セシリアと優
「哨戒を行っていた艦隊からの連絡が途絶えました」
セシリアが敵の艦隊を殲滅してから12日後、先の報告から帝国が使う可能性の高い海路を哨戒していた艦からの連絡がついえた。
中規模のガリオン船3隻による、哨戒としてはそれなりの規模を持った艦隊だっただけに動揺は大きい。
帝国籍と思われる戦艦と護衛艦2隻の艦隊を発見し、周辺を巡航している艦と合流してから撃退するという連絡があったのだが、その暫く後に合流したと思われる艦とも連絡が取れなくなった。
分厚い雲に覆われ視界の効かない深夜での遭遇は撤退を決め込めば逃げるのは容易い。
にも拘らず、ただの1隻も残さずに殲滅された事を考えれば敵の艦隊の総力は相当高いものと窺えた。
しかしいかに高いといってもたかだか3隻であることに変わりはない。
皇国にはまだ戦艦もフリゲートも残っている。幾らでも敵を殲滅できる手立てはあった。
敵艦隊の居場所とコースは既に判明している。
国王は敵戦力が数よりも高い事に保険を掛ける意味合いも兼ねて、可能な限りの艦隊を集め殲滅を行うことにした。
今回の敵の予測航路には商国が使う海上商路も含まれている為、二国間の連合艦隊という形で行われる。
だが敵の数が僅か3隻ということもあって、どこか緩い空気が流れてしまっていた。
国王はあれから何度かセシリアの元を訪れたが、やはり一向に正気に戻る気配はない。
海戦は数が何よりも重要なのは国王の知るところでもある。普通に考えればこれほどの差を覆す手段などあろうはずもない。
けれど国王の胸の中に晴れない靄があるのもまた事実だった。
時間は止まってはくれない。国王として思うところがあったとしても帝国の進行を許すわけにはいかない。
結局戦艦14隻、護衛艦25隻による連合艦隊は迫りくる敵艦隊に向けて出港せざるを得なかった。
「陛下は心配性ですな。問題ありませんとも……我が艦隊は敵勢力より圧倒的に多いのです。確かに、バレル伯爵の御令嬢が打ち立てた戦果は途方もないものでしたが、それでも漁船という数の利を使っています。此度の帝国にはそれすらないのですから、全く問題などありませんよ」
皇国海軍最高指揮官のイレーンは出発した艦隊に向けられた国王からの音声通信に穏やかな声でそう答えた。
先日話を聞きに来たのがバレル伯爵の一人娘とは思わなかったが、事の後に彼女の髪の色が彼の知るバレルの物と同じであった事を思い出していた。
イレーンの知るバレルという存在は、破天荒でいて何もかも規格外の変人であり、戦場を共にした仲間でもある。
飄々としていて掴みどころもないが、気付くと身近に感じる。部下に対しては暖かい眼差しを送り、軍人というより教師のようななりであった。
かつての王国との戦争で何度か船に乗せ戦場へと赴いたが、配属直後に挨拶をした時のバレルの印象はとても良いと言えるものではなく、なんだこいつはと反感を抱いたものだ。
何せ彼が真っ先に行ったことは予定されていた作戦の全面的な改修である。イレーン含む熟練の士官があらゆる情報を集め知恵を絞った結晶を彼は"古い"の一言で棄却した。
士官たちが作った作戦の最終目標は敵艦隊の完全なる殲滅だった。バレルという規格外の存在がいる事で、拮抗した実力を崩す事はさして難しくはない。
一般兵ならともかく、魔術師は替えが利かない。そして海戦では多くの魔術師を使わざるを得ず、平地戦であっても魔術師は大きな脅威だ。
ここで敵の艦隊に乗る魔術師を全て殺しておけば今後の戦いにおいてもも良い影響があるのは誰の目にも明らかだった。
しかしバレルが言うには敵の艦隊を全て沈め乗っている魔術師を殺すよりも、航行不能にし戦闘能力を奪うだけに留めた方が遥かに有意義だというのだ。
当然士官はみな反対したが、バレルが動かなければ実力は拮抗している。
結局危ない橋を渡るわけにもいかず、彼の意見は押し通されることになり、海戦には勝利したものの敵味方とも被害はほぼゼロに近いという異様な様相を呈した。
血迷っただの度胸がないだの士官からは苦言が吹き出し、当時のイレーンにもさっぱり意図が掴めなかったが、それもそのはずで、バレルは既に戦争が終結した後の事を考えていたのだ。
その頃、終わりの見えなかった両国の戦争に兆しが見えていた。
食料不足による王国の劣勢はもはや隠しきれる物ではなく、暫く後に終戦が宣言されることとなる。
すると皇国による統治が入る事になるのだが、王国民の態度は区域によって大きな差が出ていた。
一つは、完全なる敵愾心。皇国を憎き敵とみなし表面上は従っているものの、いつ暴徒と化してもおかしくない区域。
皇国もこうなるであろう事は予測していたのだが、長きに渡る戦争で兵の数が激減し、統治するのに派遣する兵の数で苦心していた。
しかしそんな中、おかしなことに友好的とさえいえる区域も存在していたのだ。
初めは何かの罠かとさえ思ったが、調べてもそんな素振りはなく、代わりにとある共通点が浮かび上がってきた。
友好的な区域には徴兵されても生存した者が多く、彼らの派兵先の戦場では悉くバレルが関わっていたのだ。
戦争が終結した後、王国民はどうなるだろうか。全員が処刑されるなんてことは勿論あり得ない。
彼らが行うのは日常だ。農作物を作るか、商品を売るか、漁をするか、選択肢は数あれど日常生活へと帰還することになる。
国が負けたことは悲しいことかもしれないが、彼らにとって大切なのは国の未来ではなく自分たちの日々の生活。
もとより政治に参加することが許されていない国民にとってみれば国の頭が誰であろうと自らの境遇が改善されるのであればどうでもいい。
国の勝敗に一喜一憂していた貴族からすれば眉を顰めるであろうが、これもまた一つの事実であった。
そして日々の生活において大きな割合を占めるのは家族である。
バレルは必要以上に殺さないことで敵国の家族を守った。
結果、その地域から徴兵された住民は長きに渡る戦争の終結、ひいては家族との再会に安堵し、これ以上の争いを望まなかった。
逆に派兵された戦場で血みどろの殺し合いの末に殲滅された区域には当然、家族が帰ってくるはずがない。
失った悲しみの依代が皇国への恨みとなるのは当然の帰結ともいえた。
戦場において殺すことが必ずしも正しい選択肢にならない事を、バレルはずっと前から気付いていた。
必要な数だけを、必要な時に摘むという酷く難しい作業を彼はずっと続けていたのだ。
イレーンは戦後、そんな彼の所業の意味を知っていたく感銘を受けた一人でもある。
そんなバレルの娘ならばあの非常識な海戦も複雑な心境ではあるものの頷けるものではある。
一体どういう育て方をしたらああなるのかはさておき、非常識の塊の娘であっても、一定の定石、数の利はきちん踏まえていたのだから。
ならば当然、この艦隊が精鋭といえど3隻の船に引けを取るはずがない。
イレーン率いる連合艦隊が敵艦隊と思われる反応を波紋によって暴き出したのはそれから二日後のことだった。
空を分厚い雲が覆っている真っ暗な夜に遠方から薄明かりが漏れているのを警戒していた兵の一人が見つけたのだ。
偵察に出た艦が様子を探ると帝国の艦隊3隻が信じられないことに船に明かりを付け、帆すら張らずに海洋を漂っていた。
多数を相手にする際に位置を知られることはできる限り避けるべきというのは海軍の常識だ。
その常識が破られたことに流石のイレーンも緊張を隠せない。
だからこそ、かつてセシリアが零していた言葉が脳裏に蘇る。
"密集隊形でなければ勝ち目は薄い"
あの大艦隊を相手にするのに一番苦心した所は敵をいかに纏めたままにするかだと。
「全艦隊に告ぐ、このまま敵艦隊を囲う様に配置に着け。多少時間がかかっても構わん、準備ができ次第、全方位から攻撃を行う」
イレーンは定石ならばこのまま密集して進むべきところを、分散し、包囲するように殲滅することに決めた。
「……雷光弾は準備だけ進めろ、敵の船が明かりを消した場合に使用し、敵の姿を見失うな」
命令を受けた艦隊は帝国の艦隊を時間をかけてぐるりと取り囲む。
残すのは敵艦へと突撃し、一隻も残さずというには少々少ない3隻を蹴散らす、それだけだった。
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一体、もうどれくらいのあいだこうして俯いているのだろうか。
無に染まっていたはずの思考が不意に少しだけ顔をのぞかせる。
時間の感覚は既になく、一秒が一瞬にも、一瞬が一秒にも思えた。
どうでもいいことだ、そう思ってまた"無"へと戻ろうとした刹那に、突然それは聞こえた。
「少しだけ、目を開けてみませんか?」
それは紛れもなく、背にもたれかかっていた小さな温もりの主が発した言葉だった。
そもそも、どうしてこんな所に自分以外の誰かがいるのだろうかと疑問に思う。
ここは全てを閉ざすことで作り上げた空間であって、誰かの存在が内側に紛れることなどありえない。
にもかかわらず、誰かは確かにそばにいて、こうして温もりを伝えながら話しかけてさえくる。
「外はとってもいい天気ですよ」
まるで誰かの声が引き金になったように風が通り抜けた。同時に何も感じなかった筈の、全ての情報を遮断していた筈の身体が何かの匂いや大気の感触を目を瞑っている成果余計鮮明に与えてくる。
誘われるようにして閉じられていた瞳が微かに開けられた。そこに飛び込んできたのは、ありとあらゆる艶やかな色彩。
弾かれるようにして見開かれた瞳が空へ向けられれば、遥か遠くまで続く青い空の合間には白い雲が漂い、軽やかな風さえ吹き抜けては頬を優しく撫でていく。
周辺には全ての色があるんじゃないかと思えるほどの一面の花畑が際限なくどこまでも広がっていた。
「ここは、どこ?」
溺れていたはずの意識が完全に目を覚ます。
全てが闇に覆われていたはずの景色はいつの間にか高原の花畑といった様相を呈していた。
もう受け取るまいと願ったはずのあらゆる情報が流れ込んでくるのも気にせず、思わず周辺を見渡すことしかできない。
閉ざしていたはずの暗闇はもうどこにもみえなかった。
「初めまして。淡谷 優さん」
そう告げた声の主に体ごと振り返れば、小さな、それこそ胸にも届かないような少女が見上げるように上を向いて立っていた。
腰まで伸びた長い髪は紅茶にミルクを注いだような柔らかな色合いで、まっすぐに向けられた瞳は驚くほど大人びた知性を感じさせる。
そこにいたのは紛れもなく、見覚えどころでは済まないほど知っている"セシリア・ノーティス"そのものだった。
驚きながら"彼"は自分の手を、姿を慌てたように確認する。身長も、髪色も、性別も、全てかつての淡谷優と同じだ。
「おはようございます」
何がどうなっているのか全く理解できずに目を白黒させると優に、セシリアは穏やかに笑いかけた。
「私の名前はセシリア。そして、あなたの名前は優。私は貴方でもあって、貴方は私でもあるのです」
余計に訳が分からなくなったとばかりに困惑する優に、セシリアはなおも続ける。
「優さんは魂って何だと思いますか? 一人一人が持つ、その人がその人であるための一番大切なモノ。かつての私はそう考えていました。
でも、それは違ったんです。魂は一人に一つずつじゃない。たくさんの平行世界に生きる"私達"という存在の記憶を溜めた物なんです」
魂には平行世界で生きる、同じ魂を持つ別の存在の記憶がたくさん溜まったモノ。
それは確かに、その人を構成する一番大事なものでもある。
「今、優さんの魂は私の魂と一つに合わさって存在しています。……優さんがどうしてこの世界に現れたのか……優さんの世界で一体何があったのか、知りたくありませんか?」
セシリアの言葉に、優は驚くと同時に、ほんの少しだけ影を落とす。
「僕は、死んでいるの?」
優の答えは当然、"是"だ。どうして突然優の記憶を思い出したのか。知りたくないと思う人は少ないだろう。
初めは転生でもしたのかと考えた。でも、そのためには元の世界の優は死んで居なければならない。
「……死んでいます。火災による一酸化炭素中毒によって眠りについたまま。優さんだけではなく、家族の皆さんも一人残らず」
「全員……死んだ?」
かくして、優の予想は当たっていた。いや、それよりもより残酷な物だったかもしれない。
「恐らくは放火によって、です」
追い討ちをかける意図がセシリアにあったわけではないが、その言葉に優は愕然とする。
優に死んだ記憶がなかったのは自覚することもなくひっそりとこの世を去ったから。
「そんな……じゃあ、なんで僕だけがここにいるんだ? 神様が新しい体でも作ったっていうのか?」
「神様なんて居ません。もしいたとしても、それは舞台を眺めるよう私たちを観測し、現実の喜劇悲劇に手を叩いて喜ぶことしかしません」
自嘲気味に乾いた笑みを漏らした優に、セシリアが若干咎めるような鋭さを持った声で否定した。
「でも、まだ運命は決まっていません。優さんの運命を、私なら変えられます」
運命を変えるという言葉に、優は眉をしかめた。セシリアもその表情を見て、続ける。
「優さんも、家族も、生き続ける運命を選ぶことができるのです……。少しだけ長い話になりますが、聞いていただけませんか?」
セシリアの言葉に優は静かにうなずいた。
セシリアは生まれながらにして魔法の解析の才能が突出していた。
1歳のころから既に魔法についておぼろげな思考を巡らせるようになり、2歳になる頃にはバレルの書斎に置かれた数々の魔法書を"本能的に"解読さえできてしまうほどに。
そうやって多種多様な本に触れ、必要なソースを集めることによってセシリアは幼くして魔法が何なのかについての仮説を自分の中に作り出す。
魔法とは、この世界で起こり得る現象に必要な条件を魔力で代替する事によって結果を得る手段である、と。
例えば空気中から水を作り出すには大気に溶けている水蒸気を結露させる必要が出てくる。
本来ならば大気中の水の飽和量を下げる、例えば氷の入ったコップを置けば周りに水滴がつくように、温度を下げたりする必要が出てくる。
しかし魔力を使うことで、こういった必要な条件を上書き(オーバーライド)すれば温度変化などを起こさずに、結論の水だけを得ることができる。
何をどう上書き(オーバーライド)するかを明示的に示したものが呪文で、その組み合わせによって発動内容は事細かに変えられる。
それだけでも大きな発見だったにもかかわらず、幼いセシリアはその先を考える事をやめない。
そもそもどうして呪文が必要なのか、呪文を唱えることで何が起こっているのか。
結果、呪文は一種の固有名詞であると結論付ける。
アイスクリームとは何か、と聞かれたときに、それを正確に相手に伝えることができる人は少ない。
成分、製法、食感、味……様々な要因はアイスクリームの種類によって千差万別でもある。
逆に詳細な成分と製法を口にしてそれがアイスクリームだと気付ける人はいるだろうか。いるにしても数少ないはずだ。
アイスクリームはそういった様々な情報を集約してたった一つの音によって聞く人に数多くの情報を伝えるために作り出された固有名詞。
呪文もそれと同じだ。詳細な意味など知らなくとも唱えるだけで様々な事象を起こせる、誰かが作り出した固有名詞。
ならば、その呪文の意味を知った先には何があるのだろうか。
セシリアは想像に想像を重ね、魔法が何に干渉しているのかを想像した。
やがて思い描いた結論は、この世界には目に見えないくらい小さな粒が集まってできた何かによって構成されているのではないかという仮説。
そしてその小さな粒に干渉することでこの世界の法則を操っているのではないか。
常人では決して辿り付く事のできない領域に、幼いセシリアは縛られない発想によって至り、未熟ながらも想像による補正を習得した。
想像による補正を使うためには、こうしたいという願いではなく、結果を得るためには何をどう調整すればいいのかを細かく定義する知識が必要になってくる。
水を作り出そうという願いでは想像の補正になり得ない。
水を作り出す方法を現実世界で再現できる方法で順序だてて汲み上げなければいけないからだ。
あくまで魔法は必要な条件の代わりになるというだけで、必要な条件は自分で揃えなければならない。
しかしこの世界では物理法則そのものがまだ解明されていない。
想像による補正を使うためには最低限、世界が何から成り立っているのかくらいの知識が必要になってしまう。
だからこそ人は呪文によって魔法を使っているのだ。
とはいえセシリアがいくら知識を身に着けたとしても実際にはまだ6歳になったばかりだった。
時々能力の片鱗を見せては両親を驚かせながらも子ども相応にノーティアの同年代の子どもと遊びまわるのが常だった。
それが突然終わりを告げた理由は優の時と何ら変わりない。
予想だにしない商国の私兵に扮した王国の侵攻によって防衛を行ったバレルは死亡、残された幼いセシリアとシスティアは悲観に暮れた。
だがセシリアは次第に自分の魔法でバレルを蘇生できないかと考えるようになる。
傷の治癒さえ発明されていないのにも関わらず死者の蘇生を行おうとするなど無謀に輪をかけた行動ではあったが、その研究の際に彼女は偶然一つの魔法を習得してしまった。
セシリアが想定した蘇生の手順は簡潔に言えば代わりの肉体を用意し、そこにバレルの魂を癒着させること。
その為には魂がなんたるかを知らねばならないと日夜研究を続けている最中に、本当に偶然、魂への接続を行う魔法を見つけてしまったのだ。
魂は一人に一つではないかというセシリアの仮説は間違いだった。
魂とは平行世界に存在する多数の"自分"の記憶が保存されたデータベースとでもいうべき代物だったのだから。
平行世界に存在する同一の魂を持つ存在の姿形はセシリアと違っているし、性別も、言葉も、文化も、法則さえ違う世界だってあった。
でもその根源はよく似ている。性格や趣味、特に何かを調べること、知ることに異常なほど高い興味を持ち、得意分野に関しては圧倒的な解析力を発揮するところだ。
同じ魂にある他人の記憶は時と場合によって稀にではあるが干渉を起こすこともある。
時々感じることのある既視感やなんとなくこうだと思ったことが不思議と正解する感覚は、全て第三者からの記憶の干渉によって起こった出来事だ。
セシリアがこの世界でただ一人想像による補正を習得できたのだって、この魂の能力と他の世界の記憶がセシリアに干渉したことが大きく影響している。
実際、セシリアも魔法の研究を行う中で幾度となくそういった不思議な、引っ張られるような感覚を覚えたことは多かったし、それに従って悪い結果になったこともない。
もしこのまま研究を続けていればいつの日か死者蘇生の方法を見つけることができたかもしれない。
だが、時間は無常だ。翌年、優が経験したように2千の王国残党兵がフィーリルへ侵攻し、事前に敵の存在に気付くことができなかったセシリアは王の勧め通りフィーリルを撤退するが、その途中で追いつかれた王国軍によって惨殺される、はずだった。
けれどセシリアは最期の刹那に魔法で魂へ接続し、一つの大きな賭けをした。
自分ひとりの力ではどうにもならない運命であっても、別の誰かならば変えられるのではないだろうか。
この世界よりも高度に発展した世界であれば、思いもよらない方法で自分たちを守ってくれるかもしれない。
そしてセシリアは死の運命が確定している一つの記憶と邂逅する。それが優だったのだ。
次に使った魔法は優の魂の記憶をセシリアの記憶と統合し、無理やりに詰め込むこと。
どうしても必要なセシリア自身の記憶を詰め込んだ領域が3年分。後の領域には優の記憶が重なり合うようにして一つに集約されている。
その魔法が完成した瞬間、セシリアの運命は書き換わった。
その後の運命は今までの軌跡が語っている。2千の軍勢の撃退どころか、万に及ぶ大艦隊まで殲滅して見せた。
「でも私のせいで優さんには大きな負担をかけてしまいました」
セシリアが深く頭を下げるのに、優は自分が自分に謝っているような落ち着かない感じを覚えた。
同時に、大きな違和感も覚える。
「僕は本当に平和な世界で生きていたんだ……誰かを殺すことなんて、それこそ別次元の、自分には関係ない話だと思ってた。人を殺すことに免疫なんてなかったんだ。そのせいで何もかもが嫌になって……何もかもを閉ざした。でも、僕はこうしてここで君と話せているのはどうしてなの?」
「優さんが気に病む必要なんて、初めからなかったんです。だってこの世界は私が生きる場所。そこで起こった全ては私に責任があります。優さんにとってこれはただの夢で、だから咎は全て私が持ちます」
「でも、君にだってそんな大きな咎を背負う余裕なんてないはずだよ」
「私という人格をこのまま闇に閉ざします。元々、この世界で私は深層心理くらいの役にしか立っていないんです。私が全てを受け持てば、この世界の私は完全に優さんへと代わり、優さんはもう悩む必要もなくなります」
2つの記憶、言い換えるなら人格が同時に存在するならば、片方に咎を押し付けることで、もう一つの人格は咎から開放される。
それどころか、今後また人を殺したとしても、その咎は全て片方に流れ、もう思い悩むこともない。
「安心してください。魂への接続を行う魔法の記憶だけは優さんに移譲します。そうすれば、もういつでも好きな時にこの世界を去ることができる……そして全ては夢に変わります。優さんが死ぬ時間より先に記憶を統合すれば、いつ死ぬのかを前もって知れますから運命を回避することもできるはずです」
「そうした場合、残された君はどうなるの……?」
その言葉にセシリアは言葉を濁す。だから優はその後を続けた。
「永遠に目覚めることもなく眠り続けるんだろう?」
「やっぱり、自分を騙すのは難しいですね。数少ない情報からでも本当を探し出す、敵に回すと厄介な能力です」
おどけたように笑っていてはいても、その笑顔はどこか寂しそうに優の目に映る。
セシリアの年齢は元々生きていたのと二度目の人生を生きた両方を合わせたとしてもまだ子どもだ。
優の年齢にも届かない少女が全ての咎を引き受けると言って、彼が頷けるわけもなかった。
「半分ずつなら、きっと僕たちは僕たちのままで居られるんじゃないかな」
優の提案にセシリアの瞳が驚きによって開かれた。
「それに、僕はまだ帰らない。確かに家族を助けたいとは思ってる。でもね、その家族にはこの世界で一緒に過ごしたみんなだって含まれてる。それを全部投げ出して帰るわけには行かないんだ」
「でも、それでは……」
「僕は手を伸ばしたよ。君はどうしたい?」
「もしかしたら、二人とも別々の暗闇に閉ざされて、もう二度と目を開けられなくなるかもしれないんですよ……? それに、半分ずつ分けるためには一部にしたって私たちの記憶が融合してしまう……今までみたいに明確にあった分かれ目が曖昧になってしまうんです。そうしたら、優さんが戻れるかも分からなくなる!」
「そんな事、話を聞いたときから覚悟してるさ。大丈夫、一人じゃないなら、きっと僕は大丈夫だから。どうしてもこのまま一人で抱え込むって決めたなら、僕はそれを拒否できない。でも、君は本当にそれを望んでいるの?」
優の言葉に、セシリアは明らかに動揺する。それはそうだ、自分のせいとはいえ、もう二度と出てこられない暗闇に好んで入りたがる奴が居るはずがない。
「だから後は、君が決めること」
恐る恐る伸ばされようとしたセシリアの手が、微かの震えを察知してさっと伸ばされた優の手によって引き寄せられる。
「伸ばそうとする意思があるならそれで十分だよ。 戻ろう、僕等の世界に」
「ありがとう、ございます」
セシリアと優は手のひらを合わせるようにして目を閉じる。一面の花畑に咲き誇っていた花の花弁がひとりでに空に舞う。
瞬間、世界は真っ白な光に包まれた。
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セシリアが目を覚まして最初に見たものは驚きと悲しみと、とびきりの喜びを混ぜ合わせたシスティアとロウェルの顔だった。
「おはようございます」
長い眠りから覚めると徐に立ち上がって体の調子を確認する。特に問題になるような所はなかった。
そんなマイペースなセシリアの様子に二人とももう大丈夫と安心したように笑みをこぼす。
「心配、かけてしまいましたね」
「セシリア様ならきっと戻ってくると思っていました」
押し潰されそうだった心は痛みはすれどまだ大丈夫だ。セシリアの方は大丈夫だったのだろうかと若干心配になる。
(私も、大丈夫ですよ)
不意に、脳裏に直接響くような声が聞こえた。思わず辺りを見渡すけれど、もう声は聞こえてこない。
「本当に、良かったわ……! 倒れた時にはどうしようかと思ったもの!」
システィアが感極まったとばかりにベッドの前に立っていたセシリアへ飛びつくように抱きつくとそのままベッドの上に押し倒す。
「ちょ、ちょっとお母様!」
セシリアの抗議の声もなんのその、システィアに少しも離す様子はなく、セシリアも振り払おうとは思わなかった。
「こうしてみると、まるで母子の立場が逆のような気がしなくもないですが……本当に無事でよかったです」
ただの家族の団欒だというのに、セシリアは長い間この感覚を忘れていた気がする。同時に、もう一人の自分から永遠にこの感覚を奪わずに済んだことが何より嬉しかった。
数分間ほど布団に縫い付けられていただろうか、突然表から慌しい足音が聞こえてきて、扉がはじけるように開かれる。
闖入者は部屋の中の光景に驚きつつも、視線にセシリアを捕らえるなり似つかわしくない焦りを隠そうともしない声色で言った。
「セシリア……頼む、君の力をもう一度貸してくれないだろうか」
国王は王として似つかわしくないほどの低い姿勢でセシリアに頼み込む。
「帝国から3隻の艦隊が皇国へ向かってきた。これを迎え撃つため39隻に及ぶ連合艦隊を向かわせたが連絡が取れなくなった……殲滅されたと見ていいだろう。我々に残された艦は殆どなく、敵の侵攻は刻一刻と迫っている。頼む、もう一度我々を救って欲しい。……我々には、もう手が残されていないのだ……」
つい先ほどまで伏せっていたセシリアをまた戦争に巻き込むことに、国王は引け目も感じている。
だがそれを差し引いたとしても、もう切れるカードは一枚だって残っていなかった。




