338.絶望する時、人は下を向いている
「ちくしょうっ! ちくしょう!! やべえ……やべえやべえっ!!」
教皇が復活した光景を見ていたカナタ達の中で一番焦りを見せたのはエメト。
その顔に滲み出るのは後悔。自分の甘さに対するもの。
首都にいる全員が教皇に注目している間に、カナタ達はエメトに連れられてあの場から逃げるように走っていた。
最悪なのは存在がばれて国民全員から袋叩きにされること。あの熱狂の中カナタの存在がクヴィリスに見つかったらその時点でアウトだ。
「すまねえカナタ様! 俺が甘かった! 国のトップとへぼ貴族の連中を一緒にして悠長に構えちまった! こんな手を取ってくるなんて想像も……くそっ! 宗教の国……教皇っていうトップ……甘かった!」
「いや、エメトくんのせいじゃないでしょでしょ。あんなの誰にも予想――」
「予想できなくてもああいうやり方をしてくるって想像しとくのが俺の仕事だ!」
振り返って、キュアモに怒鳴るエメトの姿には普段の余裕が全くない。
キュアモはその怒鳴り声にびくっと肩を震わせた。
「エメトさん落ち着いてください」
「落ち着いてられるか! あの糞爺、何てこと考えてやがる! カナタ様の前で自殺した理由をもっと考えるべきだったんだ……! 何やってんだ俺は……! この祭りに乗じてせめて大聖堂に侵入するべきだった……そうすりゃ、騒ぎ起こしてこんな演劇性に頼った茶番の効果を少しは抑えられたのかもしんねえのに……!」
人気の全くない路地裏に入り、エメトは頭を抱えながらか細い声で自分を責めた。
この状況がどれだけ取り返しのつかない状況なのかを痛感させる。
「キュアモ! 教皇が復活した魔術ってのは実際どんな力か予想できるか!?」
「えっと……せ、聖女の魔術に生命力を魔力で注ぎ込む魔術があるからから……教皇のは多分その逆で……他人の生命力を吸収してるんじゃないかな……。それでも有り得ないことではあるけど、そうしないと魔術的な理屈に合わないっていうか……」
「俺も自分を少しだけ成長させる魔術を使えますから、そういう方向の魔術でしょうね」
キュアモの言う通り、聖女の魔術『未来への歩み』は魔力を生命力に変えて草木を成長させる魔術だ。トラウリヒでは不作の土地を救うために使われている。
カナタが使う『未来への歩み』はその魔術を自分に応用したもので、同じく魔力を生命力に変えて一時的に成長させる。
呪術系統にも生命力を蝕む魔術が存在するように、それ自体が珍しいわけではない。
問題は死にすら抗えるその異常な力。魔術に詳しくないエメトでさえ、それがクヴィリスの失伝魔術だろうというのは予想がついた。
「筋肉痛になるってあれか……他人の生命力……。くそ……葬式が開かれるのも計算づくか……棺桶に何人近付いた?」
「ど、どうだろ……昼から夜までって考えると入れ替わりはあったとしても二万人はいたんじゃないかなかな……」
「一度できたなら何度もできると考えるしかねえ……二万人の生命力……蘇生にどれだけの生命力を使うんだ……人数分みたいな馬鹿な話はねえよな……」
エメトは路地の壁を思い切り蹴りつけた。
あまりに虚しいその蹴りはエメト自身の無力感のよう。
「ね、ねえ……そんな簡単に戦争だ、ってなるかな……。ほらエメトくんも言ってたでしょ、意見は割れるって――」
「もう前提がちげえ! 確定だ! しかも俺達が思うよりずっと早くに侵攻される!」
数日前の意見とは打って変わって、エメトは戦争が起こると断言する。
そう、もう数日前とは状況が全く違う。
「大聖堂の勢力がこれから反対して拗れる可能性はないですか?」
「ない。いいかカナタ様……人は、酔いの魅力に抗えない」
新教皇が戦争を掲げるのであれば、緩やかに進んだだろう。
会議の末に戦争という案が消える可能性だってあった。
だが、死者蘇生という奇跡を目撃した今――その可能性はない。
今トラウリヒの民は自分達の信仰を肯定する奇跡を目撃したことで、酔っている。
人は何かに酔いしれることに快楽を感じ、その快楽は決して人間と切り離せない。
酒を飲まないとされるデルフィ教徒用に、聖水という名の酒があるように。
「今この国の連中は目の前で見せられた教皇の奇跡と、教皇と一緒に歴史を作るってシナリオに酔ってる! 万が一、大聖堂に反対派がいたとして……上から教皇の権力に、下からは国民の民意に封殺される! 教皇の死で怒りを溜め込んでたとこにこの流れだ! 反対する奴がいたところで止まんねえ! 聖女ちゃんでも一緒だ! 聖女には今教皇がやったようなドラマがない! この状態じゃ絶対に支持されねえ!」
「でもいざ戦争ってなったらさ、あの人達は一般人だし……そんなに……」
「ただでさえ魔物と戦ってる国だ! 喜んで徴兵されるだろうし、士気も上がる! いざとなやりゃ魔道具だってあるんだ! 違法魔道具はカナタ様と第二王女の戦いで二つは壊れたらしいが、煽動魔道具リーベってのは聖女の嬢ちゃんが回収してこの国に戻ってる! 士気が高くて恐怖も芽生えない兵士がいくらでも作れちまう!」
「ヴンダーの杖も……さっきクヴィリス様が持ってましたね」
死者蘇生の失伝刻印者に違法魔道具だけであれば問題はなかったかもしれない……だがクヴィリスの言葉が真実なら、魔物も戦力として投入される。
今の国の関係性を考えると、国境の貴族が全面戦争を想定しているはずがない。
トラウリヒからなど不意打ちのようなものだ。
「魔物の侵攻が止まったって話も、俺は無関係だと思ってた……くそ……!」
「キュアモさん、トラウリヒは魔物とずっと戦っているんですよね?」
「うん、魔物が何でトラウリヒを侵攻してくるかは不明だけど……少なくとも記録では二百年くらいはずっと……」
「つまり、クヴィリス様を……クヴィリスを止められなかった場合は……」
カナタの言葉で現実的に想像してしまったのか、キュアモの顔も青褪める。
トラウリヒは魔物に侵攻され続け、他国からの支援によって前線を維持していた。
攻撃的な魔道具に、戦線を維持する防御の魔道具……そしてそれを扱って生き残る騎士や兵士達。
それが一斉にスターレイ王国に向けられ、同時に魔物の牙と爪もスターレイ王国に向けられる。
国力の差はあれど、その侵攻を阻止できる力があるのだろうか。
しかもトラウリヒの歴史を考えれば……魔物は無尽蔵に侵攻してくるのだ。
「本来ならこの国の連中は魔物に忌避感があったはずだ! 家族や友人を前線で殺された連中だっているはずで、魔物を操るなんて眉唾な話を信じない奴だってきっといた! スターレイ王国と戦争をしようなんて話を受け入れない連中だって絶対いたんだ!
けどそんな連中も疑問も丸ごと……! あの糞爺……本物の奇跡を見せるって荒業使ってごり押しでまとめあげやがった!! 何て野郎だ……!」
「俺が来て急遽、ってわけじゃなさそうですよね」
「ああ、ずっと昔から計画してないと成り立たねえ……。絶好の機会が来るまでこの国でずっと待って……」
自分で言いながら、エメトは気付く。
今回、教皇を殺した容疑者としてカナタがいかに都合いいかを。
戦争を仕掛けたいクヴィリスにとって、どれだけ適しているかを。
「カナタ様の招待を許した理由は……。く、そ……!」
「スターレイ王国への侵攻の大義名分が欲しかったんじゃ?」
「それだけじゃねえ……カナタ様は宮廷魔術師を倒してるし、何より第二王女の計画を阻止してる! 教皇を殺したって説得力がちげえ! あんたは有名なんだ! スターレイ王国周辺の国にも理解を求めやすい! スターレイ王国が例えば連合を組もうって提案とか支援を求めるのも難しくなる! それに……!」
エメトの言葉が鈍る。後悔に嘆くその表情はあまりに痛々しい。
故カナタが教皇殺害の容疑者にされたのかがエメトの頭の中で浮き彫りになっていく。
エメトは悲痛な顔で、カナタの顔を見た。
「それに……どこを攻めるべきか……わかりやすいだろ……」
「攻める場所? どういう――」
そこまで言われれば、いかにカナタでも気付くことができた。
エメトは苦虫を噛み潰したような表情のまま、クヴィリスが最初に狙うであろう場所の予想を口にする。
「カナタ様に殺されたっていう大嘘の大義名分があって……ルミナ嬢ちゃんっていう人質がこれ以上ないほど有効に使えて……! 最近王族と繋がりが出来たことで嫉まれてる……国内の貴族様からの救援が少なくなると予測できる場所……。一つしか……ねえ……!」
カナタの頭の中に、引き取られたばかりの頃の思い出が駆け巡る。
父と母、そして兄……義理の家族である自分を本当の家族のように迎え入れてくれたディーラスコ家。
さらには自分が今こうしているきっかけになった公爵家の人達の顔も。
「カナタ様の実家のある公爵領だ! ここまで全部描いてたな……!」
すでにクヴィリスが国民を動かして、魔物も掌握している。
何もかもがクヴィリスの思い通りで、スターレイ王国にとって手遅れに見える状況だが……この一連の動きには一つだけ致命的な弱点がある。
カナタもそれに気付き、狙いが公爵領だとわかっても平静を保っていた。
「全てを先導しているのはクヴィリス……それなら……」
「そうだ! 殺すしかねえ! 今日までカナタ様にかけられてた冤罪を本当にするしか!!」
クヴィリスが行ったこの煽動の弱点は、死者蘇生という奇跡頼りだということ。
蘇生という奇跡を見せ、神の代行者を名乗っているクヴィリスがいなくなれば国民の士気を保つのはまず不可能。
どうやって魔物を操っているのか? という謎は残るものの、クヴィリスさえいなければ戦争の形を為すことは絶対にない。
「どう、やって……?」
止める方法がわかっても、キュアモは青褪めたまま震えていた。
「もしかしたら、二万人以上の生命力と……違法魔道具の魔力ストックを持ってる人を……どうやって……殺すの……?」
「……っ! 知るか……知るかよっ!!」
失伝魔術の詳細はわからないが、クヴィリスが自身を蘇生できることが可能なのは間違いない。
クヴィリスを弔うために今日一日で棺桶に近付いた国民は少なくとも二万人。魔術の詳細はわからないが、相応の生命力を持っている可能性を考えたほうがいい。
殺せば止められる。言うのは簡単だ。
それで? 一体誰がクヴィリスを殺せる?
殺せたとして何度殺せばクヴィリスは死ぬか……誰か教えてくれ。




