第四話 一人目
ヴォジャノーイ。
ゴスロリさんの正体を知るには、このFOEから語る必要がある。
ヴォジャノーイは水の中を自由に移動するFOEだ。その水量に応じて強さと大きさを変える。加えて、ある程度なら陸の上も移動出来る厄介なモンスター。
コイツの生息場所には塩の成分を多く含んだ川が流れており、南が上流で北側が下流、地図で言えばF8からF3。F3には広大な湖があり、ここでヴォジャノーイの戦闘力は最大になる。
多くのプレイヤーはヴォジャノーイが弱い状態である、川にいる間に倒そうとしたが、その度にヴォジャノーイは北の湖へと逃げた。そして周囲のプレイヤーへは勿論、左隣のエリアである城をも口から放つ巨大な水鉄砲で攻撃、城壁に損害を与えた。
通常、エリアは白い霧のようなもので区切られているが、城の周囲8マスだけは、その区切りがない。言うなれば9マスで一つのエリアというわけだ。それでは分かりにくいので、プレイヤー同士で会話をする時には一つ一つ分けて話すことが多いが。
結論として、ヴォジャノーイは討伐された。
方法は簡単、湖に追い込んだ後、これを干上がらせたのだ。
そのために使われたのは、たった一つの水門と、川の上流に棲む精霊への供物。
この二つの方法で川を堰き止めた後、ヴォジャノーイに大量の水鉄砲を使用させ、湖が干上がり弱体化したところを倒したのだ。
ちなみに水門は『ヴォジャノーイ討伐クエスト』と共に、NPCから渡されたレシピから、大勢の生産者の手によって作られた。
ヴォジャノーイ討伐後、この水門をどうするかをプレイヤーたちは話し合った。
水門を作るだけなら貢献値は必要ないが、これを設置、維持し続けるのには結構な量の貢献値が必要になる。それを使用した上で、わざわざ川と湖を干上がらせ続ける意味があるのかと、多くのプレイヤーが意見を纏めようとした時、一人の女性プレイヤーが異を唱えた。
「あの湖の土地を貸して頂戴。あそこで素晴らしい作物を育ててみせる」と。
――塩トマト、というものがある。
これは、塩分を含んだ土地で栽培されたトマトのことだ。干拓地などでよく作られる。糖度が高く、その甘さはフルーツに匹敵するらしい。
異を唱えた女性は、その湖の跡地で、この塩トマトを作ると言い出したのだ。
他の人間が言えば、「馬鹿な」と一笑されたかもしれないが、この女性はこの時、既に他の土地でトマトを栽培しており、しかもそれは他にトマトを栽培しているプレイヤーたちの物よりも遥かに高品質だった。
水門維持と湖跡の土地を借りるための貢献値、モンスターが入り込んでこないための特殊なアイテムの費用、栽培する人間と精霊に供物を捧げ続けるための人手など、様々なことが話し合われた。
そうして、一つの結論が出た。「湖の土地の十分の一を借りて、試しにトマトを栽培してみましょう」と。
こうして異を唱えた女性プレイヤーが先頭に立ち、多くの生産者プレイヤーと共に、彼女たちは湖の跡地でトマトの栽培を行った。
唯一の問題は、塩分を含んだ土地だけで本当に塩トマトになるのかということだった。海水は塩分だけではなく、大量のミネラルなどを含んでいる。塩の湖もそれを含んでいたかは誰にも分からなかった。
だが、可能性は存在した。
城では『納品クエスト』というものを定期的に発行しており、普通に育てるだけでは到底作ることの出来ない糖度が高いトマトが、それに載っていたことがあるからだ。それが発行されるということは、それを育てる手段も必ずある筈だった。
初めての収穫の時、栽培に協力していたプレイヤーの多くが集まり、不安半分期待半分の面持ちで城へと一緒に納品しに行ったという。
結果として、そのトマトは塩トマトとして『納品クエスト』で合格を貰ったらしい。
育てた人間たちはこの結果を他の大勢のプレイヤーに報告、「それなら大丈夫」と残った湖の土地全てを借り上げ、新たに栽培に協力するプレイヤーを増やし、塩トマト栽培は順調に進んだ。
『納品クエスト』の更新は一週間に一回。初めに納品してからしばらくはリストに載ることはなかった。
だが、新たに育て始めた塩トマトの収穫の日が近くなった時、その名前が再びリストに載った。
「一週間の余裕があるんだし、ある程度纏めて納品しに行きましょう」
と、リーダー格の女性が言い、これに他の栽培プレイヤーも賛同した。
流石にリストに載った当日すぐに納品出来るほどに育った塩トマトは少なかったのだ。育てる土地が広い分、苗を植える日も違い、成長速度もそれぞれに違った。
とはいえ、全てが高品質に育つまで収穫を待っていれば、一番早く成長したトマトの品質が下がってしまう。
リストが発行されてから三日目、リーダー格の女性が「ひとまず今育ちきったトマトを納品しに行きましょう」と提案した所、複数のプレイヤーからこんな声が飛んだ。
「今日の収穫分は納品ではなく、売りに出しませんか?」と。
納品クエストは貢献値は多目にもらえるが、反比例するように金は少ししかもらえない。
栽培するには貢献値だけではなく、金も大量に掛かる。また、栽培に関わっていたプレイヤーの中には貢献値よりも金の方が欲しい人間や、どちらも半々ずつくらい欲しい人間も多数いた。むしろ貢献値だけを求めるプレイヤーの方が少数だったらしい。
「分かったわ。それじゃあ今日の分は市場で売りに出しましょう。その代わり、次に収穫する塩トマトの分は納品に充てるということにしましょう」
こうして意見が纏まり、第一次収穫分は馬車で運ばれ、城の中で売りに出された。
プレイヤーが他のプレイヤーに何かを売る時、選ぶ手段は大きく分けて二通り。
『市場』と『露店』だ。
露店は所有権が定まっていないアイテムを、プレイヤー同士で直接売り買いする方法だ。所有権が定まっているアイテムを売買することは出来ない。
市場は所有権が定まっていないアイテムでも定まっているアイテムでも売り買いすることが出来る。ただし、直接商品を皆に見えるところで売るのではなく、担当NPCに預けて売れるのを待つ形になる。つまり、NPCに代理で売ってもらうわけだ。預けたアイテムはデータとして処理されるので、目に見える形では残らない。もし、売れ残ったり、やっぱり売りたくないと途中で販売を止めたい場合は、ちゃんと実物を返してもらうことが出来る。
市場に出されたアイテムは、プレイヤー個々のシステム画面で購入することが出来る。直接NPCや売り主のところに行かなくても買い物が可能というわけだ。
市場の方が便利ではあるが、市場での売買には税金、売る側の場合は加えて手数料も掛かる。
自分の足で回る時間と労力が掛かり、売主とコミュニケーションを取る必要はあるが、安く済ませられる露店。
城郭都市の中であれば、どこででもシステム画面から気軽に購入出来るが、割高な市場。
この時、栽培プレイヤーたちが選んだのはNPCに預けて代理で売ってもらう『市場』の方だった。
理由は二つ。
一つ目は、運びこんだ塩トマトは馬車七台分、これを一人一人に売れば、大混雑が起きる可能性があったから。
二つ目は、トマトを個別に包む袋を用意していなかったから。
購入した人間は、それをシステム画面のインベントリに直ぐに入れられるわけではない。インベントリに入れられるのは、自分が所有権を持つものに限られる。もし、トマトをインベントリに入れたいのであれば、別のNPCのところまで持って行き、所有者登録の手続きを済ませなければならない。勿論金が掛かる。
普段料理屋を開いているプレイヤーは自分で買い物籠を用意しているが、他のプレイヤー、特に冒険者たち全員が持っているわけではない。『マハーカーラの白袋』があれば別だが、とある理由で冒険者たちは城郭都市にいる間にこの袋を携帯することは少ない。
そんなプレイヤーの一人一人が5個6個と注文したら、絶対に地面に落とすプレイヤーが出る。そして混雑の中、塩トマトを踏んでグチャグチャにしてしまう人間も。
「私たちが大事に育てた塩トマトにそんな風にはなってほしくない」と、栽培プレイヤーたちは混雑の起きない『市場』の方を選んだのだ。
市場担当NPCの元まで七台の馬車を運び、次にぶつかった問題は「幾らで売るか」ということだった。
この世界の通貨単位はシリカ。
通常のトマトは市場では75~90シリカで売られることが多い。塩トマト以前の最高品質のトマトで110~130ほどだ。
「足元を見ているとは思われたくない。けれども、塩トマトは通常のトマトを育てるよりも遥かに労力とお金が必要なのも事実」「下手に安く売れば、次からはその値段が基準とされるかもしれない。そうなれば、もし不作になった時、値上げすればどんなことを言われるか分からない」
栽培プレイヤーたちは意見を出し合い、悩み、そして結論を出した金額は『230シリカ』だった。
通常のトマトの三倍近い価格。文句は出るかもしれないが、採算や不作を含めた不測の事態を考えると、ギリギリのラインだった。
「この値段で果たして本当に売れるだろうか」という不安な空気が満ちる中、リーダー格の女性は手際良く手続きを済ませ、他の栽培プレイヤーたちの輪の中に戻った。
早速システム画面を呼び出し、出品した塩トマトの売れ行きを確かめる女性。そしてそれを取り囲むようにして画面を眺める他のプレイヤー。
「そんなに直ぐ売れることはないでしょうから、皆も落ち着きなさい」
と周りのプレイヤーに微笑んでから、彼女が画面を見ると、なんと自分の出品した商品がなくなっていた。
「あれ? そんな筈はない。確かに出品した筈」と再度確認するものの、『出品中』の商品はやはり一つもなかった。
周りのプレイヤーからどよめきが起こった。
「おかしい」「なぜ」「どうして」「不具合?」「数が多すぎたから?」
プレイヤーの一部が、自分でシステム画面を呼び出して検索してみたが、やはりそこにも塩トマトの出品物は載っていなかった。
混乱が更に勢いを増そうとした時、一人のプレイヤーがこう言った。
「もしかして、全て売れたんじゃないですか?」
どよめきが収まり、数秒の沈黙が流れた。
「そんな、まさか……まだ出品して二分も経ってないのよ?」
リーダー格の女性が、出品物ではなく、売り上げを確かめる項目へと指を這わせた。すると、
「……え?」
全ての塩トマトが購入されていた。しかもそれは、
『ただ一人のプレイヤー』によって。
そのプレイヤーは『rector8910』というIDネームだった。
IDネームとは、キャラクター名とは別に、プレイヤーが自分に付ける名前だ。英数字でも平仮名でもカタカナでも何でも良いが、キャラクター名とは違い、他のプレイヤーが使用しているIDネームと同じ名前を付けることはできない。
『rector』、英語で教区牧師、修道院長、学長の意味を持つこの人物が、塩トマトを買い占めたのだ。出品してから二分も経っていない間に。『馬車七台分』の塩トマトを。
「もしかして……買占め?」
リーダー格の女性が呟くと、彼女の後ろから「私この人知ってます」と一人の女の子が声を上げた。
「この人、転売屋なんです」
女性が尋ねる。
「転売屋って?」
「値上がりそうな物なら何でも根こそぎ買い占めて、市場で高くなった時に売りに出すことで差額で儲けてる人たちです。中でもこのレクターって人は、その転売の規模がとても大きくて有名なんです」
女性が困惑した顔を見せる。
「ということは……」
「はい……やられましたね」
完売自体は喜ばしいことだが、それが転売目的で購入されるというのは、生産者にとっては決して喜ばしいことではない。「自分たちが作ったものを美味しく食べてくれる人に買ってもらいたい」という気持ちを蔑ろにされるのと同じだからだ。結果として転売屋が市場にトマトを流し、そのトマトが他のプレイヤーの口に入るという結果は同じであったとしても、心が納得出来るものではない。
「この人が誰かは分からないの?」
「IDネームですから……ムリですね」
他人のIDネームが分かるのは、そのIDネームを付けた本人と、そのフレンド、そして運営だけだ。そして『rector8910』とフレンドになっている人間はその場にいなかった。
「誰か、『rector8910』という人とフレンドになっている知り合いはいない?」
女性のこの質問にも、やはり明確な答えを出せる人間はいなかった。
嫌な空気が満ちていく中、女性はパンッ!と両手を打ち合わせて大きな音を立てた。
「今回は諦めましょう。そして今度から売る時は露店で売ることにする。皆は、露店で売る時に必要な物や、トラブルが起きそうな要因を考えておいて」
「はい!」「分かりました!」「次は絶対同じことはさせません!」
気持ちを切り替え、次の指示を出す女性に感化された周りのプレイヤーたちが強い返事をし、陰鬱とした空気は消えていった。
女性はそれを見て微笑み、ひとまず塩トマトの売り上げを全員に公平に分配しようとしたが、「『rector8910』のお金を個人で使うのは躊躇われます」「でも、無駄にするだけの余裕がないのも確かだろ?」「それなら塩トマトの栽培費用に全額充てない? それで『rector8910』を見返してやろうよ」「そうだ、このままじゃ塩トマトが転売の道具ってだけで終わっちまう。負けっぱなしなんて冗談じゃない」「『rector8910』のお金でって言うのは気に食わないけど、これを使わないとタダで塩トマトをくれてやったのと同じになる」という考えが纏まり、売上金は全額、次の塩トマト栽培の時のために取っておかれることになった。
「今栽培している分は、全て納品に充てましょう。そうしないと、土地が維持出来ないでしょうから。お金の分配はかなり先になりそうだけど、もしどうしても必要になったら私に言って頂戴。このお金とは別のお金を私が必ず用意するわ。さぁ、明日からまた頑張るわよ!」
女性の気合の一声に、全員が強い賛同の意を示し、その場は解散という運びになった。
これで終わっていれば、逆境にめげないプレイヤーたちという良い話になっていた。『これで終わって』いれば。
湖跡で栽培されている残りの塩トマトが、上流からの激しい水流によって全て押し流されたのは、日付が変わった未明のことだった。
上流で水門によって今まで溜め込まれていた水の全てが湖へと流れ込み、塩トマト畑が壊滅状態に陥ったのだ。幾つかのトマトは水に浮いているところを回収されたが、その多くは押し流された際に傷付き、皮が剥がれ、納品出来るほどの物はほとんど残っていなかった。
続々とログインしてくるプレイヤーたちは、その惨状を目の当たりにして絶望の顔を見せた後、上流の水門があった場所へと足を向けた。何が起きたのか調べるためだ。
水門は破壊されていた。
大きな爆発があったかのように、水門の周りの地面には大きな窪みが出来ていた。それは明らかに特定のプレイヤーの手によるものだった。
城では『一体誰がやったのか』の話題で持ちきりだった。大事件なのだ。それも無理はなかった。栽培に関わったプレイヤーも、そうでないプレイヤーも、犯人が誰かを探し当てようとした。
そうした中、あるプレイヤーが大声を出しながら都市内を走り回った。
「塩トマトが納品されたぞ、それも大量に!」
それを聞いたプレイヤーがリストを確認すると、確かに大量の塩トマトが納品されていた。
それを納品していたのは『rector8910』だった。
もらえる貢献値は納品する数の多寡で変わるが、これとは別にボーナスで貰える分もある。このボーナスは、全プレイヤーが納品した総数の中で、自分が納品した数が多ければ多いほど貢献値がもらえるというシステムだ。例えば自分以外のプレイヤーが納品した数を全て合わせて100、そして自分が納品した数を200とすると、ボーナス分として定められた貢献値の三分の二を自分が手に入れることが出来るというわけだ。
そしてその時、纏まった数の塩トマトを納品出来たのは、『rector8910』だけだった。
塩トマトの納品で手に入るボーナス分の貢献値を、『rector8910』がほぼ独り占めしたというわけだ。
こうなると、水門を破壊したのは『rector8910』なのではないか、という疑いが出るのも自然なことだった。
広場に大勢のプレイヤーが集まり、『rector8910』の正体について話し合いが行われた。
だが、その正体を知る人間は誰もいなかった。全プレイヤーの誰一人として、『rector8910』とフレンドである人間はいなかったのだ。
ここで、あるプレイヤーがこう言った。
「もしかしたら、塩トマト栽培を指揮していた人間は『rector8910』と繋がっているのではないか?」
栽培班のリーダーである女性は即座にこれに反論した。
「そんなことをして私に何の得があるって言うの!」
「リーダーだからって、個々に報酬を分配すれば、自分に残る金は微々たるものになるのでは? それなら『rector8910』と組んで、儲けを『rector8910』と山分けしようとしてもおかしくない。実際貴女は初めに収穫して売却した分の金を一人でずっと持ち続けているそうじゃないか」
この言葉に場の空気は一変した。
慌てた女性はすぐさま栽培に協力してくれていたプレイヤーたちに金を分配しようとしたが、その空気の中、受け取るプレイヤーは誰もいなかった――――。
俺が知っているのはここまでだ。飯を食べている間に、塩トマト栽培に関わっていた友人に聞かされたことだが、「飯がマズくなる」と俺は話を中断させた。
もしかしたらその後、そのリーダーの女性の味方をするプレイヤーが現れたのかもしれないが、俺はそこまでは聞いていない。
だが、一つだけ確かなことがある。
そのリーダーだった女性は――――ゴスロリさんだということだ。