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落ちこぼれ王子、聖剣を抜いたら女の子になった  作者: 白保仁
一章

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19/22

十八話

 カリッツ隊は身を低くし、岩と草陰を縫うようにして、できる限り魔族軍へ近づいた。


(落ち着け……落ち着け)


 そう言い聞かせるほど、指先が冷える。剣の柄を握る感触だけが、妙に生々しい。


 前方でナウマンが片手を上げ、止まれの合図を出した。隊がぴたりと止まり、呼吸の音さえ飲み込む。


 ナウマンは口を動かすだけで、声はほとんど出さない。


「……次に火球を撃った瞬間だ。騒ぎになる。その隙に頭を叩く」


 エルたちは岩陰に身を寄せ、息を整えた。膝をついた瞬間、太腿が小さく震えたのが自分でも分かって、奥歯を噛みしめる。


 あとは――合図と同時に切り込むだけ。


「あいつです」


 斥候のひとりが、指先だけで示す。


 その先にいたのは、小柄な魔族だった。骸骨めいた仮面、角。――だが小さいのは背丈だけで、そこに立っているだけで周囲の空気が重くなる。


 いつ気配を嗅ぎ取られるのか。いつ振り向かれるのか。

 不安が、じわりと喉の奥へ張りついた。


 アリサが低い声で言う。


「タイミングを見て氷の壁を作ります。あいつを切り離して、短期決戦。……そのあとすぐ撤退しましょう」


「頼む、アリサちゃん」


 ナウマンが短くうなずいた。


「大魔法の直後は、同じ規模の魔法は続けて撃てないはずです。……その間を狙います」


 アリサの言葉に、ナウマンは目だけで返す。


「……来る」


 小柄な魔族が、すっと腕を上げた。片腕を空に突き出したかと思うと、空気が一段、熱を帯びる。


 空に、巨大な火の玉が形を持った。


 火球が動き出す――。


「行くぞ!」


 ナウマンの低い号令。

 隊は岩陰から滑り出るように走った。足音を殺しているはずなのに、自分の鼓動だけが耳の奥で暴れる。


 遠くで爆音が弾け、熱波が遅れて頬を撫でた。


 視界が開ける。そこに――あの魔族がいる。


 思っていたより小柄だった。だが近づくほど、「小さい」とは言えなくなる。

 鍛え抜かれた戦士のような身体つき。背筋だけがまっすぐで、周囲を押しのけるような圧がある。


 そして、仮面の奥の視線が――まっすぐ、こちらへ向いた。


 背筋が凍る。


(気づいた――!?)


 魔族は笑った。

 笑っているのに温度がない。人間の笑みの形だけを正確になぞった、空っぽの表情。


 捕食者に睨まれた獲物みたいに、全員の動きが一瞬、硬直した。


 その一瞬を叩き割るように、アリサが前へ出る。


「アイスウォール!」


 轟、と氷が立ち上がった。

 魔族と自分たちだけを、壁の内側に閉じ込める。


「今だッ!」


 ハインバルが無理やり身体を動かした。

 エルも続く。胸が痛い。手の中の聖剣が重い。重さではない。覚悟を試されるような圧だ。


(遅れるな――!)


 魔族が、ただ手をこちらへ向ける。

 それだけで空気が波のように揺れた。


 先を走っていた兵が、見えない拳で殴られたみたいに、音もなく弾き飛ばされる。身体が空中で回って泥へ落ちた。


「っ……!」


 ハインバルが斬りかかる。


 だが魔族は、指先を軽く払っただけだった。ハインバルの剣筋が逸れ、岩に当たって火花が散る。


(……違う)


 強い、とかじゃない。

 格が違う。ハインバルが、相手にもされていない。


 魔族の仮面が、わずかに傾く。

 次に向いたのは――アリサだった。


「……魔術師か」


 ただ手を翳しただけに見えた。

 次の瞬間、アリサの身体が宙に浮く。引き剥がされるように後ろへ引かれ、氷壁へ叩きつけられる。


 乾いた音。


 アリサが血を吐いた。


「アリサ!」


 エルの声が裏返る。


「うおおおおっ!」


 ハインバルが叫び、剣が夜に一本の線を引いた。


 ――だが。


 魔族は、その刃を掴んだ。


 じゅ、と嫌な音。

 次の瞬間、剣がどろりと溶け落ちる。金属が泣くみたいに垂れた。


 エルの喉が鳴った。冷たい汗が背中を流れる。


 魔族が指を振る。

 空を切るだけの動きから、斬撃が生まれた。


 ハインバルが膝をつき、崩れ落ちる。


(嘘だろ)


 騎士団長のハインバルが。こんな、あっさり。


 エルは足が止まりそうになって、無理やり前に出た。

 止まったら終わる。


 魔族と目が合った。


 音が消える。

 耳鳴りだけが残り、身体が宙に浮く。地面の感触がない。指先から力が抜け、聖剣が滑り落ちそうになる。


「……アイスランス!」


 アリサのかすれ声。息も絶え絶えだ。


 氷の槍は、魔族に届く前に弾けて消えた。

 だが、その“一瞬”。エルを縛っていた力がほどけ、身体が地面へ落ちる。


 膝が泥を打つ。痛い。

 痛みがある。生きてる。


 顔を上げると、アリサが前に出ていた。

 足元がふらつき、肩が震えている。それでも、エルの前に立つ。


「ノエル様に……指一本、触れさせません」


(まただ……また守られている)


 悔しい。悔しくて、息が詰まる。


 魔族が手を翳す。

 アリサが首を絞められているようにもがき、足が宙を蹴る。


「アリサ……!」


(こんなんじゃだめだ)


(守るって言ったのに)


(守られてばっかりじゃ、何も変わらない)


「ノエル……様……逃げ……て……」


 アリサの声が細い。

 その細さが、刃みたいに胸に刺さる。


 エルは聖剣を拾い上げ、抱きしめるように握った。小さい手が必死に柄にしがみつく。


(力がほしい)


(アリサを守る力が)


(みんなを守る力が――)


 その瞬間だった。


 聖剣が熱を持った。

 掌の熱じゃない。剣そのものが、内側から息をするみたいに温度を上げる。


 白い光が、じわりと刃を満たしていく。

 霧の輪郭が浮き、泥の一粒がきらりと光る。


 ――王都で感じた光より、ずっと強い。


「……なんだ、これは」


 視界が澄む。耳鳴りが遠のき、心臓の音が一拍ずつ整っていく。


 魔族の声が、初めて揺れた。


「それは……小娘。なぜ、おまえがそれを持っている」


 答える暇はなかった。

 気づいたときには、エルは走り出していた。


 身体が軽い。身体の奥から、力が溢れ出てくる。


 怖い気持ちもある。

 でも、そのまま踏み込む。


「――えいっ!」


 声が少し高くなる。でも、構わない。

 今、必要なのは格好じゃない。届くことだ。


 無我夢中で聖剣を振りかぶる。


 今まで動じなかった魔族が、初めて受け身に回った。

 影のように黒い杖が、掌から生えるように現れる。


 杖が聖剣を受け止めた瞬間、禍々しい魔力が爆ぜる。

 空気が粘つき、喉の奥が焼けるように痛い。


 ――それでも。


 杖に、ひびが入った。


 魔族の赤い目が細くなる。驚きか、怒りか。

 次の瞬間、杖が折れた。


 そして、魔族の腕にも浅い傷が走る。

 どす黒い血が一滴、落ちた。


(通った)


 魔族が折れた杖へ魔力を注ぐ。ひびが塞がり、形が戻る。

 後退しながら、杖を振りかぶってくる。


「……っ」


 エルは歯を食いしばり、剣へ力を込めた。


 背後で、絞められていたアリサが息を吐く。


「……アイスランス!」


 氷の槍が、魔族の仮面――目の位置へ突き刺さる。

 仮面がひび割れ、赤い光が一瞬だけ乱れた。


「今です、ノエル様!」


 背中でアリサの声が弾ける。


 エルは全身の力を注ぎ込んだ。

 聖剣の白い光が一帯を包み、視界が白く潰れる。


「――ウガガガガ……!」


 魔族の叫び。

 二人を中心に、これまで感じたことのない衝撃が生まれる。遠い方角からも魔族の叫び声が混じった。


 どれほどの時間が経ったのか。


 聖剣が、エルの力を吸い取りきったように震えを止める。

 光がすっと引いて、世界が元の明るさに戻った。


 そこには――もう魔族の姿はなかった。


 いや、そこにいたものの輪郭が崩れ、灰のようになって散っていく。

 風にさらわれ、指の間からこぼれる砂みたいに、消えていった。


 足元がぐらりと揺れる。


(……だめだ、立って)


 そう思ったのに、膝が折れる。

 先ほどまで溢れていた身体の力が抜けていくようだった。


 最後に見えたのは、地面に手をついたアリサの横顔だった。


(……また守られた)


 でも――今度は、守り返せた気がした。

 そう思えたことだけが、救いだった。


 エルは、そのまま意識を手放した。

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