9話 『男』としての決断『女』としての覚悟
外に出たのが午後一時ぐらいでラーメン屋に行って神指さんの神社に行ってレストラン行ったらもう夜だ。街灯が道を照らして商店街も店から漏れる光で明るい。賑わいこそは無いけど、ゆっくりとした空間で時間も忘れる。
もう外での用が無くなったし真っ直ぐに家に帰るだけ……最近の土曜日はこういう日常が続く。ニカエルの手には夜食用のケーキを持ってスキップで歩いている、かなり上機嫌だ。――ふと思ったけど、ニカエルの好物とは何なんだろうか? 色々とニカエルとは食べてきたけど、別に嫌いな物を言ってきた物は無いし、食べ物でお皿に避けた物も無い……甘いもので駄目っていうは無いし、苦いものでも食べさせてみようか。
商店街を抜けて俺はポケットから櫻見女の学生証を落としたと同時に体に悪寒が走った。――なんだろう、大事な物というか……もっと重いものを落とした感じがした。
「ティローン♪」
――振動、スマホが何かを着信した。
この陽気な着信音が恐怖に感じる。
余りにも悪寒とのタイミングが良すぎる。
その着信したSNSのメッセージを見て体に電撃が走る。
「名胡桃茉白:たすけて」
この悪寒の原因が分かった。SNSのメッセージで届いたこの一言「たすけて」で俺は体がこわばる。名胡桃さんが俺に助けを求めている。俺は震える指を抑えながら打ち返す。
「何処にいるの⁉ :唯川奏芽」
既読が付いて早く返信してこいと願う。
しかし電池が尽きて「シャットダウンします」のメッセージ。昨日から充電していなかったせいでここで電源が切れる。こんな一大事でスマホが使えなくなるとは一生の不覚。この町で名胡桃さんを探すと言ったら一苦労どころか二苦労三苦労するレベルだ。
「奏芽?」
その場で立ち止まっていた俺にニカエルは不思議そうな顔で見ている。
恐怖で声が出ないが、簡略で一番に伝わりやすい言葉を出す。
「ニカエル……名胡桃さん……名胡桃さんが危ない!」
ニカエルも普段とは違う顔を見せて俺に近づく。
なんで冷静でいられる?
なんで気持ちの余裕がお前にあるのかが不思議だ。
「奏芽なら……分かるはず。今までの茉白ちゃんの行動を思い返してみて」
行動を思い返す? 俺は名胡桃さん本人じゃないからそんな事は分からない。ニカエルも天使とは言ってる癖に何もしないのか。クソッ、今名胡桃さんが危ないっていうのに。
――いや、意外とニカエルの言葉は的確かもしれない……名胡桃さんの行動は単調に近い。今まで名胡桃さんと過ごしてきた時を思い出し、行動を思い返し、走り出した。
余裕は無いが一応と思い名胡桃さんの家へと向かってみる。その道の途中には名胡桃さんのような姿も無く、ますます焦りが出る。病み上がりとはいえ完全には治っているから必死に走る。
名胡桃さんの家には着いたが、名胡桃さんの部屋自体に電気は付いていない。俺はインターホンを押そうとしたが、俺は今の顔と今の性別じゃ赤の他人で取り次ぎは難しい。仮に中に居たとしても名胡桃さんのお母さんが対処するし……ということは名胡桃さんは外に居る⁉
――朝起きて、この道を通って商店街に行くはず。なんでそういう確信を持っているかというと朝には必ず名胡桃さんと通学するからだ。そして別に通学以外でも読書が趣味の名胡桃さんはお気に入りの書店、あの商店街の書店に向かうハズだから別の書店に向かうという事は無い。そもそも名胡桃さんの家に近い書店が商店街の書店だからだ。
とりあえず、その場で考える暇も無く商店街にまた向かう。
ニカエルはと言うと空から名胡桃さんを探していた。上空15mとはいえありがたい存在だ。
「ニカエル! 見つかったぁ⁉」
俺は空に向かってニカエルに聞いてみる。
「ここの周りにはいないみたい。次!」
「分かったぁ!」
ニカエルの連携をとって次の場所へと向かう。一刻も早く名胡桃さんを探さねば。
商店街には辿り着いたものの、俺がさっき通った時には名胡桃さんに近い姿の人も居なかったし書店にも居なかった、間違いなくここにはいない。――では一体何処に行ったのかと悩む。
「お、奏芽くん。夕飯にコロッケいかが?」
一人の重要な人物にカウンター越しから話しかけられた。
「おばちゃん!」
そういつもここでコロッケを売っているおばちゃんなら何か分かるかもしれない。
「おばちゃん、身長が俺よりも少し高くて髪の毛が真っ白な子知ってる⁉」
俺は手を使ってジェスチャーをする。少々わかりにくかったがおばちゃんはなんとなくわかったようだ。
「どうしたんだい血相を変えて? その子は平日の朝の日……奏芽ちゃんと通ってる姿と、水曜日と日曜日以外は夕方辺りにカバンを持って通るのを見るわよ。今日も通っていたわ」
カバン? ……塾! そうだ、名胡桃さんって塾通っていたんだっけ? という事はもう塾が終わってもいい時間だし、その途中で何かあったのか⁉
「おばちゃん、塾ってここらへんに何個あったっけ⁉」
「塾だったら、駅挟んだあっちの街に一個と駅沿いに一個と、奏芽くんのお家の奥じゃなかった?」
「ありがとう!」
俺はおばちゃんから離れて駅の方に走る。直ぐに特定が出来た。おばちゃんの話から言うとここを名胡桃さんが夕方に通るんだったら家の奥の塾には行かないだろう。そして海街の塾に通うなんて面倒だし絶対に行かないと思った。という事は駅沿いの塾で間違いない、そういう確信を持って走る。その道で名胡桃さんは助けを求めている! もう数十分は経っている。
駅沿いを走って名胡桃さんを探す。夜道でもあの白い髪は目立つし直ぐに見つかると思うんだけど――何処に居るんだ。というか駅から塾が遠い! この道であっているのかという不安も気持ちに入ってくる。全身にもう息が届いて無かったけど名胡桃さんの為だと思って俺は走る。
「奏芽! そこ!」
空からのニカエルの声を聞いて俺は指を差す方向を見る。
――居た。電柱の傍でぐったりとしている名胡桃さんの姿が見えた。
俺は近づこうとしたが足が止まってしまった。
……『ヤサニク』に発信してないから俺は『女』じゃない……! しかもスマホの電源が止まってるから転換も出来ない。周りを見てみると電話ボックスがあって駆け込み、財布を取り出して大量の小銭を落としながらも十円玉を入れ『ヤサニク』に発信する。震えるその手で取った受話器から聞こえた音声は――
「お掛けになった電話番号は現在使われていないか番号が間違っています。もう一度――」
やっぱりこの音声が流れた。
「クソッ」
受話器を投げ飛ばす。やっぱり俺のスマホからじゃないと転換が出来ない。――電話ボックスの外に出て様子を見るが未だに名胡桃さんの動きは止まったままピクリともしない。
俺は名胡桃さんには近づいて胸元に耳を当てる。……心臓は動いているけど本人は気絶をしているみたいだ。まだ冷える季節だしとりあえず俺が着ていたジャンパーを名胡桃さんの肩に掛ける。こういう時に電話が使えないのは不便だ!
「あの、しっかり……して……ください」
肩を叩いて反応を待つが……
「……」
何も答えなかった。
――クラスメイトなのに他人ぶらないと行けないのが憎い。俺は最低だ――でもこの『男』の状態じゃ仕方がないことだった。このまま名胡桃さんを冷やした状態にしてはいけない……名胡桃さん許して、俺は名胡桃さんの肩と膝を持ってお姫様抱っこの形を取った。
「奏芽! どうするの⁉」
「名胡桃さんの家まで行く。なるべく人が通らない道でな」
ここからじゃ遠いかもしれないけど、病院は駅からもっと遠い。救急車を呼んでも良かったかもしれないけど、そんな事は考えられなかった――名胡桃さんを持って家にへと行かなければという抑えられない自制心が出ていた。
※ ※ ※ ※
インターホンを鳴らして名胡桃さんのお母さんに事情を教え中へと入れてもらった。曖昧に中学の友人とはいったものの、娘さんを抱えて持ってきたからには誰とでも入れない訳には行かないだろう。
名胡桃さんのお母さん曰く、不定期になりやすい気絶で周期が分からない物だからこうして倒れる事が多いそうだ。――俺は名胡桃さんの部屋まで招いて貰ってソファに座っている。名胡桃さんはベッドの方で寝ている。
――俺はこの行動が間違いで名胡桃さんが目覚めなかったらと……そんな不吉な事を考えて唇を噛んでいる。もう運んでから一時間は経つからだ。
「奏芽のせいじゃないよ……奏芽のせいじゃ……」
隣でニカエルは慰めているけど、俺は時を刻む毎に不安と苛立ちの気持ちが増している。
「ニカエル――俺は、待つ事しか出来ないのか……」
床に顔を向いたままニカエルに話をする。
「目は覚めるよ、だからまだ……」
「うん――そう信じたいけど……もう時間が経ってるし――」
ニカエルは何かを言おうとしていたが口を閉じてしまった。心臓は動いていたんだ、名胡桃さんの小さな心臓はまだ動いている。だから待てって言いたんだろうニカエル。でも待ちすぎて俺はニカエルが思っている以上に俺は不安に包まれているんだ。
「……ぅは……あれ? 私の家……」
――その声を聞いて俺は安堵の声が出る。
名胡桃さん、目覚めてくれた。一時間と四十分……長かった。俺はソファの上で全身から気が抜ける。
「あなたは……」
名胡桃さんが質問してきたけど、どう答えればいいか悩む。
「――道で、君が倒れてるの見て……それで君の電話借りてお母さんに来てもらったんです」
「そう……でしたか……」
その通りの事を言って俺はソファから立ち上がる。
「それじゃ俺はこれで」
「あ――待って」
俺は帰ろうとしたのだが、名胡桃さんに呼び止められた。
「他にも何か用で?」
「近くに来てベッドに座ってくれません?」
俺は名胡桃さんに言われた通り、ベッドに座り傍で名胡桃さんの顔を見る。
「あの――顔、拝借してもらっても?」
「あ、はい」
顔を拝借とか普段絶対に言われない事を名胡桃さんに言われた。
何をされるかと名胡桃さんの顔を見ていたが名胡桃さんの手が俺の頬に当てられる。そしてピンクの絆創膏に指が沿う。
「その絆創膏――その位置その色、間違いない、失礼を顧みずに言います。唯川……唯川奏芽さん、ですよね?」
「…………」
俺はそう言われて名胡桃さんと目を合わせるのを止めた。そして覚悟をしたように顔を縦に振る。
……この絆創膏でまさかバレるとは不覚だった。
「ふふ――本当に奏芽さんなんだ」
でも名胡桃さんは驚く事もなく逆に笑っていた。どうして? クラスメイトでこの中『男』だって言うのに笑っていられる? 俺は覚悟を決めて言ったハズなのに逆に気が抜けてしまった。
「『男』の子なのに、『女』の子になれるんですね――どうしたらそんな事が出来るように?」
「名胡桃さん……驚かないんですか? 俺は元々の性別『男』なんですよ?」
そう言ったのに名胡桃さんは横に顔を振る。
「でも友達じゃないですか。唯川さんがどっちの性別でも友達は友達です。――あの、『女』の子になる魔法って見せられるんですか? 良かったら――」
俺は一度躊躇したが、もう唯川奏芽とバレている以上この魔法というのを教えざるえなかった。
「――うん、いいよ。充電器貸してもらえる?」
名胡桃さんに「どうぞ」と言われて俺は充電ケーブルをスマホに差す。
その間に俺は名胡桃さんと話をする。
「よく、分かったね。絆創膏だけで唯川奏芽って」
「……私が貼った物ですし、『男』の子がピンクっていうのもちょっとおかしいじゃないですか?」
俺は言われたその絆創膏をビッと剥がしてじっくりと絆創膏を見る。
……ただの絆創膏ではあるが特別思いのこもった絆創膏、『女』の子に初めて貼られた絆創膏だ。
「そうだね。――俺『女』の子っていう友達がそんなに居なくて。名胡桃さんにこれ貼ってもらった時とか、お弁当作ってきて貰った時とか嬉しくて……この絆創膏も剥がせなかった……」
剥がせなかった理由とか嬉しかった記憶とかも全部名胡桃さんに話す。ただ名胡桃さんは微笑んで相槌を打ってくれただけでこれも嬉しかった。この『男』として名胡桃さんと話してるのも嬉しかった。
画面を連続点灯出来るくらいに充電したスマホを持って『831‐2929』の発信準備をする。『男』としてバラすんだけど、まさか『女』になるのをバラす事になるとは。ニカエルはこれに関して
「『女』の状態から『男』をバラすのが条件なんだけど、『男』の状態でバレたりバラしても達成にするかな~」
急なルール改正で条件達成にしてくれた。
――今、名胡桃さんとの関係が、関係が悪くなったらどうしよう? 押す前、急に不安が伸し掛かる。俺は名胡桃さんの事が好きで嫌われたら……いや、それでも俺は名胡桃さんの事を信じていたからか無意識に「発信」のボタンを押していた。
服のサイズが合わなくなっていく。名胡桃さんの真面目の顔も見えた。いずれにせよクラスメイトの前で性転換をしなきゃいけないんだけど……。
――着信が終わった。完全に『女』の子になった。
「ほら俺……わたし、こういう事で……」
「……実質二人も、二人も私に友達が出来るんですね。何か変なんだけど面白くって、凄い魔法……」
名胡桃さんの目からまた涙が出ていた。
「い、いや――名胡桃さん、あの、泣かないで。泣きたいのはわたしなんだって……」
もう哀しみが出てきたり喜びが出てきたりで俺の感情も滅茶苦茶になっていた。
「ふふ……どうして、唯川さんが泣くんですか……」
「もう、嫌われたらどうしようとか。さっきまで名胡桃さん倒れてたし……本当は『男』ってバラすのも怖かったのにこうアッサリとしてるし――⁉」
どうしてこうも皆ってスキンシップをしてくるんだろうか。『女』の子っていうのは驚きの塊だな――思ってる事以上に。
「名胡桃さ……ん……?」
「私は、唯川さんが『男』の子でも、『女』の子でも恥ずかしがらずに抱き締めてあげますよ。だからどっちの性別でもまた遊びに来て下さい。歓迎しますから」
名胡桃さんの心の広さに感動し感謝する。名胡桃さんは抱きつくのを止めて――
「あの、また『男』の子になってもらえますか?」
『男』になってほしいと求めてきた。
「はい」
『ヤサニク』に着信してまた性転換『男』になる。男になった俺の顔を名胡桃さんはマジマジと見る、そんなに見られて俺は恥ずかしい。絆創膏の内側の治りきっていない傷以外に何も付いていないと思うんだけど。
「――小さい頃、私に話しかけてくれた『男』の子に似てる、もしかして……奏芽くん、なのかな?」
「……どうかな。もう古い頃の記憶なんてわかんないし……でも、会ってるかもね」
遠い記憶を脳裏から探ってみるが、やっぱり思い出せない事が多い。幼稚園は疎か小学校の時の記憶も無いに等しい。――名胡桃さんは顔こそ覚えているが、そこまでハッキリしている記憶でもなさそうだ。
「奏芽さん――もう遅くなるんでお帰りになってください。また『女』の子で通学しましょうね」
「うん……あと、誰にも言わないでくださいね? 櫻見女に行ってる限りは『女』の子で居なくちゃいけないんで」
「ふふ、分かってます。――それでは」
軽く手を振ってくれる名胡桃さん。
ちゃんと言わないと約束してくれた名胡桃さん、口は固そうだから安心だ。
部屋に出て直ぐに名胡桃さんのお母さんに感謝される。
「道端で倒れてるのを見てここまで運んでくるなんて、なんてお礼をいったらいいか――」
「俺はそんな大した事してないです」
と言ってお礼を求めなかったがお手製のドーナツを持たされた。それを受け取って一礼して家を出る。殆ど喋らなかったニカエルが口を開く。
「奏芽、条件達成おめでとう。意外な結末だったけど今期はもう大丈夫だね」
「うん……そうだね……」
「どうして……泣いてるの?」
「悪い――喜ぶべきだな。……すぅー……帰るか!」
「うん!」
夜九時半――
名胡桃茉白に『男』として正体を表し、ニカエルの条件達成。
その時の名胡桃茉白は驚く事も無く、唯川奏芽が『男』として『女』としても受け入れ、これからも友達として櫻見女を名胡桃茉白も唯川奏芽も通い続けるだろう――。
※ ※ ※ ※
月曜日。なんか櫻見女の制服を着るのが恥ずかしくなった。名胡桃さんに『男』としてバレたし、どちらかと言うとスカートを着るのが恥ずかしくなってしまった。この四月の平日中ずっとスカートを来てたのに――でもこのスカートを着なきゃ櫻見女には行けないから仕方ない。『ヤサニク』で性転換をして、ニカエルもスマホの中に入って登校準備完了。
階段を降りてお母さんに会う。勿論『女』の姿でだ。
「お母さん、行ってきます」
「ちょっと待った! いいの買ってきたから」
いいのを買ってきた? お母さんは俺の前髪を横に寄せ集めて耳の上辺りでパチンと何かを挟んだ。俺は玄関の靴箱横の鏡を見てみる。――髪留めだった、オレンジ色で小さめヘアクリップで俺に意外と似合う。
「前髪を挟んで止めても止めなくても良いけど、あるだけでも女子力アップ。さぁ――行ってらっしゃい」
お母さんに背中をひと押しされる。少し蹌踉めきながらも――
「行ってきます!」
元気よく外に出た。唯川奏芽、二人だけだけどちゃんと『女』として認められた! 俺は名胡桃さんが待っている商店街まで走った。
「奏芽! 元気ありすぎじゃない?」
ニカエルがスマホから出てきて宙に浮かぶ。
「そうかな? 何かを俺が縛ってたけど開放されたから気が軽くなったかな」
ニカエルも笑顔だった。次の学期まで自由でいられるから俺も約三ヶ月は気が楽。その後はまた誰かに『男』としてバラさないといけないんだけど――やっぱり重いかな。
「まぁまぁ、いつか耐性付くから大丈夫」
「そんな耐性付けたくない――」
俺は足取り軽く、心は重いけど商店街まで走っていった。
商店街の入口まで着いて名胡桃さんの姿を探す。今日は俺が走ってきてしまったから予定より早く着いてきてしまった。まだ名胡桃さん着いてないよね……。
俺はこの場に立ち止まって商店街の奥を見てみる。――こんなに狭かったかな。もう小さい頃からお世話になっていた場所なんだけど思い返して見れば朱音とも会ったのはここだったな。俺も朱音も何の帰りか分からないけど、朱音が泣いてて俺が手を差し伸べて一緒に帰った記憶がある。やっぱり幼い頃の記憶なんて曖昧だ。でも思い出すと少し微笑ましい――子供だったからだろうか。
「奏芽さん――」
来た。この話しかけられた相手が優しく包まれるような声は――
「名胡桃さん、おはよう」
いつも通り、ここでまた名胡桃さんに会えた。――いや、いつも通りじゃない。いつも以上に背筋がしっかりして煌めいていて白く整った髪が朝日で輝いて今は誰にも負けない可憐な名胡桃さんに会えた。
「土曜日――夢、じゃないんですね」
再度、名胡桃さんは確認をしてきた。
勿論俺の答えは――
「うん、俺は『女』だよ」
意識をして俺を付けて話した。
それに名胡桃さんは気付いて笑っていた。
「ふふ、面白い。改めると、面白いですね」
「そんな――恥ずかしいよ」
名胡桃さんの笑う顔も前と違って愛想とかでは無く心の底から笑っているように見えた。俺はその笑っている顔を見たい為に通っているようなものだし、もう名胡桃さんに隠し事はしていない。俺も本の話が楽しくなってますます名胡桃さんに打ち明けられた。色んな話が出来て名胡桃さんも楽しそうだった。
今まで名胡桃さんも友達というのが少なくて、表情も硬かったけど、今はちゃんとクラスの皆にも笑顔を振る舞っている。その姿に俺はちょっと嫉妬――名胡桃さんの笑顔は俺の物なのに! とは思ってるけど、これは名胡桃さんの大きな進歩だから良しとする。その様子を見るのも俺の楽しみの一つとなった。こうして見ると名胡桃さんのストーカーのように見えるが、俺はそれでも良かった。とりあえず隣に居るだけでも俺は良かった。
その後も名胡桃さんは誰にも俺が『男』と言う事も無く。不思議な一日が過ぎた。商店街で朱音と名胡桃さん一緒に帰ってるこの光景でも『男』とはバラさなかった名胡桃さんに感謝。ちゃんと俺を『女』の子として見据え、話を合わせてくれた。
いつものように商店街を通り終わると左右に別れる。
「それじゃ、シロちんじゃね~」
俺は朱音と一緒に手を振る。
「あ、奏芽さん。待って――」
と思ったが、俺だけが呼び止められる。俺は何かと思って名胡桃さんに近づく。
耳元で朱音に聞こえないように――
「ゴールデンウィークって空いてます?」
「え? 空いてるけど……」
「どこか遊びに行きません?」
デートの誘いだった。これは『男』として? いや、『女』として? それを聞いてみると。
「『男』として来て下さい。でも嫌でしたらどちらでも」
という嬉しい言葉が貰えた。勿論俺は誘いを受けて名胡桃さんは道角を曲がっていった。俺は朱音に向かって走る。
「なになに? 何を話したの?」
「え~? 教えな~い」
「うっわ、凄い嬉しそうな顔……教えてよ~」
「やだー」
朱音には教える訳には行かなかった。お前に教えたら「あたしも付いて行く!」とか言いそうだし、『男』としても『女』としても朱音には言えなかった。そう、ニカエルにも出てきてもらう必要性もなし、水入らずで俺は名胡桃さんとデートに出かける。
――もうゴールデンウィークが近いのか、曜日は気にしていたが、日にちは今日まで全然気にしていなかった。おれはスマホを取り出して予定を入れる。
「カナちゃ~ん、教えてよ~」
「うるさいな! 教えないったら教えない!」
「ブ~、ケチ~」
「ケチで結構!」
朱音もしつこいな、しつこい女は嫌われるぞ!
※ ※ ※ ※
夜になってもドキドキが止まらなかった。緊迫……というのだろうか、ニカエルは俺のスマホの中に居てスマホ内のカレンダーを確認していて既にゴールデンウィークの予定を知っていた。これにニカエルは「大人しくしてるから」と了承を貰った。これで完璧……現在は一緒に夕飯を食べてニカエルは上でぐっすりだ。完全に家に馴染んだな……お母さんもお母さんで順応しすぎなのでは? 同棲生活と聞いてお母さんは別にといった顔で日常生活をしていた。お母さんは何を勘違いしているのか? 俺は別にこの生活を望んでいる訳ではない。
「奏芽ぇ、ニカエルと結婚しなさいな」
「ば、バカッ! 俺はあんな偽天使と結婚したらどうなるのやらか!」
「イチャイチャするのも公認するから、孫も――」
「ふざけんなって! お酒飲み過ぎだ!」
リビングでゆっくりしてるとお母さんも冗談を言ってくる。いや、少し本気なのかもしれない。
俺はお母さんの次々と口から飛び出てくる冗談が嫌になってきてリビングを抜け出す。
部屋に入ってベッドの半分空いている所に滑り込む。
……相変わらずのニカエルの寝顔は可愛い。
俺も暫くは精神的に楽になるし、名胡桃さんとのデートもあるからこのままゆっくりと寝たい。後一時間ぐらいで寝れれば上等なんだけど、遠足前の気分以上に寝れない。
「んん~……奏芽♪」
ガシッと俺の体を掴まれる。夢の中でもコイツは俺の夢でも見てるのか? ついでに足も絡めてきて俺は完全に身動きが取れない……やれやれ、呆れた。絡まれながらも寝るとするか。




