356.笑えよ
失伝刻印者は、失伝魔術の術式の欠片を宿して生まれる。
術式の欠片は鍵。失伝刻印者は門。
失われた第五域を再び現実にする存在が失伝刻印者だが……その鍵も門も決して独占の証ではない。
使い手が鍵を捨てればその鍵は他者に使われ、鍵を他者が複製すれば他者もその鍵を持つ。
門が受け入れれば、鍵を使う者が誰であるかは関係ない。
ゆえに鍵だけを持つカナタのような存在もいれば、故ケネスのように鍵と門を半ば無理矢理に使う者もいるが……彼等は失伝刻印者とは呼ばれない。
生まれ持った鍵と門を捨てない者だけが、失伝刻印者として世界に認められ続ける。
ルミナは、カナタの母に救われた命のために。
メレフィニスは、自分の世界を切り拓く剣として。
エイミーは、聖女としての責務から。
彼等は自らが失伝刻印者であることを一度たりとも捨てていない。
……自決とは、自らの全てを放棄する行為である。
命も、権利も、意思も、繋がりも、この「世界で生きる自分」を手放すこと。
クヴィリスは一度捨ててしまった。復活の算段があったとはいえ。
だがクヴィリス最大のミスは自決したことではなく、見せてしまったこと。
ポイ捨てをする常識のない人間ですら人目を気にする者も多い。誰かの目がなければ、捨てたことを認識されないから。
捨てるところを見せてはならなかった。自決したことを教えてはならなかった。
誰も見ていない場所でひっそりとするべきだった。それを知るのは世界だけにしなければならなかった。
だがクヴィリスは見せてしまった。
戦場漁りの前で。魔術漁りの前で。
よりによって、捨てられたものを拾って生きてきたカナタの前で!
非情に簡潔に彼のミスを説明するならば、
――捨てた鍵を拾われたらどうなるか、想像がつかなかったのかね?
鍵を大切に持ち歩く諸君なら、この愚かさがわかるだろう。
「魔力が尽きるまで殺せばいいだけのこと!!」
教皇宮殿は、その名の通り教皇が君臨する宮殿である。
その宮殿にこだまする高笑いは無関係の少年のもの。
宮殿の主はこの異常事態に歯噛みするばかりだった。
紛れもない実力である第四域、装備する違法魔道具、計画の根幹たる失伝魔術。
たとえヘルメスや第二王女が相手だろうと乗り切れた。
――だが、ここにいるたった一人の例外が全てを破綻させる。
「必死だな教皇様!! それは本来、俺が言うはずの台詞だったのになぁ!!」
「黙れ――っ!」
光の樹が使い手の怒りに呼応する。
枝から枝を伸ばし、成長する歪な樹。
数十年の成長を圧縮した枝という名の槍がカナタの体を串刺しにすべく狙う。
数十の光の槍をカナタは躱しながらクヴィリスに突っ込んでいく。
クヴィリスはヴンダーの杖にだけは触れられないよう、後退った。
肌を裂く光、肉を貫く音、視界を染める赤い液体。
恐怖を伴って然るべき傷と光景の中に――。
「はははは!! おらぁ!!」
「ぐっ……!」
その瞳に術式を宿す少年が恐怖をねじ伏せて向かってくる。
狙いはクヴィリスの左手にある剣。突風を起こす魔道具。
クヴィリスがヴンダーの杖を持つ右手に力を込めた一瞬の間隙を狙ってカナタは蹴り上げる。
(しまった……! こやつとの距離を稼げる魔道具を……!)
狙いはヴンダーの杖と誰もが思うタイミング。その一瞬。
蹴り上げた魔道具は頭上で回転しながら落ちてくる。
「『虚ろならざる魔腕』!」
「!!」
カナタの背中から生えた腕が蹴り上げたその魔道具を掴み、そのままクヴィリスに振り下ろす。
クヴィリスも気付き、光の樹から伸びる枝がたまらず串刺しにして止めた。
――こいつさえいなければ。
クヴィリスが心の底からそう思ったのは人生で二度目だった。
「ふざけおって……! 貴様さえいなければ……!」
「あんたが利用したかったんだろ!? 俺をさぁ!」
「我が油断したとでも!?」
「さあ!? 溺れてただけじゃねえのか!?」
「溺れるぅ……っ!? デルフィ教の教皇に向かって言う言葉か!?」
「怒るなよ代理人! 浮き輪でもプレゼントしてやろうかぁ!?」
カナタの背から伸びる黒い腕が光の樹に貫かれ、魔力となって霧散した。
魔術領域の上では、クヴィリスの魔術はカナタの魔術を上回る。
光の樹はカナタのとる手を一瞬の拮抗だけ許して破壊し、カナタの体を貫いているのだが……。
(止まらない……!!)
いくらカナタの魔術を破壊しても、上回れている気がしない。止まらない。
カナタがクヴィリスの失伝魔術を利用できると知ったのは今さっきんはずなのに、まるでクヴィリスの失伝魔術が生まれた頃からあるかのような戦法を躊躇いなくとっている。
まるで生まれた頃からの体質であるかのように、再生するからと躊躇いなく貫かれ、再生するからと自分の血を散らし、再生するからと痛みを受け入れている。
そして、クヴィリスはそれを止めなければいけない。
接近され、ヴンダーの杖に触れられたら全てが水の泡。
刺されるのも厭わないカナタの滅茶苦茶な戦い方がクヴィリスに魔力消費を強要させる。
「普通、止まるだろう……! 躊躇うだろう……!」
自分にはそれができる。魔力を意識した頃から常にあった力だから。
だが普通は止まるのだ。絶えず与えられる痛みに。次にくる痛みへの恐怖に。
死なない人間など、自分以外にはいないのだから。
なんだこれは。どれだけ肉を貫かれ、血塗れになっても。
「『炎精への祈り』!」
「――止まら、ないっ!」
カナタから噴出する業火がクヴィリスの目を眩ます。
クヴィリスは無意識に先程まで突風を放つ魔道具を持っていた左腕をぴくりと動かす。
同時に気付く。先程左腕を狙われたのは、この炎を吹き飛ばされないためかと。
だが気付けばカナタのとる行動もわかる。
「させん! 『穢れなき祈り』!」
「ちっ!!」
辺りに広がる炎の中からカナタの手が伸びる。
クヴィリスの周囲に展開された聖属性の壁がその手を弾いた。
カナタの狙いはもちろんヴンダーの杖。クヴィリスの失伝魔術を模倣しようと再生には魔力消費が必須。
そうだ、とクヴィリスはぐちゃぐちゃにかき回された思考を戻す。
自分の手にヴンダーの杖がある限り燃料が切れるのはカナタが先。
何ら慌てる必要はない。確かに規格外ではあった。だが他と同じく油断を捨てれば対応できない相手では――。
「――『燦然たる魔の宴』」
「何!?」
「“選択”。『捧げよう、平和の礎に』」
クヴィリスが思考を整理する間もなく、カナタは即座に次の手を打つ。
自らが味わった仮想領域を模倣する第四域。
カナタが選んだのは宮廷魔術師第五位オルフェの第四域だった。
中庭の地面が鉄臭い戦場に変わり、そこここに置かれた無数の氷の塊。
その氷の塊が砕けると、中から戦場で散ったはずの亡者が動き出す。
「ここで第四域だと!?」
再生に使う魔力に追い討ちをかけるような魔力消費を重ねる行為。
第四域の魔力消費は第三域の比ではない。
教皇宮殿に似つかわしくない群がる亡者達。
亡者は暴れ狂うようにクヴィリスの張った防御魔術を殴りつけ、やがてひびが入る。
「むうっ……!」
亡者達の一撃一撃は大したことないが、それでも第四域が内包する存在。
第三域相当の防御魔術ではいつまでも防いではいられない。
光の樹の影響でクヴィリスの空間だったこの場もカナタの仮想領域と拮抗する。
「亡者がいくら群がろうとも!」
クヴィリスの防御魔術が破られた瞬間、クヴィリスが叫ぶ。
殺到する亡者の波がクヴィリスに群がろうと襲い掛かる。
だがこの空間の中央に立つ光の樹もまた、クヴィリスの第四域。
注ぎ込んだ魔力が成長を爆発させ、伸びた枝が群がる亡者を次々と串刺しにしていく。
光をくすませる赤黒い血の雨。錆臭さと腐臭、汚泥の臭い。
群がる亡者達全てが氷と共に再生するが、刺さっている光の枝が即座に沈黙させる。
「この宮殿で何て魔術を使――」
瞬間、クヴィリスは自らの愚行に気付く。
周囲に積み上げられた蠢く亡者の山と何も映さないほど赤黒い地面に広がる血。
カナタの姿が、どこにいるか……わからない。
「タッチだ」
「っ――!」
亡者の山に紛れて伸ばされたカナタの手はヴンダーの杖に触れる。
カナタがヴンダーの杖に触れた途端、クヴィリスは振り払うように飛びのくが……すでに遅い。
杖からは魔力が流れ込み、カナタの体に魔力が急速に戻っていく。
「振り出しだな代理人!!」
「こ、の……!」
カナタは初めて会った時とは比べ物にならないほど汚い姿だった。
全身が血と泥に塗れ、髪も乱れ、服は面影がないほど破れて汚れている。
そうなったのはカナタが光の樹の攻撃を再生に任せて血と傷を受け入れた結果。
(我の攻撃を受けていたのはこの魔術による隠れ身を想定してか……!)
滅茶苦茶にしか思えない戦い方も、意識しない次の一手に繋がっている。
狂っているようで狂っていない。
強敵と相対してきた経験値。血と痛みに臆さない精神力。
魔術を使うのでなく、魔術で戦うを体現するかのようなセンス。
そして恐ろしいのはこれで全盛期ではない若き年齢。
相対しているのは全盛期の宮廷魔術師ではなく、十五歳の少年なのだ。
「これが、魔術漁りか……!」
「っと……!」
クヴィリスの魔力が迸り、カナタのいる亡者の山に光の枝が突き刺さる。
すでにカナタはそこにはおらず、再び亡者の中に紛れた。
先程までといい、あまりにもなりふり構わない戦い方。
まるで、生きるためなら何でもする、かのような。
そんな貴族らしからぬ精神が根付いているとしか思えない戦い方にクヴィリスは戦慄する。
血と痛みに躊躇わないだけでなく、死肉と腐臭の海に自らを埋められるその精神性は一体どこから来るのか。
わかるまい。彼が生き抜いた故郷がどんなところだったのか。
わかるまい。死と隣り合わせの中、死なないために拾い続けた日々など。
「どうした笑えよ。笑えるだろ代理人。こんなに奇跡が起きてるんだからさ」
すでにカナタの傷は完全に再生している。
それは紛れもなくクヴィリスがこの国に見せた奇跡そのもの。
カナタの存在そのものがクヴィリスの奇跡を陳腐に変える。
言う通り振り出しだ。聞こえてきた声は偽りの奇跡を唾棄していた。




