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第七話 テニス

 週末デートすることとなった陽毬とどこへ行くか考えながら歩いていると、空からテニスボールが降ってきた。ボールはポンポンと跳ねた後に路肩で止まる。

 通学かばんを背負い、学校に向かう途中だった俺はしゃがみ込んでテニスボールを拾った。


「すいませーん。こっちに投げ込んでもらえます? って山崎君?」


 フェンスの向こうのテニスコートから声が聞こえた。顔を向けると、スポーツウエアを着て帽子を被った夏目さんがいた。

 俺はフェンスを乗り越えられるように力いっぱいテニスボールを投げた。放物線を描くテニスボール。ノーバウンドで受け取った夏目さんは微笑みを浮かべる。


「山崎君おはよ。朝早いね」

「夏目さんも」


 放課後は千冬と過ごしているため、俺は早朝学校に来て勉強をしている。


「私は朝練したいから。いやー、新しいサーブのフォームを試してたら変なところに当たっちゃって」


 コートの中には夏目さん一人。高一の頃から夏目さんはずっと一人で朝練をしている。それを俺は通学するたびに見ていた。


「頑張ってるな」

「まあ全国大会行きたいからね。みんなエンジョイ勢って感じだから私くらいは頑張らないと」

「いい結果出せるといいな。じゃあまたクラスで」


 それだけ言って俺は夏目さんから視線を外した。体を校舎の方に向ける。せっかく早起きして朝練しているのに、俺が長々と話して時間を奪うのは悪いしな。


「あ、待って。山崎君テニス部だったよね。暇なら相手してよ。一人じゃサーブくらいしかできないからさ」

「なんで知ってるの?」


 驚いた。

 たしかに俺は中学時代テニス部だった。けれども夏目さんに言った記憶はない。

「試合見てたからね。大会で山崎君私の元カレを瞬殺するんだもん。びっくりした。試合後まさかテニスで一点も取れないとはって泣いてたよ」

「それはどうも」


 誰のことだろう。少し考えてみたけど倒してきた相手のことなんてほとんど思い出せない。というか夏目さんはテニスが恋人とか言いつつしっかり元カレいるんだな。みんな恋愛好きすぎでしょ。


「やろうよ。私のラケット貸すしさ。お願い!」


 夏目さんが手刀を作って俺の方を見てくる。まあ特に断る理由はないし、去年に引き続き今年も同じクラスなのだから仲良くしといた方がいいよな。別にテニスが嫌いで辞めたとかではないし。


「一年以上してないから球拾いくらいに思ってくれよ」

「やったやった。山崎君、早くこっち来て」


 夏目さんは嬉しそうに飛び跳ねる。そんなに期待されても困るなあ。せめてラリーが続くくらいは劣化していないといいけど。


「了解」


 俺は駆け足でテニスコートの入口へ向かった。



 夏目さんからラケットを借りて、ネットを挟んで向かい合う。

 よく考えたら俺はテニスシューズじゃなくてスニーカーだし、これが中学時代なら顧問に激怒されていただろうなとか思ってちょっと震える。


「どうするー? 最初は短めの距離でラリーした方がいい?」


 夏目さんが言った。ブランクのある俺に気遣ってくれているのだろうが、時間の限られている朝練で、わざわざ俺のウォーミングアップに付き合ってもらうのは悪いだろう。


「いや、大丈夫―。普通にサーブ打ってくれたら返すよ」

「おっけー。さすがだね」


 対角線の先で、夏目さんがボールを空へ上げた。ラケットを掲げ、膝を曲げ、それから振り下ろす。

 綺麗なフォームだった。

 テニスボールが俺に向かってくる。

 速い。とはいえ女子のサーブであるため追いつくくらいは造作もない。

 ラケットを構え、スイングする。ブランクもあるし全力で打ってフェンスを超えてしまうのも嫌なのでコントロール重視で夏目さんの前に届くように意識しながら。

 テニスボールは夏目さんのサービスラインで跳ねる。


「本当にブランクある? 普通に返されて悲しいんですけど!」


 そう言ってスイングする夏目さんの表情は言葉と裏腹に楽しそう。返ってくるボールに合わせて俺も移動してスイングした。再びボールが夏目さんに向かう。そうやって何度かラリーを続けた後に夏目さんの打った球がネットに引っかかった。

 ネット前に転がるテニスボールを拾った夏目さんが俺の方を見て笑う。


「分かってたけど上手すぎ。なんでテニス部入らなかったの?」

「別にたいした理由じゃないよ」

「もったいないなー。今からでも絶対レギュラーなれるのに」

「途中入部とか絶対アウェー感に耐えられないから」

「実力で黙らせよう!」

「そんな大した実力ないって」

「もー、下手な謙遜は逆に良くないよ?」

「謙遜じゃなくて事実」


 中学時代の俺だって全国大会に行けたわけでもないし。


「山崎君にテニス部入って欲しいなー。いい感じの練習相手いないし」

「俺は今の帰宅部生活でそれなりに満足してるから」

「むー。まあいいや。また私がサーブするから返してね」


 夏目さんが俺に背を向けて、コートの端に向かって歩いていく。俺もレシーブするため、コートの端に移動した。

 向かい合ってラケットを構える。


「さっきは遠慮したけど今度は全力だから!」


 夏目さんがトスを上げてラケットを振り下ろす。

 全力。

 その言葉に嘘はないようで、スピードは先ほどよりも早かった。テニスボールが跳ねる場所も、サイドラインのギリギリ内側で際どいコースだ。


 想定よりも厳しいコースに速い球が来たため、返すだけで精いっぱいとなる。

 ぽーんと飛んで、コートの上で跳ねるテニスボール。

 そんな緩い球に対して。夏目さんは思いっきりラケットを振る。早い球が俺の元に返ってくる。なんとかボールに追いつき、俺も思いっきりラケットをスイングして、ラリーを続ける。


 夏目さんの表情は楽しそう。

 まあ楽しいよな。

 一人でサーブの練習をするより誰かと打ち合った方が絶対に楽しい。


 ――なんでテニス部入らなかったの?


 夏目さんの言葉が頭の中で反響してしまう。

 なんでとか、そんな理由は決まっている。

 ずっと思い出さないようにしていた。

 ずっと考えないようにしてきた。

 考えたって何かが変わるわけでもないのだから。


 テニス部には入らず、体育の選択でも選んでこなかったのに。

 女の子だし強豪校でもないから油断していたのだ。

 想像以上に夏目さんはテニスが上手い。

 俺も頑張らないとラリーを続けることはできない。必死にボールを追うと、どうしても中学時代の記憶が浮かんでしまう。


 俺は中学でテニスを始めた。なんとなく部活くらいは入ろうかなと思って、たまたま友達に誘われたのがテニスだったという、ただそれだけの理由で。


 軽い気持ちで始めたテニス。それなりに楽しかった。十人の同級生の中では一番にサーブが入るようになったし、同級生からは「山崎はレギュラー確定」とかいじられた。


 悪い気はしなかったし、なれると思っていた。そうこうしているうちに俺のテニスの技術は日に日に向上し、夏になって三年生が引退するころには二年生の先輩は全員倒していた。レギュラーどころかナンバーワンになったのだ。


 才能があるんじゃないかって勘違いした。


 それから時間は流れ、中学二年生で参加した春の都大会。あと一勝すれば全国大会出場というところで負けた。試合終了まで一時間以上かかる激戦だった。


 悔しいか悔しくないかで言ったら悔しかったけど、めちゃくちゃ悔しかったかと言われたらそうでもない。俺を倒した男はそのままの勢いで都大会を優勝するし、そいつは三年生で今年が最後の大会だからだ。

 どちらかというと一年ちょっとしかやっていないのにここまで戦えた俺すごいって結果に満足していた。来年には俺も全国大会へ行けるはず、都大会だって優勝できはずって本気で思いこんでいた。


 だが、俺は優勝なんてできなかったし、全国大会へも行けなかった。

 別に慢心していたわけじゃない。

 毎日必死に練習に励んだし、朝早く起きて自主練だってした。


 全国行きを決める最後の大会、俺は負けた。六対一という圧倒的大差で。しかも全国行きを決める重大な試合でもなんでもないトーナメントの三回線という序盤で。

 相手は聞いたことない弱小校の一年生だった。油断はしていない。一年生とはいえ試合前のウォーミングアップ中に打つサーブが上手かったから気合を入れ直したはずだ。


 けれども負けた。

 そいつとの試合中ずっと勝てる気がしなかった。

 どこへ打っても打球は返されるし、球速も俺より速かった。


 そいつは俺を倒した後、都大会で優勝して全国大会でもベストエイトとなった。

 俺よりはるかに強い人がいて、そんな人でも全国では負けて――。


 自分の無力を知った。

 確信した。

 きっとトーナメントでこいつと当たらず運よく全国大会へ行けたとしても、俺はボロ負けするだけだと。


 何のために頑張ってきたのだろう。

 圧倒的才能の前ではどうせ勝てないのに。

 何かをつかみ取れるのは一部だけで大多数は負け、時間を浪費するだけなのに。

 だったら家でダラダラするのと変わらない。


 だから俺はテニスを辞めた。


 なのに、今俺はテニスをしている。必死にテニスボール追いかけている。

 息が上がる。

 こんなに運動したのは久しぶりだ。


 ネット越しの夏目さんは、無限に体力でもあるのか変わらず楽しそうにボールを返してくる。

 このままラリーを続けてもしんどくなるだけだ。一気に勝負を決める。

 思い切ってコートの端を狙い、ラケットをフルスイング。

 ラケットに弾かれたテニスボールはネットの上すれすれを走る。が、落下したのはボール半個分サイドラインの外だった。


「アウトだよ!」


 テニスボールに追いついた夏目さんが打ち返しながら言った。これも追いつかれるとかすごい。俺は返ってきたテニスボールを夏目さんに打ち返さずにネットへ転がした。


「はあ……もう体力的に無理」


 運動量が帰宅部の限界を超えている。完敗である。しかも夏目さんは息一つ切らさず余裕の表情。


 息を切らしながらふらふらとコート横のベンチに移動して腰を下ろした。それを見た夏目さんも駆け足で俺の元に寄ってきて隣に座る。


「山崎君すごいねー。本当にテニス部入って来て欲しくなっちゃう」

「どこが……普通に打ち負けたし」

「ひっそりスクール通ってたとかないよね?」

「暇つぶしでテニス漫画を読んだくらいかな」


「嘘でしょー。一年ぶりでこれだけ打てたら十分だって。ラケットだって使い慣れない私のなわけだし」

「昔はもうちょっと打てた気がするんだけどな」

「まあ私は毎日やってるしね。山崎君も毎日したいなら歓迎するよ?」


 にっこりと笑いかけてくる夏目さん。俺は首を横に振った。


「遠慮しとく」

「えー、けちー」


 夏目さんはベンチに座ったまま子供みたいに足をバタバタとさせる。


「俺は帰宅部のエースを目指すから」


 あとは一応恋活研究会の。いつか彼女ができる日を信じて……。というかここでテニス部に入ったら夏目さんとフラグが立って付き合えたりするのか。夏目さんの元カレもテニス部っぽいし。


「山崎君ならテニス部でもエースになれるよ」

「もう引退したからな」

「うーん。私は中学時代の山崎君を見てこんな人が全国に行くと思ったんだけどなー」

「結局負けたけどな」

「リベンジしよ?」


 グッと身を乗り出してくる夏目さん。俺は目を逸らした。眩しすぎたから。

 普通に考えて一年サボっていて勝てるほど甘くないと思う。それに今さらテニスで勝ちたいという思いもないし。

 ただあんまり俺がネガティブなことを言ってやる気を奪うのも良くないと分かっていたから、別の話題の振る。


「というか夏目さんも元カレいたんだな。恋愛とか興味ないタイプだと思っていたのだけど」

 きっと今ごろテニスが恋人と振られたクラスメイトが泣いてる。

「うーん。部内戦で勝ってレギュラーになれたら付き合ってくださいって言われちゃったら断れないしねー」

「意外と押しに弱いんだな」

「まあね。でもそれは山崎君も一緒でしょ? こうやって相手してくれているわけだし」

「それはそうかも」


 否定はできない。結局、千冬の押しいつも負けている。今も恋活をしているし、高校受験も「制服が可愛いからここに行こ」と言われて、やりたくもない受験勉強をさせられた。普段から流され気味だからなかなか決めらないんだよな。


 現に陽毬とのデート場所も決められていないわけだし。とかそんなことをしみじみ考えていたら、隣で夏目さんは立ち上がる。それから俺を見下ろして言った。


「そろそろラリー再開しよ?」

「了解」


 立ち上がる。いつの間にか息も落ち着いていた。俺と夏目さんはコートを挟んで向かい合う。

 夏目さんのサーブからラリーが始まった。


 先ほどのラリーとは打って変わり、お互いが打ちやすいような速度と場所に返し合う。これくらいのペースが楽でいいなと思っていたら夏目さんがラケットをスイングしながら口を開いた。


「ねー、このラリーでちょっとしたお願いとか聞いて欲しいなーなんて」


 テニスボールが俺の前に返ってくる。俺は打ち返しながら聞く。


「ちょっとしたお願いー?」

「そうー。明日も朝とか練習付き合って欲しいなーみたいな」


 部活で勝ち負けを競うのは辛いが早朝に練習するくらいなら悪くない。


「いいよー」


 打ちながら言った。


「やった。山崎君は私になにかあるー?」


 何だろう。少し考える。今の悩みは明菜さんとのデートスポットが思いつかないことと千冬の恋活ブームがなかなか終わらないことくらいだ。夏目さんも元カレとデートとかしてるだろうし参考になるかな。


「じゃあ夏目さんのおすすめのデートスポットとか教えてー」

「あ、あ、え、デ、デート! 山崎君が誰かとデートするの? もしかして彼女とか!」


 軽い気持ちで言ってみたのだが、どういう訳か急に夏目さんは呼吸を乱しボールはラインの外へ出た。俺の勝ちである。


「彼女はいないけどな。ちょっと友達から聞かれて」


 さすがにナンパした女の子と遊びに行くなんて言ったら、クラスで悪評が広がりそうな気がしたから誤魔化しておいた。



 俺と夏目さんは、その後も朝のホームルームが始まる直前までテニスをした。

 テニスの後は制汗剤とタオルも貸してくれて至れり尽くせりといった感じ。女の子が普段使ってるタオルと思うとちょっとだけ背徳感あって悪い気はしなかった。


 ついでにラリーでは勝ったけどたまになら練習に付き合うと言うと夏目さんは嬉しそうに飛び跳ねていた。たまにならテニスは楽しいし、俺のテニスでクラスメイトが喜んでくれるというのも嬉しい。こんな早朝があってもいいだろう。


 なお、夏目さんの元カレとのデートスポットはテニスコート巡りだったらしい。参考にはならなかった。


 ただ一つ複雑だったのは、放課後に俺の元にやってきた千冬が「朝テニスしてるとこ見たよ。いやー、週末にデートの予定を確保しながら、クラスメイトにまで手を出すとは大和もまた一歩ナンパマスターに近づいたね」と笑顔で言ったことだ。


 俺にとってナンパマスターは小太りのおっさんなので、近づいても嬉しくないのである。

 運動して痩せたからむしろナンパマスター鈴木からは遠くなったでしょ。

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