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seasons  作者: 安芸咲良
第一章 シキとキセツ
5/16

5

 その日、志希はどこか上の空だった。

 季節はもうすっかり夏になっていて、二人は屋上に続く階段に腰掛けて弁当を食べていた。教室にはクーラーがあるからそっちの方が涼しいのだが、何となくこの習慣は続いていた。

 あまり箸が進んでいない志希を見て、輝雪は口を開いた。

「シキ、何かあった?」

 志希ははっとして輝雪の顔を見上げる。何か言いたげに口を開いて、しかしその口から言葉は発せられずまた俯いてしまった。

「何でもない」

 そう言われてしまっては仕方がない。気になりはしたが、深く追求するのも良くないかなと思って、その話はそこで終わってしまった。


 その夜、輝雪は事務所で伝票整理をしていた。

「キーくんL.O.Dのライブの件だけどさー」

 顔を覗かせた社長の言葉がそこで止まった。輝雪はその言葉にすら気付かずぼんやりしている。

 社長はそっと近付いて、輝雪の隣の椅子に座った。

「シキちゃん?」

「おわっ!」

 ようやく気付いたようだ。驚いて勢いよく立ち上がる。

「びっくりしたー。いるならいるって言ってよ」

「そっちが気付かなかったんでしょー? それよりどしたの? シキちゃんと何かあった?」

 何でも見透かされているかのような社長の目に、輝雪は言葉に詰まってゆっくりと腰掛けた。

「何か……いつもと様子が違って……」

 どうしても気になってしまう。志希はああ言ったけど、何かあったのは明らかだ。自分じゃ相談相手にもならないのか。志希の力になれないのがもどかしかった。

 その気持ちの名前に、輝雪はまだ気付いていない。


 ピンポーン


 そこにチャイムの音が響いた。もう九時を過ぎている。二人は顔を見合わせた。

「誰だろ?」

「はいはーい」

 輝雪は玄関に向かい、ドアを開けた。そこにいたのは。

「シキ?」

 暗い表情をした志希がいた。


   *


「どーぞ」

 輝雪は志希の前にコーヒーを置いた。

 とりあえずリビングに通したが、志希はソファに座ってずっと俯いている。輝雪はひとつ溜め息をついて、向かいに座った。社長には席を外してもらっている。

「シキ、何があったの?」

 尋ねてみるが、答えはない。こんな時間に連絡もなく訪ねてきたのだから、何かあったのは当然だが、志希は口を開こうとしない。

「お父さんが……」

 部屋に秒針の音が満ちた後、ようやくぽつりと言葉が漏れた。

「再婚するって」

 輝雪はカップをことりとテーブルに置いた。


 話をまとめるとこうだ。

 志希のお父さんには最近親しくしていた人がいたらしい。志希も薄々その存在には気付いていたようだが、お父さんから紹介したいと言われて今日、一緒に食事をしてきたという。しかし途中でどうにも我慢がならなくて、飛び出してきたらしい。


 輝雪は志希の隣に座りなおした。

「それで様子が変だったのか」

 志希はむっつり黙っている。

「その人、嫌な人だったの?」

 志希は小さく横に首を振った。

「なら何で」

「別に必要ないもん!!」

 出会って初めて、志希が大声を出した。輝雪はその剣幕に気圧される。

「ずっと二人でやってきたんだもん! 私にもお父さんにも、お母さんなんて必要ない! それを今さら……。お父さんは私がいらなくなったんだ! 私なんか消えちゃってもいいんだ!」

 気持ちの整理が付いていないのだろう。志希の言っていることはめちゃくちゃだ。


 パンッ!


 しかし乾いた音が響いていた。

 志希は一瞬何が起きたか分からなかったようで、遅れてやってきた頬の痛みに瞳を潤ませた。

 輝雪ははっとして、志希の頬を打った右手を見つめた。

「ごめん……」

 それだけ言って、輝雪は家を飛び出した。


   *


 冷たい感触にびくっとなった。隣を見ると、氷嚢を持った社長がいた。

「そんなに強くなかったと思うけど、一応ね」

 叩かれた頬のことを言っていると気付くのに少し掛かった。おとなしく氷嚢を受け取る。

 社長は前を向いて、背もたれに身を預けた。

「同情、するかどうかはとりあえず聞いてから決めてね」

 意味が分からず志希は顔を上げた。そんな志希に気付いてか気付かずか、社長は話し始める。

「聞いてるか知らないけど、うちも母親いないんだよ」

 思わず目を見開いた。全然知らなかった。

「輝雪が五歳のとき、事故でね。聞いたことない? 天野雪枝」

 聞き覚えがあった。今なお語り継がれる伝説の女優。若くして亡くなった彼女は、今でも根強いファンがいる。

 その天野雪枝こそが社長の妻、そして輝雪の母親だった。

「公にしてないから、内緒ね?」

 社長はいたずらっぽく笑って、人差し指を口に当てて言った。

「だからかなぁ? 輝雪は人が死んでしまうことに敏感だ。ドラマですらいい顔をしない」

 志希はさっきのやり取りを思い返していた。

 知らなかったとはいえ、自分は何を言った?

 たとえ母親のことがなくとも気分のいい発言じゃなかっただろう。

 志希はすくっと立ち上がった。

「私……謝ってくる……」

 すぐにでも飛び出していきそうな志希の腕を社長は引いた。

「女の子がこんな時間にひとりで出てっちゃダメだよー? 輝雪は女の子を叩いたんだ。反省してもらいましょう」

 社長の笑顔に気圧されて、志希は何も言えなくなってしまった。

「大丈夫、輝雪はちゃんと分かってる。シキちゃんの気持ちは。明日、昼休みに素直な気持ちを話してごらん?」

 そう言って笑った。

 本当に大丈夫だろうか。あんな輝雪の表情は初めて見た。もう自分に笑いかけてくれないかもしれない。

「さ、もう遅いから送ってくよ。おいで」

 不安な気持ちは消えないけれど、志希は車のキーをくるくる回しながら歩く社長を追った。

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