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落ちこぼれ王子、聖剣を抜いたら女の子になった  作者: 白保仁
一章

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十三話

 軍務卿サリザードは、自分の目を疑った。


「……これは、どういうことだ?」


 宰相クリストンに人払いを頼まれたと思ったら、現れたのはクリストンと――エル殿下だった。

 そこまではいい。再三、エルの容体について問いただしてきたのだ。話があるのなら歓迎だ。


 問題は、そのエルの姿である。


 精巧な人形のように整った顔立ちの少女。

 銀の髪は光を含んで、肩口でさらりと揺れている。肌は白く、頬は薄く色づいている。


 だが、目元と輪郭には、確かに見覚えがあった。

 エルの面影が、消えずに残っている。


(……冗談ではないな)


 サリザードは喉の奥で息を呑んだ。

 エルは、気まずそうに視線を漂わせかけて――すぐに背筋を伸ばした。小さな肩が、ほんのわずか上がる。


「見えているとおりの結果です。聖剣の影響で、エル殿下の性別が変わられた」


 クリストンが淡々と告げる。


「性別が変わる? 聖剣の影響で?」


「そうです。この件は、まずは内密にお願いしたい」


 いつもどおりの、愚直なほど真面目な顔。

 冗談で済ませられる話ではない。性別が変わるなど、軍の常識の外にある。


「……で、その前代未聞の件はひとまず置くとして。今は別の話か?」


「その件も重大です。しかし今は、別の急務がある。聖剣の力を、秘密裏に試したいのです」


 サリザードは顎鬚を指先で撫で、眉間に皺を寄せた。


「聖剣の力、か。ありがたい話ではあるが……」


「ただ、具体的な力がまだ掴めておりません。だからこそ、魔族を相手に実地で確かめる必要がある」


 横目に、エルの横顔を盗み見る。

 唇がかすかに強く結ばれていた。これはクリストンだけの思いつきではない。殿下自身が望んでいる。


「なるほど。それで、我にどうしろと?」


「聖剣と殿下の素性を隠したうえで、比較的危険の少ない持ち場に配置していただきたいのです。

 見た目がここまで変わっておられます。我々が情報を絞れば、殿下だとは気づかれますまい」


「ふむ……できん話ではないがな」


 サリザードはクリストンから視線を外し、隣に立つエルを改めて見た。

 近くで見ると、なおさら小さい。軍装の男たちの中に混じれば、容易に掻き消えてしまう体躯だ。


(これが、聖剣の主……?)


 疑念が浮かぶ。だがクリストンが、こんな妙な嘘をつくわけがない。


「それでよろしいのですかな、殿下?

 比較的安全と言っても、戦場に絶対などありません。命をかけることになりますぞ」


 エルは一瞬だけ視線を揺らした。

 喉が小さく上下する。


 恐怖になんとか耐えているようにも見える。


「……問題ありません、サリザード殿。怖くないと言えば嘘になります。ですが、これは僕の意志です」


 声は澄んでいた。

 少し高い。だが、言葉の選び方が妙に落ち着いている。


 サリザードは大きく一度うなずいた。


「わかった。殿下のご意志、しかと承った。こちらで手配しよう。準備に一週間ほどかかる」


 エルの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。

 安堵は見せまいとしているのに、息が一拍だけ長くなる。


「助かります」


 エルの瞳には、不安の影が確かに揺れていた。

 だが同時に、そこには強い決意も宿っていた。


※※※


 一週間後、エルはアルテリア王国東部辺境へやって来ていた。


 冷たい風が吹き、草の匂いの中に鉄と煙が混じる。

 遠くから兵の怒号がかすれて届いた。


 アルテリア王国は北部から東部にかけて、魔族国家と国境を接している。

 ここ、カウレッツェ平野は見通しが良いぶん、ひとたび崩れれば一気に押し込まれる地形だ。


 司令部として築かれたのがハウバーヘン砦。

 砦の向こう、平野の端には王国軍が横一線に前線を敷いている。


 東部は北部に比べれば、まだ侵攻が進んでいない――と聞かされていた。

 だが前線でない司令部でさえ、空気は張り詰めていた。


 砦の中を歩くたび、湿った鉄の匂いが鼻につく。

 誰かが急ぎ足で通り過ぎ、担架がきしむ音が廊下の先から追いかけてくる。


 エル、ハインバル、アリサの三人は、東部辺境駐在軍の代表――ダンケル将軍との顔合わせに臨んでいた。


 分厚い胸板に短く刈った髭。片方の目を古傷で失った、いかにも現場叩き上げの男。

 書類の山に囲まれた机の前で椅子に深く腰を沈めているが、姿勢は崩れていない。


 将軍は苦虫を噛み潰した顔のまま、エルたちを見上げる。


「中央にはいつも『人手不足だ』と言っておる」


 言いながら、机の端に積まれた補給伝票の束を指で弾いた。乾いた音がする。


「……で、回ってきたのが、こんな小娘どもか」


 思わず、エルの口元に苦笑いが浮かぶ。

 そのわずかな表情さえ気に障ったのか、ダンケルは残った片目を細めてジロリと睨んだ。


「笑ってる暇があるなら外を見ろ。今日だけで担架が何台通ったと思う」


 言葉が容赦なく刺さる。

 エルは喉の奥で息を呑み、背筋を正した。


「しかもだ。サリザード殿から決して死なせるなの厳命付きだ」


 将軍は苛立ちを隠しもしない。


「なんだ、お前らは。お偉方のお気に入りか?」


「……まあ、そんなところです」


 エルが曖昧に答えると、将軍は露骨に舌打ちした。


「ちっ……面倒だから詮索はせん。だがな」


 ダンケルは机を軽く叩いた。そこに置かれていた地図がわずかにずれる。

 地図の端には赤い印がいくつも打たれていた。


「ここは戦場の端だ。端だから安全、なんて理屈はない。前線が崩れりゃ砦も街も死ぬ。……つまり、ここも死ぬ」


 淡々とした言い方が、逆に怖い。


「遊び半分で来られては困る。泣いて帰りたいなら今すぐ言え。……帰す手間すら惜しいがな」


 エルは一拍だけ迷った。

 だが、ここで目を逸らせば――自分はまた、守られるだけに戻る。


「……帰りません」


 声が少し高い。自分でそれがわかって悔しくなる。

 それでもエルは言葉の端を折らずに続けた。


「遊びではありません。皆を守るためにここへ来ました。足は引っ張りません」


 ダンケルはほんの少しだけ眉を動かした。

 見下すでも、笑うでもない。値踏みする目。


 次の瞬間、将軍は興味を失ったように視線を地図へ戻した。


「……口だけは達者だな。いいだろう」


 吐き捨てるように言って、顎で部下を指す。


「こいつらを補給部隊へ案内しろ。嬢ちゃん方、足手まといだけにはなるなよ」


「はい」


 答えたのはエルだけではない。

 アリサも、ハインバルも短くうなずく。ハインバルの鎧がわずかに軋む音を立てた。


 将軍はもうこちらを見ない。書類の山に目を落としたまま唸っている。

 エルは小さく息をのみ、案内役の兵士の後ろに続いた。


(……やっぱり、安全な場所なんて、戦場にはない)


 胸の奥に、じわりと重いものが沈んでいく。

 それでも足は止めなかった。

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