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落ちこぼれ王子、聖剣を抜いたら女の子になった  作者: 白保仁
一章

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十話

 帳簿の数字は、嘘をつかない。

 人の忠誠はつくが、数字はつかない。


 リハリザード子爵はページを繰り、薄く笑った。

 書斎の机に並ぶのは、今月分の取引と支出。整然とした列が、彼の世界の秩序そのものだった。


 魔族——カルバンとの取引は、確かにリスクを伴った。

 だが、そのリスクはすでに利益として回収できている。ならば危険は危険ではない。投資だ。


 カルバンが提示した要件は、驚くほど単純だった。


 ——若い女性であること。

 ——健康であること。

 ——見栄えが良いこと。


 目的は告げられていない。

 だが、目的など取引において本質ではない。こちらが守るべきは条件と期限、そして痕跡を残さぬことだけだ。


(……外が騒がしいな)


 廊下の足音が速い。扉の向こうで声が跳ね、金具の擦れる音が混じる。

 数秒後、書斎の扉が乱暴に叩かれた。


「旦那様——」


 メイドが青い顔で駆け込んでくる。息が上がっていた。


「騎士団の方々が……屋敷の前に。『確認したいことがある』と……!」


 子爵はペンを置き、指先で帳簿を閉じた。

 慌てない。ここで慌てることは命取りになる。


「人数は」


「十名ほど……いえ、もっと」


(末端が捕まったか。バレないようにしたつもりだったが……辿られたか)


 子爵は立ち上がり、窓へ歩いた。

 敷地の門前に、確かに騎士の列が見える。威圧のつもりだろうか。

 子爵は静かに息を吐いた。


「案内役を用意しろ。彼らを客間へ」


「は、はい……!」


 メイドが去るのを見届けてから、子爵は机の引き出しを開けた。

 中にあるのは表帳簿。誰に見せても困らない、整った数字だけの帳面だ。


 問題は別のほうだった。


 子爵は本棚へ向かい、指先で背表紙を二度、軽く叩いた。

 かすかな金属音。隠し金庫の仕掛けが応じる。

 証拠になり得る書付をまとめて押し込み、鍵を閉める。


 鏡の前で襟元を整え、笑みの角度を作る。

 親切な貴族の顔。その顔のまま、子爵は扉へ向かった。


 客間の前で、騎士たちの足音が止まる気配がする。

 子爵は扉を開く前に一度だけ、心の中で損益を計算した。


 切るべきは末端だ。

 どこまで情報が漏れたかは分からないが、決定的な証拠を掴まれているとは限らない。


 子爵は穏やかな声を作り、扉を開けた。


「これはこれは。お忙しいところ、わざわざどうなさいましたか。——何か、私の屋敷で問題でも?」


 客間に通された騎士たちは、揃った足取りのまま椅子に腰を下ろした。

 鎧の擦れる音が、部屋の静けさをわずかに削っていく。


 先頭に座る男は三十代半ば。顔立ちは整っているが、目が笑わない。

 肩章の意匠で、副官格だとわかった。


「リハリザード子爵閣下。突然の訪問をお許しください」


「いえいえ。騎士団が動くほどの事態なら、こちらも協力いたしましょう」


「では単刀直入に。王都で起きている連続失踪事件について、閣下のお耳にも入っているかと」


「もちろんです。嘆かわしい。……しかし、まさか我が屋敷に何か?」


 副官の視線が、机ではなく子爵の指先を見た。

 どんな挙動をも見逃さないつもりだ。


「昨夜、実行犯と見られる者が拘束されました。そこから子爵家の名が出た」


 副官は淡々と言い、紙片を一枚差し出した。

 粗雑な筆跡。末端が震える手で書いた供述の写しだろう。


 子爵は紙片を受け取らず、困ったように眉を寄せた。


「それは……残念ながら、悪い冗談でしょう。私の名を出せば、罪が軽くなるとでも思ったのでは?」


「名を出しただけでは、我々もすぐには動きません」


 副官はまっすぐ続ける。


「捕縛した者が所持していた粉末が“マホエル草”でした。魔族領にしか生息しない」


 子爵の胸の奥で、冷たいものが落ちた。

 便利な道具ほど足がつく——わかっていたはずだ。


「……魔族、ですか」


 子爵はゆっくりと息を吐いた。驚きすぎず、驚かなすぎず。

 動揺していることを悟られてはいけない。


「恐ろしい話ですな。しかし、我が家が魔族と? そんな危険な真似をする理由がありません」


 副官の返事は淡々としていた。


「どちらにせよ、抵抗はしないほうがいいでしょう。徹底的に調べさせてもらいます」


 言葉は丁寧だが、冷たい。思ったより強硬だ。

 子爵は笑みを崩さないまま、茶器の蓋を軽く鳴らした。——事前に決めていた合図。


 家令が一瞬だけ視線を伏せ、静かに客間を離れる。


(カルバンを逃がせ。あれさえ見つからなければ、どうとでもなる)


 子爵は、目の前の副官の視線を受け止めながら、心の中でそう言い切った。


※※※


 家令が廊下を抜けるときも、騎士団の連中はこちらに注意を向けなかった。


 屋敷を出て、馬を走らせる。

 今頃、子爵が客間で視線を集めているはずだ。あそこから決定的な証拠は出ない。


 半刻ほどで別館が見えてきた。

 人目を避けるように中へ入り、奥へ奥へと進む。


 ここには誘拐した女たちが残っている。

 何に使うのかは分からない。知りたくもない。——ただ、厄介事はまとめて消えてもらう。


「カルバン殿……いらっしゃいますか」


 奥の扉を開けると、カルバンがいた。

 何度か顔を合わせているはずなのに、その容貌だけは慣れない。喉が勝手に乾く。


「どうしたのさ。そんなに慌てて」


 声音は軽い。まるで茶会の雑談だ。


「騎士団が迫っています。早くお逃げになったほうが——」


「ふうん。……でも、もう遅いよ」


「えっ?」


「つけられてるよ。君」


 カルバンが指先に魔力を集める。

 ——次の瞬間、扉が爆ぜた。


 煙の向こうに、人影が三つ。


 銀髪の少女。

 メイド服の女。

 そして、フルプレートの騎士——


「私が前に出ます。二人は援護を」


 鎧の男が踏み込んだ瞬間、家令の胸に衝撃が走った。

 剣の腹。息が抜け、視界が跳ねる。


(——なぜ、ここが……)


 答えに届く前に、家令の意識は闇に沈んだ。

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