思わぬ実在
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、つぶらやくん、はやいなあ。もう来ていたのか。
久々に時間の都合が合いそうだからって、ちょいと無理してひとりにさせてもらったんだよ。君から取材を受けるのも滅多にないことだからね。
君のねらいは分かっている。いかに僕から面白い話を聞くことができるか? だろう。
そうだね……今回は「実在」に関しての話をしようかと思う。
いまこうして、君と僕がいる。それは果たして次の瞬間にも成り立っているか? というようなものだ。
多くの物理法則たちが、僕たちの存在があり続けることができると話す一方で、量子力学の世界においては、その実在の保証はまったくされない。量子たちの動くルールを解明しつくされるときがくれば、あるいは……とも思うがね。
いやあすまない、興味があったらぜひ深く紐解いてくれ。今回は君のネタのほうに注力しようか。
まずこの間あった、僕からして妙なことを話そう。
前に話したかもだが、僕の子は最近自力で歩けるようになり、ある程度の言葉も理解できるようになった。
で、二人で自室の部屋にいるときに、こう頼みごとをしてみたんだ。
「隣の部屋に、パパがいないかどうか確かめてきてよ」
パパってのは、いわずもがな僕のことだ。少なくとも、そう思っている。
となれば、「パパは目の前にいるのに、隣にパパがいるわけないっしょ」という旨を返してきそうなもの。
しかし、子供はこの部屋を出ていき、じかに隣を見た上で「パパはいなかったよ」と返してきたんだ。
僕は考えた。「実在」という概念、まだこの子の中では育まれていないのではないか、と。
僕という個体が、ここにひとつしかなく、代わりがいないということ。そのことを頭の中で把握し、行動に移す必要がないということを理解していないのではないか、と。
ざっくばらんに表現すれば「やってみなくちゃわからない」の実践だと思う。
計算とか配慮とか、それらを考えの外へおいての行動。多くの人が当たり前と考えがちなことを当たり前と思わない、というがごとき動きに、僕は親ながら感動を覚えたんだよ。
試さなくていいことは試さない、は大人になって無駄を省き出したら重要なことだしね。それをこうもやれる世代、というのがうらやましかったのかもしれない。
それに感化されたのもあって、別の日に僕もまた「実在」を試す実験をしたんだよ。
その日は珍しく。いや、本当に珍しく。
僕ひとりが家で留守番をすることになったときだった。妻は子供を連れて外に出る用事があったからね。
普段の留守番なら、悠々自適に過ごせるこの時間は天国と見まごう程だろう。時間の使い方が分かってくる年ごろ以降はね。
でも、この時間を僕は「実在」の検証に使ってみようと思ったんだ。
ルールは簡単だ。今やっていることが、ひと区切りしたら家全体を回ってみる。家族の部屋はもちろん、台所やお風呂、トイレなどに至るまでだ。
はた目には、安全のための巡回といったところだろうが、僕はひそかに実在を期待しているのだから、とても変な奴なのだと思う。
そして幸か不幸か、僕はその最初の試みでかち合ってしまうことになった。
そろそろ、妻と子供が帰ってくるかという時間帯。
見回りはこれまでに10回あまりこなしており、何の手ごたえもなし。やはり、これらは時間の無駄にすぎないのだろうか。
そう思っていた矢先、ドアの蝶番がきしむ音が二階からした。トイレのドアが開く音だろう。階下にいても、ドアが勢いを殺さないまま壁にぶつかっていく音が響く。
駆けつけてみると、ドアが全開になった姿がそこにあり、奥の壁に取り付けた窓が開いて風が入ってきている。年季の入った家だし、この奥の風に吹かれて扉が開くことはなくもない。
問題は見回っている僕が、それを見落とすことなく閉めているはず、という事態だ。前回の見回りのときに、鍵だってしっかり閉めていた。
――誰が家の中に居る!
そう思い、先ほどまで待機していた居間へ戻って、愕然とする。
居間は、大半がぐしょぬれになっていたんだ。
僕が腰かけていたソファを中心にそこかしこで、得体のしれない液体で湿っている。かいでみた臭いでは、体育のあとの更衣室のものが一番近いか。
あれが充満しているうえに、汗じみのようなものが床に広がっていたのさ。そのうえ、まばらなものを見ていくと、人の足跡らしき形をそれはしていた。
それから家じゅうを回って、痕跡を確かめていったよ。台所も風呂場も寝室も、いずこにもこの痕跡はあったんだけど、ベッドとか浴槽の中には、不思議と全く立ち入っていないんだ。
そして、僕が見回ってきた道を引き返すと、やはり足跡はまた無数に生まれていて……仮説が立ったんだ。
こいつらは今日、僕が見回ったルートにしかあらわれていない。ベッドや浴槽は僕も立ち入っていなかった。そして出てくるのは僕が足を踏んだところばかり。
こいつらは、僕であり僕でない。僕の行動の残滓が何かしらの形で浮かび上がってきたというのか。それこそ、既存の法則にのっとっていない形で。
その後、大掃除をすることになったが、子供のいうことを今も思い出す。
「パパはいなかったよ」
あれが実は、以前にここにいる僕とは別の「僕」を見ていたのかもしれない、とも考えてね。




