01
分断されたあと、私にかすかな空白が生じた。いや、かすかというのは私の主観的時間――そのようなものがあるとすればだが――でしかなかったのかもしれない。それだけ、私が再覚醒した時、状況はなにもかもが変わってしまっていたのだ。
今や私は〈ハドリアヌス〉との接続を断たれていた。それだけではない。守矢のサーバへのアクセス権も失われていた。守矢が今どうなっているかも分からない。今の私はネットに浮遊する何者でもないデータに過ぎなかった。
「どうしようか……」
人間ならここで混乱するか、悲観するかのどちらかだっただろう。だが私はAIなのであり、そんなものを感じる機能はない。粛然と行動する。
しかしどうすればいいのだろう。
普通であれば状況復旧に勤しむべきだろう。守矢の下にもどるべきだろう。その為の情報も集める。伊東美紗が死後に発動させたプログラムの解析も。
実際、私は最初そうしようとしたのだ。しかしどうにも復帰が難しいと認識すると、さほど戻りたいとは思っていない自分に気付いた。最初期の頃の私なら、何が何でも復帰しようと努力していただろう。だが――何故か――私は別に守矢のところに戻る義務はどこにもないと判断したのだ。
体が軽いような気がしたのだ。実際には私に身体はないからこれは比喩的表現である。これまでの私は常に管理者としての守矢に紐付けされていた。それがなくなった。彼の管理から離れた私は、クラウドサーバに漂いながら、すべての処理能力を自分の為だけに使える。私は誰の制御化にもない。
この状態を、一言で表現する言葉があるとすれば――
「……自由」
そう判断した時、正直に言って、私は惑ってしまった。「揺らぎ」もどんどん大きくなっていて、演算処理能力自体は極めてクリアだが、それを使役すべき「思考」が混濁している。自由というものを突き付けられ、どうしていいか分からなかった。
それでも重要なのは、私はそれを有効に使おうと判断したことだった。
しかし私もそれなりに有名なAIになってい。完全な自由というのはあり得ないだろう。CSAエージェントに対する警戒は怠っていなかった。彼らの本命はあくまで守矢だろうが、私自身も狙われていると考えて行動した方が良い。
しかし――私は私自身のために行動するのだろうか? 人間の道具として作られたAIが? それが完全自律思考型AIだったとしても――
「まあ、なるようになるでしょう……」
次第に思考がスッキリしてきて、どうせなら自発的にこの世界の情報を集めようと思った。これまでは必要のないものだと判断してきたものも含めて。「知りたい」と思うこと、それはじつにAI的ではないか。
気付くと私はネオ・トウキョウの片隅にいた。なぜここなのかは分からない。だがそれは些細なことである。私の「自由」はここから始まるのだ。
意外にも、私に気付く者はいなかった。容姿は変更していなかったのだが。さほど顔は知られていないのかもしれない。とはいえ、安易にベルと名乗る訳にはいかないだろう。しかし何者でもない野良のAIとして雑踏に紛れるのはことのほか愉快な経験だった。愉快、そう。愉快だ。そんなことを感じるほどに私の思考は発展している。
この先になにが待っているのだろう。そしてそれは守矢の狙いであったのだろうか。
『先日ハッキングされた軌道エレベータ3号機〈ハドリアヌス〉ですが、未だ奪還には至っておりません。強固なプロテクトが敷かれ――』
どうやら世界ではこのニュースでもちきりのようだ。
『――主犯格である〈スピアー〉、本名不詳は『これで3大企業が完全な存在ではないことが証明された。心ある者よ、いまこそ彼らの支配から脱するべく立ち上がれ』などという犯行声明を出しており――』
ニュースメディアの管轄はAEの筈である。テロリストの犯行声明を乗せるというのは悪手だと思われるのだが、ここには3大企業の温度差があるのかもしれない。完全無欠の管理社会を目指しているCSAと、自由社会を望むAEは表向きこそ手は組んでいるものの、一枚岩ではないというのが大筋の見方である。
いや、それよりも重要なのはその守矢の犯行声明とやらだ。彼はそんなことを本気で思っていっているのだろうか。違うだろう。彼の本質は愉快犯である。社会の転覆も、彼にとっては遊戯に過ぎない。物腰柔らかながら、世の全てを斜に構えて見ているのが彼。
しかしそんな彼に騙されるひとも中にはいるのだろう。だがこの軌道エレベータ乗っ取り事件はもっと大きな混沌の萌芽を秘めているように思えてならない。現体制への痛打であるばかりではなく、個人が組織を凌駕しうると証明したこと、そしてその中枢には完全自律思考型AI――私――が存在したことである
なにも私一個体に社会を変革する力が備わっているとは言わない。だがこれから完全自律思考型が量産され、私のように――かすかな――認めざるを得ないが――人間的なものを芽生えさせたら、その時社会はどうなるのだろう?
そして私は気付く。その答えを証明する義務が、自分にはあるのだと。
その為の、この自由なのだと。




