episode――.02
ジャックは彩佳の母に強引に腕を取られ、広々とした二階の部屋へと案内された。
アトリエと言っていた通り、デッサン紙が床に散乱しているのが視界に飛び込んで来る。ファッションデザイナーはデジタルデッサンはしない人が多いと聞くけど、彼女も例外ではないようだった。
「そこに座って」と指示されるまま、洒落た木の椅子へ腰かける。自分が良く知る映画監督と似た圧を感じて、つい従ってしまう己が憎い。
椅子に腰かけた直後、下の階の扉がバタンと音を立てたことに気が付き、彩佳が外へ出たことを察して思わず体が動いた。
「ジャック・フォーマス」
「……」
名を呼び、こちらの行動を制御した彼女の口が尖る。
「娘に何の用?」
先ほどの笑顔が消え、厳しい目に変わる彼女を見て、母親なら当然かとジャックは思った。
彼女を傷つけた男が今さら何の用事だと言いたいのだろう。どれだけ謝罪しても許されないことをしたと分かっているが、どうしても彩佳に会いたかった。
その気持ちを母である春子に伝えた所で無意味なことくらい分かっているが、言わなくては始まらない。
「俺は彼女のことを心から愛していると気が付いたから会いに来た」
「そう、随分と都合のいい愛だこと……」
「……ずっと愛していることに気が付いてなかった……、分からなかったんだ……」
「確かに失わないと大切な物って分からない物よね」
つくづく、と言った彼女の言葉に自分もうなずいた。
「けどね、ジャック・フォーマス、あなたは彩佳の前に立つのは許されないわ」
どれだけ傷つけたと思っているの? と言いたいのがよく分かる。言葉にしなくても伝わって来る厳しい視線に目を背けることなく、ジャックは口を開いた。
「分かってるけど、どうしても気持ちを抑えられない。だから、俺の全てを賭けて来た」
「全て?」
「そう、俳優をやめる」
それを聞いた彼女は絶句という言葉がピッタリ当てはまるほど驚いた顔をしていた。
「とにかく、俺にはアヤカが必要なんだ……」
「必要って……」
彩佳がいなくなって、仕事をしていても、毎日、毎日、いったい自分は何をしているのか分からなくなっていた。
今まで、同業者やモデルやら、思いを告げられることも、別れを告げられることも頻繁にあったし、それを受け止めて来た。だから、彩佳が『別れよう』と言って自分から去って行っても一緒だと思った。
また時が経てば他の子のように戻って来てくれる……、仮に戻って来なくても、会いたくなったら会いに行けばいいと思ってた。
けど、彩佳は何の痕跡も残さずに、まるで、最初からいなかったように消えた。
――本当にショックだった……。
通っていた大学に問い合わせても、卒業した生徒のことなど知らないと言われて、姉のジャネットから『あの子は女優でもなければモデルでもないのよ』と言われるまで気が付かなかった。
自分と付き合って得られるメリットがあるから、女優もモデルも戻って来るけど、彩佳にはそれがない。だから、『心が離れてしまったら普通の女である彩佳は戻って来ないわ』と教えられて、そんな当たり前のことにようやく気が付いた時、僅かに灯っていた光を失ってしまったように、心が迷子になった。
「……実はアヤカに会いに来るのは今回で三度目なんだ、何度も声を掛けようと思っても掛けられなくて……、結局、仕事があるから直ぐに戻らなきゃいけないし、このままだとアヤカとやり直すのは難しいから、今回は仕事を全部キャンセルしてきた」
声を掛けても連れ戻せないと分かっていたから、今までは話かけられなかった。けれど、今回は違うと春子に伝えた。
もしかしたら引退して日本に移住することになると仕事のパートナーであるジャネットにもハッキリと言って来た。
そのことを春子に伝えようとした時、肩を竦めた彼女が、「馬鹿ね」と彩佳によく似た仕草で言葉を続ける。
「……あなたの一方的な思いを分かってもらうには、確かに仕事を辞めるしかないと思うわ、けど、ハリウッド俳優じゃないジャック・フォーマスに魅力なんてないわよ?」
「うん、良いんだ。それこそ、普通の男として見てもらういい機会だ」
「はぁ……、貴方のこと馬鹿だと聞いていたのよ娘から……、私としては大袈裟に言ってるだけだと思ってたけど、本当に馬鹿なのね」
「ありがとう?」
ふるふると春子が頭を左右に振り、「褒めてないわ」と言う。そんなところも彩佳にそっくりで笑いを誘われた。
「春子って呼んでもいい?」
「ええ、いいわよ。好きに呼びなさい」
「じゃあ、春子、アヤカは何処に行った?」
「仕事よ。デザイン関係の人間と会ってるわ」
「……何処で会ってる?」
「教えられないわね」
ぐっと喉の奥が熱くなる。急いで立ち上がり、玄関へ向かう途中で、「待ちなさい」と言われて立ち止まる。
「何か問題が起きても困るから携帯番号を教えなさい」
「分かった」
自分のことを問題児扱いする春子に、携帯の番号を伝えてから、アトリエを出るとジャックは静かに歩き出した――。
初めて日本に来た日、実はこのアトリエに最初に立ち寄った。
手掛かりがない以上、ここを探すしか無かったし、最終手段として彩佳の母に会って居所を聞くしかないと思っていた。
だから、このアトリエを探して辿り着いた時、どれだけ嬉しかったか分からない。本人に会えてないにも関わらず、軽く感動の涙が流れた。
――本当にアヤカの母親が有名な人で良かった……。
ファッションブランドを立ち上げていることを彩佳から聞いてなかったら、探すのに相当苦労したと思う。
しかも、初日に彩佳とすれ違うことが出来たし、ついでに何処に住んでいるのかも突き止めることが出来た。
あまりの嬉しさに、ジャネットへ報告したら、『あんた、それストーカー、犯罪だからね』と言われた。
そんなこと言われても、自分でも止められないのだからしょうがない。
――それに意外と楽しい……。
馬鹿みたいに遠くから眺めているだけでも楽しいと思える。
今までは自分のことを出待ちするファンの子達を見て、何が楽しいんだ? と思っていたが、その楽しさが分かるようになった。
何時、自分に気が付いてくれるだろう? とワクワクする感じがたまらなくいい。
――それはいいとして、彩佳は何処に行ったんだ?
この駅周辺で打ち合わせが出来そうな場所はないし、だから電車か車で何処かへ移動したのだと推測する。
だったら、このまま待ち伏せをした方が効率がいいかもな、とジャックは当たり前のように待ち伏せを決め込むことにした――――。




