呪文の研究と成果
1年目は数発で魔力切れになるせいか、殆ど解析が進まず悶々とした日々を過ごした。
2年目は多少増えた魔力と1年目に溜め込んだ要素のメモの検証で調べる事が山のように増えた。
季節の移ろいとともに少しずつ、けれど確実にノートに書いた単語の意味が解明されていく。
例えば、タイルトは対象を決めるための語句で全ての魔法に使われている。
ステラは使う魔法を強化する意味合いを持ち、エイルは風の要素を、カルティアは刃の要素を、スロアは放つ、或いは打ち出す要素を、エンティは魔法の実行を行うための起動句だ。
3年目には基本骨子の解明が大部分完了して溜め込んでいた要素のメモはさながら辞書のようにびっしりと文字で埋まった。
ここに至って気づいた事がある。魔法は呪文だけで作られる物ではなく、術者の想像で補正する事が可能という点だ。
タイルトは対象を指定する語句なのだけれど、呪文の中には何が対称なのか書かれていない。
どうやらこれは術者が魔法を撃つ時にあれに向かって撃つという思考がそのまま術式に反映されている様なのだ。呪文とは魔法の基礎の形を作るだけで、思念によってある程度の修正が可能という事だろうか。
試しに何も考えずに風を起こす魔法を使ってみた所発動さえしなかった。
もう一度、今度は対象を強く思い浮かべてみると思い浮かべた場所で魔法が発動する。
それならばと、火の呪文を使いつつも水の魔法が発動するイメージをしてみる。
結果は何も発動せず、流石に無理があるようだ。
何度かこういった実験を繰り返すうちに想像で変えられる物と変えられない物があることに気づいた。
"呪文で指定した部分に関しては変える事ができない"
タイルト エイルと詠唱した時点で風の魔法しか発動できなくなり、その後にカルティアと詠唱した時点で風が刃の形に変化するのが確定する。
後はそれを飛ばしてもいいし難易度はともかく自分で握って不可視の剣としてもいいが、風の刃を槌の様な形に変えたりする事は絶対にできなくなる。
ならばタイルトだけ発音して後は想像で魔法の内容を決めれば呪文の詠唱なしにどんなことでもできるのでは、と思い試してみる事にした。
結論からいうと確かに発動自体は可能だった。
今までの解析の苦労は何なのかと思ったが、何度か続けるうちにこれが現実的には不可能だという結論に行き着く。
考えても見て欲しい。頭の中で炎が飛んでいくイメージを完璧に再現できるかと言われて出来るだろうか?
炎の温度、形、方向や重力の干渉、速度や質量など、想像しなければならない項目が異常なほど多いのだ。
その時に少しでも矛盾が混じってしまえば魔法は矛盾点を受け継いでしまう。
初めて作った火の玉が飛んでいくイメージは質量や重力の干渉を全く考えていなかったのでまともに飛ばず、危うく両足を大火傷する所だった。
次に作った火の玉はその場にへろへろと落ちていった。飛ばす為の速度や角度が矛盾していたからだと推察する。
10分ほどかけて入念に入念にこれでもかと設定を想像した火の玉を作ると、やっと成功。
といっても、この程度の魔法なら呪文1秒で使えてしまう。
最後に超高速で飛び出す火の玉を想像したところ、矛盾があったようですぐに消滅した上に理不尽なくらい大量の魔力を消費してその場にへたり込んだ。
イメージで操作できるのは発動の直前までだ。発動して魔法が具現化してからは一切の干渉が出来ない。
魔法は具現化する時に魔力を使う。イメージした魔法に突出した力、今回で言えば超高速といった要素を入れてしまうとそれだけ莫大な魔力を消費する事になる。
超が付くほど威力の高い魔法を撃ってやると想像して使ったのに、内容に矛盾があって魔法は消滅。おまけに莫大な魔力を使ってその場でばたんきゅーなんて事だってあるかもしれない。
機械の様な速度と正確さで使う魔法をイメージして制御する? どうみても不可能です。本当にありがとうございました。
自分の研究が無駄にならずに済んだという安心と呪文の必要ない魔法の発動は不可能という不便さに喜ぶべきか悲しむべきか。
漏らしたため息の重さは6歳の少女のものではなかったと思う。
ともなればやはり単語の意味の解明は必要不可欠だ。
実際、幾つかの単語を組み合わせて呪文にしたところ、魔術書にかかれていなかった魔法を発動させることができたのだ。
気分は最骨頂とばかりに喜んだのも束の間、また大きな問題に直面する。
情報が"完成した呪文"に頼っている以上、発見されていない未知の要素を扱うことができない。
例えばこの世界には重力という概念がまだ生まれていない。
だから重力を操作しようという魔法は1つもない。
重力という要素を持った呪文の音がさっぱり分からないのだ。
残念ながらどんな暗号にも単語を解明する方法はない。
単語は規則性が完全にない、いわば一番小さな単位だからだ。
appleを何故りんごと呼ぶのか。そう決まっているからとしか言いようがない。
aは赤を示し、pは食べられるという意味でppは食べられる木の実となり、leは美味しいという意味を持つ。
……なんてことがあるわけない。appleはそれ以上分解が不可能な最小単位なのだ。
最小単位を調べるには物量作戦で思いつくままに適当な音を発声して発動しないか調べてみるしかない。
ぱっぱらぱー、発動せず、ぴぽー、発動せず、ぺぱー、発動せず、みたいな感じで。
それか呪文の原型でもある精霊語とやらを古代の遺跡から探し出して解読し、重力に関する魔法の壁画なり古文書なりを探すしかないか。
そしてさらにもう一つ重大な問題が。
この世界には魔法物のRPGでは永久欠番、出現率99%の王道中の王道。
治癒魔法、回復魔法が"存在しない"事が発覚した。
魔法は要素に対して増殖や変化、置換や強化を行うものというのは単語の組み合わせからみて推察できる。
でも傷を治すというのは単純に要素を増殖・変化・置換・強化して行うものではない。
裂傷が出来たとする。それを回復する手段はこうだ。
まず浸出液で傷は覆われ、血中の血小板が傷口に集中して血管が収縮し止血される。
次に壊死した不要な細胞はマクロファージによって取り込まれ、繊維芽細胞が分泌するコラーゲンが主成分の肉芽組織による収縮が起きる。傷が新しい細胞で埋まると考えてくれれば良い。
それが瘢痕組織への変化、つまりは成長しきって完全に塞がり傷は安定、自然治癒完了となるわけだ。
見ての通り傷の治癒には大量のプロセスが複雑に進行して達せられるの。まさに人体の神秘。
で、これを魔法で再現するとなれば重力と同じようにそもそも単語が足りない。
血小板? 細胞? マクロファージ? 重力はともかく、そんな単語が見つかるとは思えない。
想像で補うにしても項目が多すぎて、スパコンでも持ってこいと叫びたい。
だいたい細胞の大きさからして無茶すぎる。目に見えない億に達する微小な細胞を想像だけで操作しろと?
確かに私は暗号が好きだ。大好きだ。でも顕微鏡サイズで書かれた億を越すマスのあるナンプレを解こうとは思わない。
大きくすれば美しいわけでも楽しいわけでもないのだから。
それにこれほど大規模な魔法を使う魔力もなければ、組み立てる間に傷はとっくに治ってるだろう。
瀕死の重病人に使う頃には既に腐敗して何も残っていまい。
あぁ、魔法ってままならない。
この物語に治癒魔法なんて便利なものはありません!
なんてままならない……