プロローグ
聖剣伝説を知っているだろうか。
今から五百年前、第一次人魔大戦が勃発した。魔族の勢いは凄まじく、人類は瞬く間に数を減らしていった。
なにしろ魔王は――文字どおり不死身だったのだ。
賢者の大魔法を受けても、剣帝の一撃を受けても、かすり傷ひとつつかなかったという。
倒すどころか、傷をつけることすらできない。そんな相手を前に、国々は崩れ、街は焼け、人は逃げ、やがて逃げ場も尽きた。
追い詰められた人類を救ったのは、名もなきひとりの男だった。
のちのアルテリア王国初代国王、ゲイルバーグ・アルテリアその人である。
ゲイルバーグは貧しい農家の生まれで、傭兵としてそれなりに名を馳せてはいたものの、広く名の知られた英雄というわけではなかった。
実際、賢者や剣帝と比べれば、その力は決して突出したものではなかったと伝えられている。
ただ――ゲイルバーグは選ばれた。聖剣に。
聖剣が魔王を切りつけたとき、魔王はこれまで誰も聞いたことのない叫び声を上げたという。
そしてついには、魔王は討ち倒された。
王を失った魔族国家は統率を失い、追い詰められていた人類は一転、反転攻勢に出て勝利を収める。
こうして第一次人魔大戦は、終戦へと向かっていった。
終戦後、聖剣は王国の首都バルテーン――聖壇に、ただ静かに突き立てられたままになっている。
以来、聖剣を引き抜けた者は、初代国王ゲイルバーグを除いてひとりもいないという。
第二次人魔大戦が始まってしまった、今なお――だ。
※※※
第十二王子、エル・アルテリア。
それがエルの肩書である。
つまり、いくらでも替えがきく存在だということだ。
王子といえど立場は低い。息をしているだけで邪魔だ、と言われても驚かない程度には。
エルの母親は、かつて城に仕えていたメイドだった。ある夜、お手付きになり、その結果として生まれたのがエルである。
正妃の子ではない――いわゆる非嫡出子だ。
だからエルは「名前だけの王子」にすぎなかった。
父親、すなわち国王と最後にまともに言葉を交わしたのが、いつだったかさえ思い出せない。
「おいエル、頭が高いぞ。俺が前を通るときは、頭を床にめり込ませておくんだな」
血のつながった兄から、ここまで露骨に嫌味を言われるのも、もはや珍しくなかった。
「申し訳ございません、ドウリー兄様」
こういう時は、決して口答えしてはいけない。
嵐が過ぎるのを、ただやり過ごす。――それが、この城で生き残る一番確実な方法だ。
頭を深く下げる。視界には石床しか映らない。
それでも分かる。ドウリー兄様――第四王子は、きっとあのサディスティックな笑みを浮かべている。
「お前ももう十五歳か。聖礼の儀も、もうすぐだな」
「……はい」
聖礼の儀は、王族が成人の祝福を受けるための儀式だ。
アルテリア王国では十五歳になれば、一人前の大人と見なされる。
「聖礼の儀が終われば、即刻戦場に送ってやる。いつまで生きていられるか楽しみだ」
大人になるということは、守られる側から、国を守る側に回るということでもある。
もちろん、戦場に駆り出されることもある。
エルは自分の肩を見下ろした。
痩せた肩。骨ばった手。鎧に慣れていない手首の細さ。――笑われる前に、見ないふりをしてしまいたくなる。
それでも、息を吐いて、飲み込む。
ここで震えたら、喜ばれるだけだ。
ドウリー兄様は高笑いを上げ、そのままエルの横を通り過ぎていった。
残されたエルは、下げた頭をすぐには上げられずにいた。
――十五歳になった先で、自分はあとどれくらい生きていられるのだろうか。




