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seasons  作者: 安芸咲良
第一章 シキとキセツ
3/16

3

 さて、それから一週間。

 相変わらず屋上で弁当を食べる間柄だ。他の場所で会ったりはしない。そもそも校舎が違うからばったり会うことは少ないのだ。昼休みのこの時間だけが二人の時間だった。

 ただ、この一週間で大分日差しは強くなっていた。今は何とか屋上入り口の日陰になっているところで凌げているが、そろそろ暑くて無理になるだろう。

「ここで飯食うのもそろそろ厳しいよなぁ」

 直射日光は避けられているとはいえ、気温だけはどうにもならない。輝雪はちらりと志希を見る。志希は涼しい顔でハンバーグを口にしていた。

「階段がある」

 扉一枚隔てられた階段のことを言っているのだろう。暑さを感じていないかのような志希に、輝雪は苦笑いする。

「いつもここで食ってたの?」

 志希はこくりと頷いた。

「教室のが涼しくない? クーラーあるし」

「……ひとりが好き」

「俺はいいの?」

「キセツは……大丈夫」

 不意打ちだった。恐らく他意はない。その証拠に志希は無表情のままだ。

 だけど自分だけは特別だというその言葉に、輝雪の顔は熱くなった。

「あのさ! ずっと聞こうと思ってたけど……歌、うまいよね」

 それを気取らせないように、輝雪はわざとらしく話題を変えた。志希は意味が分からないというような顔できょとんとしている。

「初めて会ったとき。海で歌ってただろ?」

 ようやく合点がいったようで、小さく頷いた。

「……歌手とか、興味ない?」

「ない」

 即答だった。輝雪は拍子抜けする。

「あんなうまいのに……」

「歌は、好きに歌ってるのがいい」

 取り付く島もなかった。

 膝を抱えて遠くを見つめる志希を、輝雪はただ見ていた。


   *


「どうしたもんかなぁ……」

 事務所のデスクで輝雪は頭を抱えていた。

 志希の歌は並大抵のものじゃない。売れ線レーダーがそう言っている。だが当の志希には歌手になるという道は考えられないようだ。輝雪は折角見つけたダイヤの原石を磨かずにはいられなかった。

 そして、彼女が何か抱えているようなことも気になる。

「どーうしたのー? キーくん」

「渚さん」

 ソファの背もたれに寄りかかっていた輝雪は、上を見た。いつの間にか渚が入ってきていた。向かいに座って足を組む。

「例の彼女? 苦戦してるわねー」

 膝に頬杖を付く姿はさすがモデル、様になっている。

「男ならガツンと『俺についてこい!』って言いな!」

 いつから聞いていたのか、社長がソファの陰からひょっこり顔を出した。

「だからそういうんじゃないって!」

 ちょっかい出してくる社長に、輝雪は慌てて答える。

「んーでもキーくんとしてはほっとけないよねぇ、その子」

 含みを持たせたその言い方に、輝雪も社長も一瞬動きが止まった。

「って地雷だった?」

 くるりとソファを回って、社長は輝雪の隣に座る。

「いーや大丈夫だよ。渚さんは長い付き合いじゃないか。妻のことはそんなんじゃない」

 社長の妻、輝雪の母親は輝雪が幼稚園のときに亡き人となった。小さいときだったからあまり覚えてはいない。ただ、悲しいと思ったことはぼんやりと記憶にあるが。

「別に……同情とかそういうんじゃないよ……」

 社長も渚も温かい目で輝雪を見ていた。輝雪はテーブルに視線を落としていた。

「ま、焦らずやんなさい」

 息子の肩をポンと叩くと、社長は奥へと消えた。

 それが分からないから悩んでいるのに、と輝雪は大きく溜め息をついた。


   *


「ただいま」

 返事がないのは分かっている。だけどついそう言ってしまうクセは、なかなか直せなかった。

 いつか返ってくるかもしれない。

 その願いが叶うことはないと分かっているのに。


   お嬢様へ

   本日の夕食です。お好みで暖めてお食べください。


 テーブルには、お手伝いの田中さんの字と皿が並んでいた。志希は書き置きに目を通して、無造作にテーブルに置いた。

 こんな生活ももう慣れっこになっていた。

 誰もいない家に帰る。田中さんは志希が帰る頃にはもう帰ってしまっている。お父さんが帰ってくるのは深夜、下手したら日付が変わってからということもあるから、あまり会うことはない。

 志希は冷えた夕食をもそもそと食べ始めた。


『悲しくなったら歌いなさい。歌ってれば楽しくなってくるから』


 そう言った母はもういない。

 離婚の原因は知らない。物心付いたころには出て行ってしまっていて、今は生きているのかさえ分からない。

 それでも淋しくはなかった。お父さんがいたから。それに悲しくなったときは歌を歌う。

 ごくんとご飯を飲み込んで、自然と歌が口をついて出た。


 ――いつものことなのに、なんで歌っちゃうんだろう?


 ふと思い出したのは昼休みのことだった。最近はいつも輝雪が一緒だった。

 脳裏に浮かんだ笑顔に、志希の歌は止んでいた。


   *


 雨音が響いている。

 輝雪の目の前にはバスタオルを頭から被った志希がいる。

 その長い髪からは雫が滴り落ちている。制服も濡れてしまっていて、肌に張り付いたシャツが志希の細さを際立たせていた。

 どうしてこんなことになったんだっけ……、と輝雪は遠い目をした。


「あ」

 そう声を上げたのは輝雪だった。今まさに靴を履こうとしていた志希はじっと輝雪の顔を見て、そして靴を履いた。

「帰りに会うなんて珍しいね。一緒帰ろ?」

 志希は黙ったまま頷いた。


 海沿いの道を並んで歩く。曇り空の下の海は、ちょっとくすんだ色合いだ。

 「期末がだるい」とか、「購買の新商品がうまい」とか、輝雪が一方的に喋っていた。志希は黙ってはいるが、時折頷いてはいるから聞いてはいるようだ。

 相変わらず、志希はほとんど喋らない。でも嫌われている訳ではなさそうだ。

 ――なんていうか、懐かないネコを手懐けている感じ?

 歌に興味を持ったはずなのに、輝雪は別の方向へ燃え始めていた。並んで歩いて帰るなんて、以前は思いもしなかった。

「ていうか雨降りそうだなぁ」

 と輝雪が言ったまさにその時。空から大粒の雨が降り出した。

 二人は空きビルの軒下へ駆け込んだ。ちょっとの間だったのに大分濡れてしまった。

「まいったなぁ……。シキの家ってこっから近い?」

 隣で空を見上げている志希を輝雪は見下ろした。その髪からは雫がぽたぽたと落ちている。志希はふるふると横に首を振った。

「二十分くらい」

 輝雪はしばらく考えた。事務所ならここから五分くらいだ。

「ならうち来ない?」

 ざぁぁと雨音が響いていた。

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