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輝雪は目を合わせられずにいた。教室中がふたりに注目している。
なんせ、無口な美少女で有名な志希が、二年三組の教室の入り口で輝雪の名を呼んでいるのだ。
「キセツ、行こう」
昼休みが始まったばかりの学校。輝雪は志希の後に続いて、屋上階段へ向かった。
輝雪は目を泳がせながら箸を握っていた。
いつものように階段に腰掛けて、弁当を食べる。輝雪を連れ出した志希は黙々と食べ続けているが、輝雪はそれどころではない。昨日の今日だ。気まずくて仕方がない。
輝雪の箸が全然進まないまま、志希は手を合わせて「ごちそうさま」と言った。
そして輝雪に向かい合う。輝雪は軽く仰け反った。
「ごめん」
何と言うか考えがまとまらないまま口を開こうとした輝雪は、そのまま固まった。
「社長に聞いた、お母さんのこと。知らなかったとはいえごめん」
完全に虚を突かれた。謝るなら自分の方だ。どんな理由があるにせよ、手を上げるのは良くない。
「昨日はちゃんと話せなかったから、輝雪の気持ちを聞かせてほしい」
輝雪はその目を見ていられなくて、俯いた。
「なん、ていうか……。母さんのこと、やっぱトラウマになってるんだ……。死ぬのって怖い。それが身近な人であればあるほど。シキだってもう特別なんだ。勢いでも『死ぬ』って言ってほしくない」
志希がずっとこっちを見ているのが分かった。ずっと目を逸らしている訳にはいかないだろう。そこまで言い切ってようやく輝雪は志希の方を見た。
志希は、微笑を浮かべていた。
「約束する」
初めて見た笑顔にぽかんとしていると、そう言う志希の声が聞こえた。
「もう死ぬなんて言わない。寿命まで生きる。ちゃんと最期まで生きるって約束する」
屋上への扉から差し込む光で、志希の周りが輝いて見えた。
天使なのは声だけじゃなかった、なんて考えてしまう。その言葉は確かに輝雪の心の芯まで届いた。
蜃気楼のような約束だ。未来のことなど分からない。輝雪の母親のように事故で死んでしまう可能性もあるのだ。
それでも。
「……ありがとう」
輝雪は志希の肩に頭を預けた。
*
それから。
「シキ!」
放課後の下駄箱。志希はその声に振り向いた。
「ごめん待った?」
「ううん、そんなには」
靴を履き替えて、ふたりは並んで歩き出した。
あれから志希は、ちゃんと父親と話したらしい。志希の父親は志希はいつも家でひとりなことを案じていた。母親がいれば少しは違うだろうと思ったのが裏目に出てしまったことをすごい勢いで謝られたという。
しかし志希は父親の幸せを邪魔したかった訳ではない。たまに相手の人と出かけたりしているらしいから、再婚も時間の問題かもしれない。
そして歌の方はというと。
「しっかし急ぐことはないとは言っても、俺は早くシキの歌を世界中に届けたいんだけどなー」
志希は目を瞬かせた。
社長に志希の歌を聞かせた。社長はしばらく目を閉じて考えていた。
「ふむ、確かにいい声だねー。伸びしろもありそうだ」
その言葉に輝雪は目を輝かせた。
「だが」
期待しかけた輝雪に、短い社長の声が届く。
「ひとりでやらせるには少々不安がある」
無口無表情の志希だ。父親とのわだかまりが解けたおかげか最近は少し表情も柔らかくなったが、確かにひとりで喋ったりできるかどうかは心配な点がある。「とりあえずは研究生って形でうちに在籍しといて、デビューについては追い追い考えてくってことでどうかな」
輝雪は少し不満だったが、社長にそう言われては仕方がない。志希は黙って頷いた。
「私はあれで良かったと思うけど」
「なんで?」
「やっぱり歌手とか考えてなかったから不安だし……。それに勉強しなきゃ。キセツと同じ高校行きたいから」
そう言われて輝雪の顔は少し熱くなる。慌てて顔を背けた。
「ま、そうだな。焦ることはないな」
そう話してるうちに事務所に着いた。ふたりは並んで事務所に入っていく。
夏の日差しはふたりの歩む道をも照らしている。
この先に待つ新たな出会いを、彼らはまだ知らない。