♯3 事件は真実を暴く
「で、なんで俺を呼び出したんだい?」
入学式があった日の放課後、俺、みんなご存じ(のはず)圭介の幼なじみ、田中文彦はブランコに座っていた。もう一人の幼なじみに呼び出されたためである。
「ちょっと他人に言えない相談事がありますので」
「僕も意味によっては他人と定義される存在じゃないのかい?」
「志木君とあなたは別です」
なぜ圭介に相談しなかったのか疑問に感じたが、頼られたことは素直に嬉しいのでそのまま話を続けさせる。
「まあ、話してくれよ、ツインテール」
「私にいつそんなエトセトラみたいなあだ名が?!」
「大丈夫、一応それなりに出番はあるはずだよ」
「じゃあベン・○ーで言う顎髭や茶髪みたいな人ですの?」
「顎髭や茶髪と違ってそのうち明かされるよ、本名」
「ネタが伝わったことに若干感動を覚えましたが、なんで今じゃないんですか?!」
「突っ込みすぎると作者に消されるぞ」
「あなたさっきからメタ発言多くありません?」
「というわけでツインテール、本題を」
「そのあだ名、変えて下さいませんか?!」
「じゃあツイスト」
「アイスですか!? 私はアイスなんですか!?」
「ではユニコーン、続けて」
「どうしたらそんなあだ名がつくんですの!? もういいですよ、ツインテールで!!」
ツインテール氏が折れてくれたのでようやく話が進行する。
「というわけで、この気持ち……まさしく愛だ!! と思ったわけです」
「恋ではあっても愛ではないと思うけど」
ツインテールから聞かされたのは恋愛のことだった。俺にも恋愛経験はないのでアドバイスに困る。
それにしてもこいつと圭介の馴れ初めってそんなことがあったんだな。俺は圭介経由で知ったからな、彼女。 それにしても返答に困る。これは経験者に聞くべき問題だろう。しかしながら俺もわからない、というのは無責任すぎると思った。適当にそれらしいことでも言っておこうか。
「まあ、ありのままの自分でアタックしてみればいいんじゃない?」
「そうですね。そうしますわ」
二つ返事だった。本当に相談する必要あったのか?ツインテール氏は満足げに公園を去っていく。
その時の俺には、このアドバイスが最悪の形で活用されることになろうとは知る由もなかった。
*
「話して下さい、ぜひぜひ話して下さい、さあ!」
五月二日土曜日の昼下がり、僕が行き会った、というよりも行き遭ったのはかなり厄介な存在だった。
僕は事件に「巻き込まれる」存在だと断言できる。しかし、目の前で瞳をキラキラさせている小柄で長い金髪のドイツ製探偵は事件に「首を突っ込む」存在だと言えるだろう。「探偵ある所に事件あり」とよく言うがこいつは「事件ある所に探偵現れる」といったタイプだ。その押しの強さは僕を監禁してきたサツキに通じる所があるが、彼女ともまた違う。法っておいしいの? 状態なサツキよりはましだが、この好奇心、対応に困る。
ちなみにこれ、初対面だ。
「事件ですね、事件なんですね! 興味あります、というかぼくが解決して見せます!」
うん、事件じゃないんだけどな……。
はぁ……。
僕は現実逃避気味にこれまでのできごとを回想する。
*
そもそもの始まりは探偵部が屋外活動を始めたことに始まるのかもしれない。もちろん、事件を求めてやまないサツキの提案である。
「事件をこっちから見つけてやるのよ!」
僕だけでなく探偵部員全員が消極的だったものの、結局サツキに押し切られてしまった。末恐ろしい女性である。
とにかく手分けして事件を探すことになった僕たちだったが、すぐに明日香と一緒になった。その訳は簡単。彼女は知らない道に入ったとたん迷子になり、それを僕が見つけたのである。ちなみに、無駄に高性能なトランシーバーを僕たちは持たされていたが、見栄っ張りなのか明日香は迷子を報告してなかった。
僕は明日香との合流をサツキに伝えようとしたけれども、明日香に割と本気で止められた。サツキに知られるのだけはいやだったらしい。確かにあいつはしばらくネタにしそうだからな……。
そんな訳で事件捜索という名の散歩をしていた僕と明日香だが、見つけてしまったのである。
事件のようなものを、見つけてしまったのである。
僕は正直驚いた。本当に見つかるとはな……。
「どうしましたか?」
僕が声を掛けたのは、道の真ん中でおろおろしていた少女であった。あまり社交的な性格ではない僕だが、困っている人を見捨てられない性ではあった。僕たちの高校の制服を着ている少女はリボンの色から二年生だとわかった。
雪のように白い肌に対照的な肩よりやや長い黒の髪を赤いリボンでハーフアップにしている。茶色の瞳を持ち、きつめの顔立ちである。今は途方に暮れているような様子だったが。
彼女はいぶかしげにこっちを見たかと思うと、まるで僕たちがいないかのように再びおろおろしだした。
無視かよ!!
まあ、このままでは埒が開かないので声を掛けてみよう。
「どうしたんですか?」
「……知らない男にからまれてる。あ、おまわりさんですか?」
「いきなり通報しないで!?」
「……何の用?」
「いや、最初に言ったよね!!」
「……あたしの個人情報を探りに来たんだっけ」
「どんだけ僕を犯罪者にしたいんだよ!!」
「……強いて言うなら、踊ってた」
「ただおろおろしてただけだよね!!」
「……むしろ踊らされているのか……」
「何に!?」
「……本当に聞きたい?」
サツキを始めとして探偵部は変人の巣窟であったがこの女性、後で聞いたところによると倖月紗莉愛という女性もまた変人だと言える。容姿は美人であったが社交性は感じない。僕に対する反応から人見知りと知れたが言う言葉は容赦ない。通報も容赦ない。「本当に聞きたい」と答えた僕に、彼女はたっぷりためを作って雰囲気を作った後、重々しく告げたのであった。
「……あたしは今、サリンに踊らされている。サリンを探している」
「「!?」」
僕と明日香に衝撃が走る。やばい、この女関わってはいけなかったのかもしれない。
そんな……、
そんな……、
そんな劇薬を探していたなんて!!
「……どうしたの?」
紗莉愛はよくわからない、といった様子で首を傾げている。プロポーションがいい関係か、なかなか絵になる仕草だったが、今の僕たちにさらなる恐怖を与える結果となった。
「こいつ、住んでる世界が違う!!」
「私はかつて組織で頂点に立った身。しかしこの女には勝てる気がしない!」
「……何なのよ、あんた」
全然気がついてないよ、紗莉愛!!
「……で、手伝うの、手伝わないの?」
「僕たちも協力させられるの!?」
なんてこった、僕たちに犯罪を手伝わせるつもりなのか!!
「……じゃあ何で話しかけてきたのよ」
「なんていうか……、困っていたから?」
「……じゃあ手伝ってくれるの?」
「え……、それは……」
僕の顔から尋常じゃない量の汗が吹き出る。
「……何か誤解してる?」
「え……」
紗莉愛が不思議なことを言った。誤解も何もないと思うのだが……。
「……私は迷子を捜索している」
「迷子? 物に対しても使う言葉なのか?」
「……物じゃなくて人よ。サリンは妹の名前」
紗莉愛が呆れたように言うと同時に僕たちの誤解は氷解した。なるほど、人の名前か。彼女の親は子になんて名前を付けたんだ……。
という訳で僕たちは紗莉愛の妹を探し始めた。彼女が話した所によると、弟の世話をしていたらいなくなっていて、いつまでも帰って来ないので迷子だと確信したとのこと。
弟の名前も気になることだったが、関係ないので我慢。発言に容赦がない紗莉愛のことだから多大な精神ダメージを受けそうでもあった。
捜索は難航していた。普通、人の行動パターンというのは長らく一緒にいれば自然と知れるものだが、サリンちゃんとは会ったことすらない。顔を知らないが故に手分けして探すこともできず結局大して効率は上がっていなかった。
「探偵部全員で探すのがいいのではないか?」
「あ、そっか」
なに簡単なことを忘れていたのだろう。明日香の助言に従ってさっそくトランシーバーでみんなに連絡。
「テステス」
「事件ね!」
「迷子だよ!!」
コンマ数秒でサツキと連絡が取れたので、いままでの経緯を説明する。一通り聞くとサツキは言った。
「さて、私は事件捜索の続きをやってくるわ」
「手伝えよおまえも!!」
「事件じゃないじゃない!」
「そんな理由で断るな!!」
「報酬はあるの?」
「……あたしに払えるものなんて、ないわよ……」
サツキの下賤な問いに答えたのは紗莉愛だった。彼女が自嘲するような表情をしていたのを僕はしばらく忘れられないだろう。
それほど、印象に残る表情だった。
*
「ふ、ふん! 別にあんたのために探すわけじゃないんだから!」
サツキは突然ツンデレに目覚めていたが、どうやら手伝ってくれるようだ。六本木とはるかは手伝いを要請すると二つ返事で承諾してくれた。はるかはともかく六本木が引き受けた理由はなんとなくわかる気がした(わかりたくなかった)。
「……なんか、ありがとね。返してあげられるものなんてないけど」
「報酬目当てでやっているわけではない」
明日香が偉そうに、だが状況に即した言葉で紗莉愛に答えた。僕も返答する。
「その感謝だけで十分さ」
「「…………」」
「あれ、めっちゃしらけた?!」
二人は微妙な表情をしていた。突っ込みの僕に対してなんて態度だ!! いや、大して関係ないか、突っ込み。
「そういえば、明日香はなんで引き受けてくれたんだ?」
まあ、僕の手伝いじゃないけど。
「強者として弱者の身を守る義務があるからな!」
「僕、何から狙われているの!?」
「「後ろの影」からな!」
「ええっ!!」
慌てて後ろを向いたけど何もありませんでした。一瞬、自分の影にビビったけど。
まあ、そんな訳で僕たちはサリンちゃんを見つけてハッピーエンド。
嘘です。
はぁ……。
もうおわかりかと思うが、この捜索活動をしていたら金髪の少女に捕まったという訳で。ただ歩いていただけなのに何をしているかわかるなんてさすが名探偵といったところか。
「事件の内容を教えて下さい! でないとあなたの秘密暴露しちゃいますよ!」
「いつ知られたの、僕の秘密!!」
「あなたは人間です」
「みんな知ってるよ!!」
ただ協力してもらえばいい話なのかもしれないが、そうも行かない。この金髪が捜索に参加すればサリンちゃんはそれこそあっと言う間に見つかるだろう。そこはいいんだ。それは僕たちにとって得な話なのだが……。
「ねえ、誰と話ているのよ、圭介! いまからそっち行っていい? いいわよね、行くわよ?」
トランシーバーから聞こえてくるサツキの声に嘆息する。金髪とサツキが会った時のことは……、考えたくない。
サツキにこっちに来る前に状況を片づけたい。しかし断る方法もまた思いつかない。
僕の思いをくみ取ったのか、明日香が言い訳を試みる。
「全ては、二十年前に始まったんだ。まだ弱かった私は……」
「まだ生まれてませんよね?」
「うぐっ」
明日香に頼るべきじゃなかった。発言に穴がありすぎだろう、明日香!!
「ふっ、貴様なかなかの切れ者だな。本当の話をしてやろう。私とその眷属は学校からの帰宅途中なのだ」
いつの間にか明日香の配下になっていたのか、非常に気になるところであったが、いい感じだ明日香!!
誰でも思いつく言い訳だけど無難だ。
「帰宅にトランシーバーが必要ですか?」
「ぐはぁ!!」
明日香に攻撃がクリティカルヒット!! 恨むぜ、トランシーバー!! 打たれ弱すぎるぜ、明日香!!
「で、事件の内容教えて下さいよ!」
「ぐっ、だが私はあきらめない!」
明日香が大ダメージから立ち直った。瞬間、二人の間に火花が散る。
僕も考えないとな、言い訳……。
しかし、状況のほうが先に動いてしまった。
「何してるのよ、あんたたち」
ついに到着してしまったサツキに、僕はある種の終わりを予感した。
*
「で、誰なのこの人?」
「ぼくはドイツの名探偵、ヨハネス・シュークリームです。以後お見知り置きを」
「偶然ね。こっちも名探偵よ。長谷川サツキ。よろしく」
二人とも、自分で名探偵と言うのはどうなのだろうか……?
「せっかくです、推理対決でもしませんか?」
「望むところよ!」
勝負と化したサリンちゃん捜索に、紗莉愛が微妙な顔をしていたが、二人は止まらない。サツキはともかくヨハネスちゃんはぱぱっと見つけてくれそうだ。
「まずは内容を教えてください!」
再び目をキラキラさせるヨハネスちゃんに紗莉愛が詳しく状況を説明する。
「……あたしは今日、早く学校が終わったの。その日ちょっとした理由で弟と妹が家にいたらしいんだけど、妹がいつまでも帰ってこないから心配になって捜索している」
ヨハネスちゃんはそこにすかさず質問をした。サツキは黙って考えているようだ。
「妹さんの年齢と、家の電話番号が言えるかを教えてください!」
「……妹のサリンは八歳で、電話番号は言えるわ」
「彼女は行きそうな所は調べましたか?」
サリン発言を平然と流したところはさすがだった。
「……行きそうな場所というよりは言ったことがある場所を全て探してもいないから困っているんじゃない」
「妹さんの性格を教えてください」
「……割と内向的であまり外で遊ぶような子ではないわ。というかこれがどう関係するのよ」
ヨハネスちゃんは顎に手を当てて少し考えると、わかったかのような余裕の笑みでサツキに話を振る。
「どうですか? ぼくはもうわかりましたよ?」
「くっ、ちょっと待ってなさい。見つけてみせるわ」
「三分間待ってやる」
「短すぎよ!! せめて五分は待ちなさいよ!!」
なぜか明日香が時間制限を設けていた。彼女はなぜかポケットからポッ○ーを取り出し、口にくわえると言った。
「しょうがないな。これを食べ終わるまで待ってやる」
「充分……じゃないわよ!! さらに短くなっているじゃない!!」
「くっ、サリンちゃんはなんてかくれんぼの天才なの……?」
「情けないな。迷子捜索の天才、この「漆黒流星」の名を持つ最強の……」
「探すなら早く行ってこい」
「はい」
僕が中二能書きをばさっと斬ると、明日香はおとなしく捜索に乗り出した。
「ふっ、もう見つけたがせっかくだ、貴様の推理を聞いてやろう」
「嘘だろ?」
「はい、すいませんでした。実は違うものが見つかったりしたんだけど……」
「ん、どうした明日香?」
「いや……、なんでもない」
明日香は何かに気がついて欲しいというような眼差していたが、僕にその意味はわからなかった。
「では、ぼくの華麗な推理をみなさんに披露して……」
「遅くなっちゃってごめんなさいです、お姉ちゃん」
先に迷子がお帰りになられました。
*
「これは消去法ですね」
先に迷子が帰還してしまったため、ヨハネスちゃんの推理の答え合わせということになった。紗莉愛・サリンちゃん両名にとってはいい迷惑である。
「まずサリンちゃん、あなた少なくとも後半は迷子になっていたわけじゃないですね?」
「は、はい。実は……」
「ぼくが説明します」
「うぅ……」
はい、いいえの応答以外させてもらえないサリンちゃんが少し可愛そうであった。
「サリンさんは内向的な方なんですよね?」
この事実の確認みたいな質問に、サリンちゃんが猛反発する。
「サリンは内向的じゃないもん! 家でゲームばかりしていて人と関わるのがあまり得意じゃない女の子だもん!」
いや、それを俗に内向的と言うのだろう。サリンちゃんの反論をヨハネスちゃんは聞き流し、続ける。
「なんで外に出ていたんですか?」
「外に出ちゃいけませんか! 新作のゲームを買いに行きつけのゲームショップに行ってたんですよ!」
ヨハネスちゃんを完全に敵認定した様子のサリンちゃんがまた噛みつくが、名探偵は続ける。
「行きつけということはサリンちゃんに迷子の要素はないはずです。だからここに誰かが関わってきた可能性が高いでしょう」
「そうだよ! あの優しい……」
「サリンちゃんは何時間外出していましたか?」
サリンちゃんは完全に無視されていた。この質問には紗莉愛が答える。
「あたしが家に帰ってきた時ちょうど出かけたから三時間くらいね」
「もし大人の方だったら家に一報入れるでしょう。だからこれは未成年者による犯行でしょう」
「あの人を犯罪者にしないでよ! とても優し……」
「近所の学校で午前授業だったのはあなたたちの通う高校だけです」
サリンちゃん、セリフを最後まで言わせてもらえてなかった。後で謝っておこうかな、ぼくのせいじゃないけど。僕はヨハネスちゃんの推理に気になったことがあったため、質問する。
「ヨハネスちゃん、どうして午前授業が他にないってわかるんだ?」
「ちゃん付けはやめてください」
「あ、ああ……」
「さらに言うと二年生だけですね」
「質問に答えてくれよっ!!」
「はぁ……。これだから最近の若者は。ここら辺のことはぼくがたいてい知っているってんなんでわからないんですか?」
「最近の若者にそんな答え予測できる奴はそういないよ!!」
さすが名探偵である。
「で、紗莉愛さん。二年生の生徒でロリコンの変態さんは誰がいますか?」
ん? ロリコンの変態といえば……。
「あ~、ゲスゲス」
「なんでマイクテストで罵倒するんですか?!」
トランシーバーで六本木に連絡を取り、真偽の確認をする。ロリコンで変態、六本木には前科があった。うちの妹の件である。
「六本木、今日も幼女を連れ去ったのか?」
「昨日はしましたけど今日はまだですよ」
「まだという言葉が非常に気になるが……。嘘をついてたら一週間会話禁止の刑だから」
「僕が嘘をつくような人間に見えますか?」
「うん、見える」
「もっと表面を取り繕うべきだったかもしれませんね……。真面目な話、嘘じゃありませんよ」
「そうか」
六本木との会話が終わると、ヨハネスちゃんも話を再開する。僕たちのことを待っていてくれたようだ。
今気がついたけど六本木って二年生じゃなかったな。
「で、二年生で変態さんは誰ですか? 紗莉愛さん」
「いつきのにーちゃんはとてもいい人だよ! 変態じゃないよ!」
いつき? どこかで聞いたような気が……。ああ、あれか。サツキの宿題に出てきたんだっけ。
「……いつきといえば……、B組の加山伊月」
「いままで登場シーンがなかった人が犯人なんてどうなんでしょうね?」
トランシーバーから今日は陰の薄いはるかの声が聞こえてくる。言っていることはよくわからなかったが。はるかは小説やゲームと現実を混同してしまう残念な子供なのだろう。
「どうでしたか、ぼくの名推理?」
「知識が豊富なことしかわからなかったな」
ドヤ顔をしていたヨハネスちゃんに突っ込む。
この時の僕には、このセリフが後に連なる大惨事を引き起こそうとは夢にも思っていなかった。
*
最近、というかここ数日、常に後ろから視線を感じる。学校内はもちろん、夜道でも、登校中でもそうだ。
よく考えると視線を感じるというのは不思議なことなのかもしれない。それは物理的に考えれば瞳の方向がこちらに向いているだけで何らかの物理的な力が働いているわけではない。世の中の全てが物理で説明できるとも思ってはいないが。
ひょっとすると視線にこもっているのは感情なのかもしれない。証明する方法もなく想像でしかないが。
僕だって、視線を背中に感じるまま無為に時間を過ごしていたわけではない。回り道をして視線の主を巻こうとしてみたり、急に後ろに走っていって追跡者を見つけようと試みたり、僕にできる限りのことはやったと言える。しかし視線の主は見つからなかったどころか、存在すら感じないのだ。そこにあるのはただ、視線。
「それは興味深い話です。解決してみせますよ!」
そう豪語するのは名探偵(自称)のヨハネスちゃん。僕は彼女とともに探偵部室に向かっていた。名探偵を恐れたのか、今は視線を感じない。
「なあ、ヨハネスちゃんはなんで学校に入れるんだ?」
「ちゃんはやめてくださいって! ヨハネスと呼んでください」
「ああ、悪い。つい地の文の呼び方が……」
「ぼくがここに入れるのは簡単、ここの生徒だからですよ」
「ここって小学校まであったっけ?!」
中学校は併設されていたがさすがに小学校はない。
「いちいち失礼ですね! ぼくは中学生ですよ!」
「いやだって、探偵のコスプレで校内を堂々と歩けるのは小学生くらいだろう」
いまさらながら、すごいいまさらながら、ヨハネスちゃんは今、探偵の服装をしていた。茶色の探偵帽子に茶色のインバネスコート姿で虫眼鏡を携帯している。虫眼鏡って探偵をやっていても意外と出番がない気もするけど。
「コスプレじゃありません! ぼくは探偵です!」
ぷっくりと頬を膨らませて怒るヨハネスちゃんの姿は、思わずいじめちゃいたくなるようなものだった。
「この時のヨハネスには、これが重大なフラグになろうとは思いもしなかった」
「何フラグ立てているんですか!」
彼女はまたぷりぷりしていた。
そもそも僕がなぜヨハネスちゃんと探偵部室に向かっているかというと、迷子捜索の件で僕が放った言葉が原因だと言えるだろう。
「知識が豊富なことしかわからなかったな」
この余計な言葉がヨハネスちゃんを焚き付け、サツキとさらなる推理対決をすることが決定した結果、僕はヨハネスちゃんと、廊下を歩いている。あの言葉を放った事自体は後悔しているが、僕に期せずして視線遮断機という
メリットがもたらされた。それは喜ぶべきことである。
「ぼくを殺虫剤みたいな言い方しないでください!」
「ついに地の文まで読み始めた?!」
僕に虫扱いされた事になっている視線の主もことによると可愛そうなのかもしれない。
そして、いくばかか歩くと、僕たちは探偵部室前に到着した。中から会話が聞こえてくる。
「ここは私の最終奥義でこじ開けて見せよう」
「どうせ無理でしょ! はるかは何か思いつかないの?」
「わたしはしばらくジャガチで生きていけるので大丈夫です~」
「わかっていたけどはるかも役立たずの子ね! 最後の希望よ、六本木。何かない?」
「僕の恋人になりませんか?」
「と、突然何よ! その日は永遠に来ないわよ!」
どうやら僕以外の探偵部員は全員いるらしい。そして何か困っている様子だった。僕は助けになればと中に声をかけてみる。
「どうし……」
「あ、危ないです!」
「ちぇい、さーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ヨハネスちゃんが僕を思い切り引き寄せたと同時に、サツキのかけ声が響きわたり、探偵部のドアが吹き飛んだ。
*
ねえ、母さん。僕、やっとわかった気がするんだ。
母さんは僕が小さい頃よく、「押し戸はゆっくり開けなさい」って言ったよね? あれ、一回しか言われてないかな?
ともかく、僕は今日、ドアをゆっくり開けないとどうなるかを学んだんだよ。
「あんた、なにやってるのよ、このっ、このっ、このっ!」
「痛い痛い痛い、蹴るなーーー!!」
ドアをゆっくり開けないと、扉の向こう側にいた人が痛い目を見るってこと、実感したよ。なんか違う気がするけど、きっとそれは僕の心が汚れきっているからだよね…
…。
「いやいやいや、明らかにサツキさんが悪いと思いますよ?!」
そう言うのはヨハネスちゃん。
ちょっと、時間を巻き戻してみよう。
*
「どうし……」
「あ、危ないです!」
「ちぇい、さーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
ヨハネスちゃんが僕を思い切り引き寄せたと同時に、サツキのかけ声が響きわたり、探偵部のドアが吹き飛んだ。
おそらく、ドアを蹴破ったサツキは混乱しているのだと思う。そう、だって僕も混乱しているし。
「あ、ごめんなさい」
「助けてくれたのはありがたいけど、恥じらいという言葉は君の脳内辞書に載ってないのかな、ヨハネス!!」
現在の状況を説明しよう。
僕とヨハネスちゃんは体を密着させていて、顔の位置的にいつでもキスができそうで、それをサツキが目撃している!!
読者諸君には意味がわからないと思うが、僕だってわからない!!
なんで浮気発見現場みたいな状況になってるんだろうね!!
とにかく、そんなわけでなぜか僕はサツキに蹴られている。結構容赦なく蹴ってくるのでかなり痛い。
と、ヨハネスちゃんが叫んだ。
「そこに隠れている人、今すぐ出てきてください!」
彼女が部室棟の二階に降りる階段を指して言うのと同時にサツキがその方角に走り出した。ヨハネスちゃんに覗きを見破られた人が階段を降りる足音が響き、それを追うサツキの足音が続く。
ヨハネスちゃんは顎に手を当てて何か考えているようだ。そして彼女は突然何かを理解したかのように手を叩き、言った。
「全く、危ないではないですか~」
「なんだってサツキはドアをーー」
「志木さん、もっと警戒心を持たないと」
「僕!? 僕のせいなの!?」
それと覗き見の件とは全然関係ねえ!! 話題はまだそこだったのか!! ヨハネスちゃんは僕に失望したかのように嘆息すると、妙に確信に満ちた瞳になって告げた。
「これは……、事件ですね」
「お、おう。やっと覗き見の話題にーー」
「ドアノブ、いったい誰が……」
「まだそこだったか!! それと考える余地なくサツキのせいだよね!!」
やっぱり探偵の考えは常人には理解できないらしい。それ以前の問題な気もするが。
するといつの間にか探偵部室から出てきていたらしいはるかと明日香と六本木も続ける。
「これはなんというか……、ジャガチがおいしい理由並に重大事件の予感ですね~」
「くっ、真犯人が私にもわからないだとっ、これは……国家を揺るがすレベルの事件かもしれん……」
「この事件、みなさんのパンツの色と同じくらい気になりますね」
「ひょっとしてわかってないの僕だけ!?」
はるかが意味不明なのはさておき、六本木がさらっと変態発言をしていたのはさておき、みんなはヨハネスちゃんの話についていけてるらしい。地味に明日香が一番まともだった。末期だ……。
しばらくしてサツキが犯人を捕まえて帰ってきたため、覗き見の件を問いつめることになった。
「さあ、さっさと吐くといいわ!」
サツキが腕を組んで覗き犯を問いつめる。覗き犯が付けていた腕章から、彼女(覗き犯は女子だった)が新聞部であることはわかっていたが、その狙いをまだ聞いていない。
なぜか新聞部の女子生徒は満身創痍だ。サツキ曰く、巴投げにしたらしい。巴投げでここまでなるものなのかとは思ったが、それ以上は無性に聞いてはいけない気がした。「あ、あの、アタシは………覗きを目撃した、だけなんだけど……………」
辺りに、とても微妙な空気が流れた。
*
「ふふっ」
暗闇の中で一人の少女が微笑んだ。
*
「根拠がないわ!」
目撃者だと主張する新聞部女子の主張をサツキは一瞬で切り捨てた。人の言うことを信じなさすぎではないか、サツキ……。まあ、それが探偵なのかもしれないが。
しかし、新聞部女子もなかなかの強者だったのである。
「あなたならわかるはずよ、長谷川サツキ」
彼女が告げた言葉の意味はよくわからなかった。それにしてもこの大人数に囲まれてここまで平然としているなんて大した度胸である。新聞部の言った言葉に、サツキは不思議と焦った声で返答した。
「は、は? なに言ってるのよ、あんた。それこそ証拠がないにも程があるわね!」
普段のサツキなら「当然よ、私にわからないことなんてないわ」とか言うはずなのに。サツキは何を隠している? 新聞部女子はさらに続けた。
「構内、361ヶ所」
「っ!?」
「この高校には361個の監視カメラが設置されているのよ。カモフラージュされていて滅多に見つからないけどね。アタシたち新聞部も、全部発見するのに五年を要したらしいわ」
サツキ、監視カメラ、真犯人、これがどうつながるって言うんだ。
「おい、サツキ。おまえは何を知っている?」
「わ……私は…………」
「その質問には、アタシが答えてあげるわ」
サツキの様子が尋常じゃない。常に元気ばりばりないつもと違い、すごく動揺している。新聞部女子は、そんなサツキにさらなる追い打ちをかけた。
「もちろん一般生徒なら監視カメラがあっても何の情報も得られないわ。でもね、長谷川サツキなら……」
「やめて!」
ようやく動揺から抜け出した、もしくは動揺が一周回ったサツキが硬直から抜けだし、ボクシング選手も真っ青なスピードで右拳を突き出した。しかし、それは新聞部女子の顔の前で止まった。
「二度と……二度と私の前に現れるな」
サツキがドスを効かせた声で新聞部女子に警告するも、彼女はちょっと困惑した顔になっただけだった。
「なんで、そこまで動揺するの」
「あんたは何もわかっていないのよ」
サツキは怒気を纏った声で言い返す。
「あんたは何もわかっていない。そのことをみんなに言った中学時代、私はどんな扱いを受けたと思う?」
新聞部女子はこの質問に答えず、別のことを言う。
「あなたにとって探偵部員はそんなに信用に値しない人間?」
「それは関係ないでしょ……。これは私の心の問題よ」
「アタシなら、さっさと言っちゃうと思うけど。とにかく、あなたならアタシが目撃者だってことがわかるはず」
そう言うと、新聞部女子は去っていった。サツキと新聞部女子の間に何があったのか、サツキが監視カメラを利用できる理由は何か、僕には到底わからない。
ふと辺りを見回すと、違和感があった。ん、何かが足りない気がするぞ? 足りないものの正体はすぐにわかった。
「おい、明日香はどこに行った?」
その行方を、サツキはもちろん六本木も、はるかも、ヨハネスちゃんも知らなかった。
と、先ほど去って行った新聞部女子が戻ってきた。先ほどの泰然とした態度と違い、動揺の色が見える。
「て、天王寺明日香が血塗れで倒れてるわ……」
*
「おい、うそ……だろ……?」
新聞部女子の言葉を最初、僕は何かの冗談か、彼女の勘違いだと思っていた。しかし、現場に急行した僕たちが見たのはまぎれもなく「血塗れで倒れている明日香」だった。明日香はうつぶせになっていて、辺りには赤い池ができている。
「おい、どうしてなんだ、サツキ!!」
そして僕には犯人がわかっていた。こんなことを考える奴、サツキしかいない。僕はさらに、血を吐くように叫んだ。
「服が、使いものにならなくなっちまうだろうが!!」
「そこ?!」
ただ一人、真実に気がついていないヨハネスちゃんが驚いていたが、今はそれを気にしている場合ではない。これは死活問題なのだ。早くしないと取り返しのつかないことになる。
「洗濯機だ、誰か洗濯機を!!」
「洗濯機?! もっと重要なことが……」
ヨハネスちゃんはもう全無視で行こう。
「はい、わたしが運んできますよぉ」
「持ってくるな!! 電源なきゃ意味ないだろうが!!」
役割を変に解釈して買って出たのは最近ポテチを食べるだけで影の薄かったはるか。彼女は洗濯機くらい余裕で持ち上げて来そうで怖い。
「そうでしたねぇ。ではちょっくらプレアデス星団まで走ってきます~」
「ちょっくら!? 一生かかけても絶対たどり着かないよ!! そして地球外に洗濯機はないと思うんだがっ!!」
「五分程で戻って参りますのでぇ」
「軽く光速を越える宣言を!?」
「では行ってきますね~!」
本気で宇宙に飛び出していきそうな勢いのはるかを引き留め、現実的な方面で探してもらう。はるかは無駄に自信満々で探しに行った。
次は、犯人を問いつめるとしよう。
「おい、サツキ」
「な、なによ、かか監視カメラの件なら関係ないわよ!」
サツキは盛大な自爆をかましていたが、とりあえずいまはそのことじゃない。
「明日香をこんな姿にしたのはおまえだろう!!」
サツキがサッと目をそらした。
「どう責任取ってくれる!!」
「う……金で決着を付けるわ」
「まさか賄賂ですか!?」
ヨハネスちゃん、ちょっと黙っていて欲しいんだが。
「どうせ明日香だし、服の料金だけ出してくれればいいよ」
「でも、ちょっと高そうね、あの服……」
服の値段は後で明日香に聞いておこう。今まで放置していたが、いい加減、絶賛勘違い中のヨハネスちゃんの誤解を解いておくとするか。
「あのな、ヨハネス」
「まずは脈をとります」
そういうとヨハネスちゃんは靴が汚れるのも構わず明日香に近づく。
「いや……寝てるだけだって、明日香」
「い、いやだって、血塗れで倒れているじゃないですか!!」
そう、たぶん辺りにできている血色の池は血糊あたりだろう。どうせサツキが殺人事件を演出しようと仕掛けた罠だ。確かに殺人事件とも関わっていそうなヨハネスちゃんなら間違えても無理はないほど、無駄にクオリティーが高かったが。
とにかく、こちらの言葉を聞いてくれそうもないヨハネスちゃんは明日香の首に手を当てると脈を測り始めた。
「脈……ありません!」
「そりゃのどに手を当てても脈は取れないよ!!」
「そうでした」
という訳で今度こそ頸動脈に手を当てて脈の確認。
「脈……正常です!」
「だろうねぇ!!」
本当は殺人事件じゃにあということを知っているだけでヨハネスちゃんの行動がここまでシュールに見えるとは思わなかった。
「ん……」
どうやら明日香が起きたようだ。彼女は薄く目を開けると自分の状態に気がついたらしい。しかしさすが明日香というべきか、悦に入ってつぶやいた。
「血の盟約……ふへへ」
だめだこいつ、速く何とかしないと。
*
「真実を語り合おう、長谷川サツキ」
明日香はどこまでも真剣な瞳をして言った。
あの後、中二ワールドへ旅立ってしまった明日香を正気に戻し、僕たちは探偵部室に帰ってきていた。ヨハネスちゃんと探偵部員が集うここにはいつもの和やかな雰囲気はない。先ほどの覗き見騒動で時間を取っていたのか窓から射す夕日はもうすぐ地平線に沈みそうだ。今は開いている窓から吹き込んだ肌寒い風が僕たちの髪を揺らした。
明日香が何を言わんとしているのか僕にはわからない。しかしそれは僕たちの間に、決定的な溝を作ってしまうような、いやな予感がした。中二病でいつも不遜な態度を取っている明日香もそれはわかっているのか、次の言葉はなかなか発せられない。でも彼女は言うのだろう。僕は明日香にそれを言わせたくなんてない。だが、止めることなんてもっとできなかった。
明日香はしばらく逡巡した後、決意したような様子を見せて、顔を上げる。
そして、彼女は、その眼帯を、外した。
探偵部員とヨハネスちゃんが息を飲む。彼女の眼帯の下には何もなかったからだ。
眼球すら、なかった。
明日香は眼帯を取ったことでキャラまで変わったかのように、いつもより乱暴な口調で話す。
「先天性無眼球症。それが私の最大の秘密だ。いつも中二設定で、闇の力を制御するための機構だ、とか言っちゃいるが、真実はこんなもんさ」
誰も、何も言えなかった。
明日香はこの様子を見てそっと眼帯を元に戻す。それが合図になったかのように、サツキは訊ねる。
「あんたは……、何を言いたいの?」
「まだわからないのか?」
明日香はやや怒気をはらませた声で返答する。明日香の様子は明らかにいつもの様子と違っていた。もう眼帯はしているものの、彼女は乱暴な口調のままだ。
「私だってわかるよ、サツキの気持ち。怖いんだろ? 私だってそうだったさ。目がないことをずっとひた隠しにしてきた。これを説明したら友達がいなくなるんじゃないかって、怖かったんだ。だけどなあ、それは違うんだよ。人が自分とちょっと異なるってだけで差別しちゃうような連中はそもそも私の友達じゃねえ。だから明かした、私の秘密を。探偵部のみんなは、受け入れてくれるって思ったから。おまえにとって、長谷川サツキにとって、探偵部員はそんなに信用に値しない集団なのか?」
サツキは議論にならないとばかりに嘆息すると、呆れたように返答する。
「だから、あんたは何を言っているのよ」
明日香はチッと舌打ちをすると、続けた。
「おまえはあくまで隠し通すつもりなんだな」
「当然よ」
サツキの答えに、おそらく全員がサツキに隠し事が存在することを悟ってしまったが、口に出すほど愚かではない。ここで明日香は意外な提案をしてきた。
「じゃあ、秘密の暴露大会でもやろうか」
「「「「「は?」」」」」
*
「そうですね~、わたしにはこれといった秘密はないんですが……」
まずははるかが秘密を暴露することになった。なぜ秘密を暴露しなければならないのか、よくわからなかったが、明日香が先に自分の秘密を暴露してしまったため、言わなければならないような空気になってしまった。
それにしてもはるか、一番秘密という言葉が似合わなそうな人である。
はるかはうーんとひたすら考えた末、何かを思いついた様子だった。
「まだ誰にも言ったことがないんですけど~、私、宇宙でも生活できるんですよ~」
「今世紀最大級の衝撃!!」
宇宙に洗濯機とりに行くって、本気で言ってたのかよ……。
「こんな感じでいいですかねぇ?」
「OKだ」
明日香が許可を出し、六本木の番になる。そんなに当たり障りのない秘密だったことが不満なのかサツキはちょっと顔をしかめていたが何も言わない。はるかは平気な顔をして言っていたが、これを公共の場で言ったらすっかり痛いもの扱いだ。それなりに勇気ある暴露だとサツキもわかっているのだろう。はるかは、自分の秘密を言う機会がなかっただけだったのかもしれないが。
「秘密ですか……、ちょっと長くなりますがいいですか?」
六本木はそう言うと、話し始めた。
「みんなから見ると、僕はチャラい変態に見えるかもしれませんが、これにはちゃんと理由があるんです」
変態という自覚あったんだな……。
六本木は話し続ける。
「僕はもともと、一人の女性を一途に想っているような、自分で言うのもアレですけど純情な少年だったんです。そんな"純情"な僕は中学二年の夏、一人の女性に恋しました。今となってはあんな女に恋愛してしまったことに吐き気さえ覚えますが……」
六本木はここでくっと唇を噛みしめた。まだ一部しか聞いていない僕にもその恋の結末が六本木の変態性の原因だとわかる。僕はちょっと六本木への態度を改めるべきかもしれないな。六本木が下を向いたまま動かない。
「おい、大丈夫か……六本木。別に無理に話そうとしなくても……」
僕のその言葉に六本木はやっと顔を上げて言った。
「いえ、僕は信じてますからね、探偵部員のみなさんのこと」
この言葉に、サツキが一瞬、息を飲んだ。六本木はまるで懺悔のように続ける。
「僕はある日、その女性に告白しました。それで……」
「ひどい振られ方をしたのか?」
「そんな甘いもんじゃありません」
「え……?」
「あろうことか、そいつは、恋人がいるのにも関わらず……、僕の告白を受け入れたんですよ。僕は失望して発覚した瞬間に別れましたが、彼女が最後に言った言葉はなんだったと思います?」
六本木はここで一旦言葉を止め、吐き出すように言った。
「"好きな女の二股も許せないほど君の心は狭いの? まあもともと君は遊びのつもりだったけど" 僕はすごい殴りたかったですよ。夢の中では何度も殴っていました。ですが現実でそれをやる勇気は僕にはなく、その女性とは口を聞かないまま中学を卒業しました」
ここで六本木はやりきった、という顔で僕たちを見た。しかし僕たちは何も言えない。彼の話は重すぎた。しかし六本木自身はこのことを完全に振り切っているようで、笑顔で言った。
「あれ、みなさんどうしたんですか? 僕の話、はるかちゃんのものよりはるかに軽かったと……」
「明らかに重いよ!!」
僕は思わず突っ込み、空気が少し軽くなった。
その場がしばらくぎこちない笑い声で包まれた後、明日香が場を取り仕切るように発言する。
「じゃ、じゃあ、最後は圭介の番だ」
「そうだな……。僕の最大の秘密はーー」
僕は語り出す。未だ終わっているかもわからない最大の秘密を。
*
僕の話は六本木ほど重いものではない。しかしおそらく僕が小学校六年生の時に体験したあの事件は、現在進行形だ。
僕には文彦のほかに、もう一人の幼なじみがいる。文彦はこの事件より後に転校してきたからその幼なじみ、ツインテールと呼称される彼女は僕のもっとも古い友人と言えるだろう。
ある時、僕の所属していた六年一組でいじめが発生していた。他でもない、ツインテールがいじめを受けていたのである。
最初にそのいじめを発見した時、まだ正義感の申し子とも言えた僕はそれを止めようとした。しかし、いじめ現場に割り込もうとした時、それを制止する者がいた。
あだなは確か、ニーチェだったかな。そいつは僕に言った。
「そんなことをしたら君がいじめられるよ?」
当然僕は怒り、そんなことは関係ないと言い返したが、彼が言いたかったのはそういうことではないらしい。
「いじめを止めるなら理論武装をした方が賢明だ」
なるほどと僕は怒ってしまったことを謝り、理論武装、つまりツインテールがいじめられるに至った経緯を調べることにした。
皮肉なことに、理論武装をするには彼女をいじめていた人を調査するのが一番手っとり早い。僕は、その首謀者と思われるクラス委員に話を聞くことにした。あだなはジャニーズだったと思う。あだなの通り彼は美形で、クラスでは一番のモテ男と認識されていた。
ジャニーズは僕の、やや嫌悪の混じった質問に、困ったような顔をして答えた。
「むしろオレは被害者だよ」
僕は、彼を殴ってしまった。ニーチェに理論武装をしろと言われたにも関わらず、細かい事情を聞きもせずに。
幸い、放課後の教室で事情を聞いたためかクラス内に僕と彼以外の人はいなかったけど、後になれば教室に人がいたか云々なんて関係なかったのかもしれない。
僕は三発殴った。
怒りと興奮で息を荒らす僕に、ジャニーズは言ったのだった。彼の目は、怒りで我を忘れていた僕を震え上がらせるほどに冷たかった。
「おまえを、二度と友達ができないようにしてやる」
ジャニーズはただ美形なだけの少年ではなかった。そのカリスマ性はすさまじく、クラス中の女子が彼に羨望のまなざしを送るほど顔も良く、自分に好意的感情を向ける人に対しては基本、現世に舞い降りた天使とみまごうほどの性格の良さを発揮する。ちなみに、ツインテールは当時ジャニーズに恋していたらしい。後に本人から聞いた。
つまるところ、実質六年一組はジャニーズにより支配されていたのだ。六年一組では正しいことが正義なのではない。ジャニーズの言ったことが正義なのだ。
よって彼に刃向かった愚かな僕は、悪として扱われた。クラスのみんなは良くも悪くも一貫していて、「正義」に対しては危害を加えても構わないが「悪」に対して容赦などない。僕はクラスに悪影響を与える存在として、卒業まで排斥され続けた。
僕が友達を作らなくなった、もしくは作れなくなった原因はこれである。
しかし良くも悪くもこれでツインテールと交流するのに一切の障害がなくなった。もともとクラスの空気など気にせずにツインテールに話しかけていただろう僕だったが、「正義」の味方に止められることがないのは便利なことだった。
ツインテールが言うに、彼女がいじめの標的になっていたのはジャニーズにラブレターを送ったのが原因らしい。お嬢様然としていた彼女はそれ以上のことを決して語ることはなかった。
*
「以上が、僕の最大の秘密だ」
「なんだかむずむずするわね」
そういうのはサツキ。彼女は何か足りない、というような顔をしていた。
「何がだ?」
「だって、結局謎だらけで終わったじゃない」
「僕も知らないからな、それ以上のこと」
「気になるーーーーーー!」
自称探偵として謎解きまでして欲しかったのかサツキは叫んでいたが、とりあえず無視。ここでヨハネスちゃんが疑問を口にした。
「現在につながっているというのは何でしょう?」
「そのツインテールっていう奴は今も交流あるからな」
「気になる前振りをしておいて何ですかその落ち……」
ヨハネスちゃんは呆れてしまったようだ。頃合いを見計らったのか、明日香がここで手を叩き、みんなの注目を集める。
「じゃあ、話してくれない? サツキの秘密」
「わ、私は……」
サツキはみんなの真剣な雰囲気に気圧されたのか、ぽつぽつと話し始めた。
「わ、私は……、自分の秘密なんて一言で言えるけど……、自分で言いたくはないわ」
「そうか」
明日香は神妙にうなずくと、提案をした。
「ならクイズ形式にしよう。サツキはヒントを出して、私以外の探偵部員が正解したら終了」
サツキもこれに同意したため、さっそく彼女からヒントが出される。
「私は、A型よ」
「それがどう関係するんだよ!!」
「じゃあ……家に風呂がある」
「たいていの家はそうだろ!!」
「ワームホールを使ったタイムトラベル理論があるわ」
「さらに関係ないじゃねえか!! もっとわかりやすくして!!」
「まずはワームホールのマウスAを光速に近い速さで動かす。そうするとマウスAは、移動する物体は遅れるという現象があるからマウスBと違う時間になって、マウスBをくぐることでーー」
「詳しくじゃねえよわかりやすくだよ!!」
「要するに入り口と出口で時間の違うどこでもドアよ」
「そこじゃねえよ!! 確かにわかりやすくなったけどヒントをわかりやすくするんだよ!!」
「……みんな、私が帰宅するのを見たことがある?」
「だからそれがどうーー」
「ぼくはもうわかりましたよ」
そう言い放ったのはヨハネスちゃん。さすが名探偵だ。
「じゃあ言ってくれよ、答え」
僕の問いに、ヨハネスちゃんは意外な答えを返した。
「ぼくからもヒントをあげますから、志木圭介さんあなたが正解を言ってください」
「……え?」
「それがサツキさんのためでもあるでしょう」
疑問に思って見たサツキの顔は、いつもよりずっと儚げで、不安げだった。
「まず、ヨハネスヒント1、サツキはなぜ校内に設置された監視カメラを使えるのでしょうか」
「使えるって……まじかよ。それはつまりサツキが凄腕のハッカーだってことなのか?」
「とてもすさまじく残念です」
「そこまで言わなくても……」
「ではサツキさん、次のヒントをどうぞ」
サツキは相変わらずいつもの様子あらは想像もつかないような顔をして、仕方なくと言った様子で言う。
「……自分で言うのもなんだけど……、なぜこんなふざけた部活が黙認されているのか」
「は~い、わたし、わかりましたぁ」
はるかは突然そう言うと、確信にせまるようなことを発言する。
「つまり~、サツキさんの後ろには強い権……ふぐあ!」
はるかの声が途中で終わっていたのは、サツキがなぜか持っていたジャガチの袋をはるかの顔面に押し当てたからだ。
「ではヨハネスヒント2」
「はるかは無視なのかよ!!」
「……と言ってもぼくからあげられるヒントはこれで終わりです。この高校の名前はなんですか? これでわかってくれないと困ります」
「え? 私立長谷川高校だけど……?」
語尾を疑問系にしながらも僕はわかってしまった。そうか。そういうことだったのか。なぜあの時、屋上の鍵を簡単に入手できたのか、明日香と勝負したサッカーグラウンドを貸し切れたのか、誰もサツキが帰るところを見ていないのか、全てに納得が行く。長谷川ってよくある名字だから気にしてなかったけどよく考えたらサツキの名字と同じじゃないか。もし高校の名前が校長の名字と同じだったとしたらサツキは……。
「この学校はおまえの家が経営していたってことなのか、サツキ」
僕がサツキを見ると、彼女は顔を青ざめて、でも確かにうなずいた。こんなの大したことじゃないじゃないか。なぜサツキはここまで秘密にし続けたんだ?
「そ、そうよ、私のこと嫌いになった? 嫉妬した? ずるいと思った?」
「僕はうれしいよ、話してくれて」
「嘘よ、そんなのうそっぱちよ! きっと心の中では……」
「そんなに僕たちは信用に値しない人間かい?」
「それは……」
場にちょっとした沈黙が流れる。その空気を変えようとしたのか、ヨハネスちゃんは突然立ち上がり言った。
「さて、では探偵部室を蹴り開けた人が誰か推理しましょか!」
「サツキに決まってるじゃん!!」
*
「で、何で明日香はあそこで血塗れになっていたんだ?」
あの後、つまりみんなの秘密暴露大会が終わった後、僕と明日香は一緒に夜道を歩いていた。あれからもいろいろとあったのだが、思い出すだけで疲れる。
ドアノブ破壊の件で、なぜかサツキは巧妙に証拠を隠蔽していて、脅されたのか明日香たちも口を割らないため、ヨハネスちゃんがこれに対抗していたり、その推理の段階でなぜか僕が犯人に仕立て上げられたり、大変だった。
ああ、思い出してちょっと疲れた。
「何千年もの間封印されていた世界を滅ぼしかねない力を持つ禁断の書を圭介の靴箱から安寧の聖域へと移送する作業の途中、真の悪魔と名乗る組織に罠を張られて倒れたのだ。自動再生の能力を持つ私だから生存できたものの、並の者では危なかったな」
「……三文字以内で」
「それは無理だろう!」
「オーバーしてる」
「今のは要約じゃない!」
「で、簡潔に言ってくれ」
「圭介の靴箱から手紙を盗って部室に向かっていた途中、道に迷ってその先でサツキの罠に引っかかった」
「いろいろ突っ込みどころはあるが……、なんで俺の靴箱の中身を確認したんだよ!!」
「私には圭介を組織から守る義務があるからな」
「組織って、おまえそこに所属していなかったっけ」
「…………」
「…………」
「気にしたら負けだ」
「考えてから言え!!」
僕の靴箱に手紙が入っていた、か。確かに気になる。僕も青春を生きる男子の一人。可能性がないとはわかっていてもラブレター的なものを期待してしまう。まあ、さまざまな意味であり得ないけど。
「で、明日香は今、その手紙を持っているのか?」
「……いいいや、あんなもの、あの手紙は安寧の聖域へと、い、移送したと言っただろう!」
本当にわかりやすいな、明日香。部室に持っていく途中で罠に引っかかったのなら持っているほうが自然だろう。まあ、結局部室には着いていたわけで、置いてきた可能性がないわけではないが、明日香の様子を見るに、彼女は持っているようだ。だから、あえて僕は断定した。
「嘘だな」
「うっ」
すごい嘘をつくの苦手だな、明日香。一生、ばれない嘘はつけないんじゃないか?
「僕の靴箱に入っていた手紙なんだ、見せてくれよ」 「……本当に、いいのか?」
「え?」
明日香の目を見てみるも、彼女は真剣そのものだった。決しておふざけで隠していたわけではない。その瞳は僕を心配しているようだった。
だが、僕は手紙を見なくてはいけない。それが僕にどんな変化をもたらすとしても。それは権利であり、義務だ。
「僕には見る権利がある」
そう言うと、明日香はとてもいやそうにしながらもしょうがないというように手紙をかばんから出し、僕に差し出した。
その手紙は白い無地の便せんに入っていた。不思議なことに差出人の名前はない。封が切られていることから、明日香が読んだのだと知れる。そのことにちょっと呆れながらも、僕は白い紙を便せんから出し、広げる。
"伝えたいことがありますので、明日部室にお伺いします"
無地の紙に書かれていた文字はそれだけ。ワープロかなんかで打って印刷したらしく、筆跡から差出人は割り出せそうにない。
でも、こんな手紙を出してくる人なんて一人しかいないだろう。そう、紗莉愛だ。きっと彼女はサリンちゃん捜索に協力してもらったことに改めてお礼をしたくてこの手紙を書いたのだろう。彼女、人見知りって言ってたしな。直接は言いづらかったから手紙にしたんだ。そうに違いない。
だとすると、明日香は何を心配していたんだ?
この時の僕は本当にバカで、明日香の真意に気づくこともなければ、後ろから粘りつくような視線を注がれていたことに気づくこともなかった。