episode――.06
男は殴られて赤くなった頬にグラスをあてながら、気持ちよさそうな表情を浮かべている。名前も知らない男の顔を見つめ、これは言い寄られるのも頷けるわ……、と彩佳は一人で納得する。
こちらの視線が気になったのか彼が眉の皺を濃くすると、「パーティーの関係者?」と言いながら、彼はチラっと会場へ目線を動かした。
「ええ、父がこの主催者の方と親しい仲なので……」
「ふぅん、君の年齢だと、こんなパーティー楽しめないだろう?」
年齢と言われて、ああ、アジア人は若く見られるんだったと、今まで対応して来た初対面の人達の反応を思い出した。
自分の年齢を伝えたら、彼はどんな反応をするのだろう? 驚くのかなと一人で含み笑いをした。
「今年、二十歳です」
「……ん?」
「年齢ですよ」
「……うそだろ、どう見たって未成年……」
彼の言っている未成年は恐らく十六歳以下のはず……、そう思ったら笑いを堪え切れなかった。
「揶揄ったのか?」
盛大に笑い過ぎたせいで、冗談を言ったと思われたようで、彼の表情が怪訝に変わった。相手の気分を害したと悟った彩佳は、持っていた免許証を差し出した。
「なんだ本当に二十歳なんだ?」
「そうですよ」
免許証の顔写真部分を、つっと撫でられて、まるで自分が撫でられているような錯覚を起こしてしまい、落ち着かない気分になる。
ふーん、と免許証をこちらへ返しながら男は、「そうだ、俺も腹が減っているんだ一緒に食事でもどう? コレの御礼をするよ」と氷のグラスを揺らされる。
見ず知らずの人間と、いきなり食事を共にするなんて普段なら絶対にしないし、あり得ないことだ。それなのに、気が付けば頷いていた。
「よし、じゃあ行こう」
誘われるままパラソルシートから立ち上がり、彼のあとを付いて行く。やはり、最初の見立て通り彼はスタイルがいい。
つい足の長さをチェックして、彼に似合いそうなファッションを頭でスケッチしてしまいそうになる。
スタスタと前を歩く男に、「何処へ行くのですか?」と声を掛けると、後ろを向いたまま彼から「俺の部屋」と言われて、初対面でいきなり他人の部屋なんて難易度が高すぎる。そう思うのに、今日の自分は本当にどうかしていた。
「もしかして、あなたの手料理?」
そんな軽い冗談を言っていた。彼は軽く鼻を鳴らす吐息を漏らすと、頭を左右に振った。
黙ったまま正面のエレベータに乗り込み、男が最上階のボタンを押すのを見て、ここの最上階に宿泊? と一瞬で物凄い金額が頭に浮かんだ。
それと狭い空間は否応なしに彼を極上の男だと意識させたが、先程のやり取りを見ていたせいか、自分には無害な人だと妙な安心感が湧いた。
――あんな美女を振る男が私のような女を相手にするはずがないもの……。
そう、それに彼が自分を見て未成年だと持った印象からすれば、子供を相手にしている感覚なのだろう。
例えるなら、お腹を空かせたストリートチルドレンに、慈悲の手を差し伸べている程度だ。
「ここに泊まってるのですか?」
「……今日はね、って言うか、同い年だからさ、普通に話してよ」
「え……、そうなの?」
同い年と聞いて少し驚いた。
ひとつ、ひとつの動作が洗練されており、エスコートも手慣れているから、てっきり年上だと思っていた。
最上階のスイートルームへ案内されて、こんな部屋を拝むことなど滅多にないことだと、キョロキョロしていると、彼がリビングらしき空間のソファへと腰を落とした。
その奥には空いたままの扉、さらにその先にはキングサイズのベッドが見える。
ただの寝室、それなのに見てはいけない物を見た気がして、さっと目を逸らした。ひと呼吸置いた彼は、何処か悩まし気にこちらを見る。
「アヤカは……」
彩佳と名を呼ばれただけなのに、何故か体がカっと熱くなる。
それにしても、名を名乗った記憶がないのに、どうして知っているのかと思っていると、さっき提出した免許証のことを思い出して納得した。
彼は「俺のことを知らない人間なんて新鮮だ」とぼーっと見つめて来る。
「あなたって有名な人なの?」
「んー、どうだろう、君には無名のようだから対して有名じゃないね」
彼は軽く肩を竦めて目を眇めた。
「まあ、だから誘ったんだ。俺のことを知っている人間なら誘わなかった」
「ふぅん。あなたの名前を聞いても?」
「ジャック・フォーマス」
響きのいい名前だと思った。ジャック・フォーマス、頭の中でその名を呼ぶ。
「本当に知らないんだな、俺も頑張らないといけないな」
独り言のように呟いたあと、ルームサービースのメニュー表を手に取り、彩佳に隣へ座るように言う。
「これが美味いんだ」
そう言って彼が指を差したプルドポークサンドウィッチを見つめる。それを見た瞬間、彩佳の泣き止んでいたお腹がぎゅるっと音を立てた。
「凄いの飼ってるな」
彼はクっと肩を小刻みに揺らして彩佳のお腹を見つめてくる。
「うー……誰のせいだと思って……」
恨めし気にジャックを睨むと彼は悪戯に微笑んだ。
「よし早速注文しよう。ワインも頼もうか」
「お酒は……」
「未成年じゃないんだろ?」
確かにそうだけど、酔うと絡んでしまう癖があるし、それに、こんな美形の前で醜態を晒したくないという微かに残る乙女心がアルコールを拒否していた。
そう、拒否していたはず――。
「それでぇ、言われちゃったの……、君は画家に向いてないって!」
三杯目あたりから悪い癖が出ていると自分でも思い始めていた。
醜態を晒したくないという乙女心なんて、あっと言う間に砕けて、ジャックに愚痴をばら撒いている。
赤の他人の話、しかも愚痴なんて聞きたい人間なんていやしない、分かっているけど、やはり今日、講師に言われたことは、ここ最近では一番堪えた。
自分なりに頑張っているつもりでも、どこかで甘えがあった。
NISHINAの娘を一番に感じているのが自分なのだ。それを否定したくて頑張ってるだけ――、つまり、反抗期を終えることが出来ない子供だ。
「もー、やだ……本当にやだ」
「はあ……、飲ませた俺が悪かったな」
苦笑いする彼は、彩佳の手からワイングラスを奪った。
「あっ、まだ飲っ――」
「いッ……⁉」
崩れる姿勢、パシャっと零れるワイン、彼に覆いかぶさる自分。
「意外と大胆だな?」
「え、違っ……」
咄嗟に支えられた腕の力強さに、思わずドキっとする。
少し肌が触れただけで男として彼を意識するなんて、どうかしてる、と自分を詰りたくなるけど、目の前にいる男が並みではないのだから、多少のときめきは仕方ないと思う。
「あ、の……」
ごめんなさい、と言って彼から離れるべきだ。腰に回された腕や、彼から漂う体臭を早く遮断するべき……、そう思うのに出来なくて、そのまま彼に身を委ねた。
そして、これが不幸の始まりだったと知るのに時間は掛らなかった――。
恋は不幸の始まりです~END.




