64.かつて見た光
幼い頃、私はおてんばな子供だったと思う。
世話係の目を盗んで、まだ護衛騎士になって日が浅いコーレナと一緒に授業やお勉強を抜け出して町にしょっちゅう繰り出していた。
お父様もお母様も私を大事にし過ぎていて、城からあんまり出してくれなかったからこっそり町に行くだけで新鮮だった。
耳が壊れるくらいの活気、見たことのない食べ物、知らない服装。
噴水の周りは子供が駆けまわっていて、荷物をぱんぱんに載せた荷車がごろごろと音を立てて忙しそうに走っている。
まるで城の中とは流れている時間が違うかのようで、来るたびに私は心を躍らせていた。
いい匂いのする串焼きをよだれを垂らしながらねだって、町の子供達の遊びに混ざって服をびしょびしょにして。
宝石がないのにきらきらしているぶかぶかな腕輪を付けて、迷宮の最奥にあるお宝を手に入れたかのようにはしゃいでいた。
私が生まれた世界とは全然違うのが新鮮で楽しくて、たまにばれて怒られて。
それでも私は定期的にずっと町に出かけていた。
今まで出会ってきた人がいい人だったのは運が良かったのだとも知らずに。
「大通りもいいけれど、今度は別の所も行ってみたいわ……向こうの細い路地とかわくわくするじゃない!」
――私は本当に世間知らずな子供だった。
何度町に来ても安全に過ごせていたのは、コーレナが治安のいい場所を選んでいたとも知らずに、好奇心のまま行動していた。
それこそ城で世話係の目を盗むのと同じ感覚で、コーレナが支払いをしてくれる隙に私はその場からこっそり駆け出した。
大通りからちらっと見える薄暗い裏路地は、世間知らずの私にとって秘密の場所への入り口のようだった。
ぞんざいに置かれた袋、壊れた材木、焦げた床。
いつも行っていた大通りとはまた違うドキドキとワクワクを抱いて私は路地を抜けた。
「わぁ……!」
いつも行っている町とはまた全く違う世界だった。
古びた露店に出ている物は暗い色をしていて、ぐったりとしていた人が壁によりかかり、酒瓶を持って倒れている人も何もかも……無知な私には新鮮なものに映った。
何をしているのか気になって仕方なくて、恐いなんて感じない。
後から、私が迷い込んだ場所はスラムと呼ばれる場所だと知った。
アンドレイス領は豊かではあるけれど、こういう場所は無くならない。
私は町に来る時、ちゃんと町に馴染めるようにとドレスではなくコーレナが用意してくれた服を着ていたけれど……そこにいる人達は一目で私が高価なものを身に付けているとわかったらしい。
「やあお嬢ちゃん……こんな所に来てどうしたんだい」
「こんにちはおじ様! 私は大通りのほうから来たの、こっちにはあちらとはまた違う不思議なものがあるのね!」
私に話しかけてきた男の人は片腕がないようだった。
それに気付いた私は、少し驚いて好奇心のままその男の人に質問していた。
「おじ様……腕がないの?」
「そうなんだ、僕は傭兵でね……戦争の時に腕をなくしちゃったんだよ……。命があるだけよかったといえばよかったけどね」
「まぁ……! な、何か私に手伝える事はある?」
「そうだなぁ……じゃあ」
私は親切のつもりでそう聞いた。
……けれど、一目で恵まれているとわかる私からのそんな言葉に苛立ったのか、それとも最初からそういうつもりだったのか、男の人はあるほうの腕を勢いよく振りかぶっていた。
私に腕の影が落ちて上を見上げると、男の人の手には折れた剣が握られている。
「全部ちょうだいよ。腕もお金も、足も頭も……全部よおおおおおお!!」
絶叫と共に振り下ろされる折れた剣。
私はその声にびっくりして、何が起こったのかわからずそのまま動けなかった。
殺されるかもとすら思っていない。殺意を向けられているとすらも。
貴族を憎む人達がいる事なんて知らなかったし、こんな風に通りすがりで子供の命を奪う人がいるなんて想像もできなかった。
――だから、そのまま固まって。
「やめなさい!!」
見知らぬ女の人が私を庇うように抱き締めてくれてもそのままだった。
覚えているのは視界に飛び込んでくる赤い液体。歯を食いしばる優しそうな女の人の顔。
女の人に抱きしめられたまま、私は何が起こったのかもわからず間抜けな声を上げるだけ。
「…………え?」
女の人はもう一度背中を刺されて、男の人は満足したようにどこかへ行ってしまった。
からんからんと赤く染まった折れた剣を落としていった。
……残されたのは私と私を抱き締める女の人だけ。
私はようやく自分が助けられた事に気付いた。見ていた他の人達はまるでこんな事が日常茶飯事であるかのように意にも介していなかった。
「なん……で……?」
何に対しての言葉だったのだろう。
自分でもわからなかったけど、女の人は自分に聞かれたと思ったのか唇を震わせながら口を開いた。
女の人からどんどんと血が流れて、私を抱き締める力が弱まっていくのを感じた。
「あなたのためじゃないわ……自分のため……。私にはね、あなたと同じくらいの子供がいるの……」
それが何故私を助ける理由になるのかがわからなかった。
女の人は続ける。
「もし……あなたを見捨てたら、きっと私はこれから先……あの子の前で、二度と、母親だって……胸を張れなくなってしまうから……」
女の人の力がどんどんと弱まっていって、私を抱き締める力はなくなった。
私がすり抜けるように女の人の腕から這い出ると、女の人は力なく倒れた。
私の手には女の人の血がべったりと付いていて、倒れた女の人からもどんどん血が流れていた。
女の人から血の気が引いていく。手折られた白百合のように。
「だから……気にしないで……。あなたが、無事で……よかった……。あなたみたいな、子供はこれから、だから……もっと……生きないと、ね……?」
女の人はそう言いながら私に微笑んだ。
あまりの出来事でおかしくなったと言われるかもしれないけれど――私はその時確かに星のような光を見た。
富や地位、そういうものでは決して測ることのできない人の輝きを。
どんな宝石よりも美しい姿が、そこにはあった。
……私じゃない。生き残るべきはきっと私じゃなかった。
「そう、だ……約束、したのに……ごはん、つく……れな……。やだ……死に……たく、な…………ごめ、ん……ね…………タ…………」
その光が消えていくのを私はただ見続けた。
私の手に残っている赤い温もりは奪われた命の証。虚ろとなった瞳は私の罪を映し出すように真っ暗だった。
「あ……っ……。っあああああああ!!」
「ルミナ様!!」
「いや!! やぁっ! いやああああああああああ!!」
そうして、私は駆け付けたコーレナに連れられて家に帰った。
血塗れの手は洗っても洗っても、血の感触が残り続けて……私は二度と町に行きたいと言う事はなくなった。
けれど、あの女の人には報いなければならないとお父様に頼み込んだ。
あの女の人は私と同じくらいの子供がいると言っていた。
母親がいなくなって困っているであろうあの人の子供にお礼がしたいと町中を探してもらった。
……けれど、あの日母親を亡くした町の子供はいなかった。
町でどれだけ聞きこみをしても、孤児院を探しても見つからなかった。
外から来た人だったのだろうと結論付けられて、捜索は打ち切られた。
流石に外部からの人となると難しく、情報の無い平民だとなおさらだと。
周辺の村に聞き込みをした後……お父様に捜索の中止を告げられた時に絶望したのを覚えている。
お母様には今までで一番怒られて、その後すぐに抱き締められて……あなたのせいじゃないと言われてもあの女の人の顔が思い浮かんだ。
私が殺してしまった、あの人の輝きを。
あの人に何も返せない。
私はあの人に救われたのに。
あの人に報いる事が出来ない事があまりに辛くて何度も泣いた。そんな資格無いとわかっていながら。
――そして何度目かの夜に、思い出した。
亡くなる前に、私に笑い掛けながら女の人が言った言葉を。
"あなたみたいな、子供はこれから、だから……もっと……生きないと、ね……?"
…………生きよう。
あの女の人に何も返すことができないなら、せめてこの救われた命をずっと。
あの人が生きられるはずだった時間を代わりに
私の命はもう私だけのものじゃない。あの人の分の命も背負わないといけない。
生きて、生きて、私は生き続けなければ。
どんな事があっても、どんな目にあっても。
それがあの人に報いる事が出来ない私が、唯一出来る事。
私が殺してしまった、あの人の輝きはもうどこにもないのだから。
いつもありがとうございます。
ここからは第三部後編「彼方への讃歌」となります。
幼少編最後の章となっています、応援よろしくお願い致します。




