十二話
ギルド併設の食堂で、エル一行は遅めの夕食をとっていた。
皿が行き渡り、湯気の立つスープの匂いが席に落ち着いた頃合いを見計らって、エルは匙で表面をかき混ぜながら口を開いた。
「それで……これからどうしよう? いろいろ起きすぎて、頭が追いついてないけど」
アリサがパンを小さく割り、落ち着いた声でまとめる。
「リハリザード子爵は捕縛。魔族は討伐。アイリーンさんは無事に保護。結果だけ見れば、ひとまず良い方向に収まったと思います」
たしかに、言葉にして並べればそうだ。
あの後、「王都に魔族が入り込んでいた」という事実は瞬く間に広まって騒ぎになったが、意外と早く鎮まった。肝心の魔族が、すでに討伐されたからだ。
代わりに、エルたちは妙な形で名を知られた。
魔族退治の一件で、一躍、話題の三人組になってしまったのだ。
ハインバルが、周囲に聞こえないよう声を落とす。
「その件ですが。宰相クリストン殿が一度、ノエル殿のご様子を伺いたいと」
「様子って言われても……僕自身、よく分かってないんだけど」
エルは思わず肩をすくめた。
あのとき確かに聖剣は光り、身体の奥から力が湧いた。けれど、今は――ただの剣だ。あの熱も、嘘のように消えている。
「またゴブリン一体に悪戦苦闘する僕に戻ってそうだよ」
「でも、魔族を倒したノエル様、めちゃくちゃ格好良かったですよ」
アリサが即答したので、エルはむっとする。
「ゴブリンって、ハインツなら十体は相手にできるんでしょ」
「それは……まあ」
ハインバルは咳払いをひとつして、話を戻した。
「聖剣の力が確かに存在することは確認できました。焦る必要はないかと」
アリサも柔らかい声で続ける。
「そうですそうです。最初の日は、手が震えて眠れなかったじゃないですか。それが今は、魔族まで倒したんです。……十分すぎます」
「……うん」
慰められているのは分かる。
それでも胸の奥の、形のないもやもやは簡単に消えてくれなかった。
「分かった。とりあえず、クリストン殿と話してみる」
そう言うと、ハインバルが力強くうなずく。
「はい。私も同席いたします」
「もちろんアリサも、ご一緒します」
ふたりの言葉に、エルは小さく笑った。
ぬるくなりかけたスープの味は、今のエルにはよく分からなかった。
***
翌日。
エルはハインバルの案内で、人目につかない裏通路を抜け、宰相クリストンの執務室へ向かった。
扉を開けると、クリストンはすでに席に着いていた。
以前見たときより目の下の隈が濃い。
「エル殿下。ご無事で何よりです」
「いや……ハインバルが守ってくれるからね。騎士団長殿を、いつまでも借りておくわけにもいかないけど」
「そこはお気になさらず」
クリストンは真面目に言い切り、少しだけ口元をゆるめた。
「殿下の警護はいまや、王国でもっとも重要な案件の一つです。……情報漏洩を防ぐ意味で、護衛がハインバル一人なので、むしろ薄いくらいでして」
「誰も彼も、過保護が過ぎるな……」
エルが肩をすくめると、つい口が滑る。
「……この見た目のせい、とか言わないでよ」
「そんなことはありません」
クリストンは否定しつつ、咳払いをひとつして続けた。
「……とはいえ、アルテリア王家にはこれまで王女が一人もおりませんでしたからな。殿下の姿が知られれば、奮起する騎士も多いでしょう。守るべき姫を得たつもりで」
「そういうの、あんまり嬉しくないなぁ……」
自嘲気味にこぼすと、クリストンはすぐに話題を切り替えた。
余計なところで長引かせる人ではない。
「それで、殿下。最近のご様子はいかがですかな」
「様子って言っても……魔族の件は聞いてるんだろう?」
「ええ。殿下が聖剣の力で倒したと」
「その後は、ただの剣に戻ったけどね」
「ふむ……」
クリストンは一度目を閉じ、指で机を軽く叩いた。
「こちらも聖剣の資料を洗い直しました。注目すべき点があります」
「なに?」
「第一次人魔大戦――終戦後の資料が、ほとんど見当たらないことです」
エルは眉を上げた。
「どういうこと?」
「終戦後、愚かにも人類は人類同士で争いを始めた時期があった。……にもかかわらず、その時代に聖剣が使われた形跡がないのです」
「初代国王……ゲイルバーグ様が封印したとか?」
「それも考えました」
クリストンは首を振る。
「ですが、殿下の体験と合わせれば、もっと単純な結論が見えてくる。――聖剣は、人間には効果を示さない」
空気が少し冷たくなる。
「魔族にのみ力を発する……ってことか」
「その可能性が高いです」
エルは息を吐き、続けて聞いた。
「じゃあ……性別が変わった件は、何かわかった?」
「いえ。そこはまだ、何とも」
クリストンは視線を逸らさず、慎重に言葉を置く。
「ただ、厄介なのはそこです。殿下は魔族に対しては魔王すら倒し得る力を持ち得る。……しかし、人間に対しては――」
「ただの少女、って言うつもり?」
エルが言うと、クリストンは苦笑に近い顔をした。
「表現が悪いのは承知です。ですが、政治的にも軍事的にも、危うい立場です。今のままでは、聖剣を抜いた王子を狙う者は魔族だけではない」
ハインバルが背後で静かにうなずいている。
「だから、しばらく身を隠す方が無難だと思います」
「……分かった」
エルは頷きつつ、しかし引かない。
「でも、今後はどうする? 魔族相手じゃなきゃ聖剣の力が出ないなら……使いこなす訓練も、魔族相手でないと意味がない」
アリサが思わず声を上げた。
「危険です、エル様。まだ力も、条件も分かっていないのに……!」
「でも、知らないままの方が危険だよ」
エルはまっすぐ言った。
「いつまでも守られているばかりが一番嫌だ。……聖剣に選ばれたなら、僕は僕で、前に進むしかない」
アリサが言葉を失う。拳が小さく震え、やがて押し殺すように握りしめられた。
「魔族と相対するならば……」
クリストンが禿頭を撫で、考え込む。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「エル殿下を戦場に送るしかありません。……できるだけ安全な所へ配置してもらう。とはいえ、安全とは言えません」
「いつか戦わなきゃいけない」
エルは頷いた。
「そのいつかが来る前に、何も分からないままなのは嫌なんだ」
クリストンは頭をぽりぽりと掻き、最後に折れたように言う。
「そこまで言うなら、軍務卿サリザード殿に話を通しましょう。正規の王子としてではなく、身分を伏せた傭兵として。……できるだけ安全な部署に配属し、魔族の姿を見る機会を作る――その形で」
「ありがとう。それでいい」
エルは頷いた。怖くないと言えば嘘になる。
それでも――もう、守られているだけの自分には戻れそうもなかった。
「……急ぐなと言っても無駄でしょうな。十五歳にしては、あまりに前のめりだ」
ぼやくような言葉に、エルは小さく笑った。




