01
TRIAが5基の軌道エレベータ建設計画を立てた時、人類はまだニューラル・ネットワーク世界に引き籠る決意をしていなかった。しかしこの計画実現により莫大な電力を得られ、デジタル世界が否応なしに拡大したのは事実である。
その偉大な建造物は――現文明が滅びれば、次の文明によって遺跡として見做されるだろうが――1号機から順に〈ネルヴァ〉、〈トラヤヌス〉、〈ハドリアヌス〉、〈アントニヌス・ピウス〉、〈マルクス・アウレリウス・アントニヌス〉と古代ローマ帝国五賢帝の名前を取って名付けられている。
守矢たちが標的にしているのは、アイルランド島に建設された3号機〈ハドリアヌス〉である。
これは史上最大のサイバー犯罪になるであろう。
ここまで述べた通り、その計画はすでに動き出し、私はOS解析による行動の自由、そしてジェフが裏側からの侵入経路を発見した。丸裸、とまでは言わないまでもかなりの防衛ラインを突破したに違いない。
「それにしては奴らは静かだね」
そのデータを洗いながら、守矢は無機質な接続ゴーグルの中で呟く。私はネットワーク上の視覚化情報ではなく、肉体世界に存在する守矢を見ている。彼はプロピアニストのように指を動かし、コンソールを操作している。私もこの指から生まれたのだ――
「私の予測を述べてよろしいでしょうか」
「いいよ。むしろそれを期待している」
「〈ヤングマン〉――竹芝芳一氏がこちらに情報を提供した時点で彼らは戦術を変えたように推測されます。水際で止めるのは不可能。こちらを能動的に捕捉するのも難しい。となれば、いっそのこと侵入まではあえて許し、そこで私たちを一網打尽にするという、言わば背水の陣を取って来たのではないかと推論します」
「背水の陣、ねぇ……そう表現するにはいささか消極的な戦術だが」
守矢の声にはやや退屈そうな色が伺えた。もっと激しい戦闘を望んでいたのだろうか。そこまでではないにせよ、ハッキングをどこか子供の悪戯のように捉えている彼にしてみれば、やや面白くないのかもしれない。
なんとも頽廃的なものである。
「ま、いいさ。こっちとしては新しいソフトを試すいい機会でもある」
「そのような開発をされていたのですか?」
「ぼくだってノンビリ待っていた訳ではないんだよ」
その作戦計画はこうである――
まずは発覚したセキュリティホールから守矢の開発した新型ウィルスを注入する。完全に破壊することはできないだろうし、またそれはこちらの望むところでもない。復旧は早めに行われるだろう。だがその隙に、コンピュータ中枢が麻痺している内に私とジェフが侵入し、自己増殖AIを展開して一気に乗っ取る。
だがそれ以前に戦闘は発生するだろう。向こうも安いガードAIではなく最新型を投入してくるだろうし、CSAのエージェントもいるはずだ。竹芝亮氏が宣言した通り。これはかれらにとって威信を懸けた戦いになる。しかしこちらも犯罪者としての栄光を求めている。
今回は史上かつてない戦いになるだろう。そして私たちが勝てば――社会の秩序を転覆しかねないほどの衝撃になる筈だ。
しかしそこが問題でもあった。
フィジカルの視点から、再びサイバーに戻る。いつもの守矢のアジト。少し待っているとジェフとアスムッセン氏がやってきた。ふたりとも神妙な顔をしている。緊張しているのだ。平然としている守矢がむしろ異常なのである。それもジェフの言う彼の「天才」なのだろうか。
ジェフはまるで自分の家と言わんばかりにソファへとどっかと座った。まあ仮想映像に過ぎないところで遠慮しても意味はないのかもしれないが。いずれにしても彼と守矢は心を許し合っている仲となる。その上で敵対することにも躊躇しない。
人間とは不思議なものだ。
「それで、お前。軌道エレベータを乗っ取ってどうするつもりなんだ?」
ジェフがもっともなことを言った。前の原発の時は身代金のように大金をふんだくったが、今回はどうなのだろうか。守矢には前からどうにも不穏な雰囲気が漂っている。
「軌道エレベータを奪う。それは政治的なメッセージになるだろう」
「……本気で言っているのか?」
疑わし気に問うたのはアスムッセン氏だった。
「それではハッカーではなくテロリストだ。〈スピアー〉、お前はこの世界の秩序を破壊したいのか?」
「悪いかな? 3大企業が支配するこの世界は……まあ安定しているとは言えるが、少々ぼくにとっては息苦しい。同じことを思っている者は存外多い筈さ」
「革命家にでもなる気か? 馬鹿なことを言うな」
ジェフの語気は荒い。どうやら本気で怒っているらしかった。
「俺たちがハッカーをやれるのは奴らが社会を安定させているからだ。社会が混乱すれば俺たちの仕事もなくなる」
「じゃあお前は手を引くかい? ぼくはお前がいなくてもやるけどね」
軋みが発生していた。
私は――どちらに与するべきか迷ってしまった。もちろん、本来ならば創造主である守矢の意向を優先すべきなのだろう。だが――私の思考に、この世界を無闇に乱す必要はないのではないか、というものが生まれていた。そしてジェフの言い分に理があると思ってしまうのも確かだった。いささか皮肉ではあるが、敵が健在であればこそ泥棒稼業は成立するのだ。
「まあ、そこのところはまた話し合おうじゃないか。なんにしても成功しなければなんにも始まらない」
取り成すようにしてアスムッセン氏が言った。それはまったく正しい意見だった。




