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落ちこぼれ王子、聖剣を抜いたら女の子になった  作者: 白保仁
一章

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20/22

十九話

 エルが次に目を覚ましたのは、ハウバーヘン砦内の野戦病院だった。

 鼻の奥に、消毒薬と血の匂いが張りついている。


 ――生きている。


 それだけで胸の奥が少しだけ緩む。

 だが同時に、何か大事なものを置いてきたような焦りが、遅れて喉の奥へまとわりついた。


 体を起こそうとして、エルは息を呑んだ。

 右腕が鈍く痛む。熱が残っていて、指先までうまく力が入らない。

 包帯の巻き方が妙に几帳面で、端がきっちり折り込まれている。


 枕元の椅子では、アリサが眠っていた。

 椅子にもたれ、首を少し傾げたまま。膝の上には布と薬瓶が転がり、指先に消毒液の匂いが残っている。

 眠りが浅いのか、眉がかすかに寄っていて――寝顔なのに、どこか叱っているみたいだった。


 胸が、きゅっと痛む。


 起こさないよう息を殺し、エルはそっと周囲を見回した。

 仕切り布の向こうから、うめき声。金属を落とす乾いた音。

 衛生兵の怒鳴り声、水を求める声。砦の中なのに、戦場の続きをそのまま運び込んだような騒がしさだった。


 もう一度動こうとした瞬間、腕が疼く。


 そのとき、入口の戸が開き、ベッドの周りの仕切り布が揺れた。


「起きたか、嬢ちゃん」


 入ってきたのはダンケル将軍だった。

 片目の古傷。土と汗の匂い。立っているだけで戦場の音が近づく男。


 将軍はエルの顔を一瞥し、ふん、と鼻を鳴らす。


「無事でなによりだ。……お前に死なれたら面倒になる」


「面倒……?」


 聞き返した声が、思ったより細く高かった。

 エルは咳払いで誤魔化そうとしたが、将軍は気にした様子もない。


「なにせ……魔族を撃退した英雄だ。厄介事が増える」


 英雄――その言葉が、うまく自分の中で噛み合わない。

 白い光。熱。剣が応えた感触。確かにあったはずなのに、掴もうとすると指の間から抜け落ちる。


「……どのくらい、気を失っていたんですか」


「七日だ」


「……あれから、どうなったんですか?」


「魔族は退いた。戦線も、ひとまず押し戻した」


「……よかった」


 ほっとするより先に、将軍の次の言葉が落ちる。


「だが、運が良かっただけだ。戦線を取り戻した程度で、この戦が終わるわけがない」


 あの小柄な魔族を思い出す。空気を押し潰すような存在感。

 思い出そうとした瞬間、背筋が勝手に冷えた。


 今回は聖剣の力でなんとかなった。

 だが、あの大魔法を使える個体が他にもいるのだとしたら――。

 まして魔王は、もっと強いのだろう。


 将軍は失った目元を指で押さえ、静かに言った。


「お前らがいた辺り一帯の魔族は、殲滅された。残党も散った」


「殲滅……私が……?」


 声にすると、嘘みたいだった。

 自分はあの場で、何をどこまでやったのか。あの魔族しか倒していない感覚だったのに。


 将軍はエルの視線を受け止め、ふっと息を吐いた。


「妙な力の話は、上にも入っておる」


 エルの肩がこわばる。


「だが一旦は伏せた。……隠したい顔をしていたからな」


 ぶっきらぼうなのに、言っていることだけは妙に優しい。


「勝手に売り物にされる前に、こちらで押さえる。――お前が嫌がるなら、まだ守れる」


 その言い方に、胸の奥がぐらりと揺れた。

 カリッツ隊には正体を明かしている。ここまで騒ぎになれば、いつまでも秘密にはできない。

 魔族側にも、聖剣のことは知られたはずだ。


「……ありがとうございます」


 礼を言ったつもりなのに、声がまた少し高くなった。

 将軍は満足したのか、ふんと鼻を鳴らす。


「今は休め。メイドの嬢ちゃんも、鎧の兄ちゃんも――心配しておったぞ」


 そう言い残して踵を返し、去り際にぽつりと落とした。


「……あと、カリッツ隊の連中も生きておる。しぶといやつらだ」


 エルの胸が、遅れて痛んだ。


「カリッツ小隊長は……」


「骨は折れているが、生きている。もう兵は続けられぬかもしれんがな」


 胸が詰まる。

 自分を助けるために、深い傷を負った者がいる。


 将軍は背を向けたまま、片手をひらりと振った。


「会いたいなら歩けるようになってからにしろ。今行けば、お前が倒れる。……余計に面倒だ」


 将軍が出ていき、入口が閉まる。

 外の喧噪が少しだけ遠のいた。


 エルは、ゆっくりと視線を下ろす。

 ベッドの脇に、聖剣が立てかけられていた。


 ……いつもの剣だ。

 いつもの重さ。いつもの冷たさ。

 あの熱も、白い光も、どこにもない。


 腹が立つくらい、何事もなかったみたいに黙っている。


(……夢だったのか?)


 そう疑いそうになるのに、指は自然と柄へ伸びた。

 握ると、ひやりとした感触が掌に馴染む。

 その冷たさが、逆に現実を繋ぎ止めてくれる。


「英雄……か」


 落ちこぼれの王子が、ずいぶん出世したものだ。

 英雄になど、なれなくてもいい。

 でも――守りたいものを、守れるようにはなる。


 エルがそう思った、そのとき。


 椅子が、きし、と鳴った。

 アリサがゆっくり顔を上げる。


「……ノエル、様……?」


 寝起きの声はかすれていて、いつもより頼りない。

 それなのに目だけはすぐにエルを探し、見つけた瞬間、ほっとしたみたいにほどけた。


「起きて……起きて、くれました……?」


「……うん。起きたよ」


 言った途端、胸の奥がぐしゃっと潰れそうになって、エルは視線を逸らした。

 アリサは立ち上がろうとして、ふらりとよろける。


「……っ」


 反射でエルが手を伸ばしかけ――痛む腕がびくりと跳ねて止まる。

 その一瞬を、アリサは見逃さなかった。


「腕……!」


「大丈夫。ちょっと……ちょっとだけ」


「ちょっとじゃありません。……七日、ですよ」


 アリサの声が震えた。怒っているみたいで、泣いているみたいだった。

 唇を噛んで、でも視線は逸らさずに続ける。


「……怖かったんです。ノエル様が、いなくなるのが」


 エルの胸がきゅっと縮んだ。


(こんな顔、させたくなかった)


 聖剣を握ったまま、エルはぎこちなく言った。


「……ごめん」


 やっと出た言葉は、情けないほど小さかった。


 アリサは首を横に振った。

 でもすぐには笑えない。代わりに、エルの手元――聖剣を握る指を見て、少しだけ眉をゆるめる。


「……謝るなら、アリサのほうです」


「……そんなことない。アリサのおかげで、僕は前へ進めてる」


「ノエル様は、自分ひとりでどうにかしようとしすぎです。……もっと、頼ってください」


 鼻の奥がつんとする。

 エルは慌てて咳払いし、泣きそうなのがばれないように息を整えた。耳まで熱くなる。


 逃げたくなくて、エルは一度だけ深く息を吸った。


「……アリサ。僕は、守れるようになりたい。大切な人が傷つくのを、もう見ていられない」


 アリサがぱち、と目を瞬かせた。


「告白されたのかと思いました」


「……ちがう、ちがう」


 エルは慌てて首を振る。声がまた少し高くなって、自分で自分にむっとした。


「でも……アリサのことは大切だし、大好きだよ」


 アリサは一瞬固まり、次に、困ったように笑った。


「残念ながら、今は女の子同士ですけどね……」


「……家族みたいに、って意味だよ。異性としてとかでは……」


「はいはい。分かりました」


 くすり、と小さく笑い、アリサは椅子にもたれ直す。

 その笑いが戻っただけで、胸の奥の痛みが少しだけほどけた。


 病室の外では、まだ戦場の音がしている。

 それでも、ここだけは一瞬、静かだった。


 エルは聖剣を膝に置き、傷む腕をかばいながらも背筋を伸ばす。

 英雄なんて名に、まだ足りない。

 でも――守ると決めた心だけは、嘘にしない。


 アリサが、ゆっくり息を吐いて言った。


「まずは……休んでください。そのあと、いろいろ考えましょう」


「……うん」


 エルは小さくうなずき、目を閉じた。

 聖剣は黙ったままだ。けれどエルの胸の奥では、守るための火が消えずに灯っていた。

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