02
この世界ではみだりに本名を公開することはおおむね忌避されている。個人情報はなによりも重要な財産だと思われていたからだ。それを、守矢は皮肉気にこう表現する。
「みだりに名前を唱えてはならない――まるでみんな、神にでもなったようだ」
宗教はすっかり力を失っている(とはいっても信心深いひとはまだいる)。その廃れた教義になぞらえてのジョーク。やや不謹慎であるが、彼らしいとも言える。
ともあれ、私があくまで、私的な空間でも彼を「守矢」と呼ばず、ハンドル・ネーム〈スピアー〉呼びなのは常に通信傍受を警戒しているからである。
今回やって来たのは、その本名を知る数少ない人物のひとり。つまりそれだけ親しく、また信頼もしている間柄という意味。
「相棒のAIにすら名前を呼ばせないとは。お前の用心深さは折り紙付きだな、晋作」
「ぼくの指示じゃない。彼女自身の判断だ」
「だがその『彼女』を作ったのは誰だ? その性格が無意識に遺伝したんだろう」
「人間が、AIに遺伝、ねぇ……」
「芸術品には芸術家の魂が宿る。望むと望まざるとにかかわらずな」
私を芸術品と呼んだ――比喩表現なのだろうが――男のアバターが、私と守矢だけがいた空間、つまり「自宅」に現れた。私はこの男を知っている。
ハンドル・ネーム〈ソーサラー〉。本名、ジェフ・コンドロン。
守矢の同業者である。
「で、どこから聴いていたんだい?」
その疑問に関しては、ジェフではなく私が答えた。
「ログを検索した結果、〈ソーサラー〉は最初から傍受していたようです」
「中々の高性能だな。これが完全自律思考型か」
ジェフの言葉にはあまり「快」を感知しなかった。あからさまな「不快」ではないにしても。彼が言葉に反して、私のことをあまり良く評価していないのが推論できた。だがそれは私には関係のないこと。
「恋人との団欒の時間を邪魔して悪かったな」
「別にベルはぼくの恋人というわけじゃない」
「じゃあなぜお前は自作のAIを女性型ばかりにするんだ? 恋人でもなしに。どういうつもりだ」
「そりゃあ、恋愛目的じゃないにしても、できればかわいい女の子のほうが華やかじゃないか」
守矢の美学とジェフの美学はやや反りが合わないらしい。
「『彼女』たちを情人に使っているんじゃないのか?」
「私には脳髄性交の機能は搭載されていません。これは私のみならず、〈スピアー〉の作成した過去すべてのAIに共通します」
「そういうこと」
「分からん奴だ」
しかしジェフはなおも食い下がった。
「まあ女性型にするのはいいだろう。俺が分からんのはだな。この……ベル? か。今までになく少女らしい感じになっているだろう。そういう趣味だとは思っていなかったぞ。もしくは女の子みたいなお人形さん遊びのつもりか?」
「ぼくは彼女に、このNNS世界を自由に飛び回る電子の妖精になって欲しいのさ」
「そこがお前の矛盾している所だ。どこまでも合理的な結果を求めているのに、いっぽうではどこか夢見がちな――」
「矛盾を内包しない人間なんているかい?」
美学が合わないにしても、これだけ踏み込んだ会話をする。つまり守矢とジェフはかなり親しい。そして互いの考えの違いを認め、尊敬し合っている。
その会話は私にとっても貴重な学習になっている。彼らを知る――ひいては「人間」という存在を知る――
「しかし盗み聞きだなんて、無駄を嫌うお前らしくないね。なにか用事があるんじゃないの?」
守矢は飄々としていて、ジェフは頑としている。さしずめ守矢が「柳」なら、ジェフは「鋼」である。相反するように見える性格のふたりが仲がいいというのは、中々興味深い。
「そうだな、用事だ。お前と俺に相応しい。大きな仕事を提案しに来た」
「へぇ」
「さっきお前が言っていただろう。信用情報ばかり盗むのは味気ない、ってな。それに対する朗報だ」
「ネットワークの奥底に秘宝が眠っていた! って? オカルトサイトにのめり込む――訳がないか、お前が」
しかし人間を学習するとは言ったが、彼らはやや偏っているのではないかという疑問もなくはない。もうすこしフラットな情報も必要だろう。それはこれからのこと。
「そんなロマンティックなものじゃない。だが野心を掻き立てる仕事ではあるぞ。ラルフの野郎はお前じゃなくて俺に持ってきた。なんで俺なのかは分からんがな」
「勿体ぶらずに早く言えよ」
ジェフのマッチョな外見はにやっとして言った。
「タケシバの原子力発電所乗っ取りだ」
大きなヤマだ、と自信を深めるのに相応しいものだった。発電所の乗っ取り――それは確かに個人が行うにはかなり大がかりなものになる。さしもの守矢も、それを聞くとすこし神妙な反応を見せた。だが「快」の反応も見せている。
「〈ミスト〉め、そんな面白い話をなんでぼくのほうに寄越さなかったんだ。チキンだって思われたのかな」
「推測するが、奴は俺がお前を誘うのを見越してそうしたんだと思うぜ」
この場にいないアスムッセン氏は言われたい放題。しかしこのひねくれた男たちの連帯は――確かに存在している――これを「友情」と表現するものなのか――
「で、やるのかやらないのか。俺はお前が乗らなくてもやるぞ」
「もちろん、乗らせてもらおう」
守矢は簡潔に言った。ということは言うまでもなく私も使役される訳で、危険は把握していたが、あまり不安ではなかった。このふたりならどんな仕事でもこなせるのではないか――そんな信頼が生まれていたのである。




