261.燦然たる魔の宴3
彼の憧れは、父に読んでもらった建国説話から始まった。
「お父様! 今日も! 今日も読んでください!」
「ははは。仕方ないな、ユージーンは」
もう三十年以上前の、とっくに摩耗してしまいそうな子供の頃の記憶。
ベッドの中で父に読んでもらった魔術王物語。建国説話を基にした子供向けの童話だった。
この国を作り上げ、魔術という技術によって発展させた魔術王は王様隠しという悪者に閉じ込められる。今の王家一族の先祖が王様隠しと戦って魔術王を解放し、魔術王は自らの未熟さを痛感して修行の旅に出るというお話だ。
ユージーンはその童話に出てくる魔術王が好きだった。
「お父様……何故、魔術王が帰ってくる続きがないのでしょうか……?」
「お前は魔術王が好きだな……ふむ……」
父親に読み聞かせてもらって、物足りなさが疑問となった。
もっと続きを読みたいのに続きがない。魔術王はどうなったのだろうか。帰ってきたのだろうか。
そんなユージーンの物足りなさに彼の父親は顎を撫でて考える。
「そうだね……。きっと魔術王は帰ってこなかったから、続きがないんだろう」
「で、ですが、魔術王が作った国なのに?」
「ああ、彼にとってはそれで十分だったのか……もしくは次の誰かに託したのかもしれないね」
「託す?」
「ああ、国王様だって次の国王様に王冠と玉座を継がせるだろう? そんな風にこの魔術王も……次の誰かに託せるように消えたのかもしれないね」
幼いユージーンは父の話に目を輝かせていた。
それは、何て素敵な事だろう。ただ一代で終わらせるのではなく次の誰かに。
そんな風に次の魔術王に相応しい誰かが現れたら、それこそこの物語の続きじゃないか。
「お父様! 僕が見つけるよ!」
「む?」
「大人になったら僕が見つけるんだ! 見つけられなかったらなってやる! 僕が次の魔術王に!」
「ははははは! それはいいな! そうなれば私も誇らしい」
「うん! 頑張る!! 絶対絶対ぜーったいやってやる!」
それが彼の野望の原点。ベッドの中で父に語った最も温かい記憶。
何故、今こんな事を思いだすのか。
そう、決まっている。ついに……ついに見つけたのだ。
「ああ……私は、ついに……」
「……?」
カナタの二度目の自己紹介を聞いて、ユージーンは声を震わせながら涙を流す。
先程のような悔しさや恐怖から出る涙ではない。
ユージーンは今までで見た中で一番穏やかな表情をしていた。
「お父様……みつけましたぞ……! 私が、このユージーンが……あなたの愚息めがついに……ここに……!」
ユージーンは顔を覆って肩を小さく震わせながら、その場にうずくまった。
今は亡き父に報告するその姿は墓前を前にしているかのようだった。
報告が終わったかと思うと、ユージーンは血に塗れた体をゆっくりと動かして臣下の礼をとる。
カナタの前で跪いて、頭を捧げるように垂れた。
「私の忠誠を……ここに」
「何の真似だ?」
当然カナタは疑う。
今までと全く態度の違う姿を信じられるはずもない。
「ずっと、現れないと思っておりました……物語の上の存在なのだと……それを再現できるなら、私の夢は叶うのだと……だから、私がなろうと……けれど……私などではなかった……。ああ、よかった……」
ユージーンの瞳から涙が落ちる。
目の前にいるのは自分の野望と研究のために子供達を使い、カナタを卑劣な手で追い込もうとした貴族。
生き汚く抵抗するかと思えば、突然首を差し出してきた事にカナタは警戒する。
だが……その声は今までと違ってあまりに澄んでいた。
「あなたが……王だった……。私などではない……作る必要もない……器を攫う必要もなかったのだ……! ああ、帰ってきてくださった……私は望んだ続きはもう……ここにあった……。どうか、この忠誠を。これからあなたに首を刎ねられる短き命ではありますが、どうか……私の忠誠を受け取って下さいませぬか……」
「本当に、どういうつもりだ?」
「私はずっと、王の姿を見たかったのです。だから目的を同じとする第二王女派閥に入り、王の器を研究し、王の器となろうとした……ですが、私ではなかった。研究の必要もなかった」
ユージーンは顔を上げる。
先程までと違ってどこまでも穏やかな表情をしていて、恐怖がなかった。
失意の末に壊れた様子もない。
「ここに、いたのだ……子供の頃ずっと欲しかった夢の続きが……ここに、いらっしゃった……」
ユージーンは全てを受け入れている。一体何があったのか。
カナタにはユージーンの心の内を知る事はできない。
だが、嘘をついていない事くらいはわかる。
「俺は王じゃない」
「はい。私がそう思っただけの事。どうか末永く自らの道を進まれるよう骸となってもお祈りしております。ああ、こんな事であれば研究よりも善行を積んでおくんでしたなぁ……。そうすればデルフィ教の語るここではない世界であなたの行く末を祈れたかもしれないというのに」
「俺はあんたが望んだ存在じゃない。あんたを殺す人間だ」
「どうぞ。王に逆らった私めに罰を。この命終わるまで、勝手ながらあなたに忠誠をと感謝を……王の手に直接かかれる名誉を持って骸となりましょう」
カナタは白い剣を振り上げる。
ユージーンはもう一度、首を差し出すように頭を下げた。
「じゃあな勘違い」
「仰る通り……私の人生は道化未満でしたなぁ」
カナタはユージーンの首目掛けて剣を振り下ろす。
瞬間――。
「っ……」
この空間の外にいる子供達の顔が頭をよぎった。
振り下ろされた剣はユージーンの首の肉に食い込む寸前で止まる。
子供達の事が頭をよぎらなければ、そのままこの首を落としていただろう。
カナタはユージーンを生かしたいなどと思っていない。今までのカナタであれば自分の思うまま、容赦なくユージーンを殺していた。
「……」
だがユージーンを殺してここを出た時、外の子供達は言う事を聞くだろうか。
ユージーンを殺したと知れば子供達は命令など関係なく自分を攻撃してくるのではないか。
オルフェはともかく屋敷の外で待機している魔術師はそんな子供達を……被害者だと保護してくれるだろうか。
子供達を理不尽から助ける方法は果たして、これが最善なのか。
ユージーンの首を斬るのは子供達を助けたいからではなく、怒りからではないか。
カナタは自分のすべき事を見つめ直して、ユージーンの首から剣を離した。
「あんた……俺に忠誠をと言ったな? 本当か?」
「もちろんですとも。これは私の子供の頃からの野望……短き一生をあなたに」
「一生、だな」
カナタは下を向くユージーンの頭を、髪の毛を掴んで無理矢理上げさせる。
ユージーンはそんな風にされても穏やかな顔のまま。それどころかむしろその扱いを喜んでいるように見えた。
「命と引き換えに頼みを聞け。一芝居打ってもらう」
「なんなりと……! なんなりと! お役に……このような愚か者があなたのお役に立てるのなら!」
「よし」
カナタはユージーンの髪から手を離す。
すでにユージーンの目に戦意はない。約束を違えたら改めて殺せばいいと、カナタは冷徹に判断を下す。
ユージーンに何をするか指示をすると、カナタは展開する仮想領域を解いた。
「元々これは俺達の舞台なんだ……ちゃんと観客の前で終わらせよう」
再び胸糞の悪い舞台の上に。
だがその脚本は彼等の望んだものではなく、カナタの手の中に移った。




