四話
王都バルテーンの冒険者ギルドは、近頃すっかり閑散としていた。
第二次人魔大戦が勃発し、腕に覚えのある者は次々戦場へ送られている。
それでも王都近郊にも魔物は出る。騎士団が対応してくれるとはいえ、全てに手が回っていない。
結果、依頼だけが増えていく――そんな日々だった。
受付嬢アイリーンは、積み上がった依頼書を前に小さく息を吐く。
戦争に勝つことは大切だ。けれど庶民にとっては――今日の畑、今日の街道、今日の家族のほうが、ずっと切実だった。
「あの、すみません……冒険者登録をしたいのですけど」
カウンター越しに、澄んだ少女の声が落ちた。
顔を上げると、不思議な三人組が立っていた。
銀髪の少女。栗毛でメイド服姿の女性。そしてその後ろに、顔の見えないフルプレートの剣士が、無言で控えている。
なかでも、声の主――銀髪の少女が目を引いた。
可憐、という言葉がそのまま当てはまる。街を歩けば誰もが振り返るだろう。
(……って、何してるの私)
見とれた自分を叱り、アイリーンは背筋を正した。受付嬢の顔に戻る。
「あっ、失礼しました。三名様でパーティ登録、でよろしいでしょうか? 冒険者ギルドは初めてですか?」
「はい、初めてです」
丁寧な言葉遣い。仕草の端々に気品が感じられた。
どこかの貴族の令嬢だろうか――戦時下の王都を憂い、自ら剣を取ると決めた。そんな物語めいた想像が、ふっと脳裏をよぎる。
「では、こちらにお名前を」
銀髪の少女が、さらりとペンを取った。
流麗な字。やはり教育を受けているものの字だ。
「ええと……ノエル様、アリサ様、ハインツ様。承りました。では登録のご説明を――」
アイリーンは、いつもより少しだけ背筋を正して手続きを進めた。
***
「思ったより、簡単に登録できたな」
「下手に隠すより、堂々としていたほうが探られませんからね。たぶんどこかの令嬢かと思われていますよ」
メイド服姿のアリサは自信満々だった。
ギルドの中で目立っていたのは確かだが、本人は気にも留めていない。むしろ堂々としている。
「それで、ノエル様。これからどうしますか?」
偽名を呼ばれて、エルは小さくため息をついた。
ノエル。急ごしらえの名だ。
王族であるエルと、騎士団長であるハインバルは名前が知られている。
姿が変わっている以上、ばれることはないだろうが、念には念を入れての対応だ。
――あれから少し時間が経ったが、直近の急務は「エルを鍛えること」と判断された。
聖剣の力を引き出せるようにならなければならない。
聖剣を抜いたが、変化といえば性別だけ。聖剣はいまのところ何かしらの力を発揮する様子はない。
事情を知らない者が見れば、ただの上等な剣だ。
(空を飛べるとか、光の斬撃とか……分かりやすいご褒美があればまだ――)
女の子の身体にされた恨みが少しは薄れたのに、と理不尽な文句が喉まで出かかった。
もちろん、出さない。出せば余計に惨めになる。
この状態で「魔王に立ち向かえ」と言われても無茶にもほどがある。
とはいえ療養中のはずのエルが、姿を変えているといえ王宮で訓練すれば、噂になるのは目に見えていた。
――そこで出た苦肉の策が、「冒険者に扮しての秘密訓練」だった。
「ええと……まず、何をすればいいのかな」
宰相クリストンは聖剣の資料を掘り起こしている。
それが揃うまでの間、エルにできることは限られていた。
「それでは、服を買いにでも行きませんか?ノエル様はもっと可愛い服を着てもいいかと…」
「それはちょっといいかな……、ハインツはどう思う?」
エルは、フルプレートアーマーの剣士――ハインバルに声をかける。
騎士団長である彼は、王都でも知られている。兜で顔を隠し、無口な護衛として同行していた。
「私にも聖剣のことは分かりません。ただ、剣術の訓練はしておいて損はないでしょう。基礎を固めつつ、軽い討伐依頼で実戦を積むのが無難かと存じます」
「ノエル様、可愛い服の方が訓練もはかどりますよ」
「魔物か……見たこともないけれど、僕に討伐できるかな?」
魔物。王宮の教本で知識としては知っている。けれど、自分の目で見たことはない。
王宮から出ることすら滅多になかったのだから、冒険者として外に出る生活は――怖いのに、少しだけわくわくもする。
隣で無視されたアリサが頬をふくらませているが、見なかったことにした。
身体が女の子になったからといって、女の子として暮らしたいわけではないのだ。
ハインバルは一瞬だけ思案し、依頼板のほうへ顎を向けた。
「登録したばかりです。受けられるとすれば……ゴブリン討伐が現実的でしょう。王都近郊なら、群れでも対処は可能です」
ゴブリン。
子どもほどの背丈の小鬼で、ずる賢く凶暴――そう習った記憶が蘇り、エルは無意識に表情を曇らせた。
「ご安心を。ノエル殿に傷ひとつ付けさせはしません」
「それじゃ訓練にならないよ」
「大丈夫です。アリサもついて行きますから」
「アリサは宿で待っていてれば。危ないよ」
「こう見えても、学生時代は“氷槍のアリサ”と呼ばれていました。実技試験、首席でしたし」
アリサがえへんと胸を張る。栗毛がふるふる揺れた。
エルは思わず、ハインバルを見やる。大丈夫だろうか、という目で。
「王都付近は、そこまで強大な魔物は出ません。魔術師との連携も修行になります」
「ほら、ノエル様。アリサを信じてください。それにハインツさんとはいえ、男とふたりきりは良くないです。貞操の危険が……」
「ハインツのことを何だと思ってるんだ……」
「ノエル様。男はみなケダモノなんですよ」
「いちおう僕も男だよ……。とにかく、訓練といえど安全第一で行こう」
そう言ってエルが結論を出すと、三人は依頼書を受け取り、ギルドをあとにした。




