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果ての世界で  作者: yuki
第三部 帝国編
42/56

セシリアの受難

 数日後、セシリアの足は骨が無事だったことと若いこともあって、一人で杖を使って歩き回れるくらいには回復していた。

 首都は再びのお祭り騒ぎで賑わっていたようだが、セシリアはここ数日間一歩も外に出ることが出来なかった。

 というのも、数多くの貴族がこぞって会談を求めてきたからだ。

 辺境伯の領主としては相手に求められればこなさないわけにはいかない。

 7歳の子ども相手と侮った相手を完璧な対応でいなして見せることが唯一の娯楽になってしまったのは仕方の無いこともである。。

 巷では此度の活躍の報酬として数ある爵位の中でも最高位の公爵を与えられるだろうとまことしやかに囁かれていた。

 国王としてもフィーリルだけでなくこの国そのものを守ってほしいというのが本音だろう。

 本来であれば王族にしか与えられない公爵が与えらたとしても何ら不思議はなかった。

 もし公式に通達があればセシリアに拒む術はない。

(できれば全力で拒みたいけど……)

 もう戦争が終わったならフィーリルに戻ってもよかったのだが、国王に慰留されていることを考えると噂は本当である可能性が高かった。

 今は傍にロウェルもシスティアもいない。

 2人とも色々な用事があるようで、このところ会談のない時間はずっと一人部屋に篭ってごろごろしているしかなかった。

 今日は午前中しか会談が入っておらず、あとは自由に過ごしても問題ない。

 まだ足は痛んだがこのまま部屋で芋虫になっているよりはマシだと思うやいなや、接客用の華美なドレスを脱いで子供向けの簡素な服に着替える。

 それだけでどこからどう見ても活発な町娘に変わってしまう。

 テーブルの上に町を散策してくる書置きを残して暇つぶしとばかりにお城を後にした。

 

「やぁ、可憐なお嬢さん」

 城と町の境目を少しだけ過ぎた頃、塀の上から奇妙な声が聞こえたがセシリアは少しも構うことなく脇を通り抜ける。

 声の主は一瞬呆けたように彼女を見て、慌ててもう一度呼び止めた。

「ちょっと待って、せめて少しは反応してよ」

 けれど止まる気配はなく、声の主は少し膨れながら塀から飛び降りてセシリアを追いかけ前に回りこむと手を広げて道を塞ぐ。

 年の頃は10くらいだろうか。

 セシリアよりも頭ひとつ分くらい大きな背を見上げれば、まだ子どもらしさが色濃く残っているもののよく整った、数年後はさぞ女性を騒がせるだろうと容易に想像のつく顔が少しだけむくれていた。

 膨らんだ頬にはさらさらとした細く長いの金髪が一束流れていて、ともすれば女の子にも見える。

 商人の子、いや、どこかの貴族の子どもだろう。

 まだ声変わりを迎えていない少年の話し方にはどこか落ち着きと気品が溢れていてた。

「完全に無視することは無いじゃないか」

 セシリアはそんな少年を見て眉を潜める。

 無視したつもりなど初めからなかった、というより、お嬢さんと声をかけられた時点で自分ではないと決め付けていた。

 不思議そうに周りを見渡してみるが近くには誰も居らず、ようやく自分が呼ばれていたことに気付く。

「私を呼びましたか?」

「それ以外誰が居るって言うのさ」

 当然とばかりに少年が頷くが、セシリアには呼び止められる理由があるように思えない。

「何か御用でしょうか」

「君は中々マイペースな子だね……。可愛い女の子がいたら声をかけるのが男の常識だよ」

 セシリアはそんな常識があるかと内心思ったが勿論言葉には出さない。

 ただ一度そうですか、と淡白に頷くとその脇を通り抜けて先へ進んだ。

「ちょっと待ってって! 何か急ぎの用でもあるの?」

「特にないですけど、変な人に関わってはいけないと教えられました」

 悪い人間には見えなかったがあまり関わりたいと思わない性格、というのが率直な意見だ。

「変な人って……君は僕を知らないのかい? ……これは面白い」

 意味深に笑う彼を見て、完全に痛い人だと認定する。もしかしたら女の子に片っ端から声をかけることで有名なのかもしれない。

 相手にしてもらえる人が居なくなって寂しくなったのだろうか?

 自業自得とはいえ、それは少しだけ可哀相な気もする。だからといって付き合う義理は持ち合わせていなかったが。

 我関せずとばかりにさっさと距離を開けようとするのだが、なにぶんまだ足は怪我をしていて杖を付いている状態だ。

 自分より年上の、それも男の子相手に距離を広げられるとは思えない。

 先ほどからセシリアは何一つ答えていないというのに、隣で歩調を合わせる少年はとりとめもない話を続けていた。

 自分の事、この町の事、お勧めの場所など、一体どれ程の情報が詰まっているのだろうか。

「あの、いつまで着いてくるんですか?」

 邪険にしていればその内居なくなるだろうと思って意味もなくそこら中をうろうろしていたセシリアだったのだが、普段運動しない上に慣れない杖で歩いているせいで既に息は上がっている。

 対する少年は止め処なくお喋りを楽しめるくらいの余裕が有り余っていて、セシリアは段々と馬鹿らしくなってきた。

「君が家に帰るまでかな?」

 事も無げにそう告げる少年の前でこれみよがしに大きな溜息をついてみせる。だがめげる様子は全くない。

「いいです。それなら帰りますから」

 外出は諦めようと踵を返し、お城に戻ろうとすると相変わらず少年はすぐ傍を歩いてくる。

 城まで帰れば諦めるだろうと近道になる路地に入ったとき、突然鋭い低い男の声が聞こえた。

「居たぞ! こっちだ!」

 通路から数人の兵士がガチャガチャと鎧をがなり立たせて包囲してくる。武器は構えていないが手を広げ、ここは通さないと意思表示していた。

 女の子としては叫び声の一つや二つでも上げるべき状況だったのかもしれないが、セシリアは冷静に相手の戦力を見極めていた。

「……ごめん、巻き込んじゃったね」

「あれは貴方を追っているの?」

 驚きの声を漏らして相手を伺えば、確かに視線は少年に集中している。

「そうさ。全く、こんないたいけな少年一人に7人か……兵士の変装までしてご苦労なことだね」

 変装という言葉に兵士を見渡せば、普通の兵士とどこか装いが違う、これまでに見たことのないものだった。

 セシリアの思考が瞬く間に切り替わり、いかにしてここから逃げるかを思い描く。

 敵は少年を無傷で確保したいのか、或いは油断しているのか、武器を腰に下げてはいるが構えていない。

 瞬間的に波紋を投影すると驚くことに全員が魔力持ちだった。

「貴方は一体何者なんですか……」

 だが少年は曖昧に笑って女の子には嘘をつきたくないんだと、歯の浮くような台詞をのたまった。

 少年の態度に辟易するがもしかしたら話すことで巻き込むことを避けているのかもしれないと思い直す。

 そうこうしているうちに包囲網はじりじりと狭まっていた。

「さぁ、一緒に来てもらいますよ」

 隊長なのだろうか、一人だけ装飾の違う鎧を纏った歳若い男性が手を指し伸ばすが少年は毅然と言い放つ。

「断る!」

「あぁもう……連れて行くぞ!」

 男性はこれ以上の問答は不要だとばかりに指示を飛ばした瞬間、兵士が一気に詰め寄った。

 両者の距離は数メートル、絶体絶命のピンチにも拘らず、セシリアは少しも臆していない。

 彼女の口が僅かに起動句を口にした瞬間、想像の補正によって爆発的な突風が生じた。

 殆ど詠唱のない魔法の発動に兵士の誰もが目を見開き、対処する暇も与えられず豪快に吹き飛ぶが、怪我はしていないだろう。

「これは、一体。どうやったんだい?」

 信じられないとばかりに目を丸くして吹き飛んだ兵士を見ていた少年に何も答えず手を取って走ろうとするが、やはり足はどうしても痛んだ。

「早く一人で逃げて。すぐに起き上がるから」

「君をおいて? そんな事できるわけないじゃないか」

 だが少年は事態の深刻さを理解していないのか何を馬鹿なと取り合おうともしない。

「私は走れないし……自分の身くらいどうにでもなりますから」

「それならいい方法があるよ」

 兵士の一人がどうにか身を起こして緩慢な動きながらこちらに向かおうとしているのが視界の端に見えた。

 もう時間はないというのに少年は芝居染みた動作で一礼すると、事もあろうかセシリアを姫のように抱き上げた。

 驚いたセシリアが思わず杖を取り落とし、乾いた音を立てて転がるが拾っている時間はない。

「軽いね……ちゃんと食べてるのかい?」

 重さを量るように何度も上下に振られて思わず少年の首に手を絡ませると楽しげな笑みを零す。

「何するんですか……! 降ろしてくださいっ」

「首を掴まれたら降ろせないし、今はそれどころじゃないよ。しっかり掴まってて!」

 華奢な容姿だというのに、少年の力は思ったよりずっと強かった。セシリアを抱きかかえているというのに、走る速度は普段のセシリアの全速力に近いものがある。

 その代わり酷い揺れようで、セシリアは少年の肩をしっかり抱えていないと振り落とされそうだった。降ろしてと文句をいう暇もない。

 何より恥ずかしかったのはその様子を街の人に見られたことだ。

 中には隠しもせず好奇の視線を向けたり、囃し立てたりする人も居る。信じられないことに嫉妬の眼差しで見つめてくる女性すら居たほどだ。

 十分近く走り通して辿りついたのは首都で一番人の多い大通りで、否が応にも視線が集まり羞恥から顔を真っ赤に染めて僅かに涙さえ浮かんでいる。

「降ろしてください……」

 蚊の鳴くような声で小さく言うと、少年はセシリアをそっと地面に降ろした。だが片足が地面に触れるなり鈍い痛みが響いてバランスを崩し道路に倒れこむ。

 それに気付いた少年が咄嗟に抱えるものの、余計に注目を受けてしまった。

「足、怪我してるんじゃないの?」

 言われるまでもないが、あんな事があったせいですっかり怪我のことを失念していた。

 杖は先ほど襲われた場所で落としてしまったし、これでは歩くことすらままならない。

 思わず文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけたのだが、僅かに早く少年が頭を下げた。

「ごめんね、巻き込んでしまって。それからありがとう。君のおかげで助かったよ」

 ずるい、と思った。こうまできちんとお礼を言われては愚痴の一つも言えないではないか。

「代わりと言えるか分からないけど、今日一日君の足の代わりになるよ。どこか行きたい所があったんじゃないのかな」

 ここで城につれて帰ってくださいと言えば恐らく開放される。

 でも少年のことがまだ少し心配だった。

 行きたかった場所もあることだし、様子を見る上でも仕方ないかとばかりに提案を受け入れる。

「でも肩を貸してくれるだけでいいです」

「えぇー」

 再び抱きかかえようとする少年に向けて威嚇すると残念そうな声が漏れた。

「まずは露天が沢山でてる通りに向かいます。あんまり時間もないですし、急ぎましょう」

 

 セシリアがしたかったのはロウェルとシスティアの3人で一緒に露天を回るため、何がどこにあるのか事前に把握することだった。

 二人の好みは熟知しているし、案内できればそれが一番いい。

 露天には実に様々なものが並んでいた。

 骨董品、貴金属類、服に装飾品や小さなバッグ、木で編まれた籠なんかもある。

 けれど一番は沢山の食べ物だ。

 見たことも聞いた事もない野菜や肉類がある物は煮込まれ、ある物は焼かれ、香ばしい匂いを辺り一面に振りまいている。

 船上では味気ない食事ばかりな上に会談の連続でろくに食事が取れなかったセシリアは期待の眼差しでそれらを眺めていた。

「君はどっちかといえばこっちの方が興味があるみたいだね。あれなんかはお勧めなんだけどどうかな」

 少年が指差した一角にはいつかロウェルが有名な店と言っていた肉屋が秘伝のタレをたっぷりかけて肉を焼いていた。

「それからあっちもお勧めだよ」

 その向こうでは負けじと新鮮な魚に特性の塩を振りかけて女性が魚を焼いている。

 ……どこかで見た事のある構図だ。

「確かに美味しいんですけど、買い辛いですよね」

 真正面に店を構えた2人は客の前だというのに凄い剣幕で互いをにらみ合っていた。

 何も知らない客はその視線に身をすくませ退散し、事情を理解している客は楽しそうに眺めている。

「どうして毎回似通った場所にお店を出すんでしょうか……」

 仲が悪いのならば離れればいいのではないか。

「そしたら負けたみたいに感じるんだよ」

 くすくすと、少年はしたり顔で二人を交互に眺めては楽しそうに笑っている。

「いいじゃないか。競い合うことで互いが成長することだってあるんだ」

 

 それから2人が向かったのは武器を並べている露天だった。本当に何でも揃っているらしい。

「女の子って服とかアクセサリに興味があると思ってたんだけど……武器に興味があるのかい?」

 物珍しそうに尋ねられるが、世間的な興味の観点で言えば武器が好きな女の子など早々いるまい。

 だがセシリアの意識は優のもので、彼は男の子で、男の子というものは武器というジャンルにほいほいと惹き込まれるものなのだ。

 長剣、短剣、槍、弓、投擲用のナイフやどう使うか分からないようなごてごての物まで、そこには実に多種多様な武器がわんさと並んでいた。

「本物はあまり見たことがありませんから」

 当然、日本でそんな物を売っている店はない。精々が刺身包丁か模造刀が限度で浪漫を感じはするが本物には遠く及ばない。

「本当に変わってるね。でもどっちの服がいいか、アクセサリがいいかって聞かれるより随分と楽だよ。良く分からないし、聞いた時にはどっちにするか決めてる子は多いんだ。そっちを選ばないと凄い目で睨まれるんだよ……」

 少年の顔に暗鬱な感情が浮かび、うんざりしたような口調で漏らす。

 でも服やアクセサリが良くわからないというのはセシリアも同感だ。

「どうしてそんなに着飾るんだろうね」

 素朴な疑問に、セシリアはさぁとお茶を濁した。

 システィアがセシリアに色々な可愛らしい服を着せて楽しんでいるのは、本人が楽しいのも勿論あるだろうが、セシリアが歳相応の女の子らしくなって欲しいという希望も混じっている。

 こうして平和になった今なら、少しくらい要望を叶えてあげるのもいいかもしれない。

 

 ウィンドウショッピングを楽しんでいるうちに、初めこそ事務的な言葉のやり取りだった物がいつのまにか友達のような気楽なものに変わっていた。

 どちらともなく笑顔が漏れて、或いは小さな微笑ましい恋人同士にでも見えたかもしれない。

 久々の、外見上とはいえ同年代の相手と話すのはセシリアにとってもいつの間にか楽しいものに変わっていた。

 

 そうやって幾つかの露天を見たとき、不意に人波が割れた。

 どうしたことかと周りを見れば先ほどの兵士が辺りにぐるりと展開されている。

「やぁ、また会ったね」

 警戒の色を強めたセシリアと裏腹に少年の物言いは古くから知る知人に偶然会ったかのような気さくなものだった。

「やっと見つけました……お願いですからお2人とも城に戻ってください、王子。それからセシリア様も。表を出歩くならば護衛をつけてください」

 魔法を使おうと思ってたセシリアが男性の言葉に唖然として少年をじっと見つめる。

「やだな、そんなに見つめられたら照れるじゃないか」

「王子……?」

「いかにも。僕は皇国の継承順第一位、現皇国王の一人息子さ」

 言われてみれば謁見した時の王と顔のパーツが所々似ている。

「驚いたよ。僕を見て誰なのか分からないなんて言われるとは思わなかった」

「ちょっと待ってください……じゃあこの方々は? 変装とか何とか……」

 わなわなと震える手で目の前でしょぼくれている男性を指差すと、小悪魔的な笑みを浮かべて告げる。

「僕専属の護衛に決まってるじゃないか」

 鎧の意匠が違うのは、なんてことはない、彼らは王子専属の騎士団だったというだけの話だ。

「じゃあ私は、その騎士団に向けて魔法を……?」

「あれには驚いたよ。油断していたとはいえ彼等も相応の訓練は詰んでる。僕も流石に諦めたんだけど、まさか君が颯爽と倒してくれるなんて思いもしなかったからね!」

 さぁっと、セシリアの顔から血の気が引いた。

「ご、ごめんなさいっ」

 勢いよく頭を下げたセシリアに、騎士団長は気にするなと笑う。

「王子があることないこと吹き込んだのですね。いつものことですから、余りお気になさらないでください。王子ももう少しご自身の立場について自覚を持ってください。今日は大切な日だと言いましたよね」

 ずずい、と顔を近づける団長だったが王子はどこ吹く風、馬の耳になんとやら、少しも気にした様子はない。

「大事な日だからだよ。未来の妃になる相手がどんな人物か知っておきたかったんだ」

 未来の妃ということは婚約だろうか。流石、王族となると進んでるなぁと人事ながら感心していると、王子の視線がセシリアに向かう。

「わかってなさそうだから言っておくけど、相手は君だよ?」

 それを聞いて、セシリアは相手が"kimi"という名前なのだと思った。珍しい名前だとは思ったが首都となると色々な名前があるのだろう。

 日本でもきらきらネームなんていう凄まじい当て字が流行っていたことを思い出し、どこでもそういう風潮はあるのかと納得する。

「絶対にわかってないからもう一度言うけど、相手はセシリア、君だ。フィーリルの辺境伯で商国・帝国を退けたこの国の救世主さ」

 王子の言葉にセシリアの目が点に変わった。

 一体目の前の相手は何を言っているのだろうと、言葉の意味を理解しようとして、本能的に拒絶する。

 だがいつまでも誤魔化してはいられない。問題とは向き合わねばならない。

 婚約とは何だろうか。辞書によれば男女が将来における結婚の約束をすること。

 結婚とは何だろうか。辞書によれば社会的に承認された終生にわたる永続的な一定の共同体を創設することを目的とする契約。

 そう、これはただの契約だ。紙に判子を押すのと一緒でなんでもない。

「……そんなわけあるかっ」

 思わずセシリアの口から久しい素が出た。

「どういうこと!? そんな話全然聞いてない!」

「それはそうだよ。決まったのはつい最近で、君はいろんな貴族に会うのに忙しかったみたいだからね。ちなみに、君のお母様の承認も得ている」

 外堀はいつの間にか埋まっていた。

「城に戻って……直接話をしてくるから」

 

 

 痛む足のことなど忘れていた。

 歩いている最中ずっと頭を巡っていたのはなにがどうしてこうなったという疑問だ。

 城に戻るなり待ち構えていた迎えによってセシリアは王子ともども一際大きな応接間に連れて行かれた。

 そこには国王、ロウェル、システィアが揃っている。

「お母様、婚約ってどういうことですか」

「あら、もう話を聞いたのね。そうした方が安全ですもの」

 からからと笑うシスティアに、セシリアはがっくりと肩を落とした。今日ばかりは流されるわけには行かない。

「ですから、どうして婚約などしなければならないのですかっ」

 それも、一国の第一位継承者と。

「それはこちらから説明しよう。此度の労に対し、国王としてそれなりの褒美を取らねば他のものに示しが付かない。そして与えるならば公爵しかない」

 公爵、という二文字に、セシリアが過敏に反応する。

 出来れば辞退したいところだが、他のものに示しが付かないと言われてしまった異常、断ることは出来ないだろう。

「だが一個人である今のセシリア嬢に公爵の地位を与えるのは蟻の巣に砂糖菓子を放るのと同じだ。あの手この手で君に手を出す輩が増えないとも限らない」

 セシリアが公爵の称号を得れば配偶者も自動的に同じ地位になるうえ、親族全体の地位も底上げされる。

 後ろ盾があり、守られている貴族であれば降りかかる火の粉を払うことも容易いだろうが、今のセシリアにはそれがない。

「だからこその婚約だ。形だけでも我々王族の庇護下に入れば一切手出しはさせないと約束できる。まぁ、本当の意味で婚約してくれればそれに越したことはないのだがな」

 それは最強の後ろ盾だ。婚約を結んだ時点でセシリア、もといノーティス家は王家となる。

 どんな貴族でも王家の相手をどうこうしようとする輩はどこにもいない。

「僕も形だけじゃなくていいんだけどね。女の子に助けられたのは初めてだし、一緒に過ごして退屈しなかったのも初めてだよ。こう言っては失礼だけどまるで男の友達と居るようで楽しかった。君には興味が尽きないよ」

 何気ない王子の一言に、セシリアがどきりと固まる。まるで、ではなく、そのものでもあるのだから。

 国王も王子もシスティアもロウェルも全員賛成のようで、既に外堀は完全に埋められた後だった。

 今更否定しても聞き入れられないことを理解すると大きな溜息を吐き出した。

「……分かりました。ひとまず形だけは受け入れます」

 

 

 

 システィアとロウェルが忙しかったのは婚約の発表を行う準備を進めていたからだった。

 話を聞いた後、首都内に住む貴族を集めての婚約発表が行われる。

 なんとかセシリアを手に入れようと思っていた貴族が幾人か呆けて立ち尽くしていたのには笑うしかないだろう。

 噂は一瞬で首都に伝播し、セシリアが狙われることは完全になくなった。

 セシリアも主賓として参加したパーティーは夜遅くまで行われ、王城は真夜中過ぎまで賑やかな喧騒に包まれていた。

 やがて起きていられなくなったセシリアが眠ったことでパーティーは終わりを告げる。

 戦争は終わり、セシリアを取り巻く国内の不穏分子も抑え付けた事で、もしかしたら誰もが気を緩めていたのかもしれない。

 

 

 パーティーが終わってから4時間後、まだ暗闇に包まれる城内で複数の騎士が慌しく動き回っていた。

 その内の一人が国王の居室に向かうとドアをやや乱暴に開け、酷く狼狽しながら告げる。

「陛下……セシリア様が連れ去られました」

 冗談のような一言に寝起きで霞んでいた意識が鮮明さを取り戻す。

「馬鹿な……王族に手を出したというのか!?」

 婚約は内密に計画され、発表も電撃的に行われた。既に告知が終わった後に手を出したならば、それは国を敵に回すのと同じだ。

「それが……主犯は恐らく帝国。此度の宴に参加した貴族の中に回し者が居るものと思われます。誠意調査中ですが、セシリア様が国外に連れ出されたのはほぼ確実かと。港で怪しげな船を見たという目撃情報もございます」

「まさか……あの戦艦は囮だったと?」

「可能性はあります。追いかけようにも我が国には殆ど船が残っておらず、今すぐというわけには行きません」

 報告を聞いた王は愕然と項垂れた。

 セシリアの受難は、まだ終わってなどいない。

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