362.■■信仰■歌トラウリヒ
(詠唱に二十秒はかかる……! 格上の第四域から二十秒って……!)
自分で考えておいて、エイミーはその無謀さに笑ってしまう。
敵は教皇という自分の師。メレフィニスを相手にした時のような属性有利もない。
魔力切れを狙うにもここはクヴィリスの仮想領域で、先に尽きるのは自分の魔力。第四域の仮想領域を作る光の大樹からの攻撃も通常の魔術より段違いに速い。
そんな相手に二十秒も魔術なしで詠唱を唱えられるわけがない。
クヴィリスはエイミーを利用すべく生かすつもりではあるかもしれないが、失伝魔術を発動しようとすれば迷いなく命を断ちにくるだろう。
失伝魔術だけがエイミーの勝ち筋であり、トラウリヒの上に立つ証明なのだから。
(失伝魔術を使えぬ状態まで追い込まねば……!)
一方、クヴィリスも勝ちを確信しているわけではない。
同じ失伝刻印者だからこそ、一手で状況が覆るのがわかっている。
エイミーの失伝魔術が詠唱を完成させた状態で発動すれば、クヴィリスの仮想領域は崩壊するだろう。
第三域と第四域の間に大きな差があるように、第四域と第五域の間にも大きな差がある。
クヴィリスはエイミーの切り札を唱えさせないように猛攻を繰り返す。その魔力が尽きるまで。
もし詠唱を強行しようとすれば殺すのも厭わない。
「っ……! 教、皇……!」
「聖女っ……!」
エイミーは自らを串刺しにする光の枝を避け続けながら隙を窺い、クヴィリスは隙を見せぬよう、エイミーの一挙一動に集中しながら攻撃を繰り返す。
攻勢を続けるクヴィリスのほうが優位だが、エイミーの目は死んでいない。
かつて自分の身代わりで操りやすい無知でしかなかった少女が、自分と真正面から戦う敵にまで成長した恐ろしさ……クヴィリス自身が得た術式の解釈である“成長”というものがどれだけ強大かをまさに示している。
クヴィリスの表情には優位とわかるような余裕は到底ない。
互いの緊張感が戦いを見守るカナタ達にも伝わる中――。
「!?」
「なんだ……!?」
突如、ガラスが割れるような音が中庭に響き渡った。
同時に今までこの場にいなかったはずの騎士達が姿を現す。
大勢が倒れていて、まるで戦場がそのまま中庭に移動してきたかのようだった。
「あれは……?」
「ダンティーニさん!!」
割れるような音は、ダンティーニが教皇宮殿にいる騎士を分断した第四域の仮想領域が砕ける音だった。
恐らく、魔力切れで限界を迎えて自壊したのだろう。この時間まで騎士達を仮想領域に閉じ込め続けたのは、驚異的な持続力という他ない。
騎士達もダンティーニにやられて地面に伏したままになっている。
一方、仮想領域の主であるダンティーニも魔力切れで中庭に現れた。
「ううっ……。私も老いたな……」
「ちょっ、一体なに!? どうなって――」
エイミーは教皇宮殿に乗り込んだ際、クヴィリスに呼び出されていたせいでルミナ救出の場に居合わせていない。
無論、ダンティーニがどんな形で騎士を足止めしていたかを知らない。
状況を理解するための思考がエイミーを一歩遅らせる。
倒れる騎士達が現れた瞬間、クヴィリスが笑みを浮かべたことに気付けなかった。
「――私の勝ちだ」
「!!」
今の今までエイミーを狙っていた光の枝が止まり、方向を変える。
高速の槍となっている光の枝が向かう先は――現れた騎士達。
躊躇なく、自分を守る騎士に攻撃を向けたクヴィリスにエイミーの怒りを沸騰させる。
そう、これは罠だ。光の枝はエイミーを襲った時よりも遅い。
しかし、確実に心臓を貫く刃となって中庭に転がる騎士達を襲う。
エイミーの性格を知るからこそ、クヴィリスには確信があった。
「“開け魔の階! 我が瞳に翠玉の鍵あり”!!」
エイミーは必ず騎士達を救うために失伝魔術を使う。
なけなしの魔力を使って、詠唱破棄の不完全な失伝魔術を使うのだと。
「ぐ……うぅっ! 【愛よここに、星の抱擁を】!」
「いい子だ。聖女」
重力の奔流が光の樹と光の枝を捻じ曲げる。
空間が一瞬だけ歪曲し、クヴィリスの仮想領域は破壊されていく。
大樹の折れる音が響き、光の樹は魔力となって霧散した。
だが……それだけ。
詠唱が不完全な失伝魔術の威力は、第五域には程遠い。
精々が第四域同士の衝突。凄まじくはあるものの、理外の力には程遠い。
対して、魔力の消費は――。
「はっ……! はっ……!」
「見事だ聖女。先程までは我の第四域を破壊できなかったというのに、この短期間で破壊するまでに失伝魔術の精度を上げている……やはり万全を期して、正解だった」
「っ、そ……! あんた、教皇の癖に……騎士を狙って……!」
――第五域の魔術そのもの。
クヴィリスを仕留めるための魔力が今の一撃によって空っぽになってしまった。
ふわふわと浮くエイミーの体も魔力切れが近付いてふらついている。
やがて、自分の体を浮かせるのも辛くなったのか、エイミーは地面に着地した。
「我は聖女を高く見積もっている。聖女を無力化するためならば……再び教皇としてこの国の舵を取れるのならば、手段を選ぶことはない」
元々、クヴィリスは手段を選ばずにトラウリヒを変えようとしていた。
ならば、エイミーを無力化するために自分の騎士を狙うくらいは躊躇いもない。
事実、エイミーは魔力切れに追い込まれ、クヴィリスにはまだ魔力に余裕がある。
ようやく……クヴィリスの表情に余裕を示す笑みが浮かんだ。
「失伝魔術なしで我に勝てないのはわかっているだろう。降参するよい。この決闘は我の勝ちだ。悪い様にはせぬ」
「はぁっ……はぁっ……」
恐らく、クヴィリスの言葉は本当だろう。
この決闘の決着でトラウリヒのこれからが決まる。
とはいえ、聖女がいないというのは国民にとっては明確な不安要素だ。
自分の計画が失敗したクヴィリスにとっては是が非でもエイミーは欲しい。
エイミーも、クヴィリスの手を取れば助かるだろう。
今は魔力切れであっても、カナタの持つヴンダーの杖に触れることができればすぐに回復できる。
(けど……それは……)
そう……それは精神的な敗北を意味する。
ただ勝つだけなら、もう勝っているのだ。カナタによってクヴィリスの野望は完全に潰えた。
だがこれはトラウリヒの人間が決着をつけるべきだとカナタが用意した決闘の場。
相容れない二人による精神のぶつかり合い。
ここでエイミーがカナタの下まで退いてヴンダーの杖で魔力を回復させようものなら……この決闘は意味をなくす。
クヴィリスに一度でも背を向けた記憶が、エイミーの背中をいざという時に丸くするだろう。エイミーが胸を張ってトラウリヒの先頭に立つ日は、きっとこなくなる。
(ごめんカナタ……せっかく私、あなたにお膳立てしてもらったのに……)
エイミーの視界にもやがかかる。
潤んだ瞳が揺れ、握り締めた拳から血が滲んだ。
「それ、でも……最後まで……!」
「よせ……」
せめて最後まで。前のめりで敗北するべきだとエイミーは歩を進める。
ほとんど魔力のない体は本当に歳相応の少女そのもの。
けれど、涙で潤む瞳は戦意を失わなかった。
「それが……責任、ってやつでしょ……! 私は……聖女、なんだからっ!」
自らの双肩にかかる肩書きと責務を果たすべく前に進む。
もう誰も、彼女を影法師と呼ぶことはない。人形と呼ぶことはない。
「この国の……信仰を……馬鹿に、した奴に……負けない……。みんなが一生懸命生きている証を……!」
「努力や一生懸命で神が見られる国になるのなら、よかったがね」
「あんたは、わかってないっ! あんたが一番っ!!」
「わかっていないのはそちらだ聖女」
「神は――」
エイミーの声がそこで止まった。
クヴィリスを睨む目は何かを探す様に周囲を見回す。
「……? なに……?」
「一体……なんだ……?」
「……?」
エイミーだけでなく、倒れているダンティーニも同じような仕草をしていた。
何の時間稼ぎだ? とクヴィリスは二人の動きを警戒する。
「何か、聞こえてきますね……?」
「……歌? 町のほうから?」
カナタとルミナの耳にも届くその何かは歌だった。
町の方から教皇宮殿にまでその歌は届いている。
トラウリヒ出身ではないカナタとルミナには馴染みのない歌かと思いきや、同じ場所で決闘を見守っていたアンダースまで狼狽え始めた。
「おいおいおいおい、な、なんだこりゃ?」
「町から聞こえてくる歌ですよね? トラウリヒの歌ではないのですか?」
「違う! そっちじゃない! 何だこの歌……どこから!?」
「え……?」
「もう一人……誰が歌ってるというんだ!? どこから!?」
頭を押さえながら、空を見上げるアンダース。
カナタとルミナにその歌声は聞こえない。
「歌……何て、綺麗な……」
「……? 何を言っている……?」
その歌は雪のように降り注ぎ、町から聞こえる歌と混じりながら響き渡っていた。
エイミーは空を見上げながら、涙が零れる。
先程まで浮かべていた悔し涙ではなく、響き渡る歌がもたらす静かな感動が一筋の涙になったかのように。
だが、クヴィリスには一体何のことかわからない。
「これ……って……」
それはある者には届かず、ある者には聞こえず、ある者にはただの歌。
そして、ある者にとっては――歌以上の意味を持つ。
「うた……? じゃない……? 詠……唱……?」
空から響き渡る歌声が、町から聞こえる歌声が、エイミーに流れ込む。
失伝刻印者であるエイミーのとってこの歌の意味は。
「何で……これを、歌ってるの……?」
それは一度、王弟ケネスの反乱を鎮める際にカナタが証明した答え。
失伝刻印者ではないはずのカナタは示した。
ルミナとメレフィニス、二人の失伝刻印者と共に真実を。
「一緒に……?」
降り注ぐ言葉が、聞こえてくる歌声が今、エイミーに答えを届ける。
過去から刻み、今を結んで、未来へ繋ぐ。
歌が降り注ぎ、魔を紡ぐ言葉になる。
過去から続く人の願いを未来にまで伝えるもの。同じ道を歩みたい相手とだけ歌う事のできる詠唱。
失伝魔術の本当の姿は一人で唱える魔術ではなく……二人以上で唱える増強魔術。
ゆえに――
「“開け、魔の階。我が瞳に……宙への鍵あり”」
――失伝刻印者の魔力が途絶えようとも、同じ道を歩む者達の魔力が、聖女の背を押す。
今まででもっとも穏やかに、荘厳に始まる聖歌のごとく。
エイミーの声が今、国中の歌声と重なった。




