十一話
カルバンは人間という種を、基本的には見下している。
同じ土を踏み、同じ空気を吸っていても、骨格も魔力も、根っこの強度が違う。大抵の人間は、種族の差を埋めきることができず死ぬ。
——けれど、だからこそ油断はしない。
魔族は人間に負けたことがある。
その事実だけが、彼の中でいつも鈍く光っていた。侮りは慢心を呼び、慢心は敗北に直結する。感情で動く連中とは違うのだ、とカルバンは自分に言い聞かせる。
最優先で警戒すべきは、聖剣。
あれは単騎で戦局をひっくり返す。たった一本の刃が、魔王様にさえ届いてしまう。
そこで進められたのが、聖剣への耐性の獲得だ。
触れても、斬られても、なお崩れない個体を作る。
その検証の一つが、半魔の生成だった。
魔王様と人間の間に子を成し、混ざりものにして耐性を引き出す。聖剣の力は対魔の力——ならば、混ぜれば鈍るはずだ。
しかし結果は芳しくない。
孕むところまではいく。けれど育ち切る前に落ちる。母体も一緒に壊れる。失敗が続くほど必要になるのは、数だ。
だから若い女性が、定期的に必要だった。
カルバンは王都に潜り、金で釣れる貴族を一本釣りにした。金は扱いやすい。面倒な忠誠より、よほど素直だ。
……だが、どうやら嗅ぎつけられたらしい。
それでもカルバンは焦らない。
目の前には人間が三人。うち二人は女。
(ついでに、こいつらも持ち帰るか)
笑みというより、結論が出たときの癖で口角が上がった。
片づけて、静かに姿を消す。それだけだ。
※※※
そこにいたのは、確かに魔族だった。
骸骨めいた面。額から伸びる大きな角。二メートル近い巨体——なのに、獣のような粗さはなく、妙に優雅だった。立っているだけで空気が歪み、息が重くなる。
エルの掌の中で、聖剣がじわりと熱を持つ。
冷たい金属が、体温を覚えたみたいに。
ハインバルが駆け出し、子爵の家令を剣の柄で弾き飛ばした。
アリサはすでに詠唱の姿勢に入り、魔力を練る。
エルも走った。遅れたくない。
その瞬間、魔族が指先を軽く弾いた。
火の玉が、矢のように走る。
「アイスランス!」
氷の槍が闇を裂き、火球へぶつかった。ぱん、と弾けて熱風が頬を撫でる。
視界が揺れた隙を、ハインバルが潜るように踏み込み、斬りかかった。
魔族が両手を突き出す。
鈍く光る棒——杖が、まるで最初からそこにあったかのように手の中に現れる。
がきん。
ハインバルの剣が受け止められ、火花が散った。
「魔術だけだと思わないほうがいいよ、人間の剣士」
声が軽い。遊んでいるみたいだ。
魔族は一歩身を引き、すぐさま杖で殴りかかる。
ハインバルが剣で弾き、カン、カンと金属音が狭い室内に響く。
エルはじりじりと回り込み、背後へ回る角度を探した。
今なら――と息を詰めた瞬間。
「小娘。殺しはしない。だから大人しくしていなよ」
背中越しに声が刺さり、エルの足が一瞬止まった。
まるでエルのことを見えているかのような感覚。
「余裕だな」
ハインバルが低く吐き捨てる。
「受けるってことは、通るってことだ」
剣が弾かれる。体勢が崩れる。
そこへ鋭い突きが走った。
魔族は身をよじったが、切っ先は確かに掠った。
黒に近い血が一滴、床へ落ちる。
「ふむ。悪くない」
魔族は血を拭い、面白がるように笑った。
杖を軽く回すと、先端に火が灯る。火は炎へ膨らみ、呼吸をするみたいに揺れた。
「でも、ここからは――僕の番」
踏み込む。
杖が叩きつけられ、ハインバルが受ける。
次の瞬間、杖先の火が鞭のように伸び、炎となって襲いかかった。
「――っ!」
ハインバルが後ろへ転がり、鎧が床を擦った。
魔族が追撃に踏み出す。
「アイスランス!」
アリサの氷槍が連続で放たれる。
だが魔族は片手を払うだけで、炎の球をいくつも生み、氷を次々に弾け飛ばした。白い欠片が床に散る。
倒れたハインバルへ、魔族が杖を振り下ろす。
――させない。
考える間もなく、エルは飛び出していた。
聖剣を握り、踏み込む。振りかぶる。
魔族が振り向く。
聖剣を受け止めようと、杖を差し出す。
「大人しくしとけって――」
言葉が途切れた。
聖剣が、薄く光った。
眩しい光ではない。刃の縁をなぞる、冷たい線。
その線が触れた瞬間、杖は抵抗する間もなく、すぱりと切れた。
「……なっ」
魔族の声が詰まる。
エル自身も驚いた。だが驚きより先に、身体の奥から熱が湧き上がった。
剣が軽い。腕が速い。
自分の動きじゃないみたいに、次の一撃が勝手に生まれる。
エルは踏み込んだ。
聖剣を横一文字に振り抜く。
面の横を裂き、肩口から胸元へ深い傷が走った。
黒い血が噴き、床を汚す。
「……聖剣、か」
魔族が、信じられないものを見る目でエルを見た。
その赤い光が、はっきりと恐れの色に変わる。
それでも立て直そうと、片手を上げ、炎を——
「させない」
エルは、止まらなかった。
迷いのない縦の斬撃が、角の根元から面ごと深く裂いた。
魔族の身体が揺れ、膝が折れる。
炎が消えた。
紐を切られたみたいに、魔力の圧が落ちる。
魔族は口を開いた。何か言おうとした。
だが声にならない。
エルは一歩だけ近づき――聖剣を突き立てた。
刃が胸を貫き、魔族の身体がびくりと跳ねる。
赤い光が瞬き、消えた。
重い沈黙。
エルは剣を引き抜き、荒い息を吐いた。
手が震えている。怖いのか、興奮か、自分でもわからない。
「……はぁ……はぁ……終わった、のか」
床に崩れ落ちた魔族は、もう動かない。
血の匂いだけが残る。
振り返ると、アリサとハインバルが呆然とこちらを見ていた。
エルは、聖剣を見下ろした。
さっきまで熱かった刃は、嘘みたいに冷たい。
(……今の、僕がやったのか?)
全く実感がわかなかった。
それでも――倒すべき相手を倒した、という事実だけが、胸の奥に重く残っていた。




