幕間②
騎士団長ハインバルは、仕事に私情を持ち込まない。
たとえ嫌悪を覚える相手であっても、守るべき命であるなら守る。――それが騎士の務めだ。
第十二王子エル・アルテリアには、当初は興味がなかった。
末席の王子。後ろ盾もない。剣も魔術も平凡。
守るべき対象ではあっても、注視すべき戦力ではない。
聖礼の儀に出席したのも、ただの職務だった。
聖壇の間。
神父の声。白い石床に響く足音。列席者の薄いざわめき。
聖剣の柄に、あの少年の指がかかる。
次の瞬間、白い光が弾けた。悲鳴が重なる。
そして――小さな身体が宙を舞った。
思考より先に、身体が動いた。
騎士として、守るべきものを守るように。
腕の中が、ひどく軽い。
抱え込んだ瞬間に伝わった骨の細さ、肩の線の頼りなさ、体温の柔らかさ。
(……?)
理解が一拍遅れて追いつく。聖剣が抜かれたのだ。
――しかし、それだけではない。
腕の中に、確かな膨らみが触れた。
光が少し収まり、周囲の視線がこちらへ集まる。
ハインバルはとっさに外套を引き寄せ、腕の中のエルを覆い隠した。
※※※
それからハインバルは、エルの護衛につき、剣術の指導も任された。
エルは療養中という名目で隠された。実態は、時間稼ぎと、聖剣の戦力化だ。
最初に剣を握らせた日、ハインバルは自分の見立てが甘かったと知る。
エルは、剣を握る手が小さすぎた。
柄が余り、指が届かず、力の入れ方が定まらない。
「力を抜いてください」
「抜いてる、つもりだけど……」
声は少女のように高い。だが本人は真剣で、必死だ。
踏み込みを教える。
形は作れるが、重心が浮く。体幹が追いつかない。
「止まらないでください」
「う、うん」
無理をすると膝が笑う。息が荒くなる。
それでもエルは「やめます」と言わなかった。悔しさだけで立っているのがわかる。
稽古のあと、侍女のアリサがハインバルを呼び止めた。
「ハインバルさん。剣術を教えるのはいいですが……くれぐれも、気をつけてください」
「殿下は王族だ。必要以上の怪我はさせない」
「そういう意味ではありません」
アリサは一度だけ息を吸って、言葉を選んだ。
「エル様は……頑張りすぎちゃうんです」
「……たしかに、そういうところはある」
思い当たることはいくつもある。
止めなければ、いつまでも剣を振り続けるだろう。
「だから、甘やかすくらいでちょうどいいんです。守られることに、慣れていないから」
ハインバルは、いつの間にかエルに好感を抱いていた。
だからこそ鍛える。――それが、いずれ殿下自身を守ることになる。
稽古帰り、殿下の視線が一瞬だけ露店に止まった。
気づかないふりをして通り過ぎようとして――足が止まる。
「……あそこに菓子があります。買っておきましょうか」
「……ハインバル。僕を女の子扱いしてない?」
殿下は呆れた顔を作って、すぐに小さく笑った。
その笑みが、なぜか胸の奥に残った。
※※※
その魔族は、恐るべき力を持っていた。
こちらの剣技が、児戯をいなすように弾かれていく。
胸に熱いものが走り、遅れて血の匂いがした。
深い。立っているだけで視界が狭くなる。
(……致命傷かもしれない)
遠のく意識の中で浮かんだのは、エルの顔だった。
守り切れなかった。あの、強がりばかりの頑張り屋を。
次に目を覚ましたとき、野戦病院の中にいた。
喉が裂けたように痛む。呼吸がうまくできない。
「よかった……さすが騎士団長様です。普通なら死んでいると衛生兵も――」
アリサが、安心したようにこちらを覗き込んでいる。
「……どうなった。あの魔族は」
「エル様がお倒しになられました。戦線も、いったん押し戻せています」
「殿下が……?」
「聖剣の力です。……ですが、それからエル様が、お目覚めになられなくて……」
アリサの声が、わずかに曇った。
――守られたのだ。自分が守るべき相手に。
喉の奥に、苦いものが溜まる。
「……申し訳ない。私の力が足りなかった」
「別に、ハインバルさんのせいでは……」
「いや、私のせいだ。私は騎士だ」
アリサがふっと笑った。
「ハインバルさん、エル様に似ていますね。変なところで頑固で」
「騎士は……主人に似るものかもしれない」
言ってから、自分の言葉に少しだけ驚いた。
だが否定はしない。
次は、守られる側で終わらせない。
あの可愛らしい主人を――今度こそ、自分の手で守るために。




