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果ての世界で  作者: yuki
第三部 帝国編
41/56

転生者たちの戦い-終-

 フィアとセシリアが目覚めたのはほぼ同時だった。どちらにとっても目覚めは最悪の一言に尽きる。

 フィアは額から玉のような汗をたらし、肩で荒い息を繰り返していた。目の焦点もどこか合っておらずまだ夢と現実の区別がついていない。

 押し倒された格好のセシリアもフィアほど取り乱してはいなかったが、今しがた見たセピア色の夢が頭から離れなかった。

 夢の中で押し寄せてきた絶望や憎悪、行き場のない悲しみは夢から覚めた今でも感情を塗りつぶして、無関係なはずのセシリアでさえもひとりでに震えるほどだ。

 考えるまでもなく、先ほどの夢が目の前にいるフィアの過去だという事は理解できている。

 押し殺していた感情、忘れようとしていた感情が一挙に噴出して彼が呆然自失となるのも無理はない。

 しかし逃げ出すには絶好の機会だというのに、何かの魔法でも働いているのか全身にまるで力が入らず指一本たりとも動かすことが出来なかった。

 それどころか声を出そうとしても喉に何かが詰まったかのように呻き声すら出せない。

「何をした……」

 そうこうしている間にフィアの精神状態は現状を把握できるくらいまでは回復したらしい。

 地の底から響くような低い声には確かな憎悪と怒りが滲んでいてセシリアを震え上がらせるが呪縛が解ける様子はなかった。

 声すら出せないセシリアが彼の疑問に答えられるはずもない。そもそも何かをしたつもりなどまるでないのだ。

 フィアは何も言わないセシリアを見て苛立たしげに腕を伸ばす。

 だが腕が彼女を掴むより早く、彼の身体が突然宙に浮いた。

 

 突然の事態に目を剥き、大きく崩れた体勢を立て直そうとしたところに振動と爆発音が届く。

「っくそ、仲間がいたのか!」

 セシリアが持っていた物と下層から伝わった音と振動で何があったのかを俊敏に察したらしい。

 船は大きく傾ぎ、部屋に置かれていた椅子や机が床を滑って載っていた調度品を床にばらまくと、ガラスの割れる甲高い音が立て続けに響く。

「だがこの程度なら……」

 ベッドの縁を掴んだフィアが周りの状況を入念確認し、今の攻撃のダメージがどの程度かを推し量る。

 爆発音は1度だ。1回だけであれば隔壁を封鎖し、ポンプをフル稼働すれば航行できるくらいの余力は残っている。

 そう思い立ち上がりセシリアに近づいた瞬間、更なる振動が巻き起こった。

 今度の爆発音は先ほどよりも近く、船自体が軋んでそこかしこの木材が不快な悲鳴を上げる。

 フィアの顔はみるみるうちに憔悴と動揺で彩られていった。内部の人員でどうにかできる損害かを考えあぐねている。

 セシリアを睨みつける形相は憎悪に歪んでいて、もし言葉を話せたのであれば悲鳴の一つでも漏らしたかもしれない。

 けれど身体は未だいう事を聞かずベッドに身を任せるしかなかった。

 が、動かなかったはずの口が唐突にするすると言葉を紡ぎだす。

『無駄よ。もうこの船が沈む未来は確定してるもの』

 その言葉に一番驚いたのは他でもない、セシリア自身だった。

 腹話術の様に勝手に紡がれた言葉はどこか大人びた、人を食ったような口調で普段のそれと全く違う。

 何より、身体が自分の物ではない意志によって動かされるという違和感は筆舌に尽くしがたかった。

 一体どういう事かと唯一巡らす事の出来る思考を働かせれば、思い浮かぶ答えは一つしかない。

―セシ、リア?―

―そうです。もう少しだけ、我慢してください―

 頭の中に、いつか心象風景の中で聞いた彼女の声が響く。どうやら今の身体の主導権は彼女の方にあるらしい。

『まだ他にも仲間はいます。これで終わりだなんて思わないでくださいね』

 淀みない自信ありげな言葉は完全なブラフ、ハッタリだったがフィアが疑う様子は微塵も無い。

 船底に穴が開いた場合、隔壁を閉鎖して入ってきた水を手動のポンプでくみ上げるのが一般的だ。

 ポンプ要員の配置、隔壁の適切な閉鎖を迅速に行う必要があるが、これ以上被害が増えるとなれば沈むより先に逃げた方がいい。

 もし今すぐ迅速に要員を配置されて処置を行われたら船が沈むかは微妙なラインといえる。

 だからこそセシリアはまだまだ被害が広がると脅しつけて逃げるように促したのだ。

 彼一人なら最後まで抗う可能性はあるが、4桁の乗組員全員の命がかかっているとなれば話は別だろう。

「やってくれるじぇねぇか……。確かに船は沈められ海戦に負けはしたがな、代わりにお前を手に入れた。俺にとっちゃ十分プラスだぜ」

 撤退する意向を決めたフィアが目の前で無防備に転がっているセシリアを見逃すはずもない。

 顔には出さずに内心歯噛みする優だったが、何だそんなことかと挑発的に鼻で笑う。

『あなたは妹がされたのと同じことを私にするのね』

 刹那、フィアが狼狽えた。いや、これを狼狽えると表現して良いものか。どちらかと言えば恐慌に近い。

 先ほどの呆然自失の時と同じように目は焦点が合っておらず、ベッドの縁を掴む腕は震えてすらいる。

『私は絶対に話さない。それとも拷問でもして私の心をすり減らしてから情報を引き出す?』

 セシリアの辛辣な言葉は記憶がフラッシュバックしたばかりのフィアの心を容赦なく抉っていた。

 顔を引き攣らせて吐き捨てる言葉もどこか苦しげだ。

「……くそが」

 ここでセシリアを捨て置くのは愚の骨頂といっていい。損害を受けたばかりで何も得られたものがないことになる。

 だからといってセシリアを連れて行くことはフィアの矜持が許さなかった。

 帝国にはセシリアがフィアと同じ特殊な知識を持つ人材であることを知られている。

 4万の大艦隊を殲滅した事も、フィアが一目置いたことも、セシリアという存在にこれ以上ない箔をつけていた。

 そんな貴重な人材が持つ知識を何としてでも欲しいと思っているのはフィアだけではない。

 帝国の重鎮や貴族も隙あらばあやかりたいと思っていることだろう。

 もし連れて帰れば、フィアにそのつもりがなかろうと、彼らがどんな手を使ってでも情報を吐かせようとするのは想像に難くない。

 これがもし誰とも知れぬ男であれば笑い飛ばしたかもしれないが、セシリアはまだ7歳で、彼の妹より小さく儚げな少女だ。

 情報を吐かせた後の使い道も飼い殺されるか殺されるかの二択だろう。

 過去の記憶を鮮明に焼き直された今のフィアにはその選択肢だけは取れなかった。

 ましてや、逃げようともせず無抵抗に転がっている相手となればなおさらだ。

 諦めて過酷な運命を受け入れようとしている小さな少女の姿は彼にとって一番思い出したくない記憶となっている。

 たとえ相手が敵国の少女であったとしても昔の状況の再現を自分でなぞるような真似が出来る筈もなかった。

 

 苦虫を噛み潰したなんともいえない渋面を作ると何も言わずに扉に向かう。

 結局フィアはセシリアを殺すことも、連れ去ることもできず諦めるしかなかった。

 だがそんなフィアに向けて再びセシリアは口を開く。

『足を怪我したし、今動けないの。このまま放置されたら死ぬしかないわ』

 どのくらいの時間で沈むかはわからないが、片足を怪我して歩くこともままならない状態で逃げ出すのは難しい。

 それ以前に、今のセシリアは言葉通り指一本すら動かせずにいる。

 本来なら勝手に死ねばいいとあざ笑うべき場面だというのに、今のフィアには突き放すことが出来なかった。

「……交換条件だ。俺たちはこの船の生存者を回収して引き上げる。だから攻撃するな」

『意味のない条件だけど、いいわ。飲んであげる』

 元からセシリアに撤退するなら攻撃するつもりなどなかったし、フィアもそれに気付いている。

 条件だ、などと言っても、それは自分の行動に意味を持たせようと体裁を整えただに過ぎない。

 せめてもの心の抵抗すら綺麗に見抜かれたことでフィアは先ほどの渋面に隠すことなく苛立ちを加え、背と膝に手を突き入れると乱雑に持ち上げる。

 大きく揺れながらもセシリアが持ち上がり、その軽さにフィアがほんの少しだけ悲しみの色合いを見せた。

 夢の中で夜中に農作業の準備や手入れをするフィアへと寄りかかり寝入ったしまった妹をこうして部屋まで運んだことが何度もった。

 勿論、その時は壊れ物を扱うかのように慎重で優しく、今のように荷物を取り扱うような態度ではなかったが。

『お兄ちゃんとでも呼んであげましょうか?』

「黙ってろ、ぶん投げるぞ」

 浮かんだ感情は一瞬でなりを潜め、苛立ちを吐き捨てるように閉じていたドアを思い切り蹴り破る。

 細かな木片が宙に舞ってセシリアは思わず目を閉じた。

 その瞬間、身体にいつもの感覚が戻ってくる。

 手を何度か握りしめてみるとあれほど頑なに動かなかった手がいとも簡単に開閉した。

 足早に通路を歩くと、時々すれ違う水夫がぎょっとしたようにセシリアとフィアを見比べる。

 フィアは苛立ちをぶつけるかの如く、誰かに会うたびにさっさと逃げろと激を飛ばしていた。

 と、その向かいからセシリアにとっては見慣れた厳めしい男が歩いてきて、腕の中のセシリアを見て思わず声を上げる。

「おい待て、そいつは」

 おいていけ、と言おうとしたのだろうか。

 だが台詞の最後まで行くより先に関係者だろうと当たりを付けたフィアがセシリアを乱暴に投げつけた。

 上手く扮しているが筋肉のつき方や持ち前の魔力から少なくとも水夫などではない。

 となれば残る選択肢はセシリアの仲間だけだ。

「きゃっ」

 空を浮く背筋の凍る感覚に可愛らしい悲鳴が上がる。

 隊長が慌ててセシリアをキャッチするのを見届けてから何も言わずにその横を通り過ぎていった。

「待ってっ」

 隊長の肩を掴んで彼に向き直ったセシリアがフィアを咄嗟に呼び止める。

 フィアも先ほどとは打って変わったセシリアの様子に驚いてか、思わず足を止め振り返っていた。

「まだ侵攻するつもりですか」

 真剣なセシリアの言葉にフィアはやけにあっさりと答える。

「ねーよ。相手がお前じゃ分が悪すぎる。しなきゃならない事も思い出したしな」

 浮かんでいたのは一種の諦観だ。嘘を言っているようには聞こえなかった。

 それだけ言うと再び前に向き直り歩き始め、ふと思い出したように再び立ち止まる。

「それからお前の中の性悪女の事、信用してると痛い目見るぜ。優くん」

 彼の言葉に隊長は不思議そうに眉を寄せ、セシリアは思わず固まった。

 どうしてそのことを、と聞くより先にフィアが言う。

「一瞬だがお前達の記憶もこっちに流れてきてんだよ。どうせ流すなら兵器に関する情報でもくれりゃ良かったってのに、知りたくもない情報ばっか寄越しやがって」

 知りたくない事とはなんだろうかと思いはしたが、フィアに語るつもりはないようであとは何も言わずに通路の奥へと姿を消した。

「どういう訳かさっぱり分からないんだが……片付いたのか?」

 訝しげに尋ねる隊長にセシリアはどこか煮え切らない顔で答える。

「はい……」

 フィアのやろうとしていることはある種の夢物語だ。掴むことのできない理想郷といっていい。

 優の居た現代が平和だったのは偶々その国だけが平和だったというだけに過ぎない。

 もし他の、どこか発展途上国に生まれていたなら10まで生きていないかもしれない。

 人はそれぞれに欲があって、だからこそ競争が生まれ、ここまで発展することが出来た。

 誰かが幸せになった分だけ、誰かが不幸を押し付けられる。それが世界の摂理なのだ。

 けれど彼の理想を馬鹿げた夢だと笑うことなど出来る筈がない。

 彼は彼なりに誰かを助けたくてここまで努力を続けてきたのだから。

 今まで目を向けていなかっただけで皇国にも奴隷制度はある。

 フィアは見たことも会ったこともない、それどころか人種すら違う彼らを心の底から救いたいと思っていたのだろう。

 誰であっても、それこそ神であったとしても全ての人を助ける事なんて不可能なのに、フィアは真正面から食って掛かっている。

 だからこそ彼は英雄と呼ばれているのだ。

「こんな出会いじゃなければ、手を取り合えたかもしれないのにね」

 少しだけ寂しそうにセシリアが呟く。

 彼にどんな過去があろうと、正しい理想を掲げようとセシリアも譲る訳にはいかない。

 身近な誰かの笑顔を摘まれるわけにはいかない。どうしたって2人は敵対せざるを得ないのだ。

 胸の中に溜まった靄を深い息と共に吐き出す。全てを吹っ切ることはできないが、ひとまずの急場は凌いだ。

「ごめんなさい、足を怪我してしまって歩けないんです。運んでくれますか?」

「おう、任せときな」

 力強い言葉を返した隊長は足早に船尾へ向かって進んでいく。

 身長が高いせいか、隊長が慣れていないのか、もしくはああいっていた物の、フィアはかなり加減して運んでいたのかもしれない。

 思ったよりも強い揺れにしっかりとしがみつく。

 ロウェルと合流した3人は人でごった返している甲板ではなく、別のルートから板切れと一緒に海へ飛び降りた。

 海流の操作によって漂う板切れに掴まって進んでいると雷光弾によって照らされた海の合間に3人の姿を見つけた皇国の小船が近づいて回収する。

 フィアは言った通り追従する2隻に逃れた人員を詰め込むとそのまま反転して帝国に帰っていった。

 殲滅することはできるのかもしれないが、セシリアはそうしない事に決めている。


「範囲から敵船の反応が消えました」

 波紋による探知外に消えたことでようやく船の中に安堵の空気が流れた。

 濡れた服を着替えたセシリアがロウェルとシスティアの手を借りながら甲板に移動する。

「戦争はきっとこれで終わりです……。さ、帰りましょうか」

 沈んでいく戦艦は人の気配もなく、誰かの墓標でもない。

 互いに人員の損失はなく、帝国の敗走という結果で長かった遠方からの侵略は幕を閉じた。

「帰ったら医者に行かないとだめですよ」

 捻った足は赤く腫れてしまっている。事によっては骨を折っているかもしれない。

「心配かけましたね。……でももう大丈夫だと思いますよ」

 そして柔らかい笑みを向けるのだった。

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