第一話 足手纏い
『スキル』
この世界でのスキルは『ジェム』と呼ばれる小さくプニプニした玉を指で潰す事で習得することが出来る。『ジェム』はモンスターからドロップしたりクエストの報酬だったりと入手手段は多岐に渡る。
『スキル』には段階というモノがあり、現在ではLv4まで実装されている。Lv1が一番弱くLv4が一番強いというわけだ。とはいえダメージ量や回復量を上げるスキルなど分かりやすいスキルとは別に、夜目が利くスキルや自己の分身を作り出すスキルなどもあるので、単純な強弱で分類されるものではない――あくまで目安だ。
スキルを発動させるには覚えたスキルをセットする必要があるが、これはプレイヤーのLvが上昇するごとにセット出来る数が増えていく。
Lv35がレベルキャップの現在、そのLvのプレイヤーがスキルをセット出来る数はLv1のスキルが8個、Lv2が6個、Lv3が3個、Lv4が2個となっている。
使用したスキルを回復させるには、拠点のとある施設で金を払う、ログアウトして時間を置く、特定のアイテムを使用する、料理を食べる、このどれかの方法を取らなくてはならない。
ただ、料理はどんなプレイヤーでも行うことが出来るというわけではない。負荷が大き過ぎるらしく、料理を行いたいプレイヤーは、その旨を運営会社に届け出なければならないのだ。そして、料理人は俺たちのようにモンスターと戦うことは出来ない。
つまり、この世界では、俺たちのような『冒険者』グループと、料理人を含む『生産者』のグループの二つに分けられているわけだ。
だが、途中で変更は出来る。一週間に一回のメンテナンスの一日前までなら、どちらかのグループを選択し、メンテナンス後から選んだ方でプレイすることが可能だ。
脱線したが、今のように『冒険者』が料理人を連れずにスキルポイントを回復させる一番手っ取り早い手段は、料理になる前の素材を食べることだ。もっともこの手段では、よほどの素材でない限り、一種類の素材につきスキルLv1のポイントが1だけしか回復しないのだが。
先ほどゴスロリさんが手渡してきたトマト、あれも素材の一つだ。あの時点で俺たちは夜目スキル『キャッツアイ』を使用していた。それを回復させるための気遣いだったのだろう。
恩がある、といえるかもしれない。――だが、
「はぐっ、はっ、はっ、はうっ!」
5m先を息荒く走っているゴスロリさんの後姿を眺める。息遣いから考えるに、おそらく必死の形相なのだろう。
数分前に俺が出した声が聞こえたのか、それともズラトロクの咆哮を聞いたのかは分からないが、他のプレイヤーも余裕を全く感じさせない、一心不乱といった状態で走り続けているようだ。
「はぎゅっ、ふっ、ふひっ、はふっ!」
もはや女が出していい声ではなくなってきているゴスロリさんの背中を眺める。
(走り慣れてないな……)
『ラハブの亜麻束』の中にいる時に全員がそれぞれのLvを確認し合ったが、全員が35だった。
パラメーターに割り振るポイントで多少の差は出るが、全くスタミナに割り振らなくてもレベルアップの際には通常上昇分もある。普通は今のゴスロリさんのようにはならない。この女性は明らかに走ることに慣れていない。
確かにゴスロリさんは背が低い。背が低いと言うことは、個人の身体の比率は別として、基本的に背が高い人間よりも足が短いと言うことだ。それは歩幅にも影響が出る。
だが、それでは勿論プレイヤーの中で不満が出る。なので、そういった人間にはスタミナに幾らかのボーナスが加えられて、なるべく全てのプレイヤーが横並びになるように運営によって調整されているらしい。
「ひぃっ、ふっ、へぅっ、ほひっ!」
だというのにコレである。
この世界では身体の使い方がとても重要だ。俗に言う『スタミナ管理』。これは現実世界の自分の身体とはかなり違うので、経験がモノを言う。
検証が好きなプレイヤーが集まり、身体能力のテストをしたらしいのだが、彼らが言うには、
「Lv35の平均的なプレイヤーが無呼吸全速力で走り続けられるのは165m」
「これを7割の速度まで落とせば7分39秒まで走り続けられる」
ということだった。
勿論これも個人によって差は出るだろうが、大きく外れるものでもないだろう。
「ふひゅ、でひっ、はひゅっ!」
だというのにコレである。
(あまり走った経験がないのか……?)
三十メートルほど先を走る他の四人はそれぞれが余り大きく離れていない。一番先がタミー、次がドレ、少し離れてミナ、ミコが追随する形だ。
ちなみに俺はこのグループで一番身長が高いし、走り慣れてもいる。今からでも前方の四人に合流出来る自信がある。
「へっ、ほっ、ふっ――へぐっ!!」
ゴスロリさんの頬に、木々から突き出す形の枝が当たった。もう、しっかりと進行方向を確認する余裕もないようだ。転ぶのも時間の問題かもしれない。
(見捨てるか……)
ズラトロクがどこまで追ってきているかは分からないが、余裕があるわけでもないだろう。アイツは宝を持ち去った人間が同じエリアにいれば、『ラハブの亜麻束』でも使わない限り、正確に位置を察知出来ると聞いた。
「ひうっ、へうっ、はひぃっ!」
トマトを貰った恩はある。だがそれは、これから城へ戻る道中、俺を含めた他のプレイヤーから助けて貰う確率を上げるため、という打算的なモノだったのかもしれない。
俺は聖人君子ではない、むしろかなり『駄目』な方だろう。人間的に。子供の頃からそれは自覚している。要領は良いので余り人間関係で苦労したことはないが。
(……見捨てた場合どうなる?)
間違いなくゴスロリさんはズラトロクに狩られるだろう。もしかしたら走ることに慣れていないだけで、戦闘は上手いのかもしれないが、こんなガス欠の状態、しかもスキルで幾らかはマシになっているとはいえ夜、勝てるとは思えない。また、逃げ切ることも不可能だろう。
狩られた後、ズラトロクが暴走する可能性は限りなく低い。『討伐クエスト』発行後、NPCから与えられた情報では、宝を盗んだ人間の最初の一人が殺されても暴走する確率は1%もなかった筈だ。全員死ねば100%になるらしいが。だからその点は余り問題ではない。
(悪感情をもたれることは間違いないだろうな)
恋愛の意味ではない。俺はそんなものはこの世界に求めていない。問題は宝を盗んだことを他の一般プレイヤーにバラされることだ。これは痛い。
昔ある小学校がこんな実験を行ったそうだ。匿名の状態で生徒たちにチャットを行わせ、その中で話し合いをさせる。匿名状態なので、書き込みが誹謗中傷に染まるのにそう時間は掛からなかったそうだ。そして、それを確認した教師は書き込みをした全員の本名を表示させた。すると、教室にはとても嫌な空気が流れた、ということだ。
匿名だから出来ることと、実名だから出来ないことというものがある。
この世界では本名は使わなくてもプレイ出来るが、顔形は現実のソレと同じだ。ある程度の紐が付いている。VRMMOが出来た当初、男が女プレイヤーになりきり、子供のプレイヤーに『そういうこと』を持ちかける問題が起きたのも、こういう形になった要因の一つなので、仕方ないといえば仕方ないのだが。
話を戻す。
問題はゴスロリさんが他の大勢のプレイヤーにバラすかバラさないかだ。
(可能性は……)
低い。『ラハブの亜麻束』にいる間に全員でそう決めたから、ではない。そんなものに期待するなんて性格はしていない。なら何故低いと言えるのか。
メリットがないからだ。感情的にはスッキリするかもしれないが、それをすれば「なぜ貴女はそれを知っているのか」となる。共犯者であることがバレれば告発者であるゴスロリさんもタダでは済まないだろう。感情の行動から生じるメリットとデメリットが釣り合っていない。
ゴスロリさんが先のことを考えない子供であれば別だが、おそらくあの女性は大人だ。見た目はちんまいが雰囲気が子供のソレとは違い過ぎる。社会に出て苦労したことのある人間が出す空気がある。
そこで先頭を走るタミーが、右前方を見て少し速度を落としたのが分かった。他の三人も、少し遅れて同じように速度を緩めている。
ゴスロリさんが心配になったのかと思ったが、どうもそうではないらしい。数秒後、速度を戻して、前のように駆け出したからだ。
(何かいるな……)
「ほぐっ、んひっ、へふぇっ、はふっ!」
僅かに湿った土の地面を踏み込む力を強め、ゴスロリさんとの距離を縮める。
「へっぐ、はふっ――はふ?」
ゴスロリさんに並んだ時、彼女から視線を受けているのを感じた。
(すまん!)
心の中で謝る。謝るぐらいなら最初から酷い事をするなと言う人間もいるが、俺は謝罪することで心がスッキリした人生を歩むことが出来るのだ。それでいいじゃないか。
「ひぐっっ、へうっっ、へぶぅっっ!!」
明らかに俺の背中に向かって何かを言っているような雰囲気を感じるが、振り返らない。振り返ると、例えこの後、無事に城に到達してもスッキリした人生を歩めない気がするからだ。俺はこういう嗅覚は鋭い。
「ひゃぐっ! まひっ! ってぇぇ!」
背後からの声は無視することにして、右前方に目を向ける。
(やはりいたか)
視線の先、二十メートルほど先に地面に蹲るようにして目を閉じているモンスターがいた。名前はデグル。ブルドッグの顔面を七割増しに強烈にして、胴体を鰐の鱗で覆ったような、四足歩行、犬・狼型のモンスターだ。ちなみに尻尾はない。
話が逸れるが、この世界は見た目が強烈なモンスターが多い。現実世界と酷似し過ぎると、子供に悪影響が出るからということだ。それを知った当初は「見た目が強烈だったらいいのか?」と突っ込みたくなったが、まぁそういうことらしい。
話を戻し、デグルだが、コイツは音に非常に敏感なモンスターだ。と言っても本物の犬や狼ほどじゃない。その聴覚範囲は25m。つまり26mなら大声を出そうがダンスを踊ろうがこいつには聞こえない。視覚は25mを超えるから日中にやったら喜々として口を開け涎を撒き散らし飛び込んでくるだろうが。
速度を五割ほどに落とし、地面を滑るようにして走り抜ける。慣れているので敵と自分の距離は大体把握出来るのだ。狩りをしてレベルキャップに到達するようなプレイヤーなら誰でも出来ることだ。
(しかし、意外だな)
俺も注意を向けてはいるが、走り抜けながら正確に敵を察知するのはハッキリ言ってかなり難しい。息が乱れればスタミナの減少は大きくなるからだ。
あるプレイヤーは言った。「この世界でスタミナを維持するコツは、心拍数を一定にするようイメージすることだ」と。そして、それはその通りだった。走っている時に急に現れたモンスターに驚いただけでスタミナの減少は加速する。一定のリズムが大切なのだ。
タミーは先頭を走りながら、正確にモンスターを察知し、そしてそれに驚いた風もなく、未だに先頭を走り続けている。
『ラハブの亜麻束』でのドレとのやり取りに一抹の不安を抱いていたが、戦闘に関する面ではかなり頼りになるようだ。もしかしたら狩り専のプレイヤーかもしれない。
デグルの聴覚範囲から抜けたと判断し、速度を上げる。先頭になりたいとは思わないが、余り距離を空けていてもメリットはない。
先を走る四人は危うげなく、走り続けている。ここまでモンスターに出会わないのは運というよりも、タミーがそういうルートを選択しているからかもしれない。やはり頼りになる奴のようだ。
それだけに、タミーの姿が見えなくなるようなことは避けなければならない。
そうして、更に速度を上げようとした時、
「ひっ!! きぃっ、きぃやあああ!!!!!」
背後からの悲鳴に思わず足を止め、振り返る。
すると、そこにはデグルに馬乗りになられたゴスロリさんがいた。
「ひぃっ! はぐぁっ! はなっ!」
背後から襲われたのか、ゴスロリさんは横向きに倒れ、右肘を地面に着けながら、右手で自分の顔を守り、左手を伸ばしてデグルの鼻先を押さえつけている。『マハーカーラの白袋』は少し離れた場所に落ちているが中身は散らばっていない。どうやらデグルの存在には気が付かないまま、走り抜けようとしたようだ。存在に気が付いていたとしても、その習性を知っていたかは甚だ疑問だが。
一方のデグルは眠っていたところを起こされたせいか、ご機嫌斜めなようだ。口から涎をベタベタ垂らし、時折大きな声で吼えながら彼女に噛み付こうとしている。
中々ショッキングな光景だが、死ぬ時はそれほどグロテスクではないので子供プレイヤーもトラウマにはなりにくいらしい。「本当か?」とは思うが。
「っはっはぁっ――っ!?」
離れた場所で俺が見ていることに気付いたらしいゴスロリさんが、俺に向かって必死の形相で顔を使ってジェスチャーを行ってきた。「助けて!」と言うことらしい。いや、この状況でそれ以外の意味があるわけはないだろうが。
「たっ、たしゅっ」
やはりそういうことらしい。振り返らなければ良かった。
俺は「男は一度決めたことは守らないといけない」と祖母に教わった。ただ、それを実行するだけだ。俺は祖母思いなだけなのだ。
ゴスロリさんに背中を向け、走る。先を走る四人が振り返る様子はない。聞こえていないのか、それとも――。
「――っ!? ま、まっへえぇぇぇ!!」
走り出して地面に足が七回着いたところで、デグルの一際大きな咆哮が森に響いた。それと同時にゴスロリさんの悲鳴も。
「――――ああ、クソっっっ!!」
すまん、ばあちゃん、貴女の孫は六十七回教えに背くことになりそうです。
身体を反転させ、前傾姿勢をとり、踏み込む力を最大限に、一気にデグルとゴスロリさんの元へ飛ぶように走る。
(おぅらっっ!!)
走る速度をほとんど緩めないまま、デグルの右脇腹部分に渾身の蹴りを叩き込む。タックルすることも考えたが、こんなボタボタ涎を垂らした奴に触れたくない。スーツに付いてもすぐに汚れは消えるが、それでもイヤなものはイヤだ。
「――あっ!?」
ゴスロリさんの視線を感じるが、そんな悠長なやり取りをしている場合ではない。
「早く立って走って下さい! 彼らの背中を見失わないように!」
正直もう見失ってそうだが。
「っはぅ、はふっ、はひっ!」
ゴスロリさんはデグルの涎でベタベタに汚れた服のまま、息荒くしながらも何とか立ち上がり、自分の『マハーカーラの白袋』の場所まで小走りに近付き、それを手に再び走り出した。
とりあえずあっちはもう大丈夫だろう。俺が追い付くまでに襲われていたら今度こそ無視しよう。出来ればその時は俺の存在に気が付く前にやられて欲しい。
俺は俺の『マハーカーラの白袋』を少し離れた所に立っている木の根元に放り投げる。
デグルが声を上げ始めた。といってもそれは咆哮の類ではなく、低く唸る威嚇の類だ。狩りの邪魔をされてご立腹らしい。AIの筈なのに良く出来ている。時々中身が入ってるんじゃないかと疑うほどだ。
「『来いよ』、犬ッコロ」
左手を突き出し、指だけを曲げるようにして挑発する。これは意味のない行為ではない。そういうスキルなのだ。正直少し恥ずかしい。誰も見ていないが。
デグルが空に向かって口を大きく開け、咆哮した。
「叩き潰してやるよ」
これはスキルではないが――――まぁ、それもいいじゃないか。
俺は左足を少し前に出し、若干引いた顎の前に左拳を、右頬の横辺りに右拳を置き、脇を締め、デグルと向かい合った。