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果ての世界で  作者: yuki
第一部
8/56

貴族の矜持

 緊急事態。

 屋敷に戻ってきた私たちに待っていたのは端的なこの一言だった。

 ウリアル商国の軍隊がフィーリル地方に向けて進行中。

 正規の軍隊かは不明、規模は千程度。場合によってはどこかの貴族の私兵の可能性もある。

 条約により解放区内での軍事演習、および軍の侵入は商国、皇国ともに禁じられている。

 それを破る理由があるとすれば一つだけ、皇国への侵攻しかありえない。

 しかし何故いまさら、こんなタイミングで侵攻する必要があるのか。

 攻め入るのであればグラシエール王国を攻め落とした瞬間が唯一にして最良の機会だったはずだ。

 長い戦いが終わったという安堵はたやすく油断に変わり、軍の士気低下にも繋がる。

 あれから10年も経ち皇国は遥かに力を取り戻している。もし今戦争を始めれば負けるのは商国だろう。

 安定した食料の供給は商国にとっても既に切れない経済基盤になっているはずだ。


 フィーリルは軍を配備していない。

 村々にある詰め所にいる騎士は教官を除いて錬度が低い。まして若い人間の命を散らす事をお父様は良しとしていないようだ。

 それに連絡があったのは解放区から。フィーリアと解放区は目と鼻の先。今から騎士を集めたところで間に合うまい。

 戦支度をしているのはノーティアの詰め所に働く騎士十数人とお父様だけだった。

 このまま商国が攻め入ったところでいずれぶつかり合う皇国の国軍に倒されるのは間違いない。

 だがぶつかり合うまでにある村々が焼き払われるか荒らされ略奪されてしまう可能性は否定できない。

 首都から大きく離れたフィーリルの辺境に一瞬で軍を送り込むような魔法は存在していない。

 想像による改変で実現自体は不可能ではないのかもしれないが人を転送するなんて想像の埒外だ。

 万が一失敗して転送後に分子レベルで分解された肉片にでも変わったら一生もののトラウマ以前に殺人になってしまう。


 馬車や騎兵による大人数の輸送は牛歩のように遅い。被害を抑えるのであれば、取れる選択は一つしかなかったのだろう。

「引退したつもりだったが役目を果たす必要が出たようだ。すまんな、セシリア。それにシスティア」

 お父様が私とお母様の名前を呼んでくしゃりを顔をゆがめた。

 既に各村への詰め所へ農民の保護と避難を命令している。農民だけで街道を行くのは農村で暮らすより圧倒的に盗賊へのリスクが高くなるためだ。

 まして戦があり農民が避難していると知ればそういった輩が狙うことは想像に難くない。

 詰め所に居る騎士を援軍として召集するのは間に合わない。

 勿論、お父様が指揮を取っていた常勝無敗の魔術師部隊もここにはいない。それどころか満足に魔法を扱える者さえいなかった。


「周辺の村への伝達と避難指示は完了した。二人も間に合ってよかった。王都へも連絡は済ませてある。高速で移動できる精鋭の先遣隊を寄越してくれるそうだ。お前たちはそれに合流してから首都に行くんだ。ノーティアの詰め所の騎士を待機させてある、途中までの護衛を頼んであるから心配するな」

 お父様はそういって着々と準備を整える。

 商国の兵は止まってという祈りも空しく一直線にここ、砦を兼ねるノーティアに向かっている。

 もはや進軍以外の意図は感じられない。和平の使ならば事前に連絡の一つでも寄越すものだ。

「お父様、私も一緒に行きます」

「ダメだ。お前たちは逃げるんだ」

 ここで離れてはいけない。けれどお父様はきっぱりと言い切る。

 もうすぐここは戦場になる。そうなれば、この程度の人数で敵の軍を受け持つのは不可能だ。

 だとしたら、これはもう……詰んでいる。

「なら、せめて一緒に行きましょう」

 詰んでいるということは負け戦が決まっているのだ。残っていれば殺される。一緒に逃げるべきだ。

 けれどお父様はそれにもきっぱりと言い切った。

「こんな状況だからこそ貴族は立ち向かわなければいけないんだ。一人でも多くの人たちが逃げられるように。


それが貴族の仕事なんだよ。先の戦争でも、王国の無数の兵の前に逃げ出した貴族が数多く居た。戦争があれほどまで長引いてしまった理由の一端はそこにあるんだ。これはもう一人の問題じゃないんだよ」

 死さえも厭わない覚悟と誠意。何もない所から貴族にさえなれたのは、きっとこの魂があったからだ。

 でもだからといって死ぬのが分かっているのを置いていけというのだろうか。

 そんな事は絶対にできない。

「それなら私だって貴族です。ここに残ります!」

 そういいきった私にお父様は少し困った顔をしてからとても、とても優しい顔で笑った。

「立派に育ってくれたな。ならなおさらだ。この地はやがて皇国によって取り戻される。その時に統治する貴族がどうしても必要だ。そのためにも生き残れ」

 6歳の幼子に一地域の統治なんてとても出来るわけない。違う。そんな事が言いたいんじゃない。

 これはただの、お父様が個人的に私を生かすための理由付けだ。

 同時にもう生き残ることは考えていないのだと気付いてしまった。お父様は死ぬことを前提に事を考えている。

―対象 強い 眠り―

 ふいにお父様の口から聞きなれた呪文が漏れる。音が勝手に意味となって頭の中で再生された。

 睡眠の魔法、しかも単体の威力を強化したものだ。景色がどろどろと崩れていく。それでも負けるものかと目を開こうとしているのに目蓋は全く言うことを聞いてくれない。

 「すまないな、お前だけを悪者に」

 そんなお父様の言葉を最後に私の意識はぷっつりと途切れた。


 目が覚めると馬車の中でぐっすりと眠っていたようだ。頭の下に柔らかい感触がする。

 ゆっくりと目を開けると心配そうなお母様の顔があった。

「ここ……どこですか?」

 揺れる馬車の中はつい最近覚えがある。あれは、そう。ルーカスの村から帰る時のことだ。

 長い夢でも見ていたのだろうか。頭がぼんやりとする。

「お母様?」

 見上げればいつも笑顔が溢れていたお母様の顔が悲しみに歪んでいた。

「どう、したのですか」

 何か大切なことを忘れている。思い出す。何があったのか。ルーカスの村から屋敷まで帰ると使用人は執事長のロウェルしかいなくて、お父様だけが私たちを待っていた。

 そこで大事な話があるといわれて……。

 思い出した。どうして今までこんな大切なことを忘れて寝ぼけていたのか。

「お母様、お父様は!」

 けれど答えてはくれなかった。馬車の窓から外を見る。覚えのない景色が広がっていて周りには町もみなれた森も見えない。

「お母様! あれからどれくらい経ったのですか! 戻らないとお父様が!」

「お嬢様。今はそっとしてあげてください」

 声に振り向けばそこには見覚えのある執事が座っていた。ロウェルという、まだ若いがお父様の片腕といわれ私にもよくしてくれた使用人の一人だ。

「ロウェル、私はどのくらい眠っていたのですか」

「二日で御座います。バレル様の魔法が思ったよりよく効いてしまったんでしょう」

 二日という言葉に愕然とする。それではもう戻ったって間に合わない。

 どうして逃げたのかとお母様に詰め寄ろうとして、寸での所で思いとどまる。

『すまんな、お前だけを悪者にして』

 あの時の言葉は、この時の為にかけられたものだと気付いたからだ。

 お母様だって逃げたくはなかったはずだ。多分、私さえいなければお父様の傍に残る道を選んだだろう。

 でも私がいた。親として守らなければならない存在がいた。同時に、貴族として守らなければならない道があった。

「バレル様は素晴らしい魔術師です。大丈夫、きっと無事でいられます。今は御自身の事を案じてください。もしお嬢様やシスティア様に何かあればそれこそバレル様が悲しまれます」

 お母様は相変わらず辛そうな顔で俯いて何も言わない。

 心配していない人なんて誰もいなくて、でもどうしようもないんだ。

 これが最良の選択だった。


 しかしそれから3日後、先発隊の軍と合流すると事態は思わぬ方向に流れ出した。

 商国がフィーリルのノーティア、すなわち屋敷がありお父様がいるあの町に討伐軍を編成し出撃させたのだ。

 あわや本格的な戦闘の始まりかと思ったのだが討伐の対象は同じ商国の軍だという。

「商国の軍は正規軍ではありませんでした。どこかの貴族が私兵を使い領土の拡大を目論んだようです。皇国に向けて謝罪が届きました。恐らく数日もしない内に討伐されるものと思われます」

 あの時、こちらにやってきた軍の数は凡そ千人程度、それに対して討伐軍の数は4千程度、もし本当ならばすぐに鎮圧されるはずだ。

「ひとまずお二方は王都へとお越しください。こちらで安全の確認ができましたら連絡させていただきます」

 ようやく希望が見えた。もしかしたら4千の正規軍によってお父様が止めるまでもなく討伐されたかもしれない。

 そこから王都への約一週間の道のりはそれまでと違ってほんの少しだけ気が楽になった。

 王都には通信用の魔法が整備されている。

 屋敷にも通信用の魔法は配備されているから王都につく頃には先遣隊がすでに安全の確認を取っているはずだ。

 そう信じて王都の門を潜ったのだ。



「バレル・ノーティス様は戦死されました。千の軍隊をたったお一人で1日もの長い間お止めになったそうです。


その魔法の威力は平地に幾つもの大きな穴を開けるほどのものでした。どんな魔法を使えばこんなになるのか……私どもでは理解できないほど、素晴らしい力です。こんな事になるなんて非常に残念で仕方ありません」

 知らない沢山の誰かが慰めの言葉を次々とかけていった。

 ぼうっと霞んだ様な頭に誰かの言葉が通り抜けて、結局何も残らない。

 王都にたどり着いた私たちに待っていたのはお父様であるバレル・ノーティスの戦死報告だった。

 商国側の非正規軍は正規軍より1日ほど早くノーティアに到着した。

 お父様はそれをたった一人で24時間という長い長い時間を足止めし続けたのだ。

 どんな歴戦の勇者でもたった一人で千の軍を止めた例はない。御伽噺のなかでさえ語られたことはない。

 一人の人間が持つ力は幾ら鍛えたところで高が知れている。お父様も例外ではなかった。

 魔力の量だけで言えばお父様はそれ程高いわけではなかったという。

 だが複数の魔法を同時に扱う、複合魔法という特殊な理論で魔法を使うことが出来た10年前の戦争の話です。バレル様の魔法を使う姿を見ましたが、それはもう信じられないほどの威力でした。


水と雷と火の属性を複合するという魔法で敵の重盾部隊をいとも簡単に吹き飛ばしたのです」

 何もかもが霞んだ頭に一つの疑問とそれに対する答えが浮かび上がる。

 あぁ、それはきっと水素爆発だろう。

 大量の水を電撃分解したところに炎をほんの少しだけぶつければ発生した水素に引火して大爆発を起こす。

 そうか、一人ひとりの魔法の力は高が知れていても、科学反応を起こすことで大きな反応を起こすことは可能なのかもしれない。

 だから、どうしたというのだろうか。

 かけがえのない存在を失うということを経験したことは一度もなかった。

 自分もしんどいし、何より塞ぎこんでしまったお母様を見るのもしんどい。

 深く考えず軽薄な事を言ってしまい申し訳ありませんと謝りに来たロウェルの硬く握られた拳を見るのも辛かった。


 こんな時どうすればいいのか分からなかった。

 でも泣き叫ぶことだけはしなかった。きっとそうしてしまえば沢山の人に迷惑をかけるに違いないから。

 葬式は王都で粛々と行われた。死体はノーティアの村に安置されていて、埋葬はそちらで行う。

 国王がどうしてもこの手で葬式を執り行いたいと願い出なければ葬式もノーティアで行われていただろう。

 国王にとってもお父様は特別な存在であったようだった。

 よもやこんな事が起ころうとはと一国の主から直接の謝罪があったのには驚いた。

 商国への補填も十分にさせようとさえ言われたが、どうでも良い。

 首謀者が打ち首になろうと、お金を貰おうと起きてしまった出来事は何も変わらない。

 このまま首都でそれなりの身分を用意し暮らしてはどうかと提案された。

「私は、お父様の後を継ぎたいです」

 しかしその申し出を断る。破格の条件といっても差し支えなかった案を断ったのには理由がある。

 一つは貴族という存在にほとほと嫌気が差したこと。

 空虚な心に一体何度歪んだ言葉を聞かされたことか。激昂するだけの気力がなかったのが幸いしたが、あれば持てる全力で魔法を使っていたかもしれない。

 幾ら魔法の攻撃力に限界があろうとも、人一人を吹き飛ばすくらいの威力は出せる。


 お父様は元より一介の魔術師から貴族としての地位を得た身だ。

 戦場で成り上がったという風潮は貴族の間でも強く、王が取り入ったのもまた気に食わないのだろう。

 もう一つは、というよりこちらの理由が大部分を占めているのだが、あの時のお父様との約束もある事だ。

 貴族として民を守ること。

 私にできることは沢山あったはずだ。

 優としての記憶はこの世界よりも遥かな先を進んでいる。なのに私は今までその知識を使おうとしなかった。

 怖かったのはある。私の知識が畏怖され周囲の人々に奇異の目で見られてしまうことが。

 だけど貴族して生まれたのであれば、人々の為になる力を己の中で留める事はきっと許されない。


 辺境伯としてフィーリルを治める覚悟はあった。成功するかは分からない。お父様と違って私には経験も実績もまるでない。あるのは頭でっかちな知識だけだ。

 国王はその申し出に唸ってから、最終的には許可を出してくれた。

 6歳の子どもに1地域を任せるなどどうかしているという宰相や側近の意見さえ跳ね除けてまで。

 期待されていたわけではないのだろう。

 元々フィーリルでの辺境伯の仕事は数少ない。防衛と税の収支計算だが、税の計算に関してはお父様自身が行っていたのではなく、屋敷に雇われた財政の知識を勉強した使用人に任せている。

 公認会計士とでもいうべきか。

 防衛に関しても既に先遣隊がフィーリルに待機・展開している。

 新しく辺境伯を配置するにしてもフィーリルは人気がない。

 ドが付くほどの田舎で首都であるノーティアは農村といった風情で娯楽施設と呼べる物は1件の酒場。

 享楽に溺れる貴族がおいそれと受け入れられるものではない。

 

 しかし足を引っ張ることだけに関しては人一倍敏感な彼らは辺境伯という爵位を低いくらいの貴族に与える事を快く思わない。

 王とて国を一人で動かしているわけではないのだから周囲の貴族や宰相の意見を全て無碍にし続けるわけにはいかない。

 実際、セシリアに爵位を与えるのを反対した貴族に王は言ってのけた。

「ならばそなたが引き受けてくれるのか?」

 当然その貴族が火の付いた鍋に入りたいと思う勇敢な貴族であるはずもなく語尾をすぼめて着席した。

「では誰か。引き受けようという者は居るか?」

 謁見の間は見事なほど静まり返り、苦々しい貴族の表情を取り巻きながら簡単な爵位の授与式まで執り行ってくれた。

 その際に王が茶目っ気たっぷりにウィンクをくれた事は忘れようとしても忘れられないだろう。

 

 でもだからこそ私は早急に結果を出す必要があった。悲しんでばかりいる訳にはいかない。やるべき事は山のようにある。

 付けるべきは力だと思った。民を守れる力。自分の願いを押し通せるだけの力。

 その為に必要なものを考えなければならない。

物語は第二部へ

主にフィーリルの防衛能力、戦闘力を向上させる為多種多様な分野を改革していきます

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[気になる点] ~10年前の戦争の話です。バレル様の魔法を使う姿を見ましたが、それはもう信じられないほどの威力でした。 ~水と雷と火の属性を複合するという魔法で敵の重盾部隊をいとも簡単に吹き飛ばしたの…
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