14話 朱音に『女』になれるとバレた憂鬱
六月初頭――
俺は久々に朱音に遊ぼうと言われて朱音の家でゲームをしていた。どちらで招待されたかというと『男』の状態でだ。ニカエルはというと最近は新しいスマホのゲームにハマっているのか、スマホから出てくる事が少なかった。どちらかというと中に入ってる方が操作が楽になるらしい――本当にスマホの中で奴は何をやっているんだ? 別にスマホを自由に使うなりそこの中で生活するなりは構わないし最近は充電ケーブルを刺して遊んでくれるからいいんだけど、スマホの処理が重くなってきてるから飽きたゲームくらいはそちらで削除して欲しい所だ。
「あっ、負けた――」
ニカエルの事に関して考え事をしていたからか操作をミスして一機朱音に撃墜された。
「カナちゃん弱い、どうしたの? 打ち負かすとか言ってた癖に」
朱音に煽られる。
「いや――トイレを我慢しててな。撃墜されたからこれで休戦だ」
俺は立ち上がって朱音の部屋を出る。
トイレの扉を開けて座る。『男』なのに何故座るのか? 一度だけ『女』の状態でチャックを開けて間違えてしまってとんでもない事を起こした。別にその時は我慢していた訳でも無く出そうと思ったのが正面ではなく下に出してやらかしたからだ……トイレで間違えを起こす、不思議な事だ。
だから今は『男』の状態でも座るように心がけている。俺だけにしか分からないあるあるだ……この歳になって漏らすとか恥ずかしい。誰にも言えないし、ニカエルにも言っていない。
「あれ――そういえばスマホ持ってきてなかった」
ポケットをまさぐるが、何処にも入ってなかった。朱音の部屋に置きっぱなしだったか。別にアイツは人のスマホとかを触るような奴では無いから安心出来る。もしこれがレストランとかで置きっぱなしにしてたら盗られる可能性も否定出来ない。
完全に出し切ってズボンを上げる。出し切った時の快感は『男』でも『女』でも変わらない。トイレを出て朱音の部屋を戻る。――徐々に歩きづらくなってくるけど床もしくは靴下に何か貼り付いているのだろうか? そんな事を思って部屋の扉を開ける。
「おまた――」
朱音が驚いた顔をしていた。何かと思って朱音の手を見たら俺のスマホを持っていた。
そして「831-2929」に発信していた……これを意味するのは俺が『男』から『女』になっているという事。多分朱音は面白半分でこの番号に発信したのだろう。
俺は確認するかのように股を触る。
――ああ、これは『女』ですね。
「カナ……ちゃん? あれ? カナちゃんがカナちゃんで――カナちゃん?」
また『ヤサニク』に発信をしていた。発信ボタンに手が触れていて無意識に触ってしまったのだろう。
――『男』に変わる。これは言い訳出来なくなってしまった。
「――カナちゃん?」
完全に朱音はパニックを起こしていた。何か夢を見ているのかと思って朱音は何度も『ヤサニク』に発信をしている。それだから俺も『男』に変わっては『女』に変わってを繰り返していた。俺も身長とか服のサイズとかが変わってを繰り返しているから鬱陶しくなってしまった。
「あの、朱音――?」
「え? あ?」
朱音は発信の手を止めた。それは幼馴染がこんな能力を持っているというんだからパニックも起こすのは確か。だけどそれを確認しようと発信を何度もするのは駄目だし、何故俺のスマホを手に持っている?
「朱音、おい朱音!」
魂が抜けたような状態になってしまった朱音の肩を叩いて再び現世に魂を戻す。
「え、あ――カナちゃん? あたし今日どうにかしてるのかな――」
「いいや俺が悪かった! 俺さ――」
「また、明日でいい? なんか気持ちの整理が付かなくてごめん――明日。今日はもう帰って――」
「あのさ――」
「今日は帰って! お願い!」
朱音に強く言われて俺は急いで部屋を出た。最悪だ……俺はスマホを朱音の部屋に忘れたばかりにこういう自体を引き起こしてしまった。俺はパニックを起こした朱音の気持ちを考えながら家に帰っていった。あんな泣き顔の朱音を見るのは今後止めにしたい。いつかは自分からバラそうとしたのに、油断――油断したせいだ、本当に最悪だった。
「奏芽……」
ニカエルがスマホから出てきて俺の顔を見るが――
「今は放ってくれないか? 俺、俺自身が腹立たしい」
そう言ってニカエルが察したかスマホに戻っていった。
別にニカエルに対して冷たく当たっているワケでは無いが、明日は朱音にどう言えばいいのかと一人で悩みたいし、今後はどうすればいいのかと――ハッキリ言ってどうすればいいのかも分からないが。
暗い部屋の中ベッドの上に正座をしながらスマホの着信連打された『ヤサニク』を見て明日を考える。
――幼馴染だから赦して貰えるのだろうか? それとも幼馴染だからこそ絶対的に赦して貰えない可能性も。「どうして教えてくれなかった」のと……朱音は言いそうだ。幼馴染だから一番に言ってほしかったとか……俺だってそう考えたけど朱音の気持ちを考えたら言えなかった。とでも言ったら余計に許してくれ無さそう、そして絶交という宣言も否めない。
「奏芽、夕飯だけどって暗い。電気位付けなさいよ」
夕飯の呼び出しで部屋に来たお母さん。
部屋の電気のスイッチをONにされて目を細める。
「お母さん――」
「どうしたの? そんな暗い中で暗い顔して」
そのまんまの状態なんだけど――それは明かりも付けないでこういう状態だからこそ察する物があると思うんだけど。
「俺今日は夕飯要らないからさ、ニカエル? 行ってきて」
俺はアプリ『ニカエル』の呼び出しボタンを押して半ば強制にスマホから追い出す。俺の今までを知っているニカエルはしょんぼりした顔をしながらお母さんと一緒に部屋をでた。
部屋は明るいけど、未だに俺の気持ちは晴れず暗かった。
※ ※ ※ ※
平日の朝、体と心が重かった。先日の事が頭から離れなくて夜も眠れなかった。今日は何かと文句を付けて学校には行きたくなかったが、そうなると神指さんや名胡桃さんに迷惑が掛かるから結局行かなくてはならなかった。
――せめて言うならば、九月にバレて欲しかったし、バラしたかったっていう欲心。ニカエルにどう言ってもポイントとして受け付けてくれなかった。ただ俺の心情と朱音の心情が傷んだだけだった。
玄関を出て門を出て――立ち止まって空を見てしまった。今日はなんて朱音に言おうか――今回は名胡桃さんと違って傷つけてしまったからその慰め方法を知りたかった。
「かぁぁなぁぁめぇぇ!!」
「ん? ごっはぁ――⁉」
横からニカエルが走ってきてドロップキックが直撃する。俺はそんな物が飛んで来るとは思わず構えてもいなかったからいつも以上に吹っ飛ぶ。六〇キロで走っている車がそのまま体に当たってきた感じだ。
なんとか手足で滑り止まりその場でぐったりする。
「いってぇ! これは許されんぞ! ニカエル!」
俺はなんとか足を付いてニカエルを睨みつける。
「昨日から元気ない! ――どうしたの! 朱音ちゃんにそのままの事を言えばいいじゃない!」
「でもさ――」
「でもじゃない! 嫌われたからって何! それだったら分かるまで謝ればいいだけの事! 朱音ちゃんは事実を見ただけなんだから奏芽は事実を言わなきゃ駄目なの! それだけの事なのに昨日からご飯も食べずに暗い部屋の中で正座して! ――バーカ! 奏芽のバーカ!」
下まぶたを引き下げ舌を出すニカエル。……昔に朱音に同じようなバカの言われ方をしたのをニカエルと重ね合わせてしまってそれと同様の怒りをニカエルにぶつける。
「クッソ――バカなんてお前にそこまで言われるとは思わなかった!」
「それこそ奏芽だよ。元気が無い奏芽なんて奏芽じゃないんだから」
これがそれなりのニカエルの慰め方だった。体罰的なのはどうかと思うけど、言葉よりも体で教え込むというニカエルのやり方なのだろう。俺は今まで何を考えていたのだろうと馬鹿らしくなってしまって腰が抜けた。立ち上がったのにまた尻を付いてどうする奏芽。
「はーぁ、分かった。今日どうせ帰りは一緒だろうからその時に話すよ」
「分かったら立って」
ニカエルは俺に近づいて手を差し伸ばす。その手を握ってニカエルに引っ張ってもらった。ドロップキックが当たった所はまだ痛むけど――それを我慢して商店街に向かった。
「全く……ややアホ」
「――何か言った?」
「いやなんでもない」
俺は次の制裁を加えられる前にニカエルから離れた。
商店街でいつものように名胡桃さんを待つ。朱音はというと陸上部で俺達よりも早く出て行ってしまうからここでは会えない、ここで会えれば二人でじっくりと話せる時間があるのだけど残念。関係が悪くなる前に早く言わなくてはならないのに。
「奏芽さんおはようございます」
相変わらず体に負担を掛けないようにゆっくりと歩いてくるのが名胡桃さんだ。
「――おはよう、名胡桃さん」
いつもより名胡桃さんが明るいなと思っていたが、もう夏服の時期か。櫻見女の夏服は六月初日に許可される事を忘れて自分は冬服で来ていた。まぁ今日は大した暑さでも無いのでこの状態でも大丈夫だ。
「奏芽さん夏服来ないのですか?」
「わたしはまだ大丈夫だから、それより櫻見女の夏服は結構シンプルなんだね」
櫻見女の夏服はシンプル。
セーラー襟と袖口にピンク色の一本ラインが特徴の櫻見女特製の白いオーバーブラウスと、薄ピンク色のチェックスカート、そして冬服同様にピンクのリボンを付ける。意外と電車の中でも目立たない制服だ。
それで今俺が来ている冬服は、黒のジャケットに中は長袖ブラウスと黒ストライブ柄のスカートにピンクのリボンだ。櫻見女のイメージカラーはリボン同様ピンク――要するに桜色だな。
さっき夏服は目立たないとは言ったけど、残念ながら冬服より目立つ。オーバーブラウスは問題無いのだけど、下の薄ピンク色のチェックスカートが目立つ。このピンクスカートによって私は櫻見女の生徒だぞ! という強調性が出ている訳だな。
「奏芽さん? 奏芽さーん?」
「あ、何? どうしたの?」
「そんなにジロジロ私の体見られると恥ずかしいです……」
それはそれは、舐め回すように見てしまったか。やっぱり夏服というのは厚手じゃないからどんな人が着てもエロく見える。はたまたピンク色でインラン――
「奏芽さん……」
ついに名胡桃さんは自分から胸を見えないようにいつも持ち歩いている本で胸を隠す。名胡桃さんもいいものお持ちでして――じっくりと見てしまった。
「……ごめん」
「それは――謝る事無いです」
名胡桃さんが言葉詰まったのは俺の胸がAAカップだからだろう。むしろ名胡桃さんが謝るべきだ、女性のステータスはBWHで決まる。それ一つでも欠けていると、今さっき通ったサラリーマンでさえ俺の姿を無視して名胡桃さんの方向ばかりを見る。一緒に並んで歩いているとこの胸囲の格差社会が始まるんだ。――ニカエル、早く俺の胸を大きくしてくれ。
その後は特に会話も無く、一緒に歩いていた。自分は朱音になんて言おうと考えて、名胡桃さんは歩き読書を始めていた。最近はよく喋る事が多かったからこうして静かに二人で歩いていくのはまた久しぶり。
「――奏芽さん、何か考え事で?」
何かに察し付いたように的確に突いてきた。
「名胡桃さんには関係無いよ。大丈夫」
そうは言ったが名胡桃さんは心配そうに見ていて、最終的には本を閉じて話を聞く体制になった。
「奏芽さんは何か悩み事があると左手で鎖骨を触る癖がありますよね――」
自分は何の事かと思ってしまったが直ぐに気付いた、確かに左手で右の鎖骨を触ってしまっていた。自分は触っている手を引っ込む。
「いや、違うんだ……」
「そうですか? 奏芽さんの状態を見るとそうは見えないんですけど――」
「はぁ――実は……」
結局名胡桃さんに見抜かれてしまったので、渋々話をする。
「朱音に俺が性転換出来る事を知っちゃって――怒ってるみたいなんだ」
「そんなことがあったんですか」
名胡桃さんをそれを聞いた後に笑う。俺はどうして名胡桃さんが笑っているのかが不思議でたまらなかった。
「奏芽さんの事を一番に知ってるのが朱音さんです、だから直ぐに謝ってくると思いますよ」
「そういうものなのかな……」
「そういうものだと思います」
きっちりとした答えに反論出来ない。
結局、俺の悩み過ぎと考え過ぎ。友達や天使に相談するだけで今後どうすればいいのかは解決してしまった。持つべきものは友……誰もがそういうだろう、中々相談できないこの性転換だけど、言えば一度打ち明ければ何度でも相談出来る物なのだと、そう名胡桃さんが明白にしてくれた。
櫻見女に着いた。――ちょこちょこと小さな足で歩く『女』の子を見つけた。……有紫亜だ。俺は後ろから「おはよう」と声を掛けると肩で驚いてしまった。
「あ……あ……」
「ご、ごめん――有紫亜。驚かすつもりは――」
「前から話してくれればいいのに……」
俺は謝罪するばかりだった。それを見た名胡桃さんは笑っていた。
「有紫亜さんですか? とても可愛い名前」
有紫亜は名胡桃さんに話しかけられたらに急に明るい顔になった。――なんだこの俺との差は。
「私、疋壇有紫亜、宜しく」
「うふふ、名胡桃茉白です」
俺の時には出来なかった握手までしている。
――俺は悔しさを覚えた。一体何が違うと言うんだ……!
そんなこんな事があって教室に着いて座る。
次に挨拶してくるのが神指さんだ。
「おはようございます奏芽さん。――あれ? それ私の神社の……」
「これ? 気づいちゃった?」
そう、六月に入ってから部屋のドアノブに引っ掛けていた神指神社の御守をカバンに付ける事にした。それに一番に気付くとはやっぱり神指さんであったか。
「いつ参拝にいらしました?」
「土曜日かな……」
「土曜日――私いつもいるハズなのにどうして気付かなかったのかしら」
そういえばそうだった。矛盾が出てしまった。俺はまだ『女』の姿で神指神社には寄っていない――色々マズった気もするけど神指さんは
「気付かなくでごめんなさい、またいらしてくださいね?」
と優しく言葉を掛けるだけだった。
――次はちゃんと『女』の姿で行くべきだな。
その後は墨俣さんが「おはよう」とそっけなく言ってくるだけで今日のクラスメイトとの交流はこれで終わる。――なんともあっけないけどこれが俺にとっての日常だ。そう、これが日常だったはずなのだが――朱音は顔も出ず、チャイムがなってみちる先生がやってきてしまった。
「皆さんおはようございます~。今日のお休みは堂ノ庭さんですね~」
やっぱり昨日のショックからか、朱音が休みだった。――これは俺が原因とみて間違いない。今日は隣に元気な朱音がいない一日になった――勿論、今日話がしたい俺はプリントや学校の宿題を届ける役にでる。名胡桃さんも一緒に行こうと気遣いをしてくれたがこれは俺と朱音との問題という事で気持ちだけ貰った。
俺はいつもの商店街を通り、家の前を通り過ぎて朱音の家に直接向かう。一時帰宅したら余計に心にブレーキが掛かってしまう。ここは壊れたように進まなくてはならなかった。――仮に帰宅して心が止まってしまってもニカエルがけしかけてくれると思うのだが今回だけは頼りにしたくなかったのだ。
朱音の家の前で立ち止まり、インターホンの前へと立つ。俺はボタンに指を添えるが……果たして呼び出しに朱音が応えてくれるだろうかと考えてしまった。そこでニカエルが前に立ってきて。
「ほら~私が押しちゃうけどいいの?」
「それは駄目だ! あっ――」
勢いで押してしまった。朱音の家に鳴り響くピンポンの音。確かに聞こえているはずなのに静寂に満ちていく。このインターホンはカメラ付きだ、どうせ顔を確認して居留守にでもしてるのだろう。自分はそう思って帰ろうとした。
ガチャ――
ちゃんとインターホンに応えてくれた朱音。玄関のドアを小さく開いて薄黄色の寝間着で申し訳なさそうな顔で俺と見合わせる。
「朱音? 今日の学校休んだろ? ほら、プリント」
「……中、入ってきて」
朱音はドアを大きく開けて中に招いてくれた。俺は小声で「お邪魔します」と幼馴染の家なのに縮こまっていた。朱音は家に入った後こっちに見向きもせずに部屋へと進んでいく。今日の朱音は優しくない。
「朱音」
「…………」
朱音は何も応えてくれなかった。無視されると流石に俺も心が痛い。そして途中に何の会話もなく部屋に入った。座布団を一枚雑に投げ置かれて「座って」とようやく喋ったのが命令形だった。俺は従い正座で座る。
「奏芽、プリント渡して」
「……うん」
俺はこの一言で気付き、顔を苦くした。――カナちゃんと呼んでくれなかったからだ。小学校から今まで朱音にカナちゃんと呼ばれていたのに、こうしてあだ名を途端に呼ばれなくなると寂しくなる。今回の朱音は今までと違って許してくれなさそうだ。俺は何も言わずに朱音にプリントを手渡そうとするが横取るように取られ今日の用が一つ終わった。
そして家に来てもう一つの用を済まそうと考えていたので、話をしようとするが――
「朱音、聞いて?」
「今日はもう帰っていいよ。これ以上あたしに用無いでしょ?」
「朱音――」
「帰れッ! ――奏芽、あたしが落ち着くまで会わないで……お願い……」
急に朱音は怒った後に悲しい顔を見せた。
自分は朱音の心を理解して部屋を出た。明日は朱音が来ても来なくてもいい。朱音が落ち着くまでは俺も会わないことにした。こういう時こそ刺激しない方が治りが早くなると言ったところだ。朱音が復活するその時までじっと待つことにした。
※ ※ ※ ※
それから一週間以上が経った。ずっとこの間朱音は学校に来なかった。――今回だけは何かが違った。
「本当に朱音ちゃんに会わなかったんだね」
「朱音がそう望んだから俺もそうしただけだ。いつか話せると思ってこうはしたんだけど……こうも音沙汰無しだと不安も感じるな」
何度かSNSの確認やプリントを届けに家に向かったりはしていたが、シーンとして居留守を使われる事が多かったからだ、でも役目は役目なのでポストにプリントを押し込んでちゃんと次の日には無い。みちる先生からも「風邪」と言われるばかりで特にそれ以外の情報が何も入ってこなかったから余計に不安だ。今日は土曜日だけど、流石に自分も黙ってはいられず朱音の家へと向かった。――と思ったが流石に何も持たずに家に上がるのは失礼だと思い、商店街のケーキを買ってから朱音の家へと向かうことにした。
「あら、貴方はいつぞやの――」
商店街の途中で神指さんと出会った。私服を目の当たりにして珍しい顔をする。
「あれ? 神指さん……今日は神社の巫女さんをやってるんじゃ?」
「今日は父が代わりにいるのでお暇を貰ってるんです。ふふ、巫女をやってる人が暇を貰うなんて変ですよね」
俺は顔を横に振る。
「別に、いつも働きっぱなしだからたまには運動しないとね」
「ありがとうございます。――そういえば、貴方はここで何を」
「俺は見舞いの物を……神指さんは?」
「私は、商店街じゃなくてこっちの街に用があるので来ました。こちらにお友達がいますからね」
ということで神指さんは本当にこの商店街に用がなく住宅街の方へと行ってしまった。――神指さんの私服もどことなく和を感じる服装でドキッと来てしまった。やっぱり、『女』の子の私服はいいものだ。
俺はドアを開けてケーキ屋さんに入った、ここはニカエルとも何度も入っているあのケーキ屋さんだ。――こっちは若いお姉さんが出て来る。
「いらっしゃいませ~……お、奏芽くん。どうしたの? 一人で」
「どうも――」
俺は一礼する。
俺はどうもこの人に対して苦手意識があるらしく会話に詰まりがでる。――早速、列に並んでいるケーキ達をしゃがんで見て選ぶ。が、お姉さんが横槍をグシグシと入れてくる。
「こっちのケーキはどう? それとも五号ケーキか先を見越してウェディングケーキ?」
「い、いや。このイチゴのショートケーキで……」
お姉さんはカウンターから出てきて俺の肩をガシッと掴んでくる。そして意識して胸を当ててくる。
「いいじゃん。奏芽が他のケーキも買わないと商売上がったり下がったりだよ? それともこのお姉さんを買う? 今なら大五枚でいいよ~?」
指五本を外に広げる。恐らく五万円で買えると言った所なのだろうが、それじゃ本来の目的に大幅にズレるので買わない。というか、買えないし買いたくもなかった。
「い、いえ結構です……イチゴのショートケーキだけで」
「もー昔は喜んでお姉さんに抱きついて来たのに今は意識も無いの? それとも朱音ちゃんに――」
朱音と言われて俺は口を噛む。
お姉さんは俺の苦い顔の表情を読んだか、顔をニヤつかせる。そして肩を掴むのを止めてカウンターに戻りケーキの箱にショートケーキの他にも入れてくる。
「季節の限定物と、イチゴのショートケーキ。それから朱音ちゃんが好きなケーキも入れておくね。ついでに今度お店で出そうと思ってる試作のマカロンも入れておくから。最近はマカロン流行りっていうじゃない?」
「お姉さん……」
「奏芽くんの気持ちはわかったよ! ワタシはただのケーキ屋さんで箱に甘い物を詰める事しか出来ないから――後はこのアイテムを使って奏芽くんが喜ばせるだけ」
俺はこの言葉に感激。
――この調子でおまけにしてくれるかと思ったらキッチリとお金は取られた。
……そこはおまけにする所でしょうよ、ケーキ屋さん。
「ワタシの店は商売上がったり下がったりだし、最近ケーキの材料費も高いしね~。ありがとうございました~♪」
「タダじゃないのね。ガックシ……」
自分は一応。一応、お礼をしてケーキ屋さんを出た。
――準備も整っていよいよ、朱音の家へと向かうときが来た。もうこっちはこれ以上待ってられないし早めだとは思うが時が熟した頃合いだ。自分も先延ばしにされるとモヤモヤが貯まる一向だから、次のステップへと進まなければならない。
「奏芽。顔硬すぎ、大丈夫だって――」
「そう思いたいけどな。いざ行こうってなると不安にはなるだろ」
「その時助けるのが天使の役目っていうものでしょ」
「天使その口から役目っていうか……全く、でも助けてきてくれたのは確かだし宜しくな」
「うん!」
ニカエルは元気よく答えてくれた。この答え方を朱音にもして貰えるように俺も今日努力しなければならない。――家に入って朱音に「出て行け」と言われるその時間が勝負だ。もしこの勝負に負けたら俺と朱音の過ごしてきた今までとは何だったのかと思ってしまう。――そう思われない為、思いたくないからこの勝負にでた。今回は確実性も、可能性も、成功率も低いと思うけど、今しかない。
俺と朱音の思い出を壊したくない為に――。




