第五話 トマト男爵
「やったって何を」
「『rector8910』と組んでたんだろう?」
「組んでないわよ」
ゴスロリさんは一切の迷いなく、そう言い切った。
木々から落ちた枯葉を踏み越え、所々に転がっている拳大ほどの石に躓かないように注意して走りながら、俺は再び尋ねた。
「それで――幾らぐらい儲かったんだ?」
「やってないって言ってるでしょう。私は無実よ」
「本当に?」
「本当に」
「それじゃあ、塩トマトを売った金はどうしたんだ?」
「受け取ってくれる人にはちゃんと相応の分を渡したわよ。受け取ってくれない人の分は私の倉庫に仕舞ってる。誓って言うけど1シリカだって使ってないわ」
そもそも、と前置きしてゴスロリさんは話を続ける。
「ほとんど城に帰っていなさそうな貴方がどこまで把握しているのか知らないけれど、今私を『rector8910』の共犯者と見ているプレイヤーは少数よ」
「そうなのか? 充分怪しいと思うが」
「だからよ。あからさま過ぎるもの。ちょっと考えれば分かることよ。『rector8910』が塩トマトに支払った金を、私が仲間に分配して、もし皆が受け取っていたら、私が『rector8910』と組むメリットはゼロになっていた。逆に皆が受け取らずに私にお金が残っても、私の評判は地に堕ちる。そんな状態になるのが分かっていて、『rector8910』と組む理由なんて私にはない。まぁ『だからこそ裏をかいてるんだろう』なんて邪推するプレイヤーもいるのは確かだけど、そんなの少数よ」
それはそうかもしれない。考えの浅い子供なら分からないが、もしゴスロリさんがそれを考え付いたとしても、実行するとはとても思えない。似たようなことをやるとしても、もっと上手くバレないようにするだろう。例えば――。
「ところで貴方、『rector8910』って呼んでるけど、知らないの?」
「ん? 知らないって何を?」
思考を中断し、ゴスロリさんの問いの意味を尋ねる。
「『rector8910』を『rector8910』と呼んでいるプレイヤーは、もうほとんどいないわ」
「どうしてだ?」
「長ったらしい名前だからね。呼びにくいし。だから皆あだ名を付けたのよ――『トマト男爵』ってね」
ゴスロリさんが表情を歪ませながら言った。その目からは憎しみの念がありありと見て取れ、口からは今にも歯軋りの音が聞こえてきそうだ。
「『トマト男爵』? どうしてそういう呼び名に?」
「アイツが私たちの育てた馬車七台分のトマトを納品して得た貢献値は、そのボーナス分も含めれば――『男爵』の爵位を得られるのに充分な貢献値だからよ。だから『トマト男爵』」
なるほど、現実世界での船成金のような呼び方と同じようなものか。
「でも、実際には男爵にはなっていないんだろ?」
「まあね。もし男爵になっていたら自分が『rector8910』だと他のプレイヤーに吹聴するようなものだし」
爵位を得るための必要貢献値は膨大だ。実際、関東エリアで男爵の爵位を得たプレイヤーは今までで二人しかいない。子爵以上はゼロだ。それほどに爵位を得ることは難しい。そして、爵位を得た瞬間に自分のキャラクター名がプレイヤー全員に公表される。隠し通すことは不可能だ。
目の前に巨大な岩が見えてきた。あれを左に曲がり、右手に崖が見える位置まで移動すれば、エリア北東端まではあと僅かだ。ゴスロリさんと合流してから、道中数匹のモンスターを見掛けたが、エリア中央に生息しているデグルと違って、東側に生息しているモンスターは足が遅いので気にせず走り抜けている。
「もう少し、後三分ほどで着く」
「そう。ところでその前に一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「さっきも言ったけど、私は『エイルマーの王冠』さえ手に入ったらいいの。だから、もし、私が城までの道のりで死ぬようなことがあったら、私の白袋を貴方が持ち帰って頂戴。『王冠』以外の中身は全部貴方にあげるわ」
薄々「そういう提案だろう」とは予想していた。でなければ、わざわざ『エイルマーの王冠』のことなど話題に出さないだろう。
「本当にもらえるのか?」
「トマトの神に誓ってもいいわ」
なんだトマトの神って。大戸惑子神か? 大戸惑女神か?
「分かった」
『マハーカーラの白袋』の口を縛る紐は基本的に所有者しか解くことが出来ない。もしゴスロリさんが倒れて俺が白袋を引き継ぐことになっても、城でゴスロリさんに解いてもらわない限り、俺がその中身を手に入れることは不可能だ。問題はその時に本当に中身をもらえるのかということだが、おそらく大丈夫だろう。嘘を付いているようには見えない。もし嘘だったとしても、大して重くもない荷物を一つ追加で運ぶだけだ。
右手に崖が見えてきた。このまま大きく回り込むようにして、あの下に行けばあとは目標の場所まで一直線だ。
「見えたぞ。あそこだ。あいつらもいる」
俺は一度足を止め、崖の上から前方下、距離にして500mほど先の場所を指差した。こちら側に比べて木々が大分少なくなったその場所、まだ少し遠いせいで顔はハッキリ見えないが、地べたに座っている三人の姿が確認出来る。――三人?
(あと一人はどこだ……?)
もしかしてあれは別PT? いや、それはない筈だ。わざわざこんな日、こんな時間、こんな場所にいる物好きがいるわけがない。
「――ふぅっ、一人足りないわね」
俺の横に並ぶようにして、三人の方を見ながらそういうゴスロリさん。やはり話しながら走るのは多少疲れたのか、少し肩で息をしている。
「一人脱落したのかもな」
「まさか」
鼻で笑うようにゴスロリさんは否定した。
「……そういえば、マリーさん」
「マリーでいいわよ。余り年齢変わらないでしょうし」
やはりこの人は大人だったらしい。まぁ、そうでなければ大人プレイヤーも大勢いる栽培班のリーダーなど務められなかっただろうが。
「目と目を合わせれば、大体ソイツのことが分かるんだろ? あいつらはどんな奴らか分かったのか?」
思えば、この人がトマトを全員に直接手渡していたのは、それを知るためでもあったんじゃないだろうか。もしそうだとすれば、中々抜け目のない女性のようだ。
「そうねぇ」
目を細めるゴスロリさん。
「――皆一癖二癖ありそうな子たちね。特に、あの双子の片方の子には気をつけたほうがいいと思うわ」
「片方? それはど」
っちか、と聞こうとした時、
地面が揺れた。
「……来やがったな」
あともう少しで到着するということで少し気が緩んでいたようだ。悠長に話している場合ではなかった。
「仕方ない。降りるぞ」
「え、降りるって?」
連続的に続く振動を感じ取り、少し怯えた表情を見せていたゴスロリさんが、次にそれを怪訝なモノに変えて俺を見た。
「言葉通りだ。この崖を飛び降りる。ここから崖下に回りこむ道は実は結構長いんだ。辿り着くまでに追い付かれる可能性がある」
俺は右手を前に出し、中指を薬指に添えるようにして、親指と薬指を勢いよく擦った。親指中指でやる指パッチンの薬指パターンだ。大して音は出ないが、動作そのものに意味があるので問題はない。
右手の中に出現したポーションをしっかりと掴む。器はゴスロリさんが出現させていた赤ポーションの物と同じだが、中身が違う。
「しょ、正気?」
中には緑色の液体が入っている、俗に緑ポーションと呼ばれるものだ。ちくしょう、高いのに。とんだ出費だ。
「三階建ての校舎ぐらいあるわよ?」
崖から身を乗り出して下を確かめるゴスロリさんを尻目に、俺は自分の靴と左手にそのポーションの中身を振りかけた。
「ほら、お前も」
もう一度親指と薬指を鳴らし、同じ物を取り出してゴスロリさんの靴と左手に振りかける。
「きゃっ! 冷たい!」
ゴスロリさんの正確な実年齢が幾つかは知らないが、もし俺と同じ年齢だとしたら正直「きゃっ!」はないと思う。
「おい、動くな」
「そ、そんなこと言ったって」
かけた時に動かれた所為で中身の三割ほどが地面に落ちてしまった。勿体無いのも確かだが、効力が落ちる。
「…………まぁ、大丈夫だろう」
「何か間がなかった!?」
少なくとも『俺は』大丈夫だ。
「降りるぞ」
「で、でも」
振動はますます強くなっている。地面に足を着けて立っているだけで、手の指先が揺れるほどだ。本当に時間がない。
「降りたくないのなら、ここでズラトロクにやられればいい。ないとは思うが、絶対に『倒すな』よ」
心中に付き合うのはゴメンだ。
「降りないのなら 袋だけ寄越せ。持って帰ってやる」
左手を差し出すが、ゴスロリさんは動揺した様子で俺の目と手に交互に視線を送るだけだ。
「好きにしろ」
崖先に足を運び、下を見る。クッションになるような物はないが、岩やモンスターなどの着地に邪魔なモノもない。これならいけそうだ。
「じゃあな」
振り返りもせず、崖から飛び降りる。
視界から見える風景が急速に変わっていく。速度の変化を意識しないと『飲み込まれそう』だ。
自転車を漕ぐ時と、高速道路で自動車を走らせる時の感覚が違うように、速度の感覚を意識しないと着地は上手くいかない。「軽いだろう」と思って持った物が、予想より遥かに重かった時に腰にダメージがいくことがあるように、着地時にどれだけの衝撃が足に来るかを予想することも大切だ。
風が耳介の中で渦を巻いているかのように音を立てる。バンジージャンプやスカイダイビングでもしない限り中々味わえない感覚だ。
地面が迫る。
慌てず左手を身体の左斜め前に、右手を腰の右付近に持っていく。左手は顔を地面に打ち付けないため、右手は腰を痛めることがないようにするためと、右半身に伝わる衝撃の分を速やかに左半身に移すためだ。両足は若干曲げ気味にする。若干だ。脹脛と太股の裏側が密着するぐらいまで曲げると、衝撃を殺しきれない。とはいえ、直立の体勢だと、次に取るべき動作に支障が生まれる。取るべきはその中間だ。
息を止め、着地に備える。
まず、靴の爪先が土に触れた。コツは、この時の衝撃を他の部分に分散させようと思わないこと。現実でやれば膝が砕けるだろうが、この世界では緑ポーションが衝撃を緩和してくれる。本能に逆らう行為なので、実はコレが結構難しい。だから着地が下手な人間は身体の大部分に緑ポーションを振りかけ、前転などを行って衝撃を殺そうとする。
緑ポーションも、その出来によって衝撃緩和率に差がある。俺が使った物は値段が張る分、かなり出来の良いシロモノだ。
とはいっても、流石にこの高さから飛び降りる衝撃を両足の靴裏だけでは殺しきれない。そのために左手にもポーションを振りかけたわけだ。
残った衝撃を殺すために、即座に左手を突き出すようにして地面に触れさせる。間違っても前転はしてはいけない。俺は身体全体に振りかけていない。視覚的には無事に思うかもしれないが、それを行えば大ダメージを受けることは経験済みだ。
「……ふぅ」
腰から下に少し重い感覚があるが、大したダメージもなく無事に着地を終える。
「……あぁ、そういえば」
膝を曲げた体勢のまま、上半身を少し後ろに捻じるようにして崖上を眺める。
「左手で良かったのか?」
俺は着地の際に左手を使うが、逆に右手を使うプレイヤーもいる。もしゴスロリさんが飛び降りることを選択した時、右手を使えばおそらく死ぬ。
「……まぁ、いいか」
その時は白袋を持ち帰ればいいだけだ。
「お」
崖上から跳ぶ人の姿が見えた。
「おお……飛び降りたか…………あ?」
こちらに降りてくるにつれ、その姿が俺の視界の中でグングン大きくなってくる。そして、だからこそ、それが分かった。このままでは、その人物の着地点は『俺』だ。
「なんで俺の所に飛び降りる!?」
今の体勢の所為もあるが、予測していなかったこともあり、急に避けることは出来そうにない。
「クソッ!!」
咄嗟の判断で、俺自身の『マハーカーラの白袋』を上に掲げ、両手でそれを支えた。白袋を支える手は左手が先だ。靴も含めて緑ポーションの効力が残っているかどうかは微妙なところだが、少しでも可能性を上げなければならない。
ほぼ同時に、白袋を通じて強烈な衝撃が伝わってきた。味わったことのない真上からの衝撃に、一瞬意識が飛びそうになる。
当たり前のことだが、白袋と左手では衝撃は殺しきれなかったらしい。両手は言うに及ばず、頭部にも足先にも衝撃が伝わっているのが分かる。このまま受け止め続けようとすれば間違いなく死ぬ。
身体全体に掛かる衝撃を受け流すように、白袋をその上に乗った人物ごと無理やり右手方向に投げた。いや、その重さの所為で、投げたというより地面に引きずり落としたという方が正しいかもしれない。
最悪だ。これで生き残ったとしても『アレ』が来るかもしれない。
白袋が地面にぶつかる音に遅れて、重い何かが地面に接触する音が聞こえた。飛び降りた人物の着地音だろう。二、三度音が続いたことから考えて、無事に済んだわけではないようだ。クソ、死んでればいいのに。
ふらつく視界の中、腰と足を土に着けた体勢の状態で、右手の親指と小指を擦り合わせて青ポーションを取り出し、口に含んだ。言うまでもないが、青ポーションは生命力回復効果がある。
「はぁっ、はぁっ……」
何とか生き残った。
このままゆっくり休憩したいところだが、それをしていては、飛び降りてまで行ったショートカットの意味がない。
傍に落ちている白袋を掴み、胸元に寄せる。
(……赤?)
袋の口を縛っている紐が赤色だった。俺の紐の色は青色の筈だ。
まだ重さの残る身体を起こして探そうとしたところ、
「貴方のはこっち」
その女の声と共に、青色の紐で縛られた袋が俺の左手方向から差し出された。
「このヤロウ……」
ここに来るまでの会話の中で、他人を犠牲にするような卑怯な行為は取らない女だと勘違いしていたが、そもそもそんな人間がズラトロクの巣に宝を盗みに入るようなことはしない。或いは俺が男だったからかもしれないが、どちらにせよ油断出来ない人間のようだ。
座ったまま、差し出した相手を睨み付ける。
「怒らないでよ。最後まで受け止めてくれなかった所為で私も痛かったんだから」
「ぶっ飛ばすぞ」
どう考えても俺の方が被害者だろう、と言いたかったが、こういう問答で女が涙を流さずに引いたところを見たことがないので、深く追求することは諦める。ただし、次に似たようなことがあったら、絶対に見捨てると心に誓う。
俺は自分の白袋を引っ掴むようにして取り戻し、代わりに右手にある白袋をゴスロリさん――いや、もう『さん』付けするのも腹が立つ――マリーの胸元に押し付けるようにして渡した。
「行くぞ」
怒りを出来るだけ抑えて立ち上がる。
心情的にはロープで木に括り付けてズラトロクに喰わせてやりたいが、その道具もなければ暇もない。それに、マリーはまだ『ラハブの亜麻束』を3束持っている筈だ。それを利用し終えるまではこれ以上感情的になることは得策ではない。
「あ」
マリーがそんな声を出したので、彼女の方に視線を向けてみると、
「ほら、あれ」、
マリーが指差す方――真上を見ると、
「とうとう尻に付かれたか……」
其処には、覗き込むようにして俺たちを崖上から見下ろしている『ズラトロク』の姿があった。