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歓声が、溢れていた。
暗い舞台袖には客席からの光がもれていて、開演を待つお客さんの逸る気持ちが混じっていた。沸き立つ客席とは反対に、ここは静かだ。チューニングも終わった。
ずっと憧れていた場所。でもゴールじゃない。
気を抜くと手が震えてしまいそうだ。
みんなが集まってきた。本番前のお約束。六人の右手が重なる。
さぁ、夢の時間の始まりだ。
*
よく晴れた、初夏の朝。
「バカ親父ー!!」
高宮家に怒鳴り声が響いた。
「なんだこの領収書の山は!! あんだけ溜めんなっつったろ!! 何度言や分かんだ!!」
噛み付いてくる息子に社長は悪びれずに答えた。
「だってー、キーくんがやった方が確実だしー」
「だってじゃない!! いい歳したオッサンがそんな声出すなキモい」
「ねぇねぇキーくん。こっちとこっち、どっちのネックレスが合うと思う?」
そんな二人の間に割り込んできた女性がいた。
「こっち。渚さんには小ぶりの方がイメージに合う」
「ありがとー。キーくんのセンスは間違いないから朝会えて良かったー」
渚と呼ばれた女性はいそいそとネックレスを付けた。
高宮家自宅兼、TMプランの事務所は朝から騒がしかった。
弱小芸能事務所・TMプラン。小さいながらも、テレビや雑誌でたまに目にするアイドルやモデルが所属していた。その社長である父親に輝雪はいつも頭を悩ませられていた。細々とした雑用はもちろん、所属タレントのコーディネートやスカウトなど、中学生ながら一手に担っていた。怒鳴り声のひとつも上げたくなるだろう。
父親にせめて領収書を一ヶ所にまとめておくように言って、所属モデルの渚にはコーディネートにOKを出して、家を出た。
「マジメに一発、ドカンとヒットがほしいなぁ」
呟きながら自転車を漕いで学校へ向かった。
やっぱり跡取りとして事務所は大きくしたい。所属タレントはそれぞれ光るものを持ってはいるけど、業界では弱小事務所だと位置づけられていた。
「ダイヤの原石、とか落ちてないかな」
輝雪は『売れ線レーダー』を持つ。そう名付けたのは父親だが、原石を見つけてくるのがうまかった。渚も輝雪のレーダーに引っかかったクチだ。
だけどまだ、ダイヤの原石を見つけるには至っていなかった。
自転車を置いて教室へ向かう。
晴れた初夏のこと。今日の日の出会いが輝雪の運命を変えることを、まだ彼は知らない。
*
放課後。帰ろうとした輝雪に担任が声を掛けた。
「高宮ー。ちょっと頼まれてくんない?」
輝雪は世界地図を抱えて階段を上る。授業で使った教材を資料室に運んでほしいというものだった。
歩きながら輝雪は考えていた。
――うちの事務所の目玉となるもの。そしたらやっぱり新人発掘か……。いやでもうちにはいい人材が揃っている。だけど新しい風が必要か……?
知らず知らずのうちに、眉間にしわが寄っていた。
資料室にたどり着いて、地図を置いた。資料室にはこもった空気が流れていて、輝雪は窓を開けた。爽やかな風が吹き込む。
その時だった。開け放した窓の外から歌声が聞こえてきた。
それはどこか懐かしくて、優しくて、切なくて――。少女の透き通った声が輝雪の耳に届いた。
気付くと輝雪の頬に涙が伝っていた。声の主を探そうと輝雪は窓から身を乗り出した。どうやら声は屋上から聞こえてくるようだ。
輝雪は資料室を飛び出していた。
勢いよく屋上の扉を開く。
辺りを見渡すが、人影はない。そこには青空が広がっていた。
「いったい、誰が……」
呟きだけが、晴れた空に溶けた。
*
社長と渚は揃って輝雪を見ていた。二人とも目をぱちくりさせている。
それもそのはず、あの輝雪がおかしいのだ。いつもは社長よりもしっかり者と評されている輝雪がここ数日、ミスを連発している。十部でいいコピーを百部してしまったり、制服を前後ろ反対に着てしまったり。コーヒーに塩を入れてしまったときは、社長が犠牲になった。
「あの……輝雪くん……? 最近どうしたの……?」
ついに見ていられなくなって、社長が尋ねた。
「え? なにが?」
「いやいや!! 自覚なし!? 最近おかしいよ!!」
輝雪はガシガシ頭をかいた。
「……気になってる、子がいて……」
その言葉に社長も渚も色めき立つ。
「キーくんもしかして」
「社長、これはもしかしてもしかすると!?」
二人は顔を居合わせる。
「恋!?」
社長と渚の声が重なった。
「は!?」
大声を上げる輝雪を無視して二人は話を進める。
「いやー、あのキーくんにもついに春が来たかぁ」
「せーいしゅーん! ねぇねぇ社長! 『お前に息子はやらん!』とかやるの!?」
「いやいやむしろ大歓迎だよ。可愛い子ならなおよし!」
口をパクパクしている輝雪を放置して、二人は盛り上がっている。輝雪はわなわなと震えた。
「話を聞けー!!」
いつものごとく、事務所内に輝雪の怒鳴り声が響き渡った。
「ったく……」
輝雪は海沿いの県道を歩いていた。あの二人の追及がうるさすぎて、買出しと言って出てきたのだ。切れかけていた風呂場の電球だけ買って、家路に就く。
あれ以来、あの声の持ち主とは遭遇できずにいた。同じ学校なのは確かだが、生徒なのか先生なのかさえ分からない。友達に聞いてもみたが空振りだった。
どうやったら、会えるのだろうか。
その時だった。輝雪は驚きのあまりばっと顔を上げる。海の方から聞こえてくるそれは。
輝雪は一も二もなく駆け出していた。