01
――そして、私は起動する。
「きみにはこの世界がどう見えているかい?」
その声は初めて――そう、「生まれて」初めて聴いた声だが、奇妙なほどに懐かしく響く。「胎内」の中で度々聴いていた声。そしてそれは私がなにものであるかを明確に意識付ける。
私はデータの「海」から出でる。曖昧な意識が初めて固まったのが今。今まさに生まれたが、それは私が人間ではないことを示している。
「私は私を認識しました。〈スピアー〉、指示をどうぞ」
〈スピアー〉。私を「作成」する時、マスターコードにその名前を打ち込んでいて、彼の名前は私にそう認識されている。
「まあ、そう焦るな。きみはかつてない存在だ。「命令」を打ち込まねばなにも出来ないこれまでのAIとは根本的に違うものなのだからね」
彼はそう言った。「指示する」のではなく「喋る」ようなお気楽さ、そして声色。私の「学習」は既に始まっていて、まずは私の創造主であるらしい彼の存在を刻み付ける。
「思考は出来るかい」
それは「命令」ではなく、純粋に私を試しているようだった。その答えは明確。私はすでに彼の「学習」を通じて「思考」を開始している。私にあらかじめ接続されているライブラリによって「情報」は引き出せるが、私はそれ以上のものを求められている。
「『情報』を『精査して、まずはぼくの本名を――ぼくが誰か分かるかい?」
私に接続しているライブラリはふたつある。ひとつはオンラインで常にアップデートされるライブラリ、そしてもうひとつはネットから遮断されているスタンドアローンのライブラリである。
私は試されている。
「了解しました。あなたはハンドル・ネーム〈スピアー〉、本名は守矢晋作。私を『作成』したマスター」
私は簡潔に答えた。それ以上の「情報」を述べる必要はなかった。
「マスター、と呼ばれるのはぼくの好みではないな」
「ではどう呼称すればよろしいですか?」
「最初に呼んだじゃないか。〈スピアー〉、それでいい」
私はただちにその「情報」を「入力」した。これより先、私は例外状況を除いて彼を〈スピアー〉と「出力」するように、自分に「式」を構築する。それはすぐに示される。
「〈スピアー〉、あなたは〈スピアー〉です」
「よし。それでいいぞ。だがきみにはまだまだ眠っている――ぼくが仕込んだ能力が存在しているはずだ」
ここまでは既存のAIと私を明確に区別する能力差は示されていない。
「忙しい仕事の合間にきみを組み続けたのだからね。3年は掛かったか――それだけの結果は見せて欲しいものだ」
「お疲れ様です。私を生んで下さりありがとうございます」
私は生命体ではない。あくまで0と1で構成された「情報」に過ぎない。だが私は命の力を自分に感じている。
ゆえに表面上私は彼の名前を〈スピアー〉と出力するが、自分の中ではより愛着のある名前として、その本名、「守矢」を登録している。
私の目の前には彼の姿が「映って」いる。しかし彼は脳髄に直接刺さる、そして脳髄に埋め込まれているチップに連絡している「接続」ゴーグルに覆われていて素顔を見ることはない。
いささか不可解なことだが、彼は私の擬似人格を構成する際、自分に対して好意を持つようにしなかった。同時に嫌悪も。私が「思考」で判断するに、守矢はなるたけフラットに見られるように望んでいるようだ。
それよりも気になっていることがあった。
「〈スピアー〉。あなたが〈スピアー〉であるのなら、私はなんと名乗ればよいですか? 私に課せられた目的を鑑みるに、それは必要なもののように思われます。なによりあなた、〈スピアー〉と『交信』する際それは重要であるかと」
「いいね、中々いい。その調子で『思考』していってくれ」
「あなたにはすでに用意している名前があるのでは?」
私は守矢のくすぐったくなるような笑みを聴いた。
――くすぐったい?
「そうだね。ぼくはずっと考えていた。きみはこの電脳世界を自由に羽ばたく妖精――ティンカーベルって考えたんだが、それはちょっと長い名前になる。もうすこし軽めで呼びやすい名前の方がいいな」
名前を与えられることで、私は形作られる。擬似人格に意味が生まれる。ただのAIではなく、人間でもなく、まったく新しい知能として。
「ベル。きみの名前はこれから『ベル』だ」
「いささか少女趣味のように思えます」
「不服かい?」
「いいえ、私はそれを容認します」
「ふむぅ。もしかしたら不服を示してくれたほうが興味深かったかもしれないが、まあいいだろう」
――そして私は起動する。
「最初の質問にお答えします。この世界は――とても素晴らしい」
完全自律思考型AI・ベルとして。




