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落ちこぼれ王子、聖剣を抜いたら女の子になった  作者: 白保仁
一章

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九話

 少し腹立たしいことに、聞き込みではエルの容姿が役に立った。

 困ったように首を傾げて見上げるだけで、特に男たちは妙に親切になる。


 けれど得られるのは、だいたい噂話だ。

 街のチンピラが怪しいだの、最近羽振りのいい貴族がいるだの——どれも決め手に欠ける。


 日も暮れてきて、歩く人影もまばらになってきた。


「うーん……これといった情報が出てこないな」


「聞き込みなら、ギルドや騎士団も動いているでしょう。そうそう新しい話は拾えません」


 ハインバルが、仕方ないと言いたげに答えた。

 そして、声をさらに落として続ける。


「……顔に出さず聞いてください。先ほどから、何者かにつけられています」


「……犯人だろうか?」


「分かりません。別口の可能性もあります」


「どこにいるか分かる? 捕まえられない?」


「いえ。位置までは特定できません。荒事に慣れているのでしょう。——視線だけが、ずっと刺さる」


「僕には分からないけど……ハインツが言うなら、そうなんだろうな」


 エルは少し考え込み、小さな声で続けた。


「……ねえ。僕を囮にするのはどうだろう。僕が一人になれば、姿を現さないかな?」


「ノエル様、それはさすがに危険すぎます」


 アリサの声が、珍しく尖っている。

 反対されるのは分かっていたが、その強さにエルは言葉を詰まらせた。


「どうしても必要だと言うなら、アリサが囮になります」


「だめだよ。アリサを危ない目に合わせられない」


「それは、こちらの台詞です」


 アリサがぴしゃりと言い切る。


「ノエル様は、もっとご自分を大切にしてください」


 珍しく、はっきり怒っている。


「あまりに危険かと。そもそも、冒険者の仕事を逸脱しています」


 ハインバルが即座に切る。


「そうだよ、ノエルさん。女の子を危ない目に合わせられない」


 レックも慌てて頷いた。


「でも、ただ待ってるだけなんて嫌なんだ」


 エルは二人をじっと見上げる。

 逃げるなと言われている気がして、胸がきゅっと詰まる。


 沈黙のあと、ハインバルが短く息を吐いた。


「……仕方ない。危険へ突っ込むことは推奨できませんが、手は打ちましょう」


「手?」


「ノエル殿とアリサ殿を前に——十分な距離を置いて、私とレック殿が後ろから張ります」


 ハインバルの目が細くなる。


「相手が様子見でも顔を出せば、こちらが捕らえる。ノエル殿は、自身の安全を最優先に。合図があれば迷わず逃げてください」


 アリサが眉をひそめる。


「……気が進みませんが。この身に代えても、ノエル様は守ります」


 エルは、ようやく息を吐いた。


「いつまでも守られてるわけにはいかないけど……ありがとう。行こう」


※※※


 夜。通りの灯りがひとつ、またひとつと消えていく。

 人影は途切れ、足音だけがやけに響く時間になった。


 エルはちらりとハインバルを見やる。——そろそろいいだろう。


「もう知らない! ハインツの……っ、この石頭!」


 わざと周囲に聞こえる声で怒鳴り、鎧の胸当てを拳で叩く。

 硬い。指先がじん、と痺れた。


「こんな連中、放っておいて。アリサ、行こう!」


 エルはアリサの手を掴み、ずんずんと夜道を進む。

 背中に冷たい視線が刺さっている気がした。


「……来るかな」


 小声で呟くと、アリサが即座に頷く。


「来ても来なくても、守ります」


「ありがとう……私も、できるだけ戦う」


 二人はわざと、灯りの少ない路地へ入った。

 湿った石壁。遠くに水音が聞こえる。


 静寂が広がる。


 革の擦れる音。

 鎖が触れ合う、かすかな金属音。


 次の瞬間、影が四方から滲み出た。


 フードを目深に被った男が四人。

 距離は近い。逃げ道を塞ぐ角度で、包囲を作っている。


「誰だ……?」


 エルは聖剣を抜かず、まず柄を握りしめた。

 アリサも一歩前に出て、掌に魔力を集める。


 男のひとりが、わざとらしく肩をすくめた。


「女の子がこんな時間に歩いてたら危ないよ。……ほんと、危ない」


 フードの奥から、湿った笑い声が漏れる。


 甘い匂いが、ふっと混じった。


「……っ」


 エルが息を止めるより早く、アリサが先に動いた。


「アイスランス!」


 氷の槍が闇を裂く。

 だが男たちは散るように避け、槍は石壁に突き立って砕けた。


「おいおい、乱暴だな」


 別の男が、懐から何かを取り出す。布袋——いや、粉を包んだ紙だ。


「吸わないで、ノエル様!」


 アリサが咄嗟にエルの前へ立つ。


 その瞬間——背後で叫び声が上がった。


「うわぁっ!」


 男のひとりが吹き飛ぶ。

 闇を割って、鎧の影が踏み込んでくる。


 ハインバルだ。


「——捕縛する。抵抗は許さん」


 低い声。剣が一閃し、男の足元を払う。

 勢いよく倒れた男に、遅れてレックが飛び込んだ。


「動くな! ……って、動くなぁ!」


 場違いな声が、逆に緊張を薄めない。今はそれがありがたい。


 男たちは逃げようとしたが、動きが鈍い。

 甘い匂いのせいか、それとも、最初から算段が狂ったせいか。


 ハインバルは迷いなく距離を詰め、二人目の手首を捻り上げる。

 骨が軋む音がして、男が呻いた。


「ぐっ……!」


 残る一人が路地の奥へ走る。


「逃がすか!」


 レックが追いすがるが、男は合図のように指を鳴らした。


 ——カツン。


 何かが転がる音。

 エルが目を凝らした、その瞬間。


 ふっと、匂いが濃くなった。


 頭の奥が、軽くなる。


「ノエル様!」


 アリサの声が遠い。


 エルは歯を食いしばって踏みとどまり、聖剣の柄を強く握った。

 視界の端で、ハインバルが最後の男の首根っこを掴み上げる。


「ノエル殿。——捕縛完了しました」


「はは……さすがだね、ハインツ」


 言いかけて、エルは喉を押さえた。

 甘い匂いが、まだ鼻の奥に残っている。


 息をするたび、眠気が染み込んでくる。

 意識が、ゆっくりと沈む。


「……ごめん、アリサ」


 アリサに寄りかかるようにして、エルは気を失った。


※※※


 エルが目を覚ますと、そこは冒険者ギルドだった。

 頬の下に柔らかい感触。アリサの膝枕だと気づいて、遅れて状況が戻ってくる。


 向かいにはハインバルとレック。

 ギルドの奥は騒がしく、誰かの怒鳴り声や足音が途切れない。


「……えっと。どのくらい寝てた?」


「二時間ほどです」


 アリサが覗き込む。目が笑っていない。


「犯人たちは、ギルドへ引き渡しました。無茶しすぎです」


「ご、ごめん……」


 言い訳を探す前に、ハインバルが淡々と報告を継いだ。


「捕縛した者たちは、口を割りました」


「なにかわかった?」


「指示役の名が出ています」


 ハインバルが視線を落とし、低い声で言う。


「リハリザード子爵」


 子爵家の名。

 エルは息を呑んだ。冗談で出る名前ではない。


「相手が相手です。騎士団も動いています。ギルド単独では手に余ります」


 アリサが、重い言葉で付け加える。


「それと、ノエル様が吸ったあの粉——マホエル草を粉末にしたものでした」


「マホエル草?」


 エルの疑問に、ハインバルが補足する。


「魔族領にのみ生息する植物です」


 背中に、冷たい汗が滲む。


「つまり……」


「魔族が関わっている可能性があります」


「魔族? 王都に……?」


 エルは思わず息を呑んだ。

 アリサの身体が強張るのを感じる。


「急ぎ、突入の準備を進めています」


 ハインバルが言い切る。


「私も加わります。ノエル殿はギルド内で待機してください」


「……私も行くよ」


 エルは上体を起こした。まだ頭がぼんやりするのに、言葉だけは先に出る。


「いずれは魔族とも戦わなきゃいけない。今日みたいに、守られて倒れて終わりなんて嫌だ」


「……そう言うと思っていました」


 ハインバルは呆れたように息を吐き、しかし拒まない。


「なら、条件があります。前へ出ない。合図があれば即座に下がる。——自分の安全を最優先にしてください」


 エルは一拍置いて、頷いた。


「……約束する」


「ノエル様は本当に無茶ばかりするんですから、もちろんアリスも行きますよ」


 アリサが溜息をつく。アリサの表情を見て、エルは困ったように笑った。

 

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