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果ての世界で  作者: yuki
第三部 帝国編
32/56

ジークフリードの宴

 作戦が決まったとしてもそれを実行できる環境がなければ机上の空論、絵に描いた餅、何の意味もない妄想だ。

 考案した作戦には幾つか揃えなければならない物があった。


 火薬の量産については一番重要な問題である。

 大軍を相手に起死回生の手段があるとすればこれを置いて他にない。

 とはいうものの、フィーリルで作られた火薬の量では圧倒的に足りなかったし、ゼロから作り上げている時間も猶予もない。

 でも幸いなことに、皇国では王国から伝来した肥料がどの農村でも作られている。

 硝石の製造方法はこの肥料の作り方と大した違いはなく、どちらも数年熟成させる点においても同じで、草灰の比率が低い分硝石の含有率は低くなるが、皇国内の全ての農村という広大な範囲で補うことは可能だった。

 今年と、最悪来年分の肥料の全てを食い潰すとしても国の存続に比べれば仕方のない出費だろう。

 幸い、肥料がない時代においても皇国の食物自給率は100%を超えている。備蓄分も合わせればどうにかなる計算に収まっていた。

 方針が決まるとまず通信手段のある場所に指示が飛び、そこから毛細血管を伝うように全ての農村へ早馬が走る。

 全ての貴族は通信設備を設置しているという環境も幸いして、1週間もすれば国内全域に指示は伝わった。

 結晶化を行える設備がある場所には結晶化の手順を教え、設備がない物は液体のまま最寄りの設備がある場所へ持ち込み加工される。

 作られた硝石は全て王都へ集められ、特定の手順を踏んで粉末化された。

 

 硫黄に関してはイシュタールに作られた設備を複製することで大量に生成することができる。

 屑石として知られていた硫黄は長年の採掘でそれこそ掃いて捨てるほど有り余っている。

 イシュタールに住む多種多様なギルドから相当な人数が動員され、全速力で精製を行い続けていた。

 同時に全商会に向けて良質な木炭を集めるよう指示も飛ばされている。

 これでも黒色火薬の製法については7割方流出したと見て良いが、事の大きさを鑑みれば仕方ないと割り切る他にない。

 最後の配合については王家内で秘匿される予定ではあるが流出しないと楽観視するわけにも行かないだろう。



 また、海戦では当然船が必要だ。大艦隊を相手にするのであれば数は多い方がいい。その為にセシリアが確保したのは大きめの漁船だった。

 少々乱暴ではあるものの、国王の礼状を持った兵士が国内全域の漁師ギルドから船を徴収していく。

 勿論その間の保障や船の弁済については国が持つことになっていた。

 愛用している船を持っていかれることに様々な思いはあるだろうが、最終的に彼等は納得してくれた。

 徴収した船は漁船の中ではそこそこ大きな物だ。マストは中央と船尾に一つずつ、帆は二段になって張られている。

 全長は凡そ13メートルほど、幅も小さく軍艦と並べるとミニチュアのような印象さえ受けるコンパクトなつくりだ。

 中にはきちんと船倉もあって遠方の航海であってもある程度は耐えることができる造りになっていた。

 とはいえ軍艦と比べてあまりにも小さな船舶が海戦で役に立つわけもない。

 けれどセシリアにとって漁船の確保は火薬の確保についで重要な問題でもあった。



 一方、ロウェルはセシリアから魔法具の開発の陣頭指揮を任され、国立研究所で日夜研究に明け暮れていた。

 王都というだけあって職人も技師も研究者も優れた人材が豊富に集まっていることから進捗は想像以上に早い。

 何より全く新しい何かをもたらされたことで、研究所に勤める者達の性分である好奇心や知識欲が刺激され後押しになっていたのも大きいだろう。

 セシリアがロウェルに依頼したのは、水の中に入れることでお湯を沸かすだけの魔法具だ。

 日常生活でお湯を沸かすのにわざわざ魔法具を使う人はいないし、そもそもお湯を沸かす魔法具を作ろうとする人だっていない。

 お湯を沸かすには火でもって水を温める必要があるのは知っての通りだ。

 火種として魔法具を使うことはあっても、魔法だけでお湯を沸かすには効力が悪く、かなり疲れることになる。

 魔術師であろうとなかろうと、お湯を沸かすなら薪を使うのが一般常識だった。

 だがセシリアの提唱したお湯の沸かし方は魔力で作り出した力場、現代でいう電波の中でも短い波長域を持つマイクロ波を用いた加熱方法。

 現代では電子レンジで使われている、外からの刺激ではなく、内側からの振動による摩擦で生じる熱量を元にお湯を沸かす方法だった。

 使うのも正確には水ではなく塩水。

 これはマイクロ波をかけたとき塩イオンは大きく振動を起こすことから、生まれた振動エネルギーが水分子を追加的に加熱する影響で純粋な水より圧倒的に早く温度が上がる。

 従来の熱源からの熱の伝達という間接的な手段を用いるよりもぐっと低い魔力と時間でお湯を沸かすことができる仕組みだった。

 初めは半信半疑だった研究者たちはセシリアが作り出した局地的なマイクロウェーブによって数十秒ほどで沸騰したお湯を見て目を丸くし興奮していた。

 そしてこれが漁船の改造へとつながっていく。


 押収した漁船をそのまま出撃されてもセシリアの望む目的は得られない。

 どうしても漁船の改造を行う必要があり、頼んだのはやはりというか、困った時の神頼みとでもいうべきか、イシュタールの親方だ。

 作ってもらったのは先の水の沸騰によって発生する水蒸気を回転運動に変換するための機構、簡単な蒸気機関だった。

 まず1つ目の部品は側面の端に4つ、底面に1つの穴が空いている箱。

 この穴から水蒸気が噴出することで中に備え付けられた四角い羽根が圧されて回転運動に変換し、スクリューの動力となる機関になる。

 そして水蒸気にする為の海水を入れる4つの燃料タンクと、発生した水蒸気を機関の穴に送る配管。

 効率を出すために本来必要なパーツは大部分が省かれ、簡素化され、代わりに4か所からの蒸気の噴出によって強引に出力を高めた代物だ。

 水蒸気を水に戻して箱に装填する事もできないので一度発動すればそれっきりの完全な使い捨てになっている。

 燃料タンクの内部は粘土が敷き詰められ、外部の海水の温度が伝達しないように設計され、機関の下部の穴には冷やされた水がたまる仕組みとなっていた。

 帆船ではありえない爆発的な推進力を得られる代わりに、持続時間は10分が限界の使い捨てブースター。

 人が乗っていない軽い船であれば瞬間的とはいえ得られる加速は大きい。

 これを1隻につき船体下部に2つ。計280個近い注文をお願いした時の親方の声は筆舌に尽くしがたい物だった。

 しかも今回は国王の勅命まで付いている上に期間は2週間程度。

 彼らが再びの激務に追われたのは言うまでもない。

 

 

 最後にセシリア自身が習得しなければならなかったのが波紋、索敵魔法のイロハだった。

 最高司令部が範囲10km、判別が方向のみと示唆した時点で習得を覚悟した魔法でもある。

 呪文自体はすでに出来ているから波紋の魔法を使うこと自体は難しくない。

 けれど必要なのはこの使いづらい波紋を彼女の意図に合うように拡張する想像による補正を極める事だった。

 

 今回の作戦では敵の位置を常に把握する必要があった。だが既存の魔法の精度では精々が500メートル程度までしかわからなず、役に立たない。

 セシリアが必要としている範囲は最低でも20km、可能であれば30km内の敵艦隊の位置を可能な限り正確に把握する事。

 波紋の魔法に使う魔力量はきわめて少ない。一滴の雫を水面に落とし、広がる輪を作るのがこの魔法の原型だからだ。

 しかし落とすものが雫では伝わる範囲が狭すぎる。必要なのは雫ではなく、一点を貫く衝撃。

 魔力消費量を肥大化させ、想像による補正によって落とすイメージを雫から集中した衝撃へと変更、叩き付けてみたところ範囲は軽く20kmを超えた。

 だがそれではまだ対象物の詳細な把握ができない。

 

 遠くに見える建物にピントを合わせるように、波紋が得た情報を丹念に解析してより詳細な情報を得る方法は割と簡単に見つかった。

 理論も構築も完璧だった。

 実際に数メートル程度の狭い範囲であれば誤差十数センチ程度で魔力のある物の場所を把握する事はできる。

 けれどこれを半径500メートルまで拡大した瞬間、非常識な程強い頭痛がセシリアを襲った。

 情報量の密度が濃すぎた事による脳の限界突破。

 あたかもマシンがハングアップしたかのようにセシリアの意識はぷっつりと途切れたのだ。

 不幸中の幸いだったのは持前の慎重さから波紋の範囲を一気にキロ単位まで上げなかったことだろう。

 もしそんな事をしていたら増えすぎた情報量によって精神が崩壊していてもおかしくない。

 

 それからの毎日は拷問にも似た日々の連続。

 取得する情報をできるだけ削ぎ落とし、簡略化し、少しずつ範囲を広げて使用する。

 削ぎ落としが甘かった時は猛烈な頭痛とともに意識を手放すことも多かったが、それはまだいい方といえる。

 最悪なのは何度目かの試行の末に引き当てた、ぎりぎり処理できる限界点直前の情報量だった時だ。

 意識を手放すこともできず、四肢に力が入らないどころか声さえあげられず、いつの間にか倒れていた事さえ後になってようやく気付くような、世界そのものが白と黒の明滅に染め上げられる激痛を表現するすべなど、恐らく存在しない。

 意識がようやく白黒以外の色を映してからも、暫くは声が出せず、酷い悪夢を見ていた時のように冷や汗と荒い息が収まらない。

 身体が驚くほど震えていたのに気付いたのも冷静に状況を把握しようと思った"後"の事だ。

 どうにか起き上がることができたのは倒れてから30分という長すぎる時間が経ってからだった。


 肉体的なダメージもさることながら、より酷かったのは精神的なダメージだ。

 波紋の魔法を深層心理のどこかで恐れ、想像による補正に邪念が混じり始めた。

 制御の失敗は大きすぎる情報量による精神的な崩壊を招くことを、この時点でセシリアはよく理解していた。

 広範囲の波紋魔法はそれこそ針の穴を通す正確さが幾度となく求められる。

 安定しない精神で作り上げた魔法が本当に問題ないのか疑いを持ってしまえば、後は負の連鎖によってどこまでも自分の魔法が信じられなくなって、想像は悪い方に傾く。

 恐らく現代の医者が彼女を見れば典型的なPTSDだと答えただろう。

 恐怖もPTSDも身体と精神が限界を迎えたことからくる自衛機能の一種である。

 普通の人間はその時点で恐怖の対象から距離を置き、心が落ち着いて安全を確保できるまで待つ。

 けれどセシリアには余りにも知識がありすぎた。

 既に今の自分では魔法を完成させられないことを理解した彼女は、再びの無茶を行う。

 感情の制限。恐怖心を魔法によって無理やり抑えこんだのだ。


 彼女は合理的に制御の模索を続け、その度に人の身には過度な苦痛を幾度となく刻み続けた。

 回数をこなせば自然、術式は彼女が望むものに姿を変え始める。無茶ではない現実的な仕様に書き換わり始める。

 でもそれは倒れる回数が減る代わりに、痛みに悶える回数は増える事を意味していた。

 臨界点直前の痛みを味わったことも一桁では収まらない。

 それでも辞めることだけはしなかった。作戦に駆り出され、戦場に立たされる人数は数千に達する。

 彼らの命の総数と比べればこの程度の無茶は背負うべきなのだと、最後まで彼女は信じて疑わない。

 その努力が実を結ぶまでに使った魔法の回数と苦痛の回数を知れば大人でも顔を青くするだろう。

 

 その甲斐もあって出来上がった魔法は自らに課した及第点を満たす物だった。

 最大射程距離は25km、その際の誤差は凡そ数百メートル。波紋が全方向に魔力を打ち出す物だったのに対して、セシリアの作り出した魔法は前方180度にのみ探査を行う。

 ただし探査に必要な魔法の使用回数は5回。

 一方向を全て捨てることによって広大な範囲と正確さを、分割して情報を取得する事で一時に得る情報量の低減をどうにか形にできたのだ。

 また、個々の魔力の反応を一つずつ探査するのではなく、一定の範囲を集約して一つにまとめる事で大幅に情報を削いでいる。

 セシリアが知りたかったのは艦隊の動きであっていくつ魔力があるかではない。

 そして一度索敵に成功した対象を固定する事で更に限定的に絞込みを行い、より詳しく、それこそ十数センチの誤差で捕捉することもできる。

  

 積みあがっていた机上の空論をどうにか形にして、彼女はこの大海原に立っていた。

「これより、作戦名"ジークフリード"を開始します!」

 セシリアの海戦の合図は静かに夜空へと吸い込まれていった。




 

 セシリアが布陣を展開した時から十数時間ほど前、ガリオン率いる帝国艦隊はチェックポイントとなる海流に差し掛かっていた。

「全艦隊へ告ぐ。偵察を行っている船艇の帰還とともに皇国への海流へと進行する。

 現在まで待ち伏せに使われる可能性が高いと思われる地点を幾つか通過しているが、皇国が仕掛けてくることはなかった。

 この海流の終点はこちらの速度が上がっている分仕掛けるには不向きな場ではあるが、風向きは海流と逆、つまり皇国側が風上となる場所でもある。

 各員戦闘態勢を取り、周囲への警戒は怠るな」

 ガリオンは周辺にいる部下へと細かく指示を送り、部下は旗を使った合図で周辺の艦へ伝達、受け取った艦も同じように周囲へと広めていく。

 旗艦は密集隊形のほぼ中央付近にある為、前後左右に向けて情報を走らせた。

 音声通信で伝令を送る方法もあるのだが、これは広範囲に渡り通信の魔力痕跡を残してしまう。

 余波があるうちに波紋による索敵を行われると遠く離れていても引っかかってしまうことがある為、戦闘中にしか使わないのが常識となっていた。

 皇国へと流れる海流の幅は然程大きいわけではないが流れは速い。

 もし終点に相手が待ち伏せていようとも数の暴力によって一方的に蹂躙できる自信がガリオンにはあった。

 何せ皇国艦隊の数は周囲の国が連合を組んだとしても自軍の半分以下なのだ。

 菱形の密集隊形を取っている帝国艦隊の内、攻撃のこない内側の艦隊が外側の艦隊に向けて手厚い防御魔法をかければ、皇国艦隊がいかに魔法を集中させた所で崩せる理由はない。

 海流の流れが狭く急すぎることから、偵察用の艦を展開すると海流から外れ、置いていくことになってしまう為に呼び戻さねばならず、索敵の範囲はぐっと狭くなってしまっているが、彼は微塵も恐れてはいなかった。

 相手が10km圏内に入れば方向だけは分かるのだ。それに、もし左右から来ても海流によって速度が出ている帝国艦隊には追いつけない。

 彼が気を付けるべきは前方の1方向だけで、5kmほど先を偵察艦と護衛に中規模のガレオン船、3隻が同行している。

 敵が唐突に目の前に現れでもしない限り撃墜されることもなければ、もしされたとしてすぐに反撃できる本隊が控えている。

 彼は自身の作戦を微塵も疑わない。これまでの戦いで数の違いが生む圧倒的な差を心の底から理解しているのだから。



「帝国艦隊、前方25km! その5km前方に恐らく偵察と思われる小隊の反応もあります。

 偵察用に展開されている艦隊の規模は恐らく5隻未満の小型です。大砲の発射準備を急いでください!

 別働隊への伝令の準備だけは進めて、連絡はまだです!」

 暗闇に染まる甲板の上でセシリアがいつになく緊張をはらんだ声で叫んでいる。

 圧倒的な範囲と精度を持つセシリアの波紋は相手に気取られる事なくその位置を正確に暴き出していた。

 命令を受けたノーティアの農村騎士団の面々はその声に従い、見事な手際の良さで大砲を左舷に5門展開すると火薬を詰めてからおくりを敷き砲弾と、その上から更におくりを詰め込んで発射準備を整える。

 その間にもセシリアは10分毎に波紋を使い続け、どうにか耐えられる苦痛を噛み殺しながら脳裏で敵の速度を計算する。

 時速は凡そ15ノット、海流を使ってはいるが風下に加えて密集隊形で移動する為に足並みを揃えているのか想定より遅い。

 艦隊が密集隊形を取る利点は外側の艦隊にしか攻撃が行われなくなることだ。

 内側の面積はすべて守らなくていい安全な空間に変わり、そこに集めたリソースを防御のために活用できる。

 外側に配備された魔術師は守りに回る必要がなくなり、遠慮なく攻撃魔法を存分に使うことができる、少ない相手を殲滅するには最も有効な布陣とされていた。

 敵の塊を蹴散らした後に逃げ惑う船舶があれば、後は適当に散開して潰すだけいい。

 実際何も手を打たなければ密集隊形の強固な守りの前に連合艦隊はなすすべもなく敗北するだろう。

 この世界に制空権という概念があればまた別なのだが、ファンタジー世界の割に人を乗せて空を飛べる竜やグリフォンが空想上の生物なのはこの世界でも変わりない。

 かといって飛行機を作り出すほどの技術がセシリアにはなかった。飛行機の原理や作り方を丸暗記しておけばよかったと思いはするが、都合のいい想像でしかない。


 ガリオン達の帝国艦隊の移動が遅い理由は月の見えない夜だからという至極簡単なものだった。

 勿論これほど大きな艦隊となれば昼夜で作業を分担し、常にある程度の船員が作業に従事しているが、分厚い雲によって殆ど視界のきかない中での屋外作業は慎重を極める。

 なにせ野外ではランプひとつつけることは許されないのだ。

 月のある晩ならまだしも、このような宵闇の中で明かりをつけると、その光は恐ろしいほど遠方まで届いてしまう。

 しかし明かりひとつない中で作業をするのはいかに熟練した水夫といえど難しく、この様な晩には作業よりも船内で明かりが漏れないよう注意しつつ賭け事に勤しむのが常となっていた。

 当然士官もそれには気付いているが、賭場から送られる金品によって黙認するのが慣例となっている。

 働くときは働き、遊ぶときは遊ぶ。彼らにとって宵闇の日は遊びの時なのだ。

 それに海流の終わりまではいま暫く時間がある。圧倒的有利という前提が彼らに慢心を植え付けていた。

 それが僅か数十分後、思いもよらない急展開を迎えるとはだれも思わない。


 20分。それは帝国艦隊が凡そ9kmの距離を進んだことを意味する。

 この時点でセシリア率いる皇国艦隊との距離は16km、偵察隊との距離は11km。

 まだ偵察隊がセシリアの皇国艦隊を察知できないぎりぎりの距離だが、大砲の射程圏内には十分入っている。

 戦艦級の大きさを誇るガレオン船であろうとも、波による揺れは緩やかになってはいるがなくなるものではない。

 その中で10㎞も先の相手に大砲を命中させることは至難の業だ。普通なら弾幕によって補うはずの精度も5門ではたかが知れている。

 セシリアの合図によって5つの砲門が火を噴き、砲弾が空へと舞いあがり見えなくなった。後には白い硝煙が立ち上る。

 数十秒の時間をおいて、セシリアが断続的に波紋を使う。

 遠方の敵に大砲を当てることは至難の業ではあるが、例外として大砲の弾が落ちた場所、敵の場所と速度。この二点が正確に判明しているのであればその限りではなかった。

 落ちた場所から誤差を計算し何度も試すことで敵の予測進路へと近づけていく。

 大砲の弾には魔法具が埋め込まれていて、セシリアが受け探索対象を砲弾に限定することで着弾地点を正確に割り込むことができるようになっている。

 敵の姿も今は探査対象を絞り込むことによってかなり正確に把握している。

「1門目、もう少し右です、角度はほんの少しだけ下げて! 火薬の量は今のままで構いません。

 2門目はもう少し左です、同じように角度を下げてください!」

 立て続けに飛んでくる指示を農村騎士団の面々は日々の訓練の賜物だろうか、淡々と正確にこなしていた。

 続けて3、4、5門目にも細かな注文を付けてから再度発射、敵の位置を割り出すと1門目と偵察隊の1隻との座標が一致する。

 

 撃ち出された砲弾はすさまじい速度で大気を引き裂き到底魔法では届かない距離をあっという間に飛び越えていく。

 初めに聞こえたのは風を切る音、続けて響いたのは気が軋み、砕け、弾ける音。

 飛んできた鉄球は見事に護衛を行っていた小ガレオン船の左舷下方、どてっぱらを貫くと船体の中で縦横無尽に転がり、たむろしていた兵士の足を砕いた。

 敵を発見していなかった護衛艦は防御魔法を展開していない。少しも軽減される事のなかった砲弾の威力は凄まじく、開けられた穴から大量の水が浸水し、水圧によって船体の穴が徐々に広がっていく。

 突然の攻撃に慌てふためいた彼らが必死になって波紋を広げてもセシリアの艦隊にわずか届かない。

 見えない敵からの攻撃は彼らをその場に留めさせるには十分な脅威となりえた。

 よもや10㎞以上離れた地点から攻撃されるなど、彼らの想定を遥かに超えていたのだから。

 しかしその場で足を止めたというのは選択肢の中でも最悪の物だ。

 飛来する弾丸が水面を撃つ轟音から、彼らも攻撃されていることは理解しているが、どこから、どんな攻撃なのか理解が追いつかない。

 そうやって右往左往している間に砲弾は刻々と正確さをまし、見当違いの方向に上げていた水しぶきはもう船の周りを囲むように集まっていた。

 やがてセシリアの計算によって放たれた砲弾がまた一つ艦に直撃する。

 今度は展開していたはずの防御魔法が紙くずにも等しいほどあっけなく突き破られ甲板に大穴を穿つ。

 見えざる敵の強力無比な攻撃は彼らの判断力を奪い去るのに十分すぎる程の威力を持っていた。

 宵闇の中に明るく光が浮かび上がり、慌てた様に回頭を始めると海流から離れ帝国艦隊の元へと遁走を始める。

 それを遠方から確認したセシリアは次の行動に素早く移るべく指示を出す。

「全艦に伝令! こちらの存在が把握されても構いません、分隊に進行の命令を出して!

 神風1号から3号の出港準備を、搭乗している船員は帆を張って帝国艦隊へと進路を取り次第、全員旗艦に退避してください!」

 セシリアの艦隊数は143。その内戦艦は3隻、残りは漁船を改造した物が140隻。

 ただでさえ頼りない艦隊だが、3隻の軍艦を旗艦として漁船を分配し3つの分隊を作り上げている。

 一つは敵の真正面に構えている、セシリアが乗っている戦艦と追従する60の漁船。

 もう二つは海流から距離をとり、敵の策敵魔法にかからないよう海流を挟んで東西に配置されている、戦艦と40の漁船。

 敵の前方180度をカバーするかのように半円状に展開されていた。この漁船を使って敵を完全に包囲して攻撃するのがセシリアの目論見だ。

 問題は敵が真正面のセシリアに向かわず、3つに分かれて、或いはもっと細かく分かれ散開されると手の打ち様がなくなる点だった。

 だからこそ敵の旗艦には、そこそこ脅威度の高い艦がいるということを理解してもらう必要がある。その脅威度に大砲は非常に有効だったわけだ。

 侮れない相手が居るとなれば帝国艦隊は必ず優位を崩さないよう保身から密集隊形で進撃する。

 帝国艦隊に補足されるまで、もう幾ばくも時間は残されていないがセシリアの表情に揺らぎはなかった。


 偵察隊の連絡を受けたガリオンは敵に強力な兵器があるという報告を受けてはいたが然程恐ろしい物とは考えていなかった。

 10㎞からの攻撃などあまりにも規格外だ。どんなトリックがあるか知らないが、最強と謳っても謙遜ない。

 脅威度でいえば今までの最高のランクを一つも二つも上回るだろう。

 だが皇国にそれほど強力な魔法がありふれているのであれば、海戦の場として選ぶべき場所は他にいくらでもある。

 にも拘らずこんな場所で、しかも偵察隊に使った時点で多用できない限定的な攻撃あることは一目瞭然だ。

 それに加えて、護衛艦にかけられていた守護魔法は多くて100かそこら。この艦隊に比べれば紙のような薄さでしかない。

 偵察隊の破損は恐るべきものであったが、逆に言えば原形を留めないほどの圧倒的威力ではなかった。

 それならば問題ない。この艦隊の防御力であれば傷一つつけられるわけもない。

 鉄の弾を飛ばすという不思議な攻撃ではあったが、何も問題はないと言い切れる自信がガリオンにはある。

 既に敵の艦隊の姿は波紋によって捕えているし、はっきりしたことはもう少し進まねばわからないが、艦数は然程多くはないと思われた。

 なばらここらでより守りを堅牢にしておくかと考え部下に向かって指示を出す。

「雷光弾を空に上げろ! 敵の艦影を炙りだせ!」

 雷光弾というのは魔法で作る擬似照明のような物だ。月のない晩に交戦する際に敵の姿が視認できないと支障が出る場合がある。

 特に敵が少数の奇襲を仕掛けてきた場合などは顕著だ。敵と数の差があればあるほど光源があっても不利には働かず、ガリオンも敵を見つけ次第発動しようと考えていた。

 既にセシリアの艦隊は波紋が届く位置にいる。攻撃するには遠いが、魔法によって遠見を行い、皇国艦隊を視認するには光源さえあれば十分可能な距離だ。

 魔術師が空に向かい幾つも打ち上げた人の頭ほどの大きさがある光球は、ある程度の高度で停滞し、直接見ると目が痛くなるほどの眩い光でもって暫くの間発行し続ける。

 分厚い雲の下に広がっていた暗闇が一瞬にして払われ、遠く、5,6kmほどの距離に皇国艦隊が浮かび上がった。

 それと同時に前方に展開していた防御魔法が揺れる。他にも暗闇で見えなかったが高く水柱が幾つか上がっていることも確認できた。

 この距離から攻撃してくるのかと、敵の未知の魔法に敬意さえ覚える。

 だがやはりガリオンの目論見通り砲弾は防御魔法の一部を削るのみで艦隊には全く届いていない。

 削れる防御魔法も普通の魔法と比べれば恐るべき量だが、艦隊全体から見れば極僅かでしかなかった。

 当然このまま打たれ続ければ防御魔法を展開している魔術師の魔力が切れるだろうが、皇国艦隊を叩き潰す方が圧倒的に早かった。


 雷光弾によって視界が確保されるやいなや、遠見役の魔術師が魔法によって強化した視界で皇国艦隊を目視確認すべく甲板の縁に向かい、姿を捉えるなり間の抜けた叫び声を上げた。

 伝令兵が彼らの視認情報をある程度集めてから伝令管を使ってガリオンへ報告する。

「艦長! 敵戦力はどうにも民間の大きめな漁船の様な大きさしかありません! 戦艦は後方に1艦のみで、攻撃を行っているのもその艦です! フリゲート艦に至っては1隻すら見当たらず異常としか形容できません……何か作戦があるのでは」

「うむぅ」

 ガリオンが窓から視線を向ければ、敵の戦艦が遥か遠くに1隻だけ浮いているのが小さく見えた。時々赤い光が見えるとやや遅れて異常な重さを持った攻撃が襲ってくる。

 しかし戦艦の前には何故か豆粒ほどの大きさの超小型艦……いやこの際もう認めてしまおう、ただの漁船が右往左往しているだけだった。

 本来固めているはずの護衛艦もなければ補給艦もない。

 漁船に乗っている人影を見ると皇国の魔術師部隊の制服が僅かに確認できた。

 貴重な魔術師をこんな風に使うなど、帝国では到底考えられない戦法だ。

「周辺の情報をもう一度探らせろ、あれは囮で敵艦隊がどこかに潜んでいないのか虱潰しに探すのだ」

「それが、もう何度も調査しているのですが、やはりどこにも見つかりません」

 周辺の艦から音声通信でやり取りを行い敵艦が半径8km圏内に居ないことを確認すると、これはどういうことなのか、ガリオンは深く思案する。

 この時点ではまだセシリアの別働隊は索敵範囲内に入っていなかった。

 よもや我々の艦隊をあの程度の有象無象で止められると思ってはいまい。確かに小型の船は機動力で勝る。

 小回りでもって敵の艦をあっという間に包囲し集中的に攻撃することで撃沈することはできなくないし、ガリオンも幾度か使ったことのある手だ。

 だがその作戦が功を奏すのは敵の数が圧倒的に少なく、散開している時だけだ。魔法は数の原則は変わらない。

 130隻もの大艦隊が作り出す防御魔法相手に、小船程度が幾ら集まったところで船体に傷一つつけることも叶わない。

 これだけ強力な魔法を使ってくるのは敵の旗艦と思われる戦艦一隻だけで他の船は漂っているだけだ。

 もし小型の船が同じ威力の魔法を使えるのであれば必ず接近してくるか、同時に攻撃しているはず。

 そうしてこないのならば、必ずこの配置に何か意味があるのだと思いはするものの、意図はどうしても掴めなかった。


 敵の偵察隊を撃退してから既に敵艦隊との距離は6kmという目と鼻の先に近づいている。

 まだ魔法の射程には入らないが、後十数分も進めば本格的な魔法の応酬を受けることになる。最も、収まってやるつもりはセシリアには一ミリたりともなかったが。

「想定どおり雷光弾を使いましたね……」

 大艦隊の位置はすぐにばれるし、数の優位性がある。強力な攻撃という不確定要素があれば彼等は必ず海域を照らすだろうというのがセシリアの見解だった。

 本来不利になる筈の姿を照らすという行為はこと今回の海戦において重要な意味を持つ。

 とはいえこちらから自主的に姿を晒すために雷光弾を撃ったのでは明らかに何かありますよと公言しているような物。

 使う魔力も馬鹿にならないしできることなら敵に使って欲しい。

 

「しかし、大砲の威力をもってしても防御魔法を貫けないなんて」

 ロウェルはそう漏らすがセシリアにとってそれは予想の範疇だ。大砲1機で貫けるような防御魔法なら苦労などしなかっただろう。

 100門近い数で包囲し、接近してから集中砲火すれば可能性はあるが大砲が量産できないのでは意味がない。

 散発的に撃ち続けている大砲は時折敵の前方に当たって防御魔法を削るくらいでちょうど良かった。

 あくまで敵が分散したら打ち抜けるぞという意思を表明できれば十分なのだから。

「今頃向こうではこの漁船を見てさぞ驚いていることでしょうね」

 それに、セシリアは既に手を打っている。それがこの大量の漁船だった。海戦は魔術師の数が火力。その前提だと小さな船は足手まといにしかならない。

 だが相手の指揮官が有能であればあるほど、何か裏があるのではと考えられずにはいられないのだ。

 戦力を分析し、敵が取るであろう作戦を最後の最後まで考え抜く。それが指揮官に求められる才覚なのだから。

 ならば、それを利用しない手はない。

「音声通信の欠点は魔力を全方位に発散する所なのよね」

「……は、い?」

 セシリアのロウェルが首を捻るがセシリアは少しばかり意地の悪い笑みを浮かべるばかりで詳細を語ろうとはしない。

「音声通信を行います、ロウェル、一緒に来てください」

 通信には外部の音が入らないよう静かな場所で行うのが一般的だ。セシリアはロウェルを伴って船長室へと姿を消す。

「それで、今度は何をするつもりなのですか?」

 二人きりの室内でロウェルが発した疑問に、セシリアはにこやかに笑って答えてみせた。

「もっと踊ってもらいましょうか」



 ガリオンは案を出しては潰す行為を幾度となく繰り返していた。

 今まで数多くの海戦を経験してきた彼にさえ、皇国の意図は読めなかったのだ。

 この布陣には何か大きな意味があるのではないか。一度考えると性分からか止める事はできない。

 そこへ突然音声通信の伝来を告げる部下の声がかかった。

「ガリオン様、偵察隊後方部、ディアイア号の艦長、デュバルより音声通信です」

 デュバルと言えば艦隊の殿を勤めているまだ若い貴族だ。先ほど後方の策敵を任せたのだが、何か見つけたのだろうかと通信を取る。

「ガ、ガリオン様……」

 緊張からかデュバルの声は若干震えを伴っているようだった。若いだけあって実戦経験もまだ乏しいのだろうと当たりをつけ、穏やかに聞き返す。

 こういう時にかなり立てても緊張するだけでお互いにとってはプラスにはならない。

「どうした、デュバル。何か発見したのか?」

「いえ、て、帝国陛下から入電がありまして……どうやら商国が帝国に"皇国の討伐に加わりたいと"申し出たようで、現在皇国の艦隊と商国の艦隊が皇国付近の海域で交戦していると確かな情報が届きました」

 デュバルの言葉にガリオンは驚きの声を上げる。

 (皇国が商国と海戦だと? 皇国と商国が交戦中であるならまたとない最良の機会ではないか)

 先の戦争で商国が弱った皇国相手に地域一つを占領し、解放区せしめたという話は有名だ。ありえない話ではない。

 とすれば目の前に浮かんでいるあの軍艦の意図も見えてくる物があった。

 常識外れのみすぼらしい艦隊に何らかの秘策の存在を考えたが、とんだ思い違いだ。その思い違いこそが相手の狙いだったのだろう。

 短く労いの言葉を言ってから通信を切ると、もう彼の瞳に迷いはなかった。そこに再び部下の声が響く。

 「艦長! 敵漁船3隻がこちらへ進行中です」

 3隻……? 操作を誤ったのか? 皇国の海軍は錬度が未熟と聞く。

 ええい、深く考えるな。これも敵の心理作戦の一つに違いない。我々の艦隊は質も量も遥かに上なのだ。恐れる理由などどこにもない!

「攻撃魔術師部隊へ伝令! 広域に火炎系魔法を使え! 波に揺れて狙いはつき辛い、今後疾風迅雷の敵本土攻めが予想される、魔法の無駄撃ちは控えろ!」

「了解いたしました。各攻撃魔術師部隊へ伝令せよ、広域火炎系魔術を使え、単体魔法を無駄打ちするな」

 伝令は決められた手順どおりに菱形に密集している隊形の内、壁を形成している艦に乗っている攻撃専用の魔術師部隊へと迅速に告げられた。

 広域火炎系魔法の威力は低いがマストや帆、甲板を燃やすには丁度良い。

 何より小船に幾つも風の槍を打ち込むより遥かに魔力を使わないのだ。

「50程度の連合艦隊を組んでくるかと思いきや仲間割れか……ガッカリさせてくれる」



「上出来です、ロウェル」

 セシリアはそういって何度か手を叩いてみせる。一方のロウェルは心労が噴出したかのような青い顔をしていた。

「セシリア様、せめて事前に打ち合わせをしてください! いきなり敵将の名前と艦長の名前を出されて皇国と商国が争っている事をそれっぽく報告しろとか、無茶ぶりもいいところです!」

 いつになく声を荒げてロウェルが吼える。しかし敵将とロウェルで代わりになれそうな艦長の名前が分かったのは敵の通信を傍受・解析を行ったつい先ほどなのだから打ち合わせる時間があろう筈もない。

 暗号マニアを舐めないで貰おうかと高々に宣言したかったが、音声通信は殆ど暗号化もされていない、魔力の波長を調節さえできれば好き放題傍受できる手抜き仕様だった。

 同じように波長さえ合わせれば好き勝手に通信を繋げることもできる。

 もっとも波長を合わせること自体、想像による補正が行えるセシリアにしかできることではないのだが。

 皇国と商国が争っているなんて言うのは勿論真っ赤な嘘だ。

 悩んでいる人間というのは、それっぽい答えを前にぶら下げるだけで疑いもせずほいほいと食いつく。例えるまでもなく、このガリオンのように。

「分隊は全速力で敵旗艦に向かわせて! 魔術師部隊は操作の準備を! ここが正念場です。全員配置についてください!」

 こちらが囮、有象無象の集いと判断すれば、彼のやることは唯一つ。何の憂いもない、数の暴力による強行正面突破だ。

 前方を見れば突撃させた漁船の、神風一号から三号に向かって広域の火炎魔法が展開されていた。

 見る見るうちに油を染みこませた帆と黒色火薬をばら撒いた船体が盛大な火柱を上げて燃え尽きていく。

 火薬は圧搾していないので火がつくと燃える広がるだけの燃焼剤にしかしていなかった。

 帆を失った船は進むこともできず、見る見るうちに燃え果て廃材を海に浮かべるだけの存在に変わってしまう。

「模範解答ね。これでもう何の憂いもないわ」

 燃えカスと成り果てた漁船の残骸を見て、セシリアは満足げに頷く。

 敵艦隊から見て東南と西南に配置していた分隊は大きく動き出し、既に帝国艦隊に捕えられている頃合いだろう。

 だが彼らはセシリアの目論見通り速度を下げることも、艦隊を分けることもしなかった。愚直なまでの直進が最良の選択肢であることは本来間違っていないのだから。

 包み込むように展開しようとしている船も遠視で見ればほぼすべてが漁船と判明する。

 ガリオンにとっては全速で突き進む艦隊を見て慌てふためいているようにしか映らない。

 それに海流に乗っている敵艦隊は分隊よりも移動速度が速く、十分前方に広がる漁船を駆逐する時間があると思っていた。

 盤面に並べられた駒は既に配置を整え、数手で完全な詰みを形作る事に帝国艦隊が気付けるわけもない。


「全艦隊に告ぐ。これより敵艦隊の殲滅を行います! 全速力で敵旗艦へ向かって!」

 セシリアの合図と共に漁船に張られた帆に向けて魔法で風が送られ、各々の船がゆっくりではあるものの進み始める。

 やがて敵艦隊と1km程の距離まで近づくと、やはり広域火炎魔法を展開し船に火をつけにかかった。

 先ほどの例に違わず船は燃える物の、先ほどと違って油をしみこませてあるわけでも、火薬を巻いてあるわけでもないから火勢はゆっくりとしたものだ。

 だが漁船の船首部分には今度こそ圧搾し爆薬化した黒色火薬が大量に詰め込んであり、火が達することで爆発する時限爆弾になっていた。

 帆が焼かれることもセシリアの想定の範囲内だ。寧ろそうしてくれなければ時限爆弾たり得ない。

 風を送っていた魔術師が風を受ける帆の消失を確認するなり、今度は漁船に付けられた補助ブースターめがけて魔力を送る。

 1隻に付きブースターは2つ。湯を沸かす魔法具は4つずつ。それに遠隔操作の舵取りが加わって9人で1隻を動かす仕組みだ。

 始動を始めたブースターが突発的な推進力を生み出し、帆などなくとも徐々に速度を上げながら先ほどよりもずっと速い速度で敵めがけて突き進む。

 撃沈されることもなく1隻目が敵の防御魔法に突き刺さった。やや遅れて火が船首に達し轟音と共に大爆発を起こすなり展開されている防御魔法を大砲等とは比べ物にならない程大きく食らう。

 そこへ2隻目が、3隻目が、4隻目が次々と突き刺さり再び爆破、炎上した。

 

 セシリアの発案した作戦名の主であるジークフリードは満を持してこの場に顕現される。

 北欧神話に登場する彼はただ1枚の葉によって浴びられなかった背中の一点を残して全身に龍の血を浴び不死身となった。

 この作戦の弱点も同じだ。たった一点の葉を見破られる事。

 だが見破ることが出来なければジークフリードは決して倒れもしなければ殺せもしない。

 作戦はシンプルなほうが良い。凝りに凝っても破綻するだけだ。

 敵が密集する状況を作り出し、後は火船に改良した大量の漁船をただひたすらに突貫させる。

 単純明快だが、この世界の海戦の常識にとってはまさにジークフリードと評していいくらい、殆ど隙がない。

 何せ彼らは何も知らないのだから。

 

 

 

 

「南東、南西の方向に敵艦隊を新たに発見!」

 策敵を行っていた兵が声を荒げる。方向と距離を逆算するが海流に乗ったこの艦隊に追いつくには僅か届かない。

 遠見で見やればそちらも同じような漁船が主体で、全速で突き進む艦隊を見て慌てふためいているようにしか映らなかった。

「馬鹿どもが、貴様等の考えなど所詮はその程度だ」

 くつくつと笑いさえ浮かべてガリオンは進撃する。先ほど向かってきた漁船は魔法によってあっけなく燃え盛り、今ではもう黒ずんだ欠片を残すだけだ。

 ボロ舟などこの程度かと残骸をみやって嘲笑する。

 頭の片隅でやけに早く燃えたなと僅かな疑問を持ちはしたが、漁船を燃やしたことなど彼には一度としてない。

 民間の船などそんな物かとしか思えず、だからこそ、突如目の前の漁船全てが猛烈な勢いで突き進んできた時も、彼の余裕は崩れなかった。

 再びの広域火炎魔法によって船に火がつき、帆が燃えあがったのを見て失笑さえ漏らしたほどだ。

 だが、動力である帆を失ったはずの船が何故か止まらない。それどころか速度を上げて突き進んできた。

 回避が間に合わない事を悟ったが、だからどうしたというのだろうか。濃密な防御魔法に守られている彼は少しも臆さない。

 そして燃え盛る漁船が防御魔法に触れた瞬間、それは起こった。

 先ほどの敵旗艦からの攻撃とは比べ物にならないほど濃密な威力を伴った衝撃。数千発の火球弾を打ち込まれたかのような衝撃が防御魔法を餌のように次々と食らい尽くしていく。

 初撃をどうにか耐え、防御魔法を貫通して届いた揺れによって倒れた身体を起こすと続けてもう一発、更にもう一発と、とてつもない衝撃が駆け抜ける。

 再び防御魔法が大きく抉り取られ、とてつもない厚さを誇っていたはずの層が数秒の内に薄くなってしまっている。

「な、何が起こっているというのだ! 前方に展開している艦と直ちに連絡をとれ! 状況を把握するのだ!」

 旗艦は艦隊にとって頭脳であり生命線だ。統率のとれない艦隊など烏合の衆もいいところなのだから。

 自然、ガリオンの乗る旗艦の位置は密集隊形の内側、前方寄りに配置されていた。

 前方で起こっている何かを直接見ることができず、苛立たしげに指示を送る。

 音声通信が開かれると切羽詰まった艦長の悲鳴じみた声が流れた。

「こちら前衛突撃部隊! 最前列にて敵艦の攻撃を受けた模様……船首の一部が崩壊、攻撃手段は不明ですが、強力な火属性魔法のようです! 奴ら、火がついて燃えているのに速度を上げて突っ込んできます……意味が分からない! あれは化物だ!」

 瞬間、通信から思わず耳をふさぐほどの轟音が響き、それっきり通信は断絶した。何度呼びかけても少しも返事は帰ってこず、ガリオンは更に苛立ちを募らせる。

「前方に防御魔法を集中しろ! 各攻撃魔術師の内、敵艦影正面以外の魔術師も防御に参加せよ! これ以上被害を広げるな、全て燃やし尽くしてしまえ!」

 この時代の海戦において重要なのはいかに船を守りながら勝つか、だ。

 量産できない大型艦は1隻失うだけで大きな損失となる。それに、ガリオンに命じられているのは海上封鎖だ。

 艦の数が減るのはどうしても避けたい選択肢の一つである。

 もしここで彼が爆薬を積んだ火船への防御を諦め、堅牢な守りである密集隊形を解き散開しての各個撃破に徹したならば自体は大きく揺れ動いたに違いない。

 経験と常識を全て覆して対応するほどの器量を彼は持ち得ていなかった。

「艦長! 南西、南東に居た敵艦隊が速度を増して突っ込んできます! 一部は海流にのり、我々の真後ろを取られました! なんて速さだ……奴ら、この艦の倍近い速度で進行してきます!」

 追いつけないと高を括っていた艦隊が簡易ブースターを起動させて猛追する。もう間もなく、艦は全方位から突撃することになるだろう。

 見る見るうちに大きくなる艦影に対して魔術師は事前に言われた通り広域火炎魔法で火の雨を降らせる。それが自らの首を絞めているとも知らずに。

 

 情報を集める中で、ガリオンは船が燃えても船の速度が遅くなるどころか早くなっていること、防御魔法か艦隊に触れて暫くしてから発動する攻撃魔法であることを突き止めていた。

 正確には違っているものの、短い時間で情報を取りまとめたガリオンの腕は悪くない。

 しかし根本的に、火をつける事で発動条件を満たすことまでは気付いていなかった。

「自爆魔法とでもいえばいいのか……こんな魔法が存在していたとはな」

 混乱と黒色火薬の爆発による多量の白煙によって、この距離になってもまだ乗っているのが藁人形だということに誰一人として気付けないか、気付けても伝える程の余裕はなくなっている。

 それを発動まで時間はかかる上に距離が短く、自爆するしかない代わりに威力が圧倒的に高い魔法であると勘違いしたのだ。

「全艦へ告ぐ! 敵の船に穴をあけ水没させろ! 繰り返す、風の槍を持って蜂の巣にしてやれ!」

 彼がとった選択は偶然にも最良の選択肢の一つであった。水にぬれた黒色火薬はもう爆発しない。もし船体に穴が開き浸水すれば火力は激減するだろう。

 だがあまりにも遅すぎたのだ。

 既に密集隊形をとっている艦隊の周囲には白煙が散発的に漂い視界を悪くしている。次々と突っ込んでくる漁船が爆発するたびに煙は濃くなり、すぐに走ってくる漁船を狙うことが困難になってしまったのだ。

 この海域の風向きは帝国に向かって吹く。それは前方で発生した煙が艦隊を覆うことを意味していた。

 勿論これもセシリアの意図通り。黒色火薬の爆発によって発生する煙にはもっと別の使い方がある。

 風でもって煙を吹き飛ばそうにも広がっている範囲が膨大すぎて煙をかき混ぜることにしかならない。

 前方の艦隊ではもう息をするのも辛いほどの硝煙に包まれて、意識を失っている者さえいた。

 硝煙の中には硫化水素が含まれていて、濃い煙を何回も吸うと肺の酸素分圧が低下することによる呼吸麻痺を起こし昏睡する。

 爆発による直接的な被害の他にも煙による猛威は甚大で、前方の艦隊で攻撃魔法を使っていた魔術師の大部分が倒れないまでも魔法を使えなくなる程の支障が広がっていた。

 だがこんな物でセシリアの猛追は終わらない。まだたった30隻分漁船しか突撃していないのだから。

 残りの30隻と左右から突き進む80隻はもう目と鼻の先に迫っている。

 白煙に紛れた小型の漁船を風の槍で撃沈できたのは僅か10隻にも満たなかった。

 前方に防御魔法が集中していた分、左右や後方の守りは明らかに手薄だった。場所によっては漁船だけで防御魔法を突き破り、さながら凶悪なサメが四肢に噛みつくように艦隊を捕え爆発する。

 生まれた衝撃が帆の張られたマストを引き倒し、吹き飛ばされた甲板の木材が砕けた破片が立っていた人間に散弾のように襲い掛かると辺り一面に血霧を撒く。

 艦隊の外枠はもう機能を完全に失い、間をすり抜けるように入ってきた漁船に近くの艦の艦長が顔を青く染めた。

 狂ったように風の槍を乱発し、どうにか船を沈めんと数人がかりで闇雲に打つと船体は悲鳴を上げてばきりと真っ二つに折れた。ご丁寧に船首を上にして。

 撃沈させたことに気をよくした彼らは気付かない。ジークフリードは弱点を狙わない限り、決して死なないことを。

 漂っていた船首に灯っていた炎が黒色火薬に引火するまでのわずかな時間を以って、敵艦の撃沈を喜んでいた十数人の人間は一斉に意識を刈り取られ、二度と目覚めることはなくなった。


 ガリオンは伝わってくる情報に唖然とするしかなかった。たかが漁船によって、彼の率いる艦隊は未曾有の危機に瀕していたのだから。

 既に連絡が取れなくなった艦は20にも及ぶ。状況を理解しておらず連絡を取ろうとする内側の艦も数多く、彼自身何がどうなっているのか理解が追いつかなくなっている。

 だが、この海戦に負けて居る事だけは明らかだ。撤退もやむなし、一度引いて態勢を整えるべきだと判断した彼は即時回頭を支持するが、やはり何もかも遅すぎた。

 セシリアの火船は既に彼の艦隊の外周全てをとっくに航行不能に陥らせている。

 密集隊形の弱点は外側の艦隊が動けなくなると、内側の艦隊が棺桶に変わること。

 だからこそ彼らは決して攻撃を受けないよう、頑強な防御を施す。

 それがまさか一瞬のうちに全て瓦解するなど、一体誰が想像できようか。

 逃げ道はなかった。迫りくる火の手を全力で止める事しかできないことを悟ると的確に指示を飛ばす。

 結末を知る物からすれば滑稽な姿だったかもしれない。

 

 彼は内側にいるばかりで気付いていないのだ。

 外側の艦隊周辺では"海そのもの"が燃えていることに。



「海面に油が広がっています。炎上を確認できました、間もなく準備が完了します」

 伝令兵が甲板で燃え上がる火の手を見ているセシリアに告げる。

 漁船に積んでいたのは黒色火薬だけではなく、蓋を開けた木製の樽も乗せていた。

 船が爆発するなり沈むなりすれば大量の油が海面に広がり、やがては引火して海そのものが炎に包まれる。

 目の前の艦隊がいた筈の空間には大きな炎が燃え盛っていて、潰えた雷光弾の代わりに夜の海を明るく照らしている。

 最後の漁船が艦隊に突撃しても、さすがに内側の旗艦にまで被害を及ぼす事はできない。だからこそ、セシリアは海に火を撒いた。

 今あの艦隊の外側では広範囲の燃焼によって膨大な上昇気流が発生している。

 後はそれにちょっとだけ細工をしてやれば、炎はもっと別の形に姿を変えるのだ。

 ちょうど三角形の頂点の位置に展開されていた3つの軍艦に乗った魔術師が最後の力を振り絞り、一方向に向けて風を作り出す。

 三角形の頂点は左下に向けて、左下は右下に向けて、右下は頂点に向けて。

 くるくると回転するように抜ける風は中央の熱源が作り出す膨大な上昇気流に吸い込まれ、渦を巻き、やがて制御不能な火災旋風へと成長した。

 こうなったら最後、もう誰にも炎を止めることなどできない。

 回転する上昇気流はそれ自体が空気をせわしなく吸い込み続け、腹の中に入った哀れな犠牲者を焼き尽くすまで永遠に踊り続ける。

 天高く燃え上がる火柱は、さながらジークフリードと敵対した龍のようでもあった。

 巻き込まれないように距離を取ればできる事はもうない。

 鉄さえも溶かすほどの熱量を帯びた竜巻が何もかもを焼き尽くすのをただ見つめていた。

 

(ねぇ、知ってる?)

 セシリアの心の中で誰かが可笑しそうに問いかける。

(あの火の中には、一体何人いるのかな)

―知らないわ―

 まるでそれが何でもない事のように、セシリアは問いかける声に答えた。

 声はそれを嘲笑うかのように続ける。

(そろそろ魔法は解けてしまうね。なに、君のしたことは正しいことさ。正義を貫いたんだ、存分に誇るといいよ。誰かの血と肉の上で、ね)




 魔法は解けた。




 セシリアが自分にずっと使い続けていた、恐怖を抑える魔法。

 だってそれがなければ波紋の魔法は使えない。魔法が使えなければこの作戦を成功させることもできない。

 だから彼女は恐怖を忘れて指揮を執り結果的にまるでそれが楽しいことかのように笑顔さえ見せて何万という大群を微塵の容赦もなくさも幼子が蟻を踏みつぶすかのように考えれば何か別のもっと人的損失の少ない解決方法があったのかもしれない可能性を考慮することもなくただ単純に脅威を潰すという名目でもって自然の猛威を叩き付け何が起こるか理解しながらも全く躊躇う事なく惨たらしい死を与えるばかりか死体さえ残さず白い細かな灰と炭へ人を変えた。

 その全てを、恐怖の感情を取り戻して理解する。

 

 どうして人は怖がるのだろうか。恐れるのだろうか。

 それは恐怖というものがとても大切な感情だから。

 自分を守るために、誰かを傷つけないために、人が人であるために恐怖は存在する。

 それを捨てればどうなるか、セシリアには分かっていなかった。目の前の大事に、或いは激痛と使命の狭間で、その先を考える事を忘れてしまった。

 砦の防衛では人的被害を出さないよう願っていたはずなのに、ふと気付けば成し遂げたことは敵の完全な殲滅だ。

 誰ひとり残らない。何一つ残らない。完全な消失。

 心の中で誰かが嗤う。

(さぁ、君は英雄になったんだ、誇らしげに叫ぶといい!)

 それが自分の心を守る為に作り出した一時的な感情の制御を行う為の心の声だということを理解して、なお拒絶する。


 戦いの終わりに響いたのは鬨の声ではなくて、小さな少女の全てを否定するような悲鳴だった。











 その頃、帝国の円卓でフィアは腹を抱え狂ったように笑い転げていた。

 座る貴族の目は苛立たしさを隠しもせず彼を睨みつけているが微塵も気にかける様子はない。

 だが最も上質な椅子に座る帝国国王は一度だけ、テーブルを苛立たしげに叩き付けた。

「黙っていろ」

 万人が震え上がるような怒気と殺気さえ含んだ声に、フィアも一応は笑い声をかみ殺したがまだ肩は震えている。

 彼が笑い転げたのはガリオン率いる帝国の大艦隊が殲滅されたことを伝えてきた時だ。

 それがなぜ面白いのかわかる者はこの場に居ない。

 気狂いめが、と幾人かの貴族が呟くがフィアは全く気にも止めていなかった。

「報告では皇国は10㎞も離れた場所から高威力の鉄の塊を飛ばす魔法や、船を巨大な火の玉に変える魔法を活用してきたとのことです」

 瞬間、フィアの手が報告に来ていた下級の貴族の首を容赦なくつかみあげた。

 突然の事態に下級貴族の顔は青く染まり、円卓に座る貴族も驚きを隠せない。

「もっと詳しく話せ」

 冷たい、鋭利な声の中には、先ほど狂ったように笑っていた人物の面影はどこにも見えなかった。

 やがてすべてを聞き出した後、放り投げるようにして開放した下級貴族が地面を転がるのに気を留める様子もなく、国王の隣へ赴くと両手を机に叩き付けると先ほどと変わらない、凍るような声色で国王へと命令する。

「それは火薬だ。どうやら皇国には俺と同類がいるらしい。全力で今回の指揮官、作戦の立案者が誰だったのか、最近非常識な戦力をひっくり返した奴がいないか情報を集めろ、俺が出てやる」


 帝国の攻めは、まだ終わっていない。

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