259.燦然たる魔の宴
子供達がユージーンを慕う理由はとても簡単な話だった。
ユージーンの奴隷への扱いよりも、道端でお腹を空かせているほうが辛い。
実験体として扱われるよりも、何も求められない孤独のほうが辛い。
ユージーンは子供達をどう扱ってもいい奴隷として見ていたものの、実験体は健康でなくてはいけないという理由から食事も睡眠も十分に摂らせていた。さらには簡単な娯楽まで子供達に許すくらいに。
決して、情からではない。自らの研究に真剣だったからこそ……子供達もまた理想的な実験体でなくてはならないと考えていただけだった。
ユージーンはあくまで自身が王の器になるための研究を進めているだけ。
成功例とされているこの子供達ですら、その第一歩に過ぎない。
だが……それは子供達にとってどれだけの救いだっただろうか。
子供達を実験体として扱っていたユージーンだけが人間らしい食事を、凍えなくていい睡眠を、同年代の子供達と過ごす自由をくれた。週に三回の魔術実験すら、自分達はユージーンの役に立てているという充足感をくれた。
親が死んで孤独になった子供達。親に売られた子供達。親に捨てられた子供達。
そんな彼等に差し伸べられた手。その手は子供達に見えない悪意と野望に塗れていたが、彼等にとっては紛れもない救いだった。
「挟み撃ちしよう! そっちから攻めろ!」
「うん!」
「いけいけ! あいつを!」
カナタを襲う十五人の子供達の士気がどんどん上がっていく。
それを見る貴族達の下卑た口角がどんどん上がっていく。
カナタは今すぐこの広間を見学している外の貴族達に魔術を撃ち込みたかったが、
「こいつはユージーン様のお友達に攻撃してくるかもしれない! 守るために僕はこっちにいるよ!」
「……」
ユージーンを慕う子供達は動かされているのではなくユージーンのために動く。
最も助けにくいのは、助けられようとしない人間だ。
ユージーンに攻撃しても、外にいる貴族達に攻撃しても、この子供達はきっと庇うために走り出す。
――あの日、ダンレスに立ち向かった時の自分のように。
「わかるよ……」
カナタは子供達に怒りをぶつける事はなかった。声を荒らげる事もしなかった。
ユージーンはカナタから見れば子供達を実験体にする悪辣な貴族だが、彼等にとっては恩人だ。
ウヴァルはカナタにとって恩人だが、それを見た他者には子供を戦場に行かせる悪人に見えていたかもしれない。
子供達に自分の過去の面影を重ねたからか……カナタには子供達を攻撃する事も、この場でユージーンを口汚く罵倒する事もしなかった。
彼等にとってはユージーンという人間が、自分という存在を示せる場所だから。
カナタにはそれを否定する事ができない。いや、しない。
「だから苦なんかじゃなかった」
戦場はカナタにとって心地のいい場所だった。
自分の役割をもらえて、大好きな魔術滓まで手に入った。
たとえそこが死と血に塗れた、人が忌避する場所であったとしても。
ブリーナはカナタにとって今でもいい先生だ。
たとえブリーナが自分の命を狙う人間であったとしても変わらない。
「うん……」
デナイアルの空間は光輝く思い出だ。
ルミナと過去を直視し、理解し、互いに信頼を預けたかけがえのない場所。
死にかけた記憶も、浴びた悪意もカナタの中にあってなお。
トラウリヒの微睡みの中には奇跡があった。
何人もの人間を死に至らしめた精神の牢獄は、カナタにとって後悔と向き合えた時間をくれた。
国家を転覆させようとした大罪人の、願いを受け止めた。
誰もが恐れ、カナタ自身も殺し合ったメレフィニスという少女は……カナタにとって本当に大切な友人となった。
「うん……やっぱり、どれも捨てたくないよ……」
あの時のルイからの問いに、カナタは改めて答えを出す。
ルイにとってはカナタが嫌になるんじゃないかと思ってしまうほどボロボロになった全ての経験が、今のカナタという人間を作り上げるかけがえのないもの。
記憶の中で燦然と輝く大切な光。
怒りも、悲しみも、喜びも、痛みも、苦しみも、誓いも、願いも。
「最初に拾った時は……本当に、嬉しかったなあ」
魔術滓はカナタにとって宝物だ。
誰もがゴミと評するただの魔力の残りカスがカナタを救った。
初めて見つけた時の喜びを今でも覚えている。
ロアを無理矢理引っ張って、次の魔術滓を見つけに走った。
他の誰かでは、この喜びは生まれなかっただろう。
魔術滓があったからカナタに生きる気力が生まれた。
カナタがいたから魔術滓はたった一人にとって価値のある存在へと変わった。
あの日、あの場所、あの瞬間を忘れない。
人によって、世界の見え方は違う。
それこそが自分という人間がこの世界にいる証明。
同じ世界で生きる中、自分という確固たる存在を示すのは人の思い。
「結局……オルフェ様に言われた自分を客観的に見ろって話……。一人じゃできなかったな……」
向かってくる子供達を見ながら微笑む。
彼等に昔の自分の面影を見たからこそ、カナタの視界は今開けた。
見てほしい。見つけてほしい。
「うああああ!!」
「りゃあああ!!」
子供達から再び魔術が放たれるのを、カナタはただ見ていた。
向かってきた氷の棘と斬撃をカナタは避けようとはしない。
カナタの腕に氷の棘が突き刺さり、斬撃はカナタの服ごと皮膚を裂く。
「え……」
「ぁ……」
カナタの腕からわかりやすく血が垂れ始めたからか、子供達の動きが止まる。
ユージーンの言う事を絶対にしていても、人を傷付けたというわかりやすい事実が、カナタの血が、子供達を躊躇わせた。
「ありがとう」
カナタは優しい声色で子供達にお礼を言った。
それが一体何に対しての感謝なのか子供達はわからなかった。
ユージーンに用意された舞台の上で、カナタだけが違う場所を見ている。
「あら、子供同士でお喋りかしら?」
「どんな死に方がいいか相談しているのではなくて?」
「ははは!」
今のカナタには広間の外から聞こえる貴族達の嘲笑も聞こえてこない。
「見事にカナタ殿に傷を与えましたな! さあ! もっともっと見せましょう!」
「……っ」
ユージーンが子供達に攻撃を促す声も、子供達の息遣いも。
自分の中で産声を上げた魔術が術式となってカナタと共に。
魔力が稲妻のように迸る。頭の中に。記憶の中に。
自らの解釈が、自らの魔術の幅を広げていく。
魔術世界で作られたルールや法則といった尺度は、少年には狭すぎる。
無理。不可能。有り得ない。黙れ一分前の常識風情が。
カナタは目の前にあったはずの壁を蹴り飛ばす。答えを見つけた後に見てみればそれは壁などではなく、景色を映していただけの鏡だった。
壁が変わったのではない。壁を見るカナタの変化が気付かせた。
「ごめんな。俺……君達の大切なものを、壊すよ」
一つは術式の解釈。一つは第三域を超える腕前。
その二つに達していても、辿り着ける者はごく僅か。
ゆえにアプレンティスにいる宮廷魔術師は自らの魔術以外にも、第四域へと辿り着く方法を弟子をとるという形で研究している。
だが、どうやって辿り着けるかは未だ明確にわかっているわけではない。
「また後でな」
ゆえに、その魔術領域に踏み入れた人間は例外なく魔術の歴史に名を刻む。
「『燦然たる魔の宴』」
今ここにまた一つ、名前は刻まれた。
「は……? なん……だ……? どう……いう……?」
突然の変化に、ユージーンは瞬きを多くした。
そこを支配するのは、静謐。
研究を賞賛する喝采も目の前のショーに高揚する熱気もない。
満点の星空が広がり、心地のいい風が頬を撫でる。
遠くを見れば地平線まで草原がずっと続いていて……その風景は、いつまでもここにいられるかのような穏やかさだった。
そんな場所にいるのは、たった二人だけ。
一人はこの場所に困惑するユージーン・アヴェスター。
そしてもう一人は、理不尽な力を振るう怪物の姿。
「“選択”……『描かれる世界の片隅』」
カナタの声にユージーンは時間が止まったように固まる。
だが次第に今の状況を悟ったのか、その顔には恐怖と冷や汗が浮かんだ。
「え……。あ……? は……? は、あ……? ああ……!? いや……。ど、ういう……? あ!? はああ!? あああああ!?」
「どうしたよそんなに慌てて。俺とあんたの仲だ、招待状はいらないだろ?」
星空から魔術滓が流れ星のように落ちてくる。
これは術式の内部に空間を生成するという離れ業にして空想の偉業。
かつて宮廷魔術師デナイアルがルミナを隔離するのに使った空間であり、カナタの思い出に刻まれたルミナとの絆を確かにした場所。
そして、他者の術式の解釈によって作られている……カナタには使えないはずの魔術だった。