303.第五王女派閥
「ええ!? 婚約!? メレフィニスと!?」
「ルミナ様ともですね」
「ご、ごめんー……そっか、今回の件を考えたらそれぐらいの褒美はあるよねー」
「ラビリス、ぶどう持ってきな」
「はい! イティスお姉様!」
体が十分動くようになったカナタは第五王女の離宮に来ていた。
そこではイティスが療養しているのだが、何故か王女のはずのラビリスはイティスにこき使われていた。
わたわたとラビリスがぶどうを探しに行っている間に、使用人の服を着た少女が横からそっと紅茶を出してくる。
「ありがとうございます……えっと……」
「こうしてお話するのは初めてですねカナタ様。先日まで第五王女を演じておりました……えー……あれです……グレープと申します」
「絶対本名じゃない……」
その少女はラビリスの代わりにリュシオルとして振る舞っていたイティスの部下だった。カナタとは特に関わりがなかった人物だが、ラビリスとイティスから話を聞かされていたのかカナタの事はよく知っているようだ。
偽名を伝えられたカナタの困惑を察したのか、ベッドからイティスの声が飛んでくる。
「そいつは任務のために顔はずっと無表情で本名も明かさない気合いの入った子でね。本名がなんだったのかあたしも忘れちまったのさ」
「表情と名前が一致すると途端に個として認識されますから。私はしごでき女なのです。ぶいぶい」
「ピースしてる両手は感情豊かに見えるんですけど……」
「ですが、ケネス達には私が本物ではないとばれていたようで、最終的にはラビリス様に目をつけていたようです。私は仕事ができない女……略してしごでき女……」
「すっごい感情豊かな人ですね……そんな事ないですよ……」
ピースして上機嫌かと思えば、肩を落とすグレープ(仮)。
感情は伝わってくるものの、その表情が欠片も変わっていないのはプロ意識というやつだろうか。
「それにしても公女と第二王女と同時に婚約か……エフスラがいなくなってウィスカも必死に頭を悩ませただろうに。まぁ、悪くない落としどころだね。かなりうまい具合にバランスがとれそうな組み合わせだ」
国王をさらっと呼び捨てにするイティスの姿は過去を想像させる。
カナタはイティスの言っている事が気になったのか、出された紅茶を飲みながら疑問を浮かべた。
「バランス?」
「例えば第二王女が学院の時のようにまた何かを企てたとする。これが一番想像しやすいケースだが、そうなったらあんたと公女は敵対して止めるだろう?」
「当然です」
「それはあんたら二人のケースにも言えるって事さ。例えば今回の一件で公爵家はただでさえよかった立場がさらによくなった。これを機に公爵家か公女が調子に乗ろうもんなら……近くにいる第二王女がすぐさま察知するだろう。カナタに嫁ぐとはいえあの子は王族側の人間だから情報をリークするのも容易い。
そんであんたが手に入れた権力に溺れたケース……これが一番簡単だねぇ。公女と第二王女の二人であんたを止めればいい。バックに公爵家と王族がいる上に、敵対すればあんたは門を持ってないから止める側は失伝魔術でどうにかできる」
「やりませんよ……」
「わかってるよ。んで、一番最悪なのはあんたら三人が結託して国家転覆を企むケースだが……これは考えても仕方ない。国を救った連中が滅ぼす側に回るはずがない、と考えるしかないね。政略結婚の一番最悪な形なんざ考えたところで意味がない。この最後のケースを除いて、ある程度互いを牽制しあえる構図にはなる。メレフィニスをただあんたに降嫁させるよりもむしろこういう形にしたかったんだろうさウィスカは」
「なるほど……」
今回の同時婚約はメレフィニスという爆弾の厄介払いではなく、公爵家への牽制とカナタという危険分子になる可能性もある人物の監視も含まれている。三人が何も考えなければ、単純に武力に秀でたスターレイの貴族が増えるだけ。
イティスの言う通り、今回の功績に対する褒賞と国の今後を考えての落としどころとしては悪くない。
「ま、そんな無粋な事はさておき、婚約おめでとうとは言っておくよカナタ」
「ありがとうございますイティス様」
「将来の同僚になるんだから、一先ずお祝いは言っておかないとね」
「同僚?」
イティスはベッドの上から呆れたように言う。
「あんた第四域だろ? 成人後は宮廷魔術師に任命されるだろうさ。序列は多分デナイアルがいた七位か六位のあいつが下がるか……多分そこら辺だろうさ」
「え、確定ですか……?」
「確定に決まっているだろ。宮廷魔術師が三人いてもボロボロになるってわかったんだ……第四域の魔術師はほぼ強制でそうなるさ」
「えー……」
「えー、じゃないよお馬鹿」
不満そうにしているカナタをイティスが笑っていると、ぶどうを取りにいったラビリスがちょうど皿を持って戻ってくる。
「イティスお姉様お待たせー! ぶどうの皮ちゃんと剥いてきた!」
「何でぶどうなんて持ってきてんだい。あんたもちゃんとカナタにお礼言いな」
「ええ!? だってイティス様が!?」
あまりに理不尽なイティスにラビリスはぶつぶつと文句を言いながらぶどうを口にする。せっかく皮まで剥いて食べやすくしたのに……と王女とは思えない姿である。
ラビリスはカナタの正面に座ったかと思うと、ぶどうを飲み込んで少し震えながら声を出す。
「あ、あの、黙っててごめんね……第五王女だって……。何度か言おうとしたんだけどイティス様に止められてて……」
「ラビーの安全を考えたら当然だよ。流石に驚いたけどさ」
「あはは! 私ってば王女らしくないもんね!」
「ああ、ほんとに」
「そこは……ほら……いや、自覚あるからいいけどさー……」
ぶーぶーと不満そうなラビリス。
もう一度ラビリスの名前を言いかけて、カナタは気付く。
「そうだ。これからはラビーじゃなくてリュシオル様って呼ばないといけないのか」
「あ、えっと……」
ラビリスは言い淀む
正体を明かした以上これからは第五王女として生きなければならない。
けれど、ラビリスという名前が捨てられないラビリスは素直に頷けなかった。
「でもなんかしっくり来ないっていうか……公的な場以外ではラビーでいいか?」
「……っ! うん! うんっ!! そうして!」
「わかった、そっちのほうが楽だしな」
彼女の中で不安だったのは、王女と知られて接し方を変えられる事。
だが今のやり取りを聞いて、カナタにはそんな心配はなさそうだった。
「ねぇカナっち……ありがとね」
「なにが?」
「私に、リュシオルでいる覚悟を決めさせてくれて」
言われても、カナタには何のことかわからなかった。
カナタはラビリスとただの友人で王女の事なんてこれっぽっちも知らない。
ラビリスの覚悟を後押しするような事に心当たりは一切なかった。
「なんだそれ……俺は何もしてないよ」
「ううん、何もしていないのは私だったんだー」
王都に戻る前の町で、自分を殺そうとしたパセロスとキュアモを許す姿。
他に惑わされない自己があるカナタの姿はラビリスの目に焼き付いている。
自らが何者か決めるのは運命でも立場でもない。自らの意思で積み重ねてきた行動が自分の在り方を作るのだとラビリスは知った。
ケネスに対して啖呵を切ったのはその第一歩。
これから彼女はラビリスでありリュシオルでもある人生を積み重ねていく。
けれど、もう二つの名前の間で迷うことはない。どちらも、捨てない。
「第五王女リュシオルの名に於いてカナタに心からの感謝を。我が第五王女派閥はこの恩を忘れません。あなたが困った時、必ずや力を貸しましょう」
それはラビリスとしての親愛も込めた、第五王女としての表明。
第五王女を狙っていた勢力を打倒したカナタに対しての、何の証拠もない口約束。
だが、この約束が魔術契約よりも確かなのは間違いなかった。
「ま、今まで何もしてないお飾り王女だから権力で言うと正直メリーベルより出来る事少ないけどね……たはは……」
「あれよりもかあ……」
「レディをあれ扱いはやめようねカナカナ! 一応マイシスター!!」
「メリーベルには遠慮しないって決めてるんで……」




