して朱音にその番号を見せる。


「これは特殊な番号でな……魔法が掛かってるんだ。俺が『男』から『女』に変わるのに使われてるんだ」

「……今でも変われるの?」

「もちろん」


 俺は『831‐2929』に電話を掛けようとするがその手を朱音が止める。


「止めてっ――止めてよ――カナちゃんが『女』の子になる所を見たくない……」

「どうして?」

「カナちゃんは『男』の子って知ってる……知っちゃってるからその姿を見たくないの……」


 俯いて顔を見せない朱音……何故だ? 俺が『女』になる姿を見たくないとは一体何でだろうか。驚きはするだろうと思っていたがそんな理由を付けられると納得がいかない。


「俺が『女』の子になっちゃいけないのは何でなんだ? 別に何も変わらないし、櫻見女で朱音が黙っててくれればそれで俺がいいだけで――」


「だって奏芽が好きなんだもん! 『男』の子の奏芽が好きっ! その『男』の子の奏芽が好きっ! ここ夏風町で住んでる『男』の奏芽が好き! 唯川奏芽が好きなんだもん!」

「――――!」


 驚いた。――何に驚いたかってそんな馬鹿げた理由だけで俺が『女』の子になっちゃいけないのは俺が好きだからっていう事だけ。別に険悪な関係になるような理由じゃなくてただ俺の事が好きだからこういうしゃくを起こしているだけだった。


「全く――」


 俺は朱音が泣き始める前に『ヤサニク』に発信をする。


「あっ! その番号をあたしの前で押さないで!」


 そんな朱音の忠告も聞かずに俺は『女』の子に変わる。――勿論、『男』の姿じゃなくてこの『女』の姿じゃなきゃ言えない事もあるからだ。

 早速全身『女』の子に変わって息を吸って――


「この――ややアホ!」


 この一声で朱音が驚く。


「馬鹿……馬鹿奏芽……」


 あれだけ『女』の子になるなと言ってなったのはすまないと思っているが俺はありったけの言いたい事を朱音に向かって放つ。


「朱音は勘違いしてるよ! わたしの目の色、身長、体重、声が変わったって全部変わったわけじゃない! わたしが『女』の子に変わった理由は別に『男』を捨てた訳じゃない! ――元々は、櫻見が女子校だと思ってなかったからこういう事を引き起こした。不安だった、入学式前も寝れなかった! でも、入学式に朱音がいて……面倒な奴がいるって思ってたけど本当は安心だった嬉しかった。また一緒にいられるんだなって! ――そこで初めて『女』の子になって良かったって思った。一番初めに朱音に言おうとした、でも『女』の子になって次第に仲良くなって言えなかった……本当に朱音の事が好きだったから言えなかったんだよ! だからさ――今まで通りに学校に通ってくれよ……お願いだから。わたしはいつまでも朱音の事好きなんだから!」



 俺はバレてから言いたかった事を全部吐いた。一回も視線を外さず朱音に向かって全部吐いた。


「……ごめん、ごめんねカナちゃん。カナちゃんの方がずっと考えてたんだね……」

「ううん、ずっと悩んでただけ。誰にも言えなくて」

「う、うわぁぁぁぁ――――カナちゃんカナちゃんカナちゃん、カナちゃん!!」


 朱音の気持ちが大きく爆発した。俺は朱音の隣にいって頭を撫でる。その次に朱音は崩れて俺の太腿に頭を付ける。ズボンに涙が吸い込んでいく。


「朱音も朱音で悩んでたんだね……今まで気付かなくてごめん」


 朱音は何も言わなかったが、今は何も言わなくてもいい。その涙が止まるまでずっとこの状態で待つ。――唯一無二の俺の幼馴染、堂ノ庭朱音。朱音がいつまでも隣にいるのが俺にとっては嬉しい事なんだから。その前で一言も喋らず待っていたニカエルにも感謝だ。俺の実力を知ってたからこそ黙っていたんだな。ニカエルは朱音を見ていたが俺の視線に気付いてウィンクをする。


「まぁニカエル。条件は達成――じゃないよな」

「モチロン。奏芽は優しくても私は優しくないよ~」


 全く、コイツは何も変わらない。でも大事な物は返してもらったから特に文句をニカエルに対して言わないし、これで一件落着だから。





 コンコン――

 扉を開けて入ってきたのはウチのお母さんだ。俺が『女』の姿でギクッとしてしまったが偶にお母さんにも打ち明けている事を忘れてしまう。


「奏芽」


 人差し指を伸ばして口元に付ける。これを意味するのは一つ、静かにしてほしかった。


「あっ……分かった、堂ノ庭さんに連絡しとくね」


 理由としては涙枯れる程に泣いた朱音は疲れて寝てしまった。案外強気な朱音もこうして子供の様な一面も今見せるとは可愛いものだな。たまたまポケットに入ってたハンカチで顔を一度拭う。――今日の朱音はここで一泊かな、俺の膝を借りている状態の朱音を一度俺のベッドに寝かせて押入れから自分が寝る布団を引く。夕飯を食べるかどうかはまた起きてから聞いた方が良いだろう。自分は立ち上がってゆっくりとドアを開いてまたゆっくりと閉じる。

 ――〈ヤサニク〉で『男』に転換し、廊下を見渡す。この二階には俺の部屋の他にもう二部屋ある。一つは俺のお父さんの部屋だった所と、今は倉庫代わりになっている部屋の二つ。"今"はという事は過去は何だったかと言うと俺が幼少期の頃も何も無い部屋だった。次第に荷物が増えたから倉庫と化した。中学校の頃に理由をお母さんに聞いてみたけど大した答えじゃなかった。


 俺はその倉庫の扉を開ける。――滅多に入らないこの部屋に何の用があるのか? それは久々にアルバムを開いてみたかったからだ。確か端のダンボールに入ってた気がするのだが――あった、この緑色のアルバムがそうだ、これが小学校から中学校の時に撮ってもらった写真達が納められているアルバムだ。他にも卒業アルバムともっと前のアルバムもある。俺は以前にお父さんの顔を知らないと言ったがこのアルバムにも顔を写した写真が載っていない、何故か? よっぽどだったのかウチのお母さんが全部処分してしまったらしい。結婚式会場の写真から極日常的な写真まで。――本当に一枚も残ってないのかと思って全部のアルバムの隅から隅まで探してみたけど、ここに居た証拠さえも残っていない。ウチのお母さんの執念は凄いな……。


「奏芽ー? あれー?」


 ニカエルの声がする。アルバムを開く前にニカエルに呼ばれるとはな。別に大した用じゃないと思うけど技を掛けられると痛い目見るからさっさと行くとしよう。――一緒に居ると不都合な事だって俺にもあるんだよ。

 廊下に出て自分の部屋の扉を開ける。スマホから半身出していた姿が見えた……相変わらずその半身出している姿が怖い。


「奏芽、何処行ってたの?」

「別に、それよりどうした?」

「まぁまぁ……外出よっか」


 自分はニカエルに手を捕まれ半ば強制廊下に出た。


「どうしたニカエル……今日はもう外出る事無いぞ。朱音がここに来てるんだから」

「それは分かってる」

「じゃあ何だ」

「ん!」


 ニカエルは急に握手を求めてくる。地味にニカエルの変な行為に普段なれしてきた自分はとりあえずニカエルの手を握る。ただこれだけをしてニカエルはニヤけていた。


「はぁ……全く」


 これをしたいが為に廊下に出たのか。

 ――出たついでだ、俺は一階に降りてリビングを扉を開ける。お母さんがビックリしているが息子にそんな反応を見せなくてもいいだろう、もしかして朱音だと思ったのか? そんな事を思いながら冷蔵庫の扉を開け、一本ペットボトルを取り出して飲む。


「やだっ、怖いわ――ペットボトルの中身が傾いたと思ったら途中で消えてる」

「悪い冗談は止めてくんない?」


 俺は声を出したが聞こえてないようだ、このお母さん……普段ふざけている事が多いからこれも悪ふざけしてるんだろう。反応を無視してペットボトルを持ち出して扉を開ける。


「幽霊――幽霊が居るわ……」

「んん……」


 別に気にする事無くリビングを出て行った。


「気付かなかった? 奏芽~」

「何が?」

「奏芽は今人間からは誰からも見えていませ~ん」

「はーっ⁉ 何だそれは⁉」


 そう言われると今さっきのお母さんの反応にも納得がいく。という事は今透明化しているのか俺は……。


「お前俺の体に何をした……⁉ まさか、俺の遺体が二階に転がってる訳じゃないよな⁉」

「そ、そこまではなってないってば。奏芽に達成報酬として〈透明化〉をしたの」

「ナンですかそれは――」





 ふわふわと浮かれるニカエルに上から目線で〈透明化〉の説明を聞かされた。相変わらず天使のやることすることが滅茶苦茶だ。突然握手を求めてきたのには理由があってニカエルと握手をすると俺を透明化する事が出来るそう。――というか、ストレートな名前ばっかりなのはどうしてなんだか……分かりやすいのはいいんだけどさ。因みにタイムミリットは五分、自動的に解除される。特に対して役に立たない微妙な分数と何処の場面で使えるのかが分からないこの透明化が達成報酬とはニカエルもケチだな。本当に分け与えられた〈性転換〉での『女』の姿に自由に変わる事しか今の所便利で役に立ってるだけだぞ。〈契約の結界〉も〈天使のキス〉もこの〈透明化〉もイマイチすぎる。


 言ったついでだから各々の能力について文句を言わせてもらう。

 まずは〈契約の結界〉からだ、これ自体まず要らない。どうして15mもの距離をニカエルと一緒にしなくてはならないのか。これが役に立った試しが無い。どこに行こうとしても15m、スマホから離れても15m。デメリットは無いと思われがちだけど、深夜にコンビニに一人で行こうと思ったら行けないんだ、深夜に一人でラーメンを食べに行こうと思ったら行けないし、俺はそんなに悪いヤツではないけど夜遊びをしようにしても一人じゃまた行けない。……一人になれないのがデメリットだ。

 次に〈天使のキス〉。全く使えない――という訳では無いんだけど、傷の度合いによって人間の本能で寝に入ってしまうのが駄目だ。最低でも一日を要するから日中使おうと思ったら一日学校を休む事になる。俺はチャーシューかなんかか? 別に二十四時間以内に収まっててもいいんじゃないのか? 使い所の難しい魔法だ。

 最後に〈透明化〉のデメリットは一つ、五分じゃ短い。以上だ。


「それでニカエル。俺は元に戻ったのか?」


 一階の玄関であぐらを掻いて上で浮いているニカエルを見る。戻った実感が無くてニカエルに聞いてしまった。


「うん五分過ぎたから元に戻ってる。因みに痛みを感じたら元には戻るから安心して」

「何だそれは……自分の何処かをつねれば元に戻るのか」

「そういうこと~まぁ嬉しいおまけだと思って」

「はぁ――」


 せめて二桁台の分数だったら便利なのだが五分じゃどうする事も出来ない。あと発動条件はニカエルと握手だからこれまた町中は疎か透明するのを見られる所で使えない、どうやって便利に使えばいいというのやらか。




          ※  ※  ※  ※




 昼間だったのに既に夕方。お皿は机の上に置いてそのままだ……トルティーヤドッグもケーキも口にせずに。朱音はまだ俺のベッドの上で寝ている。――そういえば、朱音は何度もここに来たことがあるけどベッドに寝た事は疎か座った事さえ無かったな。それは俺を『男』としてどこか意識してたのか? 朱音以外に座ったり寝たりしているのはニカエル一人だけだ、しかも遠慮なく。一緒に。俺は別に問題ないとは思っているけど当の本人はどう思っているのかは聞いたことが無い、少なくとも俺は朱音のベッドで寝ようとは考えない。

 じっと朱音の事を布団の上で観察していたけど、性格に合ってか寝相が悪い。掛け毛布を退けて朱音を抱き抱えて真ん中に寝かせて毛布を掛けてやったのに、どうしてだか俺に背中を向いて掛けてあげた毛布を抱枕代わりにしている。――これじゃまだまだ起きる事は無さそうだな、夕飯の時間が近づいたら起こす事にしよう。


「俺は風呂に入るけど、ニカエルはここの部屋な」

「はいはーい」


 朱音がもしも起きた場合に円滑に話が進むようにニカエルにはここに居てほしかった。――勘違いしないで欲しい、ニカエルとは日常的に風呂に入っている訳じゃない。俺の部屋の扉をゆっくりと閉じて目的の場所へと向かった。





 いつも通り一人で風呂に入って体を温める。――ウチの一家は二人(+天使)だけで風呂の水を取り替えるのは三日に一度なのだが今日は朱音が来ているからか新しいお湯が張っていた。しかも緑色の入浴剤入り……お風呂の沸かし案内を見ると普段の四十度から今日は一度上がって四十一度だ。……これは多分少しでもお湯の暖かさを長持ちさせる為の手段だろう、後から入る人は別に問題ないと思うんだけど一番風呂の俺はハッキリ言って熱い……一度上がったっていうのが体で実感できる。

 ――浴室の隣、洗面所のドアが開く音がする。もう洗濯物は取り込んで追加は無いはずだし、歯磨きをするにも時間が早い。そもそも夕飯はまだだ。


「あーお母さん? 一番風呂は毎回俺だし、申し訳ないけどまだ入ってるよー?」


 そう言い掛けたが反応が無し。という事はお母さんではない……ニカエルか。多分驚かそうと思って声も出さずに洗面所内に入ってきたのだろうけど静かな中だからドアの開閉音かいへいおんで流石に気付いた。アイツには朱音を見ておくように言っておいたハズなのにもう約束を破ってこっちまで来やがって。心底、天使というのに呆れる。

 ペタペタという音でこっちに素足で歩いてくるのが分かる。服を脱いでこっちに入ってくると予想した、というか確実。どうせここまで来たら止めても無駄だろうしあえて気付かないフリをして浴室のドアに背中向いてやろう。


 ガラララ――

 入ってきた。ハッキリ言って『男』の生活中に風呂場に『女』が急に入ってくるっていうのは嬉しいハズなのに俺に至っては天使のせいで普通になってしまってあまり喜べない。そもそもニカエル自体が嬉しい存在かというとそこまで嬉しくはない。お湯を体全体に掛けた後は浴槽の空いている所、背中のスペースに入ってくる。二人の体重で水嵩が増えて浴槽からお湯が溢れ出す。お湯の揺れが落ち着いてから俺は喋りだす。


「それで、何で入ってきた?」

「昔を思い出すよね……覚えてる? おばあちゃんの家で一緒に入った事」

「……朱音⁉」


 俺は後ろを見ようと振り向こうとしたが軽く抱きしめられてしまって体ごと振り向けなかった。だけど、このふわっとした赤い髪は間違いなかった。しかし意外だった、あまりの普段に慣れすぎてこういう自体が起きるとは思っていなかった。――勿論、昔に朱音と風呂に入ったことがあるが……事故で一緒に入る事になってしまっただけで今回は朱音が意識的に入ってきた。


「こうして二人でまた入る時が来るなんて思ってなかったけど、二回目はそんなに恥ずかしくないね……」

「そ、そうか? それは背中向いてるからだし、俺はまだ朱音の事を直視していない――」

「だったら見る……?」

「いや、それは――」


 いざ「見る?」と相手から言われると躊躇してしまう。流石に十年以上の付き合いでも裸の付き合いとは滅多な事で背中からそう言われる事なんて無い。


「カナちゃんはさ――『女』の子になってどう思った?」

「いきなりどうした?」

「聞いてみたかっただけ、別に変に思わないで」

「そうだな……凄い! とは思ってたけど」

「けど?」

「『男』と『女』っていう選択肢が出来て使い分けが面倒で、どっちが良いって言われるとやっぱり『男』が最高だなって」

「……カナちゃんらしい」


 俺らしいか。どちらの性にしても俺らしさが出ているとは思うが、朱音が思う奏芽は『男』の姿の奏芽で見比べ『らしい』と言ったのだろう。


「朱音、抱きつくのを止めてくれ。楽な体制とりたい」

「あっ、うん……」


 朱音は抱きつくのを止めて自分は背中を向いたまま朱音に倒れ込む。「わっ」と小さく朱音は声を出すが、気にも留めず朱音の胸に頭を置く。


「やっぱりこの体制が楽なんだけど、朱音大丈夫?」

「う、うん大丈夫だけど……髪の毛でちょっとむず痒い」

「悪いな、見ないでかつこんな狭い中で二人が楽な体制とるにはこれしか無いと思って」

「カナちゃんがいいと思うならあたしはこれでいいよ」


 朱音は腕を俺の胸に置いて更に楽な体制を取った。朱音の上に乗るような体制で俺が横になる。すると浮力が強くなるわけでそう腕で抑えてくれると逆に有難かった。


「「…………」」


 別に喋る事は昼間の内に終わってしまったから特に会話する事がない。浴槽ってこんなに会話が少なくなるものだろうか。


「そういえば朱音――」

「明日、明日暇だよッ!」

「はっ――」

「明日暇だから……どっか遊びに行こ……?」


 俺から話を切り出そうと思ったのに朱音から急に切り出してくるとは思ってもいなかった。明日は朱音も部活は休みなのか。これは悩みどころだ、何処に行こうか……。


「海側の公園とか。隣の町まで行ってもいいし、商店街でゆっくりするのもいいよっ。カナちゃんが好きにしてくれれば――」

「東京行くか?」

「東京……⁉」


 東京という言葉を聞いて朱音の声が変わる。朝の七時位から出て新幹線で昼頃には着くだろう。別に明日が暇だったら日帰りで東京に行っても問題は無いだろう。


「どうだ? 朱音、東京行ってみる?」

「うん……! カナちゃんと歩いてみたい、東京……!」

「まぁ俺も行ったこと無いんだけどな。いい経験にはなるんじゃないのか?」

「うん、うん……!」


 こうして二人で行ける日がまた来るとはな……朱音のおばあちゃんの家に行った事を思い出す。あの時は朱音が一人で嫌だから一緒に来てと言われて俺の人生で初めての旅になったな。ある意味いい経験にはなった。


「カナちゃんは東京行って何するの? シンジュクとかシブヤとか――」

「え? ああ……ウエノ?」


 自分がイメージしたのは動物園……だったか。そういうガヤガヤした所じゃなくて東京に残る自然を朱音と一緒に体感してみたかったのだ。それ以外に最もな理由は考えられなかっただけと言われればそうかもしれない。


「ウエノ動物園とか東京タワー――あたしは行きたい所いっぱいあるよ。カナちゃんと色んな所行きたい」

「そっか……考えとく」


 スマホで今は何でも検索出来るから計画はスマホで「東京」と検索して考える。朱音の言った希望はウエノ動物園と後は東京タワーか……何区にあるんだろう? それをボーッと考えていたら徐々に頭がお湯に沈む。


「……あれ? カナちゃん……?」

「うぅ――」

「ちょっと⁉ 大丈夫⁉」


 逆上のぼせたようで朱音に引き上げられ今日のお風呂タイムは終了。意外にも朱音の胸枕が気持ちよくて長くなった。朱音より先に入って普段の三十分から二十五分オーバーして五十五分も入浴してしまった。――また一緒に入れる日が来るのだろうか? と出てから惜しむように。




          ※  ※  ※  ※




 俺と朱音と天使とお母さんの夕飯が終わった。今日は肉じゃがだったのだけど朱音が来て急遽メニュー変更してカレーライスになった。二人で食べてカレーが余るのが普段だったのだが、天使が増えてから余るカレーが少しだけになり、今日は四人に増えてカレーが余らなかった。これにはお母さんも「明日会社に持っていくカレーが無い……」と悩んでいた。5リッターも入る鍋(カレー約十五皿分)を用意してたのに一杯分さえ残らないとは――そもそも唯一『男』の俺が二皿しか食べず、お母さんは一皿しか食べてない。そう、残り約十三皿は朱音とニカエルが全部かっさらった。


 それから、眠りに付いた訳なんだけど、朱音はうつ伏せに寝てスーハーと凄い寝息を立てている。――俺の妄想で終わったらいいんだけど、まさか匂いを楽しんでいるのか……⁉ まぁ別にうつ伏せなり仰向けなりで寝ても問題は無いんだけど枕ぐらいは取り替えるべきだったな。そして問題は朱音が寝た後だ。ニカエルがスマホから出てきて俺の横で寝ていてまた足を絡めてきている。それで俺が寝苦しくて朱音やニカエルの観察や、明日の予定立てをしていた。

 ……予定立てが終わった後はやっぱり寝苦しさの中、なんとか眠りに付こうとする。どうしてニカエルはこんなにワイフ感が出ているのやらか。姿も天使らしく無いしなぁ、せめて頭の輪っかと羽根ぐらいは付いてて欲しいんだけど。


「ぐふふ……奏芽と……朱音が……くっついた……」

「…………」


 コイツの野心が見たい。――ニカエルを見て思った、コイツも東京に着いてくるんだったな……明日も波乱万丈な気がする。たまには落ち着いた一日が欲しい気もするんだけど……。


「やれやれ――寝るか……」


 ニカエルの足の絡みごと一段下がり、掛毛布の中に潜る。それでもニカエルは「んっ」と顔を少し顰めただけでまた眠りに付いたらしい、多分布団との摩擦で熱さを感じたのだろう。本来は横向き寝派の俺なんだけどニカエルは何かに抱き付いて寝る派らしい。朱音はランダム、仰向け寝はするわ仰向け寝もするし、ベッドから転げ落ちる可能性もあるだろう……寝相が悪い朱音は明日起きたらどうなってるのか楽しみだ。

 どうでもいい事、この布団久々に出したけど臭い。――年季の入った布団はどうして臭いのやらか。

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