341.世界はそれを脅迫と呼ぶ
「お、きたか。カナタ様の冤罪に加担してたやつだろ? とりあえず殴っていいか?」
「私も私も!」
「駄目ですよ二人共。落ち着いてください」
大聖堂から連れ去られたアンダースの前にはカナタ達三人。
自分の部屋が影も形もない現状、自分が敵の手に落ちたことをアンダースは察する。
目的は今の会話から見て情報。家臣らしき人間をカナタが宥めているのを見て、自分の扱いは悪いものにならないと確信した。
「君――ぼぐぉ!?」
主導権を握ろうと口を開いた瞬間、カナタの拳がアンダースの眉間に突き刺さる。
アンダースは臣下を御していながら、堂々と殴ってくるとは想像つかず思い切り後ろに飛んで草原に倒れた。
「殴るのは俺に決まってるでしょう」
「おー、そりゃそうだ」
「ひゃー! カナタくんさっすがあ!」
カナタ達は倒れるアンダースに歩み寄って、そのまま見下ろす。
アンダースは三人に見下ろされているこの構図が我慢ならないのか、ぎりっ、と歯を鳴らしながら怒りを露わにする。
「き、貴様らぁ……! この私にどういうつもりだ……!」
「今のは俺がはめられた時の分をやり返しただけです。ここからが本題ですね」
カナタはしゃがみ、額付近を押さえながら起き上がったアンダースと目線を合わせる。
「あなたもクヴィリスに利用された側でしょう。情報をください。ルミナとルイの位置、あなたから見た教皇の行動や大聖堂の戦力や内情など……俺達は今なら共闘できるはずです」
「私が! こんな仕打ちを受けて話すと思うか……!?」
「共闘できないようなら敵なので……仕方ありません」
カナタはエメトに向けて手を差し出すと、エメトは察したように後ろの腰に差していたナイフを抜いて手渡す。
革のナイフケースからカナタがナイフを抜いたところで、アンダースの視線が揺れた。
「ガキ相手に偉ぶりたい気持ちはわかるけど話聞いたほうがいいぞ」
「言っておくけど、本気でやるタイプだようちのご主人様は」
生唾を飲み込むアンダースにエメトとキュアモが助け船を出す。
アンダースは不本意そうに顔を歪めながら周りを見る。
どこまでも広がる草原と、星空……明らかに自分がいた場所とは隔絶している空間。
アンダース自身、初めて入る。ここが魔術による仮想領域。
大聖堂に名を連ねる者として、アンダースも魔術の知識は基本的に持っている。
こうして連れてこられるまで半信半疑だったが、今は魔術の腕という点において、カナタと自分の間にある圧倒的な差が理解できる。
――魔術領域において、第四域からは別格。
「舐めるなよ……」
アンダースは歯を鳴らす。
大聖堂で教皇の側近まで昇りつめたプライドは、ケツの青いガキにいい様にされる自分の姿を許せなかった。
「私はアンダース! 今日までどれほどの辛酸を舐めてここまで来たと思っている! たまたま他国で評価されただけの子供が自分の力をこれみよがしに振るう幼稚で安い脅迫などに屈するか! ここはスターレイ王国ではない! トラウリヒだ! 私のような立場の人間をこのような非人道的な方法で脅すなど貴族として許されると思うかね!? これだから蛮族の国は困る! そんなもの突き付けられても、私はそのような脅しに屈することはない!!」
カナタをはめようとした自分を棚上げして、自分勝手に怒鳴りつけるアンダース。
クヴィリスにいい様にされた苛立ちをぶつける意味もあったのだろう。そして第四域の仮想領域に囚われているにも関わらずここまで強気に出ることができたのは、自分がカナタ達にとって重要な情報源だからという確信があった。
確かにクヴィリスにとってはただの道化だったが、カナタ達にとってはクヴィリスの奇跡に傾倒することのない、大聖堂の内情をよく知る得難い情報源なのだ。
アンダースは自分の価値を正しく判断していたからこその態度だった。
(さあ、どう出てくる? 今度はどんな言葉を使って脅す?)
このような状況なのだから多少の痛みは許容しよう。脅しに屈しないと考え、交渉を提示した時がアンダースにとっての勝負。そうすれば相手は子供……いくらでも言いくるめることができると。
「そうですか、じゃあお別れですね」
しかし、カナタの口から出てきたのは残念そうなため息だけだった。
「何を言っている……?」
「……? 死にたいんですよね?」
事も無げに言うカナタにアンダースの思考が巡る。
これも脅しの一環だ。恐怖で一方的に縛ろうとしている。
なるほど、いくら成人前とはいえ交渉の押し引きや揺さぶり方は心得ているらしい。
「そんな見え見えの脅しをしても無駄だ。君達は私の情報が欲しいのだから殺すなどという非合理的なことをするわけがない。しかしこんな状況だ。ありがたく思うのだな、この私が交渉になら乗ってやろう」
「脅し……?」
カナタがアンダースの言っている意味がわからないと首を傾げる。
後ろに立つエメトは素知らぬ顔で地面を見つめ、同じく後ろに立っているキュアモはアンダースをじっと見つめ続けていた。
空気が、妙だ。
アンダースはようやく気付いた。気付くことができた。
「俺達はアンダースさんもクヴィリスに利用されたみたいだったので、協力できるかなと思って話を持ち掛けたんですけど……アンダースさんは俺達に話してくれないんですよね? そうなると時間が惜しいのでもう用はないというか、敵なので自分達のことをクヴィリスに漏らさないように死んでもらうしかないというだけの話です」
「……」
「どこが脅しに聞こえたんですか?」
今まで自分が感じたことのない妙な空気にアンダースは内心困惑していた。
自分はクヴィリスに次いで大聖堂の情報を握っているといっても過言ではない。大聖堂内のマッピング役、この国を回る時の案内役、側近という地位による信用、そして情報源……生かしておけばカナタ達がトラウリヒ国内で何をするにしても便利な顔役になれる。
生かす価値のほうが遥かに高いのはプライドを抜きにしても明白。
(本気か……? そうなれば時間的損失も……)
アンダースの自分の価値を踏まえた計算は決して間違っていない。
しかし、カナタという人間を計算に入れられていない。
アンダースは持ち掛けられた話を交渉の牽制程度にしか思っていなかったが、カナタにとっては冤罪をかけられた自分への理不尽に目をつむった最大限の譲歩だった。
その手を振り払うのならカナタにとってアンダースはただの敵でしかない――端的に言えば、生かす理由がない。ここで時間をとられている場合ではないのでなおさらだ。
「この状況でも情報を話してくれれば共闘できるのに、しないってことは死にたいってことですもんね」
「何を言っている。少し待――」
「『黒犬の鎖』」
「!!」
影から生える黒い鎖がアンダースの体を拘束する。
アンダースは身をとじらせながら、自分を見下ろすカナタの瞳を見上げる。
「戦場ってのは生きようとした人間すら死ぬんだ。生きようとしない人間を生かすほど優しくない」
「――ぁ」
見下ろしながら淡々と告げるカナタの目を見て、アンダースは悟る。
――本気だ。
情報を吐かなければ時間の無駄なので殺すしかない。そういう目だ。
成人前の幼さがありながら、歴戦の兵士のような価値観と割り切り方にアンダースはぞっとした。
目の前の少年はどんな人生を送ってきたのか。この歳で第四域に至った凄絶さを想像して、自分を追い詰めているのがくだらない大人のプライドだということにようやく気付く。
カナタがナイフを逆手に持ったところで、アンダースはぱくぱくと恐怖で動かしにくくなった口を必死に動かす。
「わ……わ、悪かった……。突然、連れてこられて……その、状況がわかっていなかったんだ……そうだ……私も教皇には……クヴィリスには腹を立てている……きょ、協力できるはずだな! ああ、そうだとも! 共闘歓迎だ! 私だけではどうにもできん!」
「いいんですか?」
「ああ、話を聞こう! いや、当然私から情報を提供するのが筋というものだな!」
「本当ですか? 助かります」
アンダースの言葉にカナタはナイフをケースに納めてエメトに返した。
空気が戻った。目の前の恐怖も歳相応の少年の姿に。
その瞬間、アンダースの全身から枯れたとすら思っていた汗が噴き出る。
今自分は選択を間違えなかった。今まで生きてきた中で人生の岐路はあった。
その中でも最も正しい選択ができたのだという実感が心底からの安堵をもたらす。
(本気だった……この少年は……いや、この魔術師は国に持ち上げられた貴族などではない……暴徒どころか狂犬だ……! 本当に脅している自覚がないのだこいつは……!)
自分を縛っていた鎖もほどかれて、アンダースは額の汗を拭う。
皮肉にも、彼を生き残らせたのはプライドを捨てたことによってぼやけなくなった観察眼だった。
カナタという生き物に気付くのが遅ければ今頃は……。
「本当にありがとうございますアンダースさん。それじゃあお願いしますね」
「あ、ああ……」
さっきの殺意も本物かと思えば、この感謝の気持ちも本物。
あまりにも心が剥き出しなカナタを前に、アンダースは気圧されていた。




