プロローグ
「ムリですね」
暗い寒空の下、濃紺の布に身を包んだ青年――ドレが、土の上に描かれた地図と、その上を泳ぐか細い木の枝を視界に入れながら素っ気無く言う。
切り捨てるようなその言葉の中には、感情が余り感じられなかった。事実を事実として述べた、という感じだ。
くすんだ茶色の木の枝を持ち、地面に腰を下ろして自分の考えを説明していた青年――クナトノタミも同じなのか、彼は僅かに声に感情的な色を滲ませながら少年の方に視線を向け、口を開く。
「……やってみなければ分からない、でゴザル」
「やる前から分かってますよ」
クナトノタミの反論を掻き消すかのように、ノータイムでドレは言葉を返した。TVに出てくる男性アイドル、もしくは男性モデル誌に載っていても不思議ではないような整った顔立ち、その表情を少しも歪ませずに淡々と言葉を続ける。
「やる前から分からないといけないんです。僕たちがこれからやろうとしていることを考えたら」
それは間違いではない。
一般的にゲームにはコンティニュー機能というものがある。何か失敗をした時に、セーブした時点まで巻き戻った状態でやり直したりする機能のことだ。とても便利な機能だが、今の俺たちにはそれを利用することが出来ない。いや、出来る部分と出来ない部分があると言った方が正しいかもしれない。
五分前にドレと名乗ったこの青年の言葉に間違いはない。クナトノタミが提案した考えを実行すれば高確率、いやほぼ確実に失敗するだろう。だが、俺は敢えてクナトノタミの考えに反対の声は上げない。
目立つ恨まれ役の一人も居た方がこれからのことを考えると都合が良い。
「もう少し真面目に考えてくださいね」
世の中には言わなくて良い一言というモノがある。言わなければ済む話なのに、必要以上に相手の心に傷を負わせたり、感情を逆撫でするような言葉のことだ。言った瞬間は満足するのだが、後々に自分が損をする。社会人になってから痛いほど学んだことだった。ドレはその若さもあり、これをまだ学んでいないようだ。最初に会った時から薄々分かっていたが。
「――っ、成功する可能性もあるでゴザル」
諦め切れないのかクナトノタミ――長いな、タミーと呼ぼう。タミーがドレに尚も食い下がった。
「はぁ……一つ一つ説明しないと分かりませんか?」
ドレは呆れたように溜息を一つ吐くと、地図に人差し指を向けようとして、これまた億劫そうにそれを引っ込め、胡坐を掻いた状態で、周囲の地面に目をやり始めた。恐らく枝を探しているのだろう。
俺はドレから地図に視線を移す。
俺でもタミーでもドレでもない人間によって地面に描かれた地図は縦横2メートルほどの長方形で、更にそれが十分の一ごとにマス目状に綺麗に区分けされている。10×10のマスで構成された地図の左端から右にABCDから続くアルファベットと上端から下に1234から続く数字がそれぞれ10個ずつ描かれており、アルファベットが書かれている方が北を、数字が書かれている方が西を表している。
普通はこういう物を描こうとした場合、どこかのマスだけが極端に大きかったり小さかったりすることがあるものだが、この地図にはそれがない。
システムによるアシストなどないだろうに、枝だけを使ってここまで均等に描くことが出来るというのは驚嘆の一言だった。
良い枝が見つからないのか、ドレは少し腰を浮かして自分の背後に目を向けている。
彼の説明が始まるまでに、少しだけ現状を整理しておこう。
思考をクリアにするために、胡坐を掻いた状態のまま大きく一つ伸びをする。右肩の下部分がポキッと軽く鳴り、ライトグレーのビジネススーツに皺が出来る。そのまま二、三回軽く右肩を回して両膝に手を置いてから軽く周囲を見渡した。
まず目に入ったのは鬱蒼と生い茂る木々。大の大人三人が腕を伸ばし合ってやっと囲えるような太い幹の木もあるが、大人一人で事足りる木の方が多い。
昼間なら木漏れ日を浴びながらのピクニックを心の底から満喫出来るのだろうが、生憎今は夜だ。もし真夜中に焚き火もせずにシートを敷き、笑顔で弁当を食べている奴を見たら、俺なら間違いなくお近づきになりたくない。
次に目に入るのは人。俺を入れてこの場に居るのは六人。それが中央の地図を囲むように車座になっている。俺を含めた六人の横、或いは後ろにはサンタクロースが担いでいるような大き目の白い袋が置かれており、袋の口にはそれぞれ人によって色の違った紐が一本ずつ縛られている。ちなみに俺の紐は青色だ。
五人それぞれに目を向ける。
まず俺の右斜め前に座っているプレイヤー。黒髪をポニーテールにして、額に真っ白い鉢巻を巻いている。服は両腕の前側の付け根部分に白い紋の入った藍色の羽織。下は灰色の袴。紋付羽織袴というものだったか。
左腰の部分には三本の刀を挿しており、その中の二本はただ黒いだけの鞘だが、残り一本の鞘は少し違った。鯉口から先端までの三分の一程の部分が紅く染まっている。袋の紐の色は黒。
その刀の持ち主であるタミーの右前方に座しているのがドレだ。
タミーとドレの二人は年齢は同じくらいに見えるが、身長はドレの方が若干高い。俺に比べれば低いが、おそらく175cmはあるだろう。少し目が冷たい印象を受けるが、容姿はかなり良い方だ。おそらく、あちらの世界では周りの女の子に「キャーキャー」言われているのだろう。こちらの世界でも言われているのかもしれないが。
言い忘れたがこの世界での体は現実でのソレと同じだ。勿論、動体視力、反応速度、瞳や髪の色など例外もあるが、見た目はほぼ同じと思って間違いはない。デメリットもあり、メリットもあり、未だに賛否両論だったりする。
ドレの服――と言えるのかは難しいところだが、服は濃紺の布。下に何か着込んでいるのだろうが、布で首から足元までを覆うようにしているので見ることが出来ない――器用な奴だ。
お目当ての物を見付けたのか、こちらに向き直ったドレの右手には白みがかった枝が握られていた。30センチメートルほどの長さで、葉は一枚も付いていない。
「今僕たちがいるのはこの位置です」
ドレがその手に持った枝の先端を地図上で区分けされた一つのマスに押し当てた――位置はA8。
「そして、最終目的地はココ」
次にドレが示したのは中央に漢字で城と書かれたマス――位置はE3。俺たち関東エリアプレイヤー全員の本拠地。
「僕たちはこの最短で9エリアになる道を他のプレイヤーに見つからずに戻らなきゃいけません」
「ちょっと待ってくださらない?」
俺の左隣から声が上がった。空気を貫くような意志の強さを感じさせる凛とした声。三人目の共犯者。黒を基調としたドレス――いや、こういうのはゴスロリというのだったか?――を着込んでいる女性。声の質と態度は俺と同じような社会人特有のソレを感じさせるが、それに反して身体が小学生のように小さい。ギリギリ中学生と言えなくもない程度の身長だ。瞳の色は深い青。長く伸びた髪は艶のある金色で、頭の上に赤いカチャーシャを付けている。一見すれば西洋の貴族のお嬢様といった出で立ちだ。
「多少なら問題ないのではないかしら? 私たちをただの探索帰りと見るプレイヤーもいる筈よ」
「確かにそうかもしれません」
ドレが姿勢を正して言葉を返す。相手が女だからなのか、タミーに対するものより若干礼儀正しい。
「ですが今日、あちらでは宴を行っています。そんな時にこんな場所で6人もゾロゾロしているのは怪しいと言わざるを得ません。見つかれば即アウトということはないでしょうが、極力見つからないようにすべきです」
「某の案では見つかると?」
タミーが再び話に入る。
「貴方の案じゃ間違いなく見付かります。それも僕たちだけじゃない。『アレ』もです」
ドレが棒の先で現在地のA8を指し、そこから北、A7A6A5と順に指していく。
「A7はまだいいんです、此処と同じで森ですから。A6は川があるけど僕たちが通るであろうルートはほぼ問題ありません。A5はほぼ遮蔽物のない荒地、これは危ない。でも一番の問題は」
枝の先端を何度か地面に下ろすドレ――示す位置はA4。
「このエリアは東西が切り立った崖になってます。僕たちはその間の谷を進むことになるわけですが、崖の上からは丸見えの状態。しかも谷には姿を隠せそうな植物はほとんどない」
「人がいない可能性があるでゴザル」
「幾ら城の方で宴をやってるとはいえ、『アレ』のために念入りに準備しているあの崖の上に人手を割かないわけがないですよ」
もっともだった。何か問題が起き、一週間ほど前から『アレ』のために必死になって崖の上に配置している物が壊れでもしたら、多くのプレイヤーが一丸となって立てた計画は水泡に帰すのだから。
タミーが両腕を胸の前で組んで目を閉じ、押し黙った。納得したのではなく、反論する材料を探しているのだろう。
ここは一つタミーの味方になっておくことにする。結論は変わらないだろうが。
「でも今は夜だよ。見つかりにくいんじゃないかな?」
ここまでほとんど発言していなかったからだろう。その場に居た全員の目が俺に集まった。
「顔も布か何かで隠せば僕たち個人の名前は分からないとも思う、どうかな?」
良好な人間関係を築くために大切な要素の一つは人畜無害であることをアピールすることだ。俺ではなく僕という言葉を使うのも、その一つ。まぁ、ドレのような態度を取っていては意味がないものだが。
ドレが俺を見詰め、数秒間を置いてから口を開いた。
「……確かに崖のエリアでは僕たち個人個人が誰なのかまでは分からないと思います」
そこでドレが一度頭を振った。
「ですが、それは最初だけです。城に行くまでにあちら側のプレイヤーに連絡を取られて挟み撃ちで捕まります。最低でも城門付近で検問のようなことはするでしょうね。僕たちは見付かっては駄目なんです。もし見付かってもいいタイミングあるとしたら、僕たちが城にかなり近い位置にまで着いてからでしょうね」
「……そうか、それもそうだね」
ドレの返答に俺は苦笑して右手で頭の後ろを掻いた。
このゲームでは一部の特定アイテムを使った場合を除き、プレイヤー同士のメール連絡というものが存在しない。それはフレンドの関係でも同じだ。だが裏技、というほどでもないが方法はある。一旦ログアウトして現実世界で連絡を取ることだ。手間も時間も掛かるが、出来ることは出来る。ご丁寧に目的別に幾つかに分類された、専門の公式掲示板があったりもする。正直そんなことをするぐらいならゲーム内で取れるようにすればいいと思うが、未だにそれは行われていない。
「その、じゃあ……どうすればいいんですか?」
俺を含めたプレイヤーの視線が移る。視線の先に居るのは黒い髪の色をした少女だった。質感と艶のあるその美しい黒髪はかなり長く、地面にまで垂れている。そして特筆すべきはその容姿だろう。幼さをまだ十分に残した彼女は相当な美少女だった。目は大きいが、日本的な――漆黒の癖のない髪と色素の薄い白い肌も相俟り、どこか日本人形を連想させる。着物を着せればさぞや似合うだろう。140cm台だろう小柄な身体を黒いローブで覆い、頭の上には西洋の魔女が被るような、頂点が突き出た形のとんがり帽子。そして胸の中にかき抱くようにして、先端が三日月のような形状になっている一メートル半ほどの長杖を両手で握っている。
「き、北は駄目なんです、よね?」
小さ目の桃色の唇が僅かに震えている。その震えは俺を含めた、ほぼ初対面の人間たちと話すことによるものなのか、この状況そのものによるものなのか、今の俺には判断出来なかった。
「えっと、確かミナちゃんだったかな?」
俺は人当たりの良い笑みを浮かべて彼女に声を掛ける。
「はっ、はいっ!」
「さっきのドレ君の考えを聞いた上で判断するけど、僕も北は駄目だと思う。とはいえ西や南も駄目。僕たちの目的地は北東な訳だからね。遠回りしている時間的余裕もないし、そもそもそれで安全度が上がるとは言い難い――」
これは説明しないと分からないだろうが、今現在このゲーム、関東エリアには拠点と呼ばれるものが一つしかない。それは城だ。
正確な名称は城郭都市メルサイユ。城郭都市とは城壁が周囲を取り囲んでいる都市のことを指す。
一般的なゲームは始まりの地以外にも拠点は多く存在することが多い。村や町、砦、神殿と様々だが、それぞれにNPCがいてアイテムの販売やそれに類する店が多く立ち並び、一部の例外を除きモンスターに攻めこまれることもない、一種の休憩所としての役割を果たす。だが、このゲームには拠点が城しかないのだ。
自然、プレイヤーたちは城を中心として探索、冒険に出ることになる。つまり、城に近いほどプレイヤー密度が高くなることになる。逆に城から離れれば離れるほど、プレイヤーと接触する可能性は低くなるわけだ。
勿論それではログインしてから目的地に行くまでに時間が掛かり過ぎ、到着した時には既に寝なければならない時間になっているような事態も起こる。なのでプレイヤーたちは苦肉の策を編み出したのだが、長くなるのでここでは割愛する。
「――プレイヤーと遭うことは少なくなるだろうけど、逆にモンスターとは遭う可能性が高くなるからね」
このゲームでは城から離れれば離れるほど敵の強さが絶対に上がるという訳ではないが、エリアの中のプレイヤーの数が少なくなるということは、同時にモンスターを討伐する人間も少なくなるということ。平均的な危険度が上がるのは当然の話だ。
「だから僕たちは北東、もしくは東に向かわないといけない。ドレ君、どっちが良いと思う?」
「北東ですね」
間を置かず、ハッキリした答えが返ってくる。俺が話している間も思考していたのかもしれない。
「ただ、システム的に斜めにエリア移動は出来ないので、一度東か北のエリアに移動する必要があります」
「どうして北東なの? 東を突っ切るのが駄目な理由はあるのかしら?」
ゴスロリさんが話に入ってくる。
「熊がいますからね」
「……あぁ、いたわね、そんなの」
熊とは文字通りの熊だ。モンスターとは別扱いの動物カテゴリーに分類される。ちなみにこのゲームの中の動物は、ある理由のせいで強さが半端ではない。トップクラスのプレイヤーでも熊と一対一で勝てる奴はそうそういない。
「だから僕はこのエリアの北東端まで移動してから、ひとまず北エリアへ、その後すぐに東エリアに移動することを提案します」
「『亜麻束』は使うの?」
「勿論です」
「それじゃあ――」
ドレとゴスロリさんが話を詰め始めたので俺は黙ってそれを聞くことにする。ミナもそれは同じなのか、話に入る様子もなく、不安そうな面持ちのまま辺りをキョロキョロと見回している。
と、その時、視線を感じた。
(……ん?)
顔は動かさず、目だけで探る。すると、一人の人物と目が合った。
其処にいたのはミナ――ではなく、彼女の背中に隠れるようにして顔だけこちらに向けている人間。それが視線の主だった。名前は確か……ミコだったか。ミナと名前も似ているが、髪といい顔といい姿形はそれ以上だ。それもその筈、この二人は一卵性の双子らしい。
視線が合うと、ミコは顔を少し引っ込めた。と言っても口元をミナの左肩部分に隠す程度でそれ以外の部分は出したまま、変わらずこちらに目を向けている。
なんとなく目を逸らすのは負けなような気もして、睨んでいると思われない程度に俺も彼女に視線を合わせ続け――ようと思ったが、やはり止める。もう俺は子供という年でもないし、万が一泣かれでもしたら、これからに差し支える。
目を逸らそうとした瞬間、地面が僅かに揺れた。
視界の隅でミナの身体が震えるのが分かった。ゴスロリさんとドレの二人も話を止めて辺りに視線を巡らせている。
どうやら、いるらしい。
張り詰めた空気の中、タミーが静かな動作で土の上に耳を当てる。
ドレがタミー以外の人間の目を順に見ながら人差し指を自分の口元に当て、空いた方の手を水平に持ち上げ、ゆっくり下ろすような動作を取った。動くなということらしい。
言われるまでもないことだ。
――そうして、一、二分ほど経った後、タミーが地面から耳を離し、「問題ないでゴザル」と溜息と共に言葉を吐いた。
場に弛緩した空気が流れる。
「……AOEはどうするの?」
「ロックタートルですね。夜なので見分けは付け難いですが、岩自体を避けるようにして走れば問題ないでしょう」
今起きたことに言及せず、目を細めて周辺を少しだけ見渡した後、二人は話を再開した。時間がないからだろう。
ゴスロリさんの言うAOEは<Area on Enemy> のことだ。平たく言えばエリアの中のボス。ロックタートルは北東エリア、B7に住むAOEだ。普段は巨岩に擬態しているが、プレイヤーが一定の距離まで近付いたり、遠くから攻撃を行えば、たちまち地面の下から迫り出して獰猛に襲い掛かってくる。が、徘徊するタイプではないので走り抜ける分にはそれほど問題はない。
普通、こういうゲームの場合、AOEではなく、FOE――<Field on Enemy>と表現する。では何故そう呼ばないのか。それは区別する必要があるからだ。
このゲームにもFOEは存在する。
AOEとの違いは大きく分けて二つ。圧倒的な戦闘力と、プレイヤーと同様に[エリアを跨いで]移動するという特性だ。
ちなみに関東エリアで今まで確認されているFOEは三体存在する。
一体目は水の中を自由に移動し、水辺を歩くプレイヤーを水中に引き釣り込み、その水の量に比例して身体の大きさと戦闘力を上げるアンコウのような姿のFOE――ヴォジャノーイ。
二体目は陸地を移動し、自分が倒したプレイヤーの持ち物、武器も金も、拠点の倉庫に入っているアイテムすら一定数奪い、森深くの自分の住処に溜め込む、鹿の姿をしたFOE――ズラトロク。
三体目は夜に一人で拠点以外を出歩くプレイヤーの髪の一部を奪って去って行く蟷螂のような姿のFOE――カミキリ。
どれもこれも傍迷惑な存在だが、女プレイヤーから嫌われているのは圧倒的に三体目だったりする。
だが、全体の影響度で考えれば二体目がズバ抜けている。なんせ、倒されれば装備している武器・防具だろうが大事に保管しているアイテムだろうがランダムに奪われるのだ。モチベーションが下がるどころの話ではない。救済として、一ヶ月に一度の大規模メンテナンスまでに奪い返せれば問題はないのだが、それを過ぎると奪われたアイテムは全て消滅するというオマケ付き。
そしてそれに加えて極悪な仕様が存在する。
このズラトロクというFOEは三段階目まで形態が存在するのだが、一段階目がとても弱いのだ。今プレイヤーのレベル上限は35なのだが、そのレベルのプレイヤーが6人もいれば勝利してしまう。だが、そこに問題がある。
二段階目は姿はほとんど変化しないのだが、戦闘力が大幅に上がる。ココまではいいのだが、この状態でズラトロクの宝を奪った、もしくは奪い返した人間が死亡すると、一定確率でズラトロクが暴走状態に突入する。こうなったズラトロクは死んだプレイヤーの拠点にまで突撃し、手当たり次第に暴れ回る。
更に問題なのが、二段階目が倒された後の三段階目だ。これは姿が鳥のような形態に変化し、恐竜映画さながらに巨大化する。
例を挙げる。
実際にあったことなのだが、ズラトロクの習性が周知されていない一ヶ月ほど前、その習性を知るために、あるプレイヤーの一団がズラトロクと何度も戦闘を行った。
弱点、耐性はいわずもがな、どの距離でどういう行動を取ればどういう対応をしてくるか。また、巨大化した際、どれくらいで元の状態に戻るのかなど、綿密に調査を行ったのだ。
そうして調査をし初めて数日後、とあるプレイヤーがズラトロクの巣を発見した。その奥には今までプレイヤーから奪っていた大量の宝が、まさしく山のように積まれていたらしい。
そのプレイヤーは宝に手を出さず、一団のプレイヤーに報告を行った。
巣まで案内された一団は、話し合いの末、「試しに宝を持って巣を出たらズラトロクがどういう反応をするか」を調べることにした。
この宝というのは自分が奪われた物だろうが他人が奪われた物だろうが関係なく手に入れることが出来た。ただし、所有権の変更は拠点――城で行わなければならないようだった。
そうした一つ一つのことを巣の外で確認していると、巣に帰還してきたズラトロクとプレイヤーたちが遭遇した。話によれば、その時のズラトロクは普段とは違い、空を見上げるようにして、たっぷり十秒もの間、空気がビリビリと揺れるような大きな咆哮を上げたらしい。
いつもと違った行動に多少動揺しながらも、プレイヤーたちは一段階目のズラトロクを仕留めたが、二段階目との戦闘中にそれは起こった。宝を巣の外に持ち出した人間の一人が死亡した瞬間、いつもは白い全身が赤黒く変化し、暴走状態に移行したのだ。
戦闘行動も大きく変わり、突然のことに対応出来なかった一団はあえなく全滅。そして強制的に帰還させられた城でズラトロクの変化について話し合いをしている時に、城壁にズラトロクが襲来。
ズラトロクの巣から城までのエリアにいた他のプレイヤーに後から聞いた話では、ズラトロクは城までの間を脇目も振らず疾走していたらしい。
城壁や城門に損害を与えながらも、城のNPCたちにズラトロクは討伐され、三段階目へと変異。城壁の一部分を大きく破壊した後、そのまま内部に侵入し、多くのプレイヤーを死亡させた。
その後、城のNPCが城に四つしかない非常用の装置の一つを起動させ、ズラトロクを撃退した。
これによる被害は甚大なものとなった。新たに奪われたプレイヤーの持ち物もそうだが、城門や城壁、そして都市内で店を営んでいた一般プレイヤーも多くいたのだ。修復に掛かる物資は相当なものだった。
襲撃されたのは祝日の昼だったが、襲撃に対応したプレイヤーも、襲撃後に何も知らずにログインしてきたプレイヤーも、その日の夜に都市内の大広場に集まり、話し合いが行われた。
一種の裁判のような空気ですらあったが、それも次第に落ち着いていった。
理由は大きく分けて三つ。
一つ目は『ズラトロクの習性を調べる行為に参加したのは二桁の人数では足りない』こと。見学者まで含めれば軽く千を超えるだろう。数日の間に直接戦闘を行ったのは特定プレイヤーだけというわけではなかった。FOEという存在と戦ってみたい、そういうプレイヤーは数多くいたのだ。城に襲撃するなど予想できなかったということもある。なんせ他の二種のFOEの内、一種は会いに行こうと思ってもすぐに会える存在ではない。
二つ目は『あるプレイヤー同士の争いを見てそういう空気ではなくなったこと』。城下町の一角で、自分が経営していた店に損害を与えられた女性が「アンタ何やってんのよ!」とズラトロクの巣の戦闘に参加していた内の一人の男(現実での旦那らしい)にビンタを行い、男が「ゴメンゴメン!」と必死に謝る姿に一同から笑いが起きたのだ。それまで不満を持っていた一部のプレイヤーたちも、その夫婦のやり取りを見て、溜飲が下がったようだった。
三つ目は『討伐クエスト』が発生したこと。ズラトロクは以前からその存在をプレイヤーたちに確認されていたが、城に襲撃されるまでに『討伐クエスト』は発生しなかったのだ。
『討伐クエスト』。
これが城から発行されると、まず、様々なNPCから討伐に必要な物資から情報から様々な援助を受けることが可能になる。そして、もし、その討伐に成功すれば、褒賞を受け取ることが出来る。ズラトロクの襲撃で被った被害など、問題にもならないほどの莫大な褒賞を。
そういうわけで、当日戦闘を行ったプレイヤーに対しては責めることをしないでおこうという結論に至った。必要な犠牲だったということだ。
ただ、一つのルールだけは定められた。
『ズラトロクの宝には黙って手を出さない。出すのは全プレイヤーが一丸となりズラトロクを討伐する時』という、プレイヤー間でのルール。
「――さん、カケルさん」
俺を呼ぶ声。思考に意識を傾け過ぎていたらしい。声を掛けて来たドレの方へ向き直る。
「あぁ、ごめん、なんだい?」
「カケルさんは『亜麻束』を幾つ持ってきてますか?」
「『亜麻束』かい? ちょっと待ってくれよ」
右手の親指に中指を使い、パッチンと音を鳴らす。すると目の前にウィンドウ画面が広がり、俺のステータスや、アイテムを収めたインベントリが表示された。一々こんなことを確認せずとも所持数はしっかり頭に入っているが、少し抜けてるお兄さんを演出するために人差し指を一つのアイテムの部分に押し当てた。すると、そのアイテムが他のアイテムの前に一歩出るように大きく表示され、その名前、効果や数などが詳しく確認出来るようになった。
「ええと、二束だね。君たちに会うまでに一束使っちゃってね」
「分かりました。キミたちはどうだい?」
ドレが双子に質問するのを尻目に、画面を閉じる。『ラハブの亜麻束』――――数量3と表示された画面を。
「ねえ」
「はい?」
ゴスロリさんが話し掛けてきたので、社交的な笑顔で答える。俺は営業職ではないが、そういった人間たちにも引けは取っていないはずだ。
「これ、食べておきなさい」
そう言ったゴスロリさんは、俺に右手を差し出した。そこにあるのは小ぶりだが、形が良く、中身がしっかり詰まってそうな真っ赤なトマトだった。上部は十字のひび割れもなく、緑の色が濃いヘタがピンと立っている。。
「あ、どうも、頂きます」
ゴスロリさんの手からトマトを受け取る。熟しているのだろう。少し柔らかな感触が手に伝わった。
一口齧ってみると、フルーツなのかと疑うくらいの甘味の中に、僅かな酸味を感じた。だが、それは甘味を損なうものではなく、むしろ甘味を際立たせる役割を果たしている。中から溢れる汁はとても瑞々しく、まるで今収穫してきたばかりのようだ。
「これは……凄いですね。凄く美味しい」
「ふふ、そう?」
俺の感想に、ゴスロリさんは俺に差し出していた手を自分の右頬に当てて笑みをつくった。もしかしたら、この人が栽培した物なのかもしれない。
瞬く間に食べ終えたが、ヘタが残った。現実では取り終えてから食べるので気にしたことはなかったが、残ったコレをどうするかに悩む。そこらに捨てるのも印象を悪くする気がしなくもない。いっそ食べてしまって「ヘタも美味しいですね。手作りですか?」とポイントを稼ぐか。いや、自分で言ってなんだがそれはないな。そんな奴がいたら露骨過ぎて逆に疑う。
「食べちゃ駄目よ」
俺の心を見透かしたかのように、ゴスロリさんが制止してきた。
「ヘタには毒があるのよ、グリコアルカロイドという成分が含まれていてね。まぁ、ヘタだけじゃなく、茎や葉にも毒はあるんだけど。あと未成熟な青いトマトも駄目よ」
そう言ってゴスロリさんは俺に「捨てちゃいなさい」と促してきた。
「良いんですか?」と目で尋ねると「自然の物が自然に還るだけ。それはどの世界でも同じよ」と返してきた。
そして、ゴスロリさんは自分の傍にある白い袋から新しくトマトを取り出し、他のプレイヤーにも配り始めた。
皆が一瞬戸惑った後、お礼の言葉と共に受け取って口にしていく――いや、一人だけ受け取っていないプレイヤーがいた。先ほど俺に視線を向けていた、双子の片方の女の子、ミコだ。笑みを作っているかのように、小さめの唇を僅かに上げた状態で、じっとゴスロリさんを見詰めている。もしかしたらトマトが苦手なのかもしれない。
上半身を後ろに捻じるようにして、手に残ったヘタを放ると、『亜麻』の上に落ちた。『亜麻』は干して乾燥させた後の物なので、緑の部分はほとんどなく、黄色がかっている。
大量の『亜麻』は俺たちプレイヤーを囲むように円周状に広がっている。そして、その円の約四分の三部分の『亜麻』は、燃え尽きた後のように黒く色を変えていた。もう時間がない。
自分の袋を引き寄せ、紐を解いた後、覗き込むようにして中身をざっと確認。再び紐をしっかり結んだ後、自分の腰部分に手を当て、『そこにあるモノ』を確かめる。問題ない。
そうした行為に一、二分の時間を掛けてから目を前方に向けると、タミーが立ち上がっていた――その右肩に白い袋を担ぐようにして。
――――さて、もう気付く人間は気付いただろう。
俺を含めた残りのプレイヤーも袋を手に持ち、立ち上がった。
「最後にもう一度確認します」
ドレは一度深呼吸した後、言葉を続けた。
「このエリアの北東ギリギリまで移動します。北東に最初に着いた人は『ラハブの亜麻束』を使って安全を確保、『亜麻束』の端が次のエリアにはみ出るくらいの気持ちでやって下さい」
ミナの背に隠れるようにしているミコは分からないが、俺、ゴスロリさん、タミー、ミナが頷く。
「その道中、誰が見つかっても、誰が襲われても、助けはないものだと、自己責任だと思ってください。それで死んでも、バラすようなことはお互いにナシです」
もう一度頷く。
「それでは――行きましょうか」
――――――俺たちは
皆の足が『亜麻』の東端ギリギリまで進む。亜麻の変色していない部分はもうほとんど残っていない。
ピリピリとした、緊張した空気が流れる。
俺は左手で右手の甲部分を掴み、二、三度強く揉んだ。現役時代の癖だ。
何人かが荒い呼吸をしているのが分かる。これが向こうの世界なら冷や汗が大量に流れていることだろう。
(……ん?)
視線を感じ、右に目を向ける。すると、そこにはこちらを見上げるようにして立つミコの姿があった。ゴスロリさんを見ていた時のように唇の両端を僅かに上げ、丸い瞳でジッとこちらを見詰めている。
「行きます!!」
反応が僅かに遅れる。
ドレ、タミー、ゴスロリさん、ミナ、ミコの順で『亜麻』の内側から飛び出し、走り出す。
(ちっ!)
出遅れたことに内心舌打ちし、俺も『亜麻』から飛び出して十メートルほど進んだところで――違和感があった。
――――――――俺たちは
足を止め、背後に目を向ける。
夜なのでほの暗いが、夜目が利くスキルを発動しているので、遠く離れた崖の上の『ソレ』を発見するのに時間は掛からなかった。
距離は遠くとも、『ソレ』がこちらの姿を捉えたのが感覚的に理解出来た。
「に――」
思考が停止し、反射的に声が出た。
「逃げろおおおおおおおおおお!!!!」
『ソレ』が空を見上げるようにして咆哮を上げた――――空気がビリビリと揺れるような咆哮を。
――――俺たちは皆クズである。