02
ひとが地に足を付けなくなって幾星霜――
NNS世界を歩く人々はその自覚もないようである。疑問も持っていない。完全に自分の肉体を忘れた訳ではないのだろうが、彼らは現実を見て見ぬふりをしているように感じられる。
生まれたばかりの私はまるで人間のことを理解していなかったし、また理解もしようとしていなかった。しかし。知識で知っているのと、その現実はまるで違う。私は人間を知り始めた。
彼らは肉体に縛られることを嫌がっているのだろうか――世界の拡張を諦め、内側に籠り、電子の中で泡沫の夢を謳歌し続ける人類――果たしてこれでいいのだろうか、などと思考しなくもないのだが、すぐにAIが考えるべきことでもないと反証し、それは捨てた。
その夢の中で、私は人間に混じって浮遊する。歩く。漂流する。この中で、私がAIだと気付くものはどれほどいるだろうか。しかしそう言うのなら、私自身すれ違う者の中にどれほどAIが混じっているのか分からない。それだけAIはこの世界に浸透している。
しかし私は類例のない、完全自律思考型AIである「らしい」。しかし既存のAIと違うところはどこにあるのか、と問われると解答を出すのは意外と難しい。AIでもなく、人間でもないどっちつかずの存在のようにも思える。最初はそんなことを思考することもなかったのだが、幾らかの経験を経て、私の中で変容が起こっているのは確かだ。
正直に言えば、私は戸惑っている。AIが戸惑うなどと、あってはいけないことのように判断されるのだが。
解答を生成できない、というのは私にとって中々に認め難いものだった。バグデータが溜まっているように思え、それは私自身の洗浄でも、守矢による調整でも取り除けない。かといって性能が下がっている訳ではないし、むしろ守矢の検査によれば演算速度は上がっているという。それも劇的に。
この潤った荒野、荒んだ沃野の地平にその解答は存在するのだろうか。それを見つけるまで私は歩き続けなければならないのだろうか。
じつのところ、私の推論の中には「答えを出すべきではない」というものもある。私が進化して、そして――その先に待っているものは?
「お姉さん、ヒマ?」
つらつらと内に籠って思考しているよりは、人間と交流していたほうがいいだろう。そうすればもっともっと情報を得られる。NNSの中心にある集合情報体では得られない活きのいい情報が。
「ヒマなら俺と付き合ってよー」
情報の取得は、AIにとっては食事のようなものである。常に新鮮な栄養を欲している。そうすればもっともっとパフォーマンスを上げられるのだ。能力を上げることに疑問はない。私が疑問に思っているのは、もっと、こう、本質的な――ああ、あいまい機能がここでは邪魔をしている。
「ねえ、お姉さん、聞いてる?」
そこでようやく、しつこく私に話し掛けてくる男の存在に気付いた。容姿は若い男のように思えるが、それが真だとは限らない。その中身は中年、壮年かもしれない。性別すら違うかもしれない。女性が男性に化ける例は、その逆と比してかなりすくないというデータもあるのだが、皆無ではない。
しかしこの状況からすれば、「彼」の中身が女性である可能性はゼロコンマ以下である。なぜなら今彼が行っているのは、所謂、「ナンパ」というものだからだった。
「あらあら、ごめんあそばせ」
私は落ち着いて反応した。しかし奇妙ではあった。私は今、特に着飾ってもいず、美人でもない中年女性の容姿をしているのだが。男の目を引くような存在ではない筈だ。
「でもこんなおばさんを引っ掛けても、なんにも面白くないでしょう?」
「そんなことはない……ってか、わざわざそんなアバターに設定しているってのは、男除けのつもりなんだろ?」
別にナンパを警戒していた訳ではなかった。単純に目立つのは良くないという判断の為である。市井の男性が話し掛けてくれる分にはなんの問題もない。
「そういう慎ましい女性が、俺は好みなんだよねー」
安易に年齢を断定する訳には行かないが、その軽薄さは若さの表れであるように思える。そしてそういったアバターと性格をしている――あるいは演じているのなら――基本的にはそこから深く疑ることはしないというのが不文律になっている。
ということはつまり、彼はそこからやや踏み込んでいるとも言える。
「それに俺ちょっとマザコンのケがあるから、包容力のある落ち着いた女性のほうが好きなんだよね」
試験管の中で生まれ、親の顔など見ることもなく育つのが普通の世界でマザコンとは。まあ、そういう言い回しなのだろうが。まさか可もなく不可もない――ように見える――彼が、この世界では非情に稀な自然生殖者ということはまずないだろう。
「私に包容力があるように見えますか?」
「あるある」
「そうでしょうかねぇ……こう見えて私、子供っぽいところもあるんですのよ」
さて、私は彼の誘いに乗るべきかどうか、それを判断しなくてはならなかった。そしてそこである実験を思い付き、それを実行する為にその「ナンパ」に乗ることにした。彼が最終的に求めるものには応えられないが、まあいいだろう。
「でもお兄さん、格好いいからちょっと付き合ってあげようかしら」
私の実験。それは即ちどこまで私が人間の振りを出来るか、AIであることに気付かれないかというチャレンジである。




