06
目当てのものを盗んだのだから、もはやここに長居する理由はどこにもない。だがいっぽうで足跡は慎重に消去する必要がある。特定はさせない。守矢はそれに重ねて、さらに慎重繊細に帰還ルートを複雑化させていた。
「逃げ道は多ければ多いほどいい」
これが守矢のやり口。どこまでも手は抜かない。それが個人特定を避ける方法なのだと、彼は飄々と語る。それゆえ彼は〈スピアー〉の名を売り、派手に暴れているにもかかわらず影を踏ませない。
その上、私のような完全自律思考型AIを作成し、さらに個人情報を遠ざけるやり方を模索している。もちろん、サイバー犯罪者が個人情報を秘匿するのは基本中の基本である。しかし守矢はやりすぎなほどに徹底している。
「これでも足りないくらいだ」
「そうでしょうか。十分すぎるほどに認識されますが」
「ぼくは元CSA――それは知っているよね。だから連中のやり口はよく知っている。本気になれば徹底して特定に走って来る筈だ。それで殺された同業者も数多い」
「チャフ」を撒きながら、同時に足跡を消していく。それから再暗号化。そのあと迂回するように複雑な「道」辿ろうとする。
「それに、きみは慎重というが、盗賊のやり口なんて昔から大して変わらんさ。それこそネットワークが出来る前の世界からね」
それを真似しているだけさ――と守矢はこともなげに言った。
「さて、〈ソーサラー〉にも回線を開いてくれ。彼にも撤退を促す」
その時だった。
「待ってください、〈スピアー〉。敵の攻撃型AIの起動を検知」
意外と早い。ここまでは呆気ない程に簡単に事が進んでいたように認識していたが、やはりそう上手くことが運びはしないようだった。
「情報検索開始――相手はTRIA、CSA共同開発の攻撃型AI、〈九十五式改〉。第8世代に改修を加えた、実質最新型です」
「これまた厄介なのが出て来たな。そう易々とは終わらせてくれないようだね」
守矢の声が冷たくなる。それでありながら、どこか楽しんでいるようでもある。彼にとってハッキングは秩序に対する反乱であると同時に遊戯でもあった。いや、反乱をゲームのように楽しんでいる、と表現したほうが正確か。
「そんな危険なものと遊ぶのは状況的に好ましくないな。できればスタコラサッサと行きたいものだが」
「それは推奨できません、〈スピアー〉。敵の攻撃は65.46秒で開始されることが予想されます。それに足跡消去作業もまだ完了していません」
「では、どうする」
「撃滅するのが最適解です。それも迅速に」
「撃滅とは、不穏な言葉選びをするね。そういった成長をしているのかな」
守矢はこの状況でも冷静だった。
「ダミーデータを展開します」
近世時代の戦略家がいみじくも看破したように、戦闘に於いては攻撃よりも防御が優位にあり。それは電脳戦でも変わらない。速度という点でもだ。
思惑通り、〈九十五式改〉の攻撃はダミーに当たり、逸らされる。
「ここは私が対処します。〈スピアー〉はログの消去と暗号化の準備を」
「頼もしいね。きみは急速に成長しているようだ」
私は防御を続けながら、攻撃用プログラム展開の機会を窺っている。一旦展開してしまえば、〈九十五式改〉は防御は考慮されていないAI――総合プログラムを搭載した戦闘用AIはそんなに多くはない――ゆえに――私が一端攻撃に出ればすぐに仕留められるだろう。だがいっぽうでは奴は「攻撃こそが最大の防御」という格言を体現している相手でもある。
そんなことを私が推論している内に、守矢は作業を粛々と進めている。
「投降することね。お前に勝ち目はないわ」
AIには意味のない警告だが、私は自然とそんなことを言っていた。そんな無駄な行程が発生するのは、私にとってあまりよくないことだったが。
ダミーデータは高速で潰されていくが、こちらの再展開のほうが早い。その間に隙を探る。敵は攻撃を続ければ処理能力が落ちてくる筈だった。しかしそれはこちらも同じこと。AI対AIの戦闘はそういった様相を呈してくるものだ。
この状況で、横から守矢が攻撃すれば一瞬で終わっていただろう。私の状況把握プログラムもそれを最適解だと診断している。しかし彼にはそう提案しなかった。
何故だろうか――私に合理的ではない思考が生まれているような――
まあ、どちらにしてもそこまで速度に差は出ない。とすれば守矢に負担を掛けず、最初の戦術を守るのもそう悪くはなかった。
〈九十五式改〉のプログラム展開は明らかに鈍ってきている。裏にあるCPUはそこまで高性能ではないのか、それとも無理矢理改修したタイプであるがゆえに、負担を多く掛けすぎる仕様になっていたのか。
負担を掛けないようにするのはこちらも重要。ここでは虎の子の〈ヴェスパ1〉は使わず、増殖型の〈アンドロメダ2〉を採用する。
私は一瞬だけ防御を解除する。ダミーデータがまだ生き残っている内に、仕留める。
「終わりなさい。お前に生きる道はない!」
ウィルスの注入は呆気ない程簡単に終わった。〈アンドロメダ2〉の特徴はその高速増殖。ワクチンの展開は間に合わない。過剰なデータ負荷が掛かって、〈九十五式改〉は哀れにも自壊していく――しかし、ただのAIの筈、その相手が崩れていくのは――
AIは基本的にバグが一定以上掛かるとCPUに負荷を掛けない為に自己消去するように設計されている。「彼」も同じだった。消えていく、消えていく――
「こちらの処理は終わりました。〈スピアー〉、そちらは」
「問題はない。とんずらするには丁度いいタイミングだ」
「〈ソーサラー〉は?」
「いち抜けしている。彼は逃げ足まで芸術的だね」
そうして、原子力発電所奪取計画は思ったよりもあっさりと遂行された。
しかし、私に起こっている変化は、微かな変化は、どう判断すればいいのだろう?




