獣の幻将
宵闇は、崖の側面に掘られた道をしばらく歩いた後、そこから繋がるトンネルをくぐり……
足を踏み入れたのは、巨大な円形の広場の周囲が遥か高い場所の空洞以外全て岩壁に囲まれた場所だった。
視界に入るのは、点在する布で囲った部屋らしきものと、各々武器を磨いたり物を運んだり、草の種らしいものを石臼で潰したりしながら、こちらを眺める十数人の獣人たち。
そしてなにより鮮やかに瞳に写ったのは今立つ空間そのものの景色。
「すげぇ……綺麗な場所だな」
岩壁に光を反射する鉱石でも含まれているのか、あちこちに灯された炎を受けて明るいオレンジ色に光っていた。
思わず感嘆の呟きを漏らす宵闇に、横に並ぶ狼男はニイッと牙を見せて笑った。
「此処が我らの隠れ里です。
元は火山でしてな。美しいでしょう?
お招きするのがこんな時でなければもっと良いのでしょうが」
「ああ、またゆっくり来たいもんだぜ。
こーゆーの、翼島じゃお目に掛かれねぇもんな」
「はっはっは!婿殿も以前、同じ様な事を申してくだされた。
『私の島では見たことのない美しい光景だ』と」
「へぇ……」
そんな会話を交わしている間に、遠くから色黒で長く明るい茶髪をなびかせた女性が近づいて来た。
リークより少しだけ背が低い、細身だが筋肉の付いている体に、胸から上腹部と腰から膝下にそれぞれ布を巻いた涼しそうな格好をしている。
「あんたは、もしかして……」
気付いた宵闇の眼を薄い紫の掛かった金の瞳で見つめ返し、にっこりと微笑んだ。
「ようこそ、我ら獣族の島へ。
貴方が宵闇様ですわね?
わたくしが今この島の幻将を務めている、ディーラ・ケイリス・ヴォルホークですわ。
どうぞ、ディーラとお呼び下さい」
軽く頭を下げるディーラに、宵闇も「どうも」とぎこちなく返事をした。
そして、ふと気付く。
「あんた、その怪我!」
遠目では分からなかったが、近くで見ると身体中に細かい傷がついていた。
ディーラが、自分の身体を見て「ああ、これは……」と苦笑する。
「空間破砕がいくつか当たってしまっただけですわ。
流石に直ぐに動ける程度ではありませんでしたが、もう大丈夫です」
「もう大丈夫って……
破砕食らってそこまでピンピンしてるのは驚きだけど、あんまり無茶はしないでくれよ?」
顔をしかめる宵闇に、女性は毅然とした強い笑顔で返した。
「無茶などしておりませんわ。守るべき者のために、するべき事をしただけです。
ところで、先ほどから気になっていたのですがリーク様はご一緒ではないのですか?」
不思議そうな問いに、宵闇とラジムがしばし顔を見合せる。
「リークは……」
説明をしようとしたその時、聞き覚えのある少年の泣きそうな声が洞穴の中に響いた。
「嬢様!
リーク様が、リーク様がっ!!」
必死な様子で走って来たのは、やはりグルム。
その後ろから、背中に乗せたものを落とさない為なのか少し遅れて黒い毛の狼が付いて来ていた。
転がるように宵闇達3人の立つ場所までたどり着いた少年は、堰を切ったようにディーラにすがりついて泣き始める。
「セリシア様を見つけて、でも血でボクの鼻が利かなくって……っ!
リーク、様が薬の術使ってるのにセリシア様は置いていけって!できないって喧嘩みたいになっててっ……ボク、道まで穴掘ったけどリーク様先に行けって穴を埋めて……あの剣の音が聞こえて、
ごめんなさい!役に立てなくてごめんなさ……うぁああああん!!」
泣きながらの説明は全く要領を得なかったが、どうやら途中で襲撃されたか何かでリークがその場に残ったらしい。
「何だ何だ?」
「グルム帰って来たのか?何があった?」
橙に輝く洞窟の各所にいた他の獣人達も集まって来る。
黒い狼の背中からセリシアを降ろしている者もいた。見た者が一様に険しい顔になる。
「こいつはひでえ。隣群れのと同じやられ方だ。
誰か水と薬を!」
「まともな薬なんてもう殆ど残ってませんぜ!」
宵闇もディーラ達から離れてセリシアの様子を見に行く。
(術使えねぇのがこーゆー時痛えな)
奥歯を噛みながら、獣人の持って来た水を使って傷周りの泥や血を落としていく。
「宵闇殿……」
弱々しい青紫の瞳が青年を見た。
「あんまり喋らない方がいい。多少塞がってる傷もあるみてぇだけど、それでもあんた重症だからな。」
「少し休めば、自分で治せます……それより、腰の横に水晶があるので、アスベル様に知らせ……」
目線を自分の腰へと向けるセリシアに、宵闇は首を振る。
「回復が先だ。報告なんかはあんたが動けるようになってから自分でやってくれ。
なぁ悪ぃけど、この人が休める場所作ってくれねぇか?」
宵闇の言葉を受けた獣人数人がセリシアを住居らしい囲い布の中に運んでいく。
「まずいんじゃないか?状況……」
「外からの戦士があれほど」
「嬢に怪我を負わせた奴が相手なんだ。無理もない。」
「グルム……」
「リーク様は……」
「さっき来たあの黒いの、何か島を襲ってる奴に似て……」
「しっ!あのお人はリーク様のご友人。嬢の客にそんなこと言うな!」
ざわざわ……ざわざわ
まだ嗚咽を漏らしているグルムと、連れ帰ってきた重症者。来るはずだったのに姿を見せないリークと言う状況に、洞窟内に動揺のざわめきが広まっていた。
グルムの話を聞いていたディーラが、俯いた顔を上げる。
「皆、静かに」
ざわめきがピタリと止む。
荒げてはいないがよく通る声には、少なからず怒りがにじんでいた。
「不安がるだけでは何にもなりませんわ。
ならず者に背を向け逃げ隠れたのは、立て直してあの黒翼に報いを受けさせる為だと言うことを忘れてはなりません」
紫金の瞳は周りを見回した後、傍で立ちすくむグルムへ向けられる。
「グルム、貴方は自らの鼻で客人を見つけ、その足でわたくしに情報を届けてくれたのです。
胸を張りなさい」
「は、はい!」
少年は懸命に涙を堪えて、すでに溢れていた雫を拭う。
「宵闇様」
「?」
ディーラは宵闇の名を呼んだ後、数秒間を空けて言葉を吐き出した。
「先程群の者が言った通り、この島を襲った者は黒い髪に黒の翼、金のような黄のような色の眼。
しかも空中に黒いつぶてらしき物を生み出して操っていました。
おそらく貴方と同じ……」
「ああ、99%黒翼だな」
自然と眉根に皺が寄る。
黒髪月眼と自身の力を物質化する錬気固化は、黒翼種の最たる特徴だ。
「……同族なら尚更、ふざけた真似を止めさせねぇと」
「わたくしはあの者を許すつもりはありません。
止めるだけでは済みません」
娘は真っ直ぐに宵闇の月の瞳を見つめ、続きを言葉にする。
周囲の獣人達は一言も発さず息さえ抑えて成り行きを見守っていた。
「血には血を。
おそらくは宵闇様の見たくない事になりますが、それでも手をお貸し頂けますか?」
ディーラの念押しに宵闇は「当然だ」と即答する。
「『ごめんなさい』で許せるレベルじゃねえのはよくわかった。
確かに見たくはねぇが、同情はしねぇ」
宵闇の返事に頷くと、ディーラは再び周りを見回した。
「わたくしはこれから、宵闇様と共にリーク様の元に参ります。
怪我の癒えた戦士は来るか、ここに残ってまだ傷の癒えぬ者達を助けるか、役目を選びなさい。
来る者は急ぎ用意を!」
その言葉と同時に、周囲にいた者達が互いに目線を交わし合って各々で動き始める。
「お嬢、儂は残った方が良いか?」
先程まで岩のように黙っていた狼男が尋ねると、返されたのは肯定のしぐさ。
「ええ。ラジムはここに残る者達の指揮を。
何人か他の群れへの連絡に行かせて……
それと、セリシア殿が回復してアスベル様と彼女が連絡を取る時に必要ならば、わたくしの代理として話をしておいて」
「わかった」
大男が離れていく背を宵闇が目で追う。
「ここの守りは俺が何か手伝わなくても大丈夫か?入れねえように、罠ぐらいなら仕掛けられるぜ」
「お願いします。
こちらから攻める以上、この場所よりむしろ心配なのは共に行く者達の方ですが」
「それもそうだな」
ディーラの言葉に頷いて、ふと疑問符が頭に浮かぶ。
「なぁ、思ったんだけどよ。
いくら相手が空間破砕使ってるっても、あのリークの事だ。とっくにケリつけて此処に向かってるって事は無いのか?」
青年の問いに茶色の長い髪が振られる。
「そうであれば良いのですが……正直に申し上げますと、リーク様の身が危ないかもしれません」
苦しそうに目を伏せるディーラに宵闇は絶句した。




